Q:着信 A:もしもし
Q:着信
A:2010/02/26
0:31
着信 佐藤 賢輔
通話 05:39
忘れもしない2010年2月26日。酷く寒くて携帯電話を持つ手が痛かった。
どうしてこんなところに来てしまったのだろう、早く手摺の向こうに戻らなくてはと思うのに足が動かない。そのくせ電話帳から名前を選んでいる自分がいてその矛盾に涙が零れた。
恐る恐る通話ボタンを押して、相手が出るのを待つ。送ったメールはことごとく無視されているのだから、初めての電話もそうだろう。おまけに深夜。迷惑にもほどがある。けれども行動した時点で可能性は0ではない。
「もしもし。」
「え、あの、ごめんなさい。」
予想外の出来事に思わず通話を切っていた。更に非現実的な事が起こった。わざわざ一人だけ異なるように設定したのに、一度も鳴ったことのないメロディー。それが掌の中から聞こえてきた。
悴む指で通話ボタンを押した。一体何を話そうと思って電話したのか自分でも混乱していて分からない。
「もしもし…。」
「何?」
「え?」
「だから、何?夜中に。」
機械越しに耳に入る声は聞きなれたものより少し低く感じた。不機嫌そうな声色にどうして電話なんてしてしまったのかと後悔の波が押し寄せる。
けれども電話だとこんな風に聞こえるんだ、切りたくないなという感情を抱いた。
「えっと…、あの…。」
「うん。何?」
ぶっきらぼうで口数の少ない彼らしい短い台詞。それだけなのに心が酷く揺さぶられる。いつも声を聞いていたから怒ってはいないということは分かった。
「ごめんなさい…。」
声が上ずってしまって何をどう発言して良いのかわからず、そもそもどうして彼に電話を掛けたのか困惑して押し黙る。
「周り煩いけど、どこにいるんだ?」
「え?あの…。」
風が強い。その音がするのだろう。ここは4階の渡り廊下で、手摺の向こうで、現実から逃亡してきて飛び降りる寸前だったとは言えず口ごもる。
衝動はすぐに消え、恐怖で足が竦んで戻れなくなってしまったという馬鹿みたいな状態。
戻る勇気も、進む勇気もなく、どうしょうもなくて縋るように発信ボタンを押していた。
「風の音?外なのか?」
やっぱり頭が良いのだなと感心する。探偵みたいだ。
「うん…。」
「は?なんで?」
「あのね…。」
何から話せば伝わるのか、そもそもどうして彼に救いを求めたのか。友人は沢山いるのに、中々悩みを打ち明けることが出来なくて、その度に頭に浮かぶのは彼の名前だった。この瞬間までは助けて欲しいと縋るのだと思っていた。
大好きな友人たちが居るから自分の価値が保たれるけれど、逆をいえば醜い姿を晒して人が居なくなるのが怖かった。
笑っていたのは嘘ではない。いつも楽しくて仕方なかった。学校も友人も大好きだった。辛い気持ちを打ち明けて辛気臭くなるのが嫌で一人で泣いていたけれど友人達はきっと支えてくれたに違いない。
こうして全てを捨ててしまおうとして良く分かる。沢山の繋がりがある。それを自分は断ち切れない。衝動的にこんな場所へ来てしまったが、それを見つけられて良かった。
「あのね、私…。」
竦んだ足を固めたまま携帯電話を握りしめて声を振り絞った。少しずつ全身に力が戻ってきていた。友人に、担任に、後輩に、そして何よりも彼に会いたい。
いつだって、教室の片隅にいる彼を自然と目が追っていた。この気持ちを何と呼べばいいのか。解答は。
「学校にいるの…。」
「おい、どうしてそんな所に?」
「もう、大丈夫。」
「大丈夫って…。俺、そっち行くから。」
「私ね・・・。」
言葉の途中で通話が切れた。耳に残った彼の言葉にますます視界が滲んだ。こんな時間に一体どうやって来てくれるのかという疑問と、凛とした解答に嬉しさが込み上げ、ぐしゃぐしゃに絡まる。
震える手で手摺を力強く握りしめた。柵を越えようと足を上げる。
ずるりと嫌な音を立てて体がバランスを崩した。
「明日も賢輔君に会いたいな…。」
彼に伝わっただろうか?
手も滑り、空と同じ色の髪が宙を舞う。携帯電話がガシャリと音を立てて渡り廊下へ落ちた。遠のく意識の中で彼に最後の言葉が届かなかったかもしれないという事実が悔やまれる。
透明になって消えていくこの気持ち、きっと彼なら正解を導いてくれる。
きっと。
きっと。
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