Q2月14日 A明日は休む
昨晩来た新着メールの内容をぼんやりしながら指でなぞる。
佐藤 優子
賢輔君、甘いもの平気だっけ?
浪人候補の受験生だというのに彼女は一体何を考えているのだろうか。呆れている自分と、ついつい期待してしまう自分がいる。
確か今日はいくつかの大学の受験日で彼女は試験に行っていたはずだ。
模試の判定が最後までCという悲惨な状態で臨んだ試験当日、彼女の試験の出来はどうだったのだろうか。第一希望は知らないし、どの大学がC判定だったのかも知らないが、なんとなく気がかりだった。
そんなに心配なら勉強の一つや二つ、教えればよいのに関わるのが怖くて結局彼女と親しくできた記憶はない。
昨年の文化祭で入手した彼女のメールアドレスと電話番号。嫌な振りをしていたが本当は心底嬉しかった。
けれどもこうしてたまにメールが来ても返信できずに悶々と過ごしてしまう。
小さく溜め息を吐くと意味もなく過去問題集のページを捲る。間違えやすいところや、足りない解説を書き込んだその問題集は一体誰のためのものなのか。
ふいに携帯電話が鳴って、ブーブーと机を揺らした。
「ケン!俺落ちた!全然分からねえ!」
耳が痛くなるほど大きな声でコウが喚く。
「煩い、もっと静かに話せよ。判定Dだろ。そもそも受からねえよ。」
「万が一があるかもしれないだろ!」
そんな事があれば全国の受験生は苦労していない。日頃の積み重ねが評価される日なのだ。突発的に高得点をとれることなんてない。
「今日の所は記念受験だろ。おじさん、おばさんに感謝しろよ。」
「感謝って自腹だぞ。知ってるだろ。」
「そうだっけ?」
「大学は全部自腹受験だ。専門なんて休み少ないから嫌だよ。」
コウの両親は資格のしっかりした専門学校に入学させると息巻いている。
模試の結果がことごとく悪いコウもしぶしぶ納得しているようだが、悪あがきで両親に認められるような大学を自腹で受験するあたり、必死さは伝わる。
「お前が六大目指すとか無謀だったんだよ。」
「俺のキャンパスライフ…。」
「良いじゃん、臨床工学士だっけ?なんかドラマとか出てるよな。むしろその専門、ちゃんと受かるのか?」
「流石に大丈夫な予定だけど…。いや、大丈夫かな…。ケン助けてくれよ。」
「助けてきただろ。」
声の主が変わった。
「亮、お前はどうだったの?」
「ばっちり。多分受かった。」
「本命は来週だっけ?」
「そっ。そういえばさ、今日サユもいたぜ。」
その名前にドキリとして息を飲んだ。亮は気がつかいている風だが、突っ込んではこなかった。
「思ったよりは出来たって言っててさ、そういえばお前の事聞かれたんだ。」
「ふーん。興味ない。」
「興味ない、ねえ。ならいいや。明日登校日だな。じゃあまたな。」
意味深な言い方をして亮が通話を切った。
「なんなんだよ…。」
そう呟くとなんだかとても虚しかった。何を聞かれたのか教えてくれてもいいのにとぶすくれる。
興味がないと言い切っておいてそれは無いだろうと自分に突っ込みを入れ、小さく溜息を吐いた。
「ケン兄居る?」
ノックと共に妹の声が扉の向こうでした。
「何?」
「ねえ、これ味見してみて欲しいの。」
掌の上の皿に並んだ白い塊に視線を落とした。不器用な聡美にしては綺麗な形になっている。
「母さんは?」
「お父さんとお母さんはランチに行くって言ってたでしょ。まだ帰ってないよ。」
「そうだっけ?」
年甲斐もなくウキウキとしながら支度して、バレンタインデートなんて久しぶりとはしゃいでいた母親を思い出した。
「仕方ねえな。」
一つつまんで口に放り投げた。外は固く中は柔らかい。昨年の謎の味がした物体とはえらい違いだ。美味しい。
「どう?」
「普通に食べれる。」
「何それ。」
「いや、去年まで酷かったから驚いた。」
毎年毎年、友チョコだのなんだのと張り切ってチョコレート菓子を作っては悲惨なものを産みだしていた妹が作ったとはとても思えない。
岩のようなクッキー、不思議な味付けのカップチョコレート、生焼けのマフィン。それらが出来上がるたびに母親が作り直しをしていたのだがいったいどういう事だろう。
「今日はね、ユウコちゃん達と作ってるんだ。」
「優子?」
一瞬クラスメートの顔が思い浮かんだ。肩まで伸びたサラサラの髪に少し垂れたアーモンドの形をした目を、軽く首を横に振って追い出す。
「友達がくるって話も忘れちゃったの?」
「ああ、そうだったな。ってか友チョコなのに友達と作るって意味あるのか?」
そう告げると妹の頬がほんのり赤くなった。その反応に思わず余計なセリフが喉を飛び出した。
「手作りとか、結構困るもんだけど。」
口にしてからしまったと視線を逸らした。聡美の興味津々な瞳がこちらを覗いてくる。
「ケン兄、困った事あるんだ?」
「ねえよ。」
ある。机の中に入っていた手作りチョコとメッセージカード。面倒で仕方なかった。知らない奴からの、しかも手作りなど怖くて食べたくもなかった。だから帰宅して中身もカードのメッセージも読まずにゴミ箱に捨てた。
その後、箱を見つけた母親に怒られた。好意をないがしろにするな云々。
逆に好意の押しつけじゃないかとしか感じられないというのに何故こちらが気を遣わなければならないのだろう。その時はそう思った。
今ならどうだろう。
「嘘つくとさ、鼻の下触るよねケン兄。」
指摘されて、さっと手を下ろした。そんな癖があったとは自覚してなかった。
「大丈夫、作って欲しいって頼まれたから作ってるの。」
照れ笑いを浮かべて妹はパタパタと階段を下りて行った。彼氏いたんだなとぼんやりとベットに腰かける。それから机の上の携帯電話を取ると受信メールを開いた。
意を決して返信ボタンを押して文章を考える。
今日試験だっけ。どうだった?
甘いものは別に嫌いじゃない。
大きく溜め息を吐いて作成した文章を消す。
登校日もまばらになり、ほとんど登校しないのだからもう厄介事は起こらない。そもそも中学生の頃とは周囲の人間性も違う。
だから気軽に彼女とやり取りすればいいのに指が送信ボタンを押さない。押せなかった。
いつからこんなに臆病になってしまったのだろう。
誰にでも愛想よく気軽に声をかける彼女の本心が読めなくて、こんな些細な事で期待している自分が馬鹿らしい。そうして足を止めたままでいる。
明日は久々の登校日だというのに気分が乗らない。行けば彼女の顔が見れる。
期待が裏切られるのが嫌で俺は翌日わざと学校を休んだ。
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