4-1 少女とお祭りと選択

 二人は無事に帰還し、報告書をまとめて提出し、それからは特に何事もなくゆっくりと日常が過ぎゆき、溜まる。

 一か月、という時間によって街には冬がやってきていた。

 冬、と言っても未だ初冬で季節の変わり目に差し掛かったばかり。

 学舎の窓から見える冬の空は一層高くて澄んでいるように錯覚させられる。


「もう冬、なんだね」


 珍しく教室の端へ陣取ったエイリは頬杖をつき、外を眺めたままで呟いた。

 エイリは冬が嫌いだった。

 理由はいくつか抱えている。だが、今は長々とセンチな気分に浸っていることは出来ない。

 一年に一度、この時期には街の住人があちこちで騒ぎまわるのだ。


「エイリちゃんっ! エイリちゃんは今年はどうするの?」

「うん、そうだね。今年は参加しようかな」


 越冬祭り。過酷な冬の到来を祭りによって盛り上げるという、何とも斬新なお祭り。

 エイリはこれまで一度だって、参加したことがなかった。

 理由はもちろんある。


「ほんとう!? やったよぉ、エイリちゃんとお祭り回れるっ!」

「あはは、はしゃぎ過ぎじゃない、カナエ」


 嬉しそうにくるくると回るカナエを流し見て少女は笑う。

 これまで参加してこなかったものに参加しようと、そう考えたことにもやはり理由があった。一つ、カナエを一人で祭り日和の街中へと放り出すのは気が引けるということ。そしてもう一つ、これまではエイリが放っておいてもカノがカナエの相手をしてくれていた、その少女はもういない。なれば、お互いはもうお互いにとってたったの唯一なのだ。

 だからこれまでと同じようにカナエのことをエイリは放っておけないし、カナエもまた、エイリのことをそっとしておけない。現状で、お互いが離れ離れになってしまえば、それはもうカノがいた記憶さえ失いかねないのだから。


「それじゃあ、エイリちゃんまたあとでね」

「そっか、準備あるんだね」

「エイリちゃんは、もしかしてそのまま来るつもり?」

「う、うんまぁ。持ってないしね浴衣なんて」

「はぁ、残念。でもいいよぉ。じゃっ」

「うん、またあとでね」


 小躍りスキップでカナエは教室から駆け出していく。


「アタシも髪の毛くらいは弄ってみようかな」


 カナエの背中を見届けたエイリは自身の真っ赤なショートカットの前髪をちょいとつまんで、弄ぶ。

 さてどうしたものかと考えつつも少女はもう答えを得ている。

 そう考えた時点で彼女の心は少し髪型を変えてみたい、とそんなふうに移ろっていた。


「うん、そうしよう」



「うーん、これでいいのかなぁ」


 自室に戻ったエイリはベッドに座り込み簡易的な立て鏡を角度を色々とつけて覗き込む。

 お団子ヘアーにしようとして、髪ゴムとヘアピンを駆使して悪戦苦闘しているのだ。

 いったん打点高めのポニーテールにして、そこからピンを使って固定する。つもりのようなのだが、中々うまく決まらない。

 エイリはこれまで自身をかわいく見せたり、着飾ったりすることとは無縁だった、だから勝手が分からない。


「あぁもう、うまくいかないっ。誰かに手を借りた方がいいかな、」


 少女の脳裏に数人の顔が映り込む。その中には――、


「お団子は、諦めよう……。ポニーテールでいいかな」


 ため息とともに肩を落とす。

 エイリは鏡の前で下唇を軽く噛む。


「こんな感じで、いいよね……」


 結んだ髪を軽く左右に振り、具合を確かめる。


 だけれど、

「うぅん、これでいいのかどうかもあんまり判断付かないや」

 経験則的な判断材料に乏しいエイリは鏡の前で首をひねる。


「まぁいいや。うん、いいことにする」


 うんうん、と自らを納得させるように幾度も幾度も首を縦に振る。

 それからベッドの上から鏡を掴んで飛び降りる。折り畳みの小さな鏡を制服のポケットへと突っ込み、ベッドの横に立てかけていた二本の刃を腰のホルダーへと固定し、一度大きく伸びをする。


「行こうっ!」



 時刻は夕暮れ時、高い壁にさえぎられて陽光は街の中へと長い長い影を下ろしている。

 空は茜色から、黄昏色を経て宵闇へと移り変わろうとしており、ポツリポツリと星が瞬き出している。

 空気はまだみるほどの温度ではなく、完全な冬の到来にはもう少し時間がかかりそうだった。

 寒空の下でエイリは街路樹に背を預けて虚空を眺める。

 あたりには数件の出店と、それからまばらながらも流れが途切れることのない人影。

 この壁の中の街は建材のリソース不足がたたって西洋式を主流にせざる得なかったわけだが、それでもこの日本式のお祭りという風習は旧国家時代から連綿と続いている。

 祭りというのは重要なものだ。普段から抑圧されている人たちの良い息抜きとして機能する。祭り本来の目的は多数あるがおそらくもっとも大きなウェイトを占めていたのは自然という神様への捧げものと、死者への手向けとしての鎮魂。

 しかしそれは時代と共に変化していき、今では年に数回行われる人々が一様に羽を伸ばせる日、となっている。


「カナエは……」


 そろそろ着替えも終わって顔を見せるころ合いのはずだよね、と思案して紅葉した木の葉へと目を向ける。

 赤。

 エイリが背を預けている樹木の名前は桜、もといソメイヨシノ。このあたり一帯は街唯一の桜並木で、壁内唯一の耐性エネルギーに全く汚染されていない一角。

 それは何とも不思議なことだった。ほかの、スギや、カバ、クスノキやイチョウなど、あらゆるほとんどの樹木、植物は耐性汚染によって変質し、強靭な幹や葉を獲得してしまっており、それはつまり繁殖力もまた旧文明時代とは比べ物にならなくなっている。だというのに、この桜並木にはほかの樹木はおろか植物さえほとんど繁殖していない。

 なぜ桜だけが汚染を免れているのかは分からない。

 ただ一つ言えることといえば、この汚染されていない桜並木は街の人たちにとって――特に政務塔に詰めている有識者や学史達にとって――は希望の象徴のようなものということだ。


「エイリちゃーん。お待たせ!」


 ととととっ、と小さな歩幅で小走りするカナエが手を振りながらやってきた。

 普段来ている制服とは全く別の衣装をまとっている。

 色はさわやかな空色。大きな白いまだら模様が特徴的な浴衣だ。帯の色は薄桜色で、白抜きの桜の花びらが意匠されたかわいらしいもの。

 それから手には小さな赤いきんちゃく袋を提げていて、足元は白い足袋に黒と赤の斑模様の鼻緒を使ったスタンダードな草履だ。


「かわいいね」

「ほんとぉ? ありがとー! エイリちゃんも髪型変えたんだね! かわいいー!」


 何故かぎゅぅとエイリのことをカナエは抱きしめた。


「ちょっと、苦しいよ。どうしたの、もう」

「えへへゴメンね?」


 パッとエイリを開放しながらはにかみ、それからエイリの手を掴む。


「ホラ、回ろー!」

「分かった、分かったよ。けど、ほらカナエそんな急ぐと転ぶよ?」


 言うが早いか、カナエは直後に思いきりバランスを崩した。


「わっきゃっ!」


 崩れた体勢は顔面が地面へと激突一直線になるような軌道だったが、


「もうホラ、言わんこっちゃない……。大丈夫?」


 カナエの手を掴みなおしたエイリによって抱き寄せられたことで事なきを得るに至る。


「アハハ、はしゃぎ過ぎてたかなぁ。ありがとう」

「いいって、それより気をつけなね?」


 エイリは笑ってカナエにそう伝え、カナエはエイリの手に掴まりながら体勢を整えて、それから曖昧に笑う。


(あぁ、そうか黄色と緑がないんだ)


 エイリの脳内には唐突にそんな風な思考が生まれた。が、それは特に気にするほどのことでも無いようですぐに引っ込んでいった。

 それから、二人はゆっくりと祭りの中を歩く。


「エイリちゃーん。射的ー!」

「エイリちゃーん、たい焼きー!」

「エイリちゃーん、リンゴ飴!」

「金魚ってね、すごい大きんだよ! どうやったら掬えるんだろうね?」


 小さなものでおおよそ手のひらサイズはあり、小さなポイでは間違いなく掬いきれるものではなかった。


「もう、カナエはしゃぎ過ぎ、また転ぶよ」


 あっちこっちと動き回るカナエをエイリは追いかける。

 楽しそうに笑う彼女を見ているとエイリ自身の気持ちも上昇していく。


「あれ、いつの間に何食べてるの?」

「これねー、焼きそば! さっきそこで買ったんだぁ」


 お祭りの定番アイテム屋台の焼きそば。見まごうことなき本物がカナエの手の上に鎮座している。


「お箸二つ貰ったから、あっちで座って一緒に食べよ?」

「えっいいの? カナエが買ったんでしょ?」

「私さっきリンゴ飴と綿あめとカチワリと、それからたい焼きと、あとほかにも色々食べちゃったんだよぉ? 流石に一人じゃ食べきれないよぉ」


 買い過ぎであり、食べ過ぎである。


「アハハ、それじゃあうん、分けてもらおうかな」


 エイリが伏し目がちに笑って答えればカナエが開いている左手を差し出す。

 逡巡。躊躇ためらいの理由は何なのか、果たしてそれに意味があるのか、少女自身でさえそれには答えがつけられなかった。


 だから――、

「うん、行こう」

 少女は頷いて少女の手を取る。



 祭りの屋台が連なる一角からは少し離れ、紅葉した桜並木の端の方へとやってきた二人の少女は、ちょこんと申し訳程度に併設されたベンチへと並んで腰かけていた。


「ねぇ、エイリちゃん。おいしい?」


 最初に少しだけ食べて、殆ど押し付けるように焼きそばをエイリへと渡したカナエは小首をかしげて問いかける。


「うん、うーん。おいしいよ。うん、おいしい」

「……、そっか。それなら良かった」


 すぅとカナエは寂しそうに目を細めて、それから小さく俯く。


「こういう時に食べるとさ、何でもないモノでもおいしく感じるんだね。不思議」


 それはとても素直な、嘘偽りのない感想だった。

 少女には口にした焼きそばの味を感じることは出来ていないのだ。もそもそとほそく切り込まれた段ボールを食べているような感覚だけが咥内へと広がっている。

 だというのに、エイリの味覚はをおいしいと感じてしまっていた。

 それは矛盾している。味を感じることが出来ていないにも拘らずそれをおいしいと感じている、コレを矛盾と言わずしてなんというだろうか。

 エイリ自身それに気づいてる、気づいていながら、確信もしていた。


「あはは、そうだよね。うん、平気だよね」

「うん、カナエ?」

「だってエイリちゃん、全然おいしそうじゃないんだもん。なんだか、。なんだっけ、『ニオイはあるから味があるように錯覚するけど、やっぱり全然気持ち悪い!』って」


 エイリは思わずぎょっとした。

 ぎょっとして、だけれど表情を変えずに口を動かす。


「アハハ、きついなぁ。冗談キツいよ」

「本当に……?」


 小さく瞬きをしたカナエは芯を打ち付けるような視線でエイリへと問いかける。


「うん、……本当に」


 エイリはもう笑えなかった。

 笑うことが出来なくなっていた。それくらいには自分が壊れ掛かっている自覚があったのだから。


「エイリちゃん……?」


 カナエはエイリから目を離さずに問いかける。その瞳には熱が宿っていた。

 その熱は強さ、とさえ言い換えられうる代物で、だからこそエイリは逃れられなかった。

 逃げずに向き合わなければいけない。それが、エイリのこれまでの人生によって得たある種の到達地点である。

 だから、手に持っていた焼きそばを残らずすべて胃袋の中へと押し込んで、それから重い口を開く。


「ねぇカナエ。多分私はこれからカナエを傷つけると思う」

「うん」

「だから、嫌いになってもいいよ。ううん、アタシのことは嫌いになって」


 一切の説明をすることなくエイリはそれだけを伝える。


「ねぇ、エイリちゃん。私はねエイリちゃんの友達だよ」

「ありがとう。でも、アタシはね……。カナエを敵に回してでもやりたいことがある、の……」

「エイリちゃん、悪いことはダメだよ?」

「別に悪いことをするつもりはないよ。ただ少し、人に許されないことをしなくちゃ届かないモノを取りに行きたいだけだから」

「悪いことじゃないのに、許されないって、変だよ」


 それに対してエイリは何も言い返すことが出来なかった。


 だから――、

「ゴメンね」

 一粒の言葉と渾身の手刀を頸椎へと素早くたたき込んだ。それは傍目からでは何が起きたのか全く分からないほどに鮮やかな手口で行われて、だからその場にいた誰一人、ただの一人も気が付くことはなかった。


「ほんとに、ゴメンね」


 エイリはもう一度小さく謝り、それからカナエをベンチへと寝かせ、使い終わった割りばしと透明なパックを掴み上げてその場所に背を向けて歩き出す。

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