2-5話 フレヤ女史という人

「ですからね、いずれ遅かれ早かれ枯渇する時が来ると、わたくしは考えておりますの」


 これはある意味、予想を裏切られた。全く、この女史は王室関係者らしからぬところがあるようだ。いろんな意味で、舌を巻く。

「なるほど。大方の学識者とはご意見を異になさっておられるようだ。実に興味深いお説です」


 アレクがお茶を淹れなおしている。ほう、良き香りだ。カミツレと……あとは何だろう?

 丁寧に淹れられたお茶をリュシアンも手伝ってサーブしてくれる。


 研究棟の客間。滅多にこの部屋は使わないから、ほとんどその存在を忘れていた。

 ここに来るときは、ほぼ研究室と書斎にこもるばかりだったなと思う。


 マントルピースを背にした上席のソファに浅く腰かけて、先ほどから大いに自論を展開しているのは、この学院領に研究棟を持つ准教授のフレヤ・ウル・リンデル・フォルセクイル女史だ。現王室の関係者で、なんでも先王のお妹の孫にあたられるらしい。

 ソファの背後にはフレヤ女史の護衛、ユバンニ・トルスティ・レフトサロ卿が控えている。

 鍛えられた上背の高い男で、眼光も鋭く、先ほどから挨拶以外一言も口をきかぬ。まあ、護衛とはこんなものか。

 

「あら、ありがとう。まあ、いい香り」

 毒味をかねて先にお茶を口にした。

「ほう、これはお茶にカミツレと……弟切草だね。良き香りだ。ふむ。爽やかで美味いな」

 アレクがリュシアンと顔を見合せふっと微笑んだ。

 

「まあ、弟切草? あら本当に美味しい……」

「良きお茶は心を安らげてくれますからね」

 カミツレや弟切草の薬効は不安な気持ちを和らげる。先ほどから少しばかり何か思いつめておいでのご様子だからな。さすがはアレクだ。

 お茶をいただいていると、フレヤ女史からの不思議そうな視線に気がついた。


「何か?」

「いいえ。ええ、あの、アルシュヴァラ卿は、ずいぶんとその、落ち着いておられますのね。お若くていらっしゃいますのに」

「おや、左様でございましょうか」


「そう、そのおっしゃりよう」

 フレヤ女史は、さっさとお茶を飲み干してしまわれたようだ。リュシアンがおかわりを勧めている。


「お会いするまで、もっとご年配の方だとばかり思っておりました。筆頭理事で、研究棟を持つ教授方でしょう? ご著書も多くていらっしゃいますし」

「ええ、まあ、そのようにおっしゃる方も多いようですね。私の一族は年齢と見かけが合わない者が多いのです」

 リュシアンが私の背後に立つ。護衛のつもりか? アレクは書物机かきものづくえで書記を取ってくれている様子だ。

 

 「わたくしも、法力の極めて高い方にはそのようなことがあると聞き及んではおりましたが……」


 今の世には仙人は稀だ。

 まるで、神話か伝説の中の人物のようにとらえられている。深入りはさせぬ方が良かろう。

 何しろ彼女も現王室、フォルセクイル家の血筋だ。現王室には法力油の影が濃い。


 フレヤ女史がすうっと目を細めこちらを見る。

「アルシュヴァラ卿は、その、法力の練り方と運用もご専門になさっておられたと伺っております。ご著書や論文も、以前から拝見しておりましたし……わたくしぜひ、お会いしたいと前々から学院長に申請しておりましたのよ」


 そうか。それは学院長もお困りだったろう。

「左様でいらっしゃいましたか。各地の薬用植物や鉱物などを調べておりましたので、あまりこちらには顔を出しておりませんでしたから」


「そうでしたの。学院長は何も伝えてくださいませんでした。わたくしの研究分野は、今はあまり流行りませんから、お気にとめていただけないのですわね」

 フレヤ女史の研究分野、個々人の法力の発揮について、と言っていたな……基本的で汎用性の高い分野だと思うが、流行っていないのか。


「今朝はその、早くから研究棟の厩舎に馬が繋がれていたと聞きましたもので、急な事だとは存じましたが、ご都合をお伺いさせていただ次第です。正直、お会いできるとは思っておりませんでしたのよ」

「ああ、学院長からも伺っておりましたし、近いうちにご連絡差し上げるつもりでおりましたから」


 本当は、今日は朝からリュシアンと共に法力油の同定と成分分析にかかっていたのだ。

 ふむ。まあ成果は惨憺たるものだがな。

 法力油が確かに法力を蓄えて術式を発動させることは確認できたのだが、なぜそれが可能なのか、全く理論を成り立たせることができていない状態だ。




「アルシュヴァラ卿。さっそくなのですけれど、今の法力学のあり方についてどのようにお考えですか? 安易な資源の利用に流れ、各々の資質を高める術を忘れ果ててしまっているとお思いになられませんか」

「フレヤ様、それは……」

 初めて護衛の男が口を聞いた。レフトサロ卿だったか。


「ユバンニ。よろしいのよ、こちらのアルシュヴァラ卿はこの分野の権威でいらっしゃるの。ご意見を伺わずになんとするのです」

 ふむ。真っ直ぐに斬り込んでくるなあ。こちらの出方をはかっているのだろうか。


「私は、専門外はとんと……それにしてもここでこのようなお説を伺えるとは思っておりませんでした」

「わたくしを信用なさいませんのね。フォルセクイルの名のせいでしょうか? それとも、貴方も女だてらに学問など、とおっしゃるのかしら」


 ふうむ。お若いな。

「いえ。最近の学派の動向については本当に何も把握しておりませぬので。それに私は学問をなさるご婦人方を多く存じ上げておりますよ」

 そういえば、フレヤ女史。おいくつくらいなのだろう。研究に没頭しているようだが、お独り身なのか。服装も地味で後ろ姿など、女性ではなく若い書生と言われても信じてしまいそうだ。


「わたくしは、法術学が何より好きなのです」

 胸をはって、そう言う。なるほどそうか。

 アレクが窓を開けてくれた。

 春先の穏やかな良い日だ。おや、もう沈丁花が咲いたのか。陽だまりで葉影の蕾が開いたか。


「お好きなことを深めて行かれるのが何よりよろしいでしょう。私にわかることでしたらお答えいたしますよ」


 暖かな春の風に心が晴れたのだろう。フレヤ女史も少し落ち着いてこられたか。

「つい、気が急いてしまったようですわ。お詫びいたします。あなた様にお会いしておりますと、なんだか、昔お世話になったご婦人を思い出します。それで、なんでもお伺いしていいような気がしてしまいましたのね」



 フレヤ女史は幼い頃、古都のラクシュガルドで、御祖母様とご一緒にお暮らしであったらしい。どうやらその方が法術にお詳しかったようだ。王妹おうまい殿下であられたという方か。

「わたくしの祖母は、法術がお好きでずいぶんとお上手だったのです。わたくしも幼い頃より法術に囲まれて育ったのですわ。あの、こちらの厩舎の馬も、あれは木馬なのでしょう? わたくし幼い頃、祖母の庭で素晴らしい木馬を見たことがあります。あの感激。またあのような見事な術式を目にすることができようとは思いませんでした」


 ほう。あれを木馬と見定めたのか。

「術式を工夫することで、法力の効果的な運用は可能です。生きているものであればどんなものにも法力は存在しますから」

「そうですわね。だからこそ人は気力の練り方をもっと学ぶべきなのですわ。今のように法力油に依存する社会の在り方に、わたくしは危惧を覚えずにはおれません」


 なかなかの論客のようだが、過激だ。

「私は法力油の動力については門外漢ですよ」

「そうですね。あれは首都の法学舎が中心となっている学派で、ほぼ国防が目的でしょうから」


 護衛のユバンニ殿がしきりに窓の外を気にしている。リュシアンが、少し風が出てまいりました。などと言いながら窓を閉めて回る。

「だからこそ枯渇の兆しを憂いているのです。原点に帰り、個々の法力の資質を高めるべきだと」



 うむ。法力油の資源の枯渇とは。いつ頃から使われ出した物なのか。いや、それよりもまずは如何なるものであるのか。根本的に確かめてみるべきであろうか。


「私がご協力できますことは、法力の効果的な運用でしょうか、それとも個々人の気力の練り方についてでしょうか」

「はい。それにつきましては貴方様の論文を元にわたくしの方でも、検証を重ねてまいっております。ぜひご査証いただければとは存じております。ですが……それよりも、」

 そこで女史は口ごもる。


 しばらくしてフレヤ女史が語ったことによると、彼女の学位は名誉学位であり、研究棟は持つものの院を開いて学院生を弟子に取ることは認められていないのだそうだ。

「学院領は女性の入学を未だ認めておりませんから。わたくしは権力をたてにごり押ししたと言われております」


「しかし、客員教授ではなく正式な准教授であられるのでは?」

「ええ。論文には文句は言えないのでしょう」

 なるほど。煙たがられているのか。頼もしいことだ。法力油の件も、彼女の協力を得て調べていくのが近道ではあろうが……

 アレクの表情が硬いな。ふむ。やはり現王室、フォルセクイルの家系には安易に近づかぬ方がよかろう。


「ええ。承知いたしました。ご研究を査証することはいつでも構いません。ぜひ拝見いたしましょう。ただ、私も研究棟を留守にすることが多く、このリュシアン以外の弟子を取る予定は今のところありません。力及ばぬことで申し訳なく思います」


 フレヤ女史は眩しそうにリュシアンを見つめていたが、今日のところはひとまず引いてくれるようだ。護衛のユバンニ殿に引きずられるようにして帰っていった。




「アレク、例の法力油とはいつ頃から使われだしたものなのか?」

 アレクが近寄り眉を顰めながらささやく。

「それに関しましては、叔父君のカレルヴォ様もご研究を始めていらっしゃいました。御前様がお籠りになられてからおよそ三百年程の間のことがわかるかと存じます」


 なるほど。現王室が成立する少し前までのことが遡れるならばありがたい。

「カレルヴォの叔父上の資料は拝見できるだろうか」

「家令のヴァルトに打診したしましょう。あの者が資料をまとめていたはずでございます」



 あまり目立っては動けぬ。

 しかし、放ってもおけぬことだ。今の世に、これから何が起きるというのか。いや、既に起きてしまっているということか……

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