1-5話 古都の貴婦人

御前様ごぜんさま、そのお姿でお出かけになるのはいかがなものかと存じます」

 朝からアレクの説教だ。手強い。

「アレク、私は今日はご婦人とお会いする約束をしている。あまり野暮ななりはごめんだよ」


「リュリュ、そのグレーの長ズボンをこちらにお持ちしなさい。そうですね、縞の細いほうがよいでしょう」

「いや、長ズボンは無いだろう、まるで作業着のようではないか?」

「御前様、今の時代に長衣とシュールコーをお召しになっている紳士などおられませぬ」



 結局は押し切られてしまった。まあ、目立たない服装を用意するよう言ったのは私だが……

「目覚めるたび、世の中は品性を失っていくような気がするよ」

「御前様、よくお似合いです。こちらはモーニングコートと申しまして、午前の訪問時に紳士がお召しになる服装でございます」

 ふむまあ、着心地はさほど悪くはない。特にこの靴は履き心地がいいな。


「それにしても、上着の前裾をこんなに短くカットしなくてもよいのではないかと思うよ、私は」

「それは乗馬服の名残りらしゅうございます」

「そうか、ならばでお伺いしよう」

「先方様から馬車を差し向けるとご連絡をいただいております。そちらでお出かけくださいませ」



 館の二階、奥の間の転移室。

 ここは、各地の別邸の転移の間へと扉がつながっている。窓のない中広間で、扉が十ほど用意してある。現在つなげて使用しているのはそのうちの五つだ。


 今日はその内のひとつ、かつて王都と呼ばれていたラクシュガルドにつながる扉を使う。

「リュリュ、忘れ物はありませんね?」

「はい。アレクサンテリさん、お手土産の薫苔かおりごけの精油と焼き菓子もちゃんとご用意いたしました」

 そしてお供はリュリュだ。一人で良いと言ったのだが、街の様子が様変わりしているからと却下された。


「いってらっしゃいませ」

 にっこりとほほ笑むアレクの見送りを受けて、転移室の扉をくぐる。扉の先は緩衝地帯として設けられている中廊下だ。この中廊下の先に王都の屋敷へつながる転移扉がある。


「リュリュはラクシュガルドへはよく来るの?」

「はい、ごぜんさま。書簡のお届けなどでよく参ります。買い物も首都よりはラクシュガルドの方に来ることが多いです」

「ではリュリュは、エステル殿にはお会いしたことがあるのだね」

「はい。大奥様には大層お気にかけていただいております。いつも、ごぜんさまのお話をお聞かせくださいました」

「そう、ずいぶんとお待たせしたろうね……」



 今日、訪問の約束をしているのは、カレルヴォの叔父上の孫娘にあたるエステル・ラ・アイリ・ハルティカイネン殿だ。

 旧王都におひとりで暮らしておられる。

 今現在、聖域に籠らずに活動している仙人は、私の知るところでは彼女くらいとなってしまっているらしい。お会いするのは久方ぶりだ。


 旧王都の屋敷は、私の所有する別邸の中でも大きい方で、特に客間が多い。ホールや広間、客をもてなすためのメインダイニングなどはこの屋敷のものが一番格式が高いはずだ。もっとも私はあまり王都には滞在していなかったので、さほど使ってはいなかったのだが。

 

 屋敷の玄関には既に迎えの馬車が控えていた。

 屋敷前の堀にかかる橋を越え森を抜けると結界を超える。糸杉の並木道を少し走ると石畳の中央通りはすぐだ。その中央通りの先の古びた王城の近くに叔父上の屋敷はある。


 街道を抜け街中に入ると景色は一変した。

「これが、あの王都なのか……」

 旧来の建物は残ってはいるのだが、何というか騒々しい。王城がよそに移って寂れているならまだわかるが、人や馬車の往来が逆に増えている気がする。

 建物の様子もどことなく派手派手しい。よく見るとほとんどの建物に大きなガラス窓がはまっていて、それが光を反射して眩しいのだ。

 街を行く人の姿も随分と様変わりしている。

 セルド王朝時代の優美さはすでに過去のものとなり、忘れ去られてしまったようだ。


「あれから八百年が過ぎ去ってしまったのだね」

「人は皆、目まぐるしく変わっていくんですね」

 そうか、リュリュも世の中の移り変わりをかたわらから眺め続けてきているのだな。

「ま、変わらないものもあろうよ」

 そうですね、とリュリュがほほ笑んでくれた。




「ずいぶんとご無沙汰してしまいましたね。元気に過ごしておられましたか?」

 サロンとして使われているのだろう、美しく調えられた客間の暖炉の前、大きめの背もたれ椅子に深々と腰かけるエステル殿に挨拶をする。


「ローデヴェイクのお兄様。ご無事のご帰還お慶び申し上げます」

 そう応えてくれるエステル殿はずいぶんとお年を召したお姿となっておられた。

 しかしそれでも、上品でとてもお美しい。

「椅子に掛けたままでご挨拶いたしますこと、どうぞお許しあそばして……」


 エステル殿は今からおよそ六百年ほど前に復活を遂げ今の時代を生きてこられた。その後、叔父上、ご夫君が復活の眠りの時期を迎えられ、聖域に発たれるのを見送ってこられたという。

 それでもつい先ごろまでは、姉君のヒルダ殿とお二人で過ごしてこられたらしい。


 エステル殿の姉君、ヒルダ・ラ・セシリア・ハルティカイネンは私の許嫁だ。ただうまく生きる時代が合わせられず、いまだに名ばかりの婚約者であることを申し訳なく思う。

 今回の復活でヒルダとの約束を果たせるかと思っていたが、私の復活が遅れに遅れたせいで叶わぬこととなった。彼女は五十年ほど前まで待っていてくれたらしい。


「ヒルダったらお兄様に年を取った姿を見せたくなかったのでしょう。私を置いて先に聖域に向ってしまいましたのよ」

 私の覚えているヒルダの姿は、まだあどけないふわふわとした銀色の巻き毛の愛らしい少女だ。幼いけれど私の前では一人前の淑女を気取っていたな。

 エステル殿がふわりとほほ笑む。その笑顔にどことなくヒルダが思い出された。



 エステル殿は本来ならば、ずっと前に眠りに入る時期を迎えておられた。しかし、他の仙人達が次々と玄室に籠っていってしまったため、私が目覚めるまではと、ひとり残っていてくださったそうだ。

「これで私も眠れますわ。もう限界でしてよ」

 本当に申し訳なかった。


 叔父上は私の目覚めが遅いことを心配し、ずいぶんとご研究をなさったらしい。

「研究の成果は、セレネピオス法学院の祖父の研究棟で保存されています。ただ、祖父が眠りについてからも、状況はさらに不安定となってしまっているのかもしれません」


 セレネピオス法学院に、私の研究棟と教授方としての籍が残されているらしい。

「人の世はどんどんうつり変りますでしょう? この王都も、もう昔の面影は薄れてきておりますもの。法学院であれば、世の情勢とは切り離されておりますから……」



 エステル殿は間もなく聖域へ向かわれ、復活の眠りにつかれる。とうとう今の世に目覚めて生きる仙人は、私ひとりとなってしまった。

 

 今、いったい何が起きているのか。私はそれを知らなければならない。


 セレネピオスに向おう。

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