第31話 人からの決別

 アンリが逃走したその後、イデア化を解いたシュラン達はアフラの部下の手によって、手当てを受けた。なにか特別な事象を宿した水泡の塗り薬や再生の事象を込めた包帯で、シュラン達の傷口は癒やされてゆく。 


「ほう、アフラちゃんゆーですな。宜しくですよぉ!」


 意外にもルオンはけろっとして、一番、元気であった。


《あらら、可愛い子!》


 アフラが聖女のように微笑む。


 至高精神体アフラは高位の存在だが、明るく面倒見のいいおば……もとい、大人のお姉さんのようであった。


《こちらこそ宜しくね。ねぇねぇ。ルオンノタルちゃん。私達の騎士団に入団しない? 騎士団の子ってば、どの子も真面目で目をつり上げている子ばかりなの~。ルオンノタルちゃんみたいな可愛い子がほしいな~》


 巨大な浄化念球の中でくるくると回転しながら、アフラはころころ笑った。


「騎士団に入ると、どーなるデスか?」


 ルオンが不思議そうに首をかしげた。


《強くって素敵なレディになれるわ~》

「本当ですか!」


 ルオンがぴょんと飛び跳ねて喜んだ。


「これ。わが孫娘を誘惑するでない。浄化の騎士なんぞになったら、そこの粗暴なババアになっちまうわい」


 包帯だらけのユミルが片目をつりあげ憎まれ口を叩く。


《誰がババアですって!》


 アフラは聖母の相貌を一瞬、鬼女に豹変させると激情を散らし、浄化念球から蔓みたいな触手を伸ばし、近くの大理石の柱に向け、一振りした。

 途端、ルオンの近くで、巨大な大理石の柱がずれ落ちる。ルオンがやや口をぽかんと開け、青ざめた。


 しかしそれだけでは終わりでなかった。高位精神体が感情を乱した出来事だ。柱一つだけが切断されたと思えたが、続けてまた柱がずれ落ち、連続して――最後には百ほどの大理石の柱がずれ落ちて、轟音の協奏曲を奏でることになった。


「ひー。怖すぎです」


 ルオンはあの一瞬で百の柱が切断されたことに、恐怖でがくがくと脚を震わせた。


《あ。怖くないのよ。私は怖くないのよ~。私は優しいのよ~》


 アフラはかなり困った顔をして、慌てて弁明した。


「――じーさん」


 ユミルが顧みれば、宇宙風に輝く包帯をばさばさと翻し、シュラン、ミャウ、ゲオルグ、マーシャ達がどこか寂しげで辛そうに立っていた。


「……あれは助けられないのか」


 重いものをはき出すかのように、シュランはその一言をいった。

 シュランは、アンリの影界の世界で、苦しんでいる人々のことをいっている。


「もう、助からん……」

「アンリ達はあんな一杯、創ったじゃないか! あんな風に……!」


 シュランが憤りに叫んだのを、ルオンが腕にぎゅっとしがみついて止めさせる。


「あれは衝動体アーヂゆーですよ。魂魄ソウルをもってないんですよ」

「そうじゃ。魂魄ソウルをもった複雑な思念を有しておらん」


 ユミルが冷静に頷き、シュランは堪らずいう。


「じゃあ、生き返らせたり、そんなことは? 世界を創った神様なんだろ?」

「無理じゃ。死した時、すぐにある特別な空間で守らなければ魂魄ソウルが傷ついてな。そうやっても、わしの全魂魄ソウルと引き替えにして人間ぐらいの精神なら百や二百しか蘇生できない」

「なら、その百や二百を……」


 シュランはなおも喰い縋る。


「糞ガキよ! あの地獄の世界で苦しんだ人間を蘇生させ、元の思考や人格を有していると思うのか? あれだけ苦しんで!」


 シュランはアンリのプレーンを見た。蛆がたかり、血に溺れる人間達の阿鼻叫喚の地獄。こんな状態の人間が正常な意識を保っているとは思えない。


 反魂の儀式や死者蘇生という事例は多くの伝承や伝説で語られてきたものである。

 しかし黄泉国や地獄など、その世界で発狂するほどの体験と経験をしてから生き返るこそ、現実との齟齬が生じ、悲劇が生まれる結末になるのだろう。


 シュランはその過酷で冷徹な現実を知って、ユミルの問いに苦く首を振るしかなかった。


「わしらに命の種や世界を創ることができても、今の瞬間を。今を生きていた命を取り戻すのは困難なことなんじゃ。だからこそ、命は尊きもので価値があるものなんだ」


 ユミルが静かに語ったのに合わせ、アフラが威厳を持って付け加える。


《苦しみから解放しておやりなさい。その魂魄ソウル達を! 創造主様の元へ帰してやるのです。再び、新たな命として生まれ変わってきます》


 シュランは頷き、刺さっている円形の影界に真っ直ぐ向かった。それは誠実で、愚直な男の後ろ姿であった。


 ああ……!

 

 ルオンはあの大きな体で私を守ってくれた大きな背。そのシュランの背が小さく、哀しく、とても辛そうに見えた。

 無言で、ミャウと半身で別々に行動できるようになったゲオルグとマーシャが進む。

 シュラン、ミャウ、ゲオルグ、マーシャの四名は地面に刺さったアンリの影界を持ち上げようと、必死に、力を振り絞る。


 動かない。


 動かなかった。


 アンリの影界は、巨神化しても、十倍もあり巨大で、びくともしなかった。


 あのシュランの怪力すらあるのに、その影界は動かなかった。


 力を込めるあまり、シュラン達の傷口が開き、包帯が赤々と染まっていた。再生の事象を込めた銀白の包帯の力が負けている。


 ルオンが堪らず手を貸そうとすると、


「四人にやらせてやるのじゃ」


 ユミルが制止した。


 ルオンは口を結んで、拳をぎゅっと握りしめると、シュラン達を見守った。


 滲み過ぎた赤い包帯から、赤い血がぱらぱらと舞いだした。


 それは、シュラン達にとって、人間からの決別作業だったかもしれない。


 シュラン達が持ち上げようとしているのは世界。

 世界そのものという重量もあるが、その影界に集約した、苦しみ、嘆き、憂い、苦痛、激痛、憎悪、怒り、嫉み、あらゆる負の感情の重さなのだ。


 世界に溢れる負の思いを、力だけで、翻すことができるだろうか?


 否。それは決してできない。


 心だからである。


 心は力では動かせない。


 しかし、シュラン達は諦めなかった。


 だからこそ、だからこそ、動くはずのない影界が徐々に動き始めた。

 

 何千億に及ぶあらゆる負の感情の重さが、たった四人の心の強さによって動きだす。彼ら彼女らの心が本物だからこそ、動いた。


 影界が緩慢と抜かれると、押し倒れ、中の真っ赤な世界が一望できるようになった。


 地獄の世界。永遠と続く地獄。


 シュラン達はアフラから白い光球を受け取り、それを細かく蒔いた。人々の苦悶の表情が粒子を受けて、安らぎと平穏に満ちた顔へ変わり、昇天してゆく。

 何千、何億の救済された魂魄ソウルが天へ昇りつめ、巨大な光の柱とかした。

 限りなく純白に輝く巨大な光柱のなんと美しく、素晴らしい光景であったのか。

 シュラン達の周辺で、かつて仲間だったらしい魂魄ソウルの光球が、礼を述べるかのように、ゆるやかに、和やかに、舞う。


「さよならだね、ほんとうに……」


 ミャウは掌にのった魂魄ソウルへ告げた。


「うむ、さよならだ……」

「……次の命で、いい未来をね」


 涙目のゲオルグと泣いてしまっているマーシャが言った。


「俺達……」


 巨大な光柱を見上げて、シュランが強くいった。


「みなが、また生まれる変わる前までには、世界を少しはよく治しておくよ……」

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