第13話 シュランの思い

「なーて、いきなり告白してきたですよ。卵の中にいた私は思ったですよ。この人、危ない! 変だ! 私、まだタマゴよって! 強力過ぎ。やり過ぎた。やばいですなって!」


 ほのかな紫と染まる世界。白紫色の光を放つ太陽が七つあり、紫の森が雄大と生い茂り、巨大な岩山群がごつごつと連なる世界であった。

 その片隅にルオンを見つけ、シュランは彼女の背後にそっと舞い降りた。


「でも、でもですよ。この後が良かったですよ。人の身でありながら、殴っちゃったんですよ。宇宙を破壊できるような存在を! もう助けられた私はあーですよ」


 胡座をかきルオンはぶつぶつ呟きながら、棒切れでつんつんく突いていた。

 突いているは目前の、赤い筋模様がある白い壁だ。上空から見たときは、眼の形に酷似した二つの白い湖みたいに見えたが、たぶん小高い丘だろう。


「痺れたというか、胸が熱く堪らなかったです、わ……口にするのもなんですか、恋ですよ。好きになっちゃった訳ですよ。私だって一応、女の子ですよ。あんな助けられ方して、くらっと傾いちゃったのよ。こてん、ですよ。こてこて、こてん!」


 その白い丘壁の一番下隅を、ルオンはつんつくしていた。


「それで相手は、私が卵なのに告白してしまう、もーう早急な人。私はすぐ真っ赤になって、うまく話せなくなっちゃうから、全くの逆でしょうよーぉ」


 シュランはどう言葉をかけようか迷った。どうもルオンは誰かと会話しているらしい。


「でも頑張ったですよぉ。あの人の思いに答えようと、何度も真っ赤になりながら……大胆にも、シュラちゃん、ルオちゃんと呼ぶようにした訳ですよ。呼び合う名前には、もちろん言霊に私を必要としてくれる存在。音霊にこの世で一番の存在……なーて、意の力込めちゃったものです、わ」


「うん! シュラちゃんに知られたら、赤面もんの、悶絶もんです、わ。もんもんね。もんもんよー。だけど、私の初恋は終わちゃった。哀しいですよ……」


「え? 私を泣かした野郎は太陽をソースにして食べちゃう? ダメですよ。私は……諦めてないの。悪いことだけど、また、ほ、惚れさせって……や、やっちゃうかな……そうしないと、ゴミなんか、ね」


「ふふん。噛み砕きの擂り潰しの生殺し? それ、ちょっといいかな……強めにね」

「あの――ルオ?」

「あはっ、涙でそう……シュラちゃんのこえ……!?」


 ルオンは躰を震わせて振り返り、電撃的に驚いた。


「シュラちゃん!!」


 ばつが悪そうな顔してシュランが立っている。


「もしやらして、全部?」


 シュランに頷かれ、ルオンは更に質問する。


「それもらして、最初から?」


 シュランが頷く。ルオンはかーっと赤くなった。


「これもらして、赤面もんもんでーす!」


 一瞬、羞恥に身を任せるような仕草から耐えて、ルオンは意を決したように立ち上がった。やけに真剣な顔をして言う。


「あの……ちょっと早とちりとかあって、へんなことなっちゃいました。だから、改めて、今から普通にやり直したいです。シュランさん!」


 ルオンは握手を求めて手を差し出した。


「だめだ」


 だが、ルオンの手はシュランの手を握ることなく、空だけを握り締めることになった。


「……そうですか……」


 ルオンは肩を落として落胆した。


「いや、違う。なんだ……その……少し待ってほしい」


 シュランが身振りを交え、慌てて弁解する。


「私、小娘なーて言われますよね。もっと、私が成長してからってこと? もっともっと胸ぼん? お尻ばんばん?」


 ルオンは棒切れを握り締め、上目使いでシュランを伺った。


「違う! 今の、ルオは十分魅力的で……」

「趣味じゃないとも!」

「いや、趣味だ!」


 ぼんっ! と、まるで爆発音をたてるように、ルオンは真っ赤になった。


(なーにを、いうてるですかな。訳がわからんです、わ。シュラちゃん、やっぱり変?)


 などと、ルオンは赤面しつつ途方にくれた。


「シュラ坊、大丈夫かね」

「そうね、シュラン君。日頃から言動、おかしいから……猿と犬を仲良くさせてぇ、とか」

「卵に恋をしたは最たる極みだった。とうとう、いちまったかと」


 三角形をした葉っぱの茂みに隠れ、ミャウ、マーシャ、ゲオルグは二人の動向を覗き見ていた。ミャウがふいに目を細めた。シュランとルオンの背後にある、白い丘の赤い筋みたいなものが脈打って、微かに蠕動している。


「沢山の仲間が死んで……わかるだろう」


 シュランは心の奥でたぎる激情を込めるかのように右手を握り締めた。どす黒い右手に血管が脈打った。


「敵討ちにいくからなの? そんなの絶対、ダメですよ」

「ルオは……納得できるかい? 大事な人を奪われて……」


 ルオンは首をふった。


「だから、やるですか? 復讐を?」


 問われて、シュランは全身の力を抜いて、苦笑いを浮かべる。


「実は、はぁ~解らないんだ。俺も……」


 ルオンは益々、シュランの考えが掴めず、困惑した。


「それで……あの、ちぃーとばかり、長い話だけどいい?」


 唐突に、シュランは顔の前で人差し指を合わせ、左右に広げながら言った。


「いいですよ。ききますよ」


 ルオンは口をとがらせ、棒切れでシュランの腰辺りをつんつくする。


「あのさ。俺。昔、戦争でおやじと妹を亡くしたんだ」

「ユーリアちゃん?」

「うん。そんとき、妹とおやじを殺した奴ら、そりゃ、恨んださ。ナイフを持って、我武者羅に走った」


 シュランは追憶する。


 戦火の後。破壊兵器で蹂躙され、残り火が今だ残る腐った瓦礫の街。灰の街を、復讐心に囚われ、少年シュランは走った。あの日。仇をうつために、誰を殺せばいいかも分からず、激情にかれられるまま必死に走った。


 そして、転んだ。


 ひしゃげた看板につまずいた。


「俺の親父が設計した建物があった場所だった。でっかくって、天に伸びるような空色の奇麗な建物。自慢してた。でも、ぽかーんとひらけちまって、何もなかった」


 シュランはおどけるように言った。


 鉛色の、にごった曇り雲だけが見えた。焼け落ち、無残なガラクタだけがあった。地平線まで覗けて、茫漠としていた。幼き頃のシュランは、何を思ったのか、その辺の瓦礫を集め、積み重ね始めた。


「馬鹿だった。でも本気だった。なおそうとしたんだ、俺。親父がつくった建物を……」


 少年シュランはその誰から見ても奇行と思える行為を二時間ほど続けた。でこぼこの不安定な瓦礫は、重ねる度に崩れてしまう。けれども、何度も失敗を繰り返し、コツを掴むと、自分と同じ背の高さまで瓦礫を重ねることができた。でも、そこで少年は戸惑った。


「背が届かなかったんだ……そしたら――」


 すっと横合いから別の瓦礫が重ねられた。見えたのは褐色の手。シュランの母親リオナの手であった。飛びだしていったシュランを探して、汗だくになっていた。産後なのに。シュランは怒られると身を縮めた。しかし、母リオナは、


「もっと、重ねよう、って、いったんだ」


 転がるナイフ――父親の設計した建物の看板――重ねられた瓦礫。たった、それだけでなんとなく理解したらしい。


「うん」


 少年シュランは返事して、母親とも瓦礫を重ね始めた。暫くして、重なった瓦礫は母親リオナの背より高くなっていた。

 少年シュランは母親に肩車してもらい、崩れないように、そっと、そっと、最後の瓦礫を乗せた。そのとき、鉛色の空に切れ目が出来て、すっと一条の光が差し込んだ。

 照らしだされたのは、ナイフなんかじゃない。


 ぶさいくで、今にも崩れそうに、重ねられた瓦礫の塔――


 そして、その側で無邪気に喜ぶ、奇妙なふたりの親子。


「そう、俺は……ナイフとかで得るじゃなくって、そういう生き方をやっていきたいと想っている」


 シュランはあの時の、瓦礫の塔の輝きを決して忘れない。輝くことのないゴミが、神々しい光を発する刹那を。


「だから、何か、弔うことをしていきたいと?」

「さーあ……」


 とシュランは両手を広げ、肩をすくめた。

 ルオンは戸惑った。シュランが何を云いたいのか、全く見当がつかない。しかし、どこか飄飄とした明るいシュランの笑顔の奥には、寂しげな無気力感があるのを感じ取れた。


「でも、何かしたいとは感じている……だけどさ、崩れちゃうんだ」

「へ? 崩れちゃう?」

「そう、崩れちゃったんだ……」


 シュランは再び母と築いた瓦礫の塔を思いだす。帰り際、何げに振り向いたとき、その瓦礫の塔はゆっくりと崩れていった。


「俺が何かしたって、何かを得たって、それが壊されてしまう。また、崩れていってしまうじゃないのかって、思っているんだ……」


 大事な存在を、理不尽に奪われれば、憎悪と激情に身を任せ、復讐に走る。しかし復讐相手を殺し、本懐を遂げたとき、また大事な存在を奪われたら?

 それが、二度、三度、五度、八度と繰り返されたら? それでもなお、憎悪に身を焦がし、復讐を続けるのか? 憎悪を育むかのように。


 しかし、万人がそれを抱き続けられるものでない。誰しもが英雄にも狂人になれるものでもない。世の薄情さに絶望してゆくだろう。


 シュランは妹ユーリアを失い、父を失い、そして多くの仲間を失った。だからこそ、絶望した。今のシュランの心を満たしているのは、怒りよりも空虚な想いである。何をしても、運命という理不尽さが、全てを奪っていくのだという投げ遣りな気持ちと空虚感。


「ルオ。君は教えてくれたね。存在することの奇跡を。だから、何か見つけないと……」


 シュランは左手を握り締め、混乱した今の思いを、自分自身で確かめるように言う。


「俺が、ここにいることが無駄になってしまう! 俺の人生はなんだった? 馬鹿にみたいに一緒に騒いだ仲間。ケンカした野郎。関わり合った色んな人々。母に仕送りして少しでも楽になってほしいと頑張ったことはなんだったんだ? 俺はユーリアの死も、父の死も無意味にして終わりたくない。俺と関わってくれた人達の小さな思いを無意味にしたくないんだ。俺は何かになったらしい。だけど、何をしたらいいか、解らず、俺は苛立っている。角一杯な訳よ」

「角、いっぱい?」


 とルオンは首をかしげる。


「あまり余裕がないって意味だよ。ごめんな」

「ううん。謝るのは、私ですよ。私はこんな状況にいるシュラちゃん。ううん、シュランさんの心境を考えてなかったですな」


 聞き入っていたルオンが口を開いた。


「あの……あのね。ユミルじーさんのお仕事は世界の悪いところ修繕することなんですよ」

「世界の悪いところ?」

「うん。世界には全ての命と繋がっている創造主様の流れがあるのは、もう知っているよね。そのいい流れは、空間に穴が歪みがあると、悪い本流になっちゃうの」


 至純本流が歪みによって、陰性本流というものになってしまうのだ。

 

「そうすると、絶望とか負の感情を生み、運命や因果律を悪い方向に変えてしまって……」

「ルオ――――!」


 突然、名指しされルオンは驚いた。シュランの顔には喜色満面の笑みが広がってゆき、


「神は、運命は、無意味で苛酷な試練を与えるんじゃない! 意味があるから苛酷な試練を与えるってヤツだ!」


 喜び勇んで、ルオンを掴むと軽く、ぽんと放り投げた。


 が、シュランはもう人間ではない。


 軽く放り投げたつもりが、ルオンは森の天井を打ち破り、火山ような葉っぱの噴出とともに、上空一〇〇〇メートルまですっとんでいってしまった。


「シュラちゃん!」


 ルオンが拳を握って抗議すると、瞬く間にシュランが現れた。


「ごめん、軽くだったんだよ」

「もう!」

「ルオ! 世界を! 理不尽さと哀しさで出来た、この世界をなおせるんだな!」


 シュランはルオンを抱き寄せた。


「あ……! うん。なおせるですよ! けど、物凄く大変なことですよ!」


 抱き寄せられ、ルオンが頬を染めた。


 七つの太陽の煌めきが舞い落ちる葉っぱに反射する。きらきらと淡い光が乱反射して、幾枚もの紫色の葉がくるくると散華する、そんな美しく鮮麗な光景の中で。


「わかってる! そうか。よし!」


 シュランとルオンの二人も、ゆるやかに回転しながら舞い降りていく。急激ではない、緩和された羽根のような落ち方で。


「ルオ! 待ってくれ! 俺が心の整理つけて、ちょっと自信と誇りを持てるまで!」

「待つの? でも私、時間がないよ

「時間ない?」


 シュランが不思議そうな表情をしたので、ルオンは改めて言いなおした。


「あまり、待てないってことですよ。じゃないと、私、しんじゃう!」


 ルオンは嬉しそうに微笑み、言った。けれども、その笑みはなんだか儚毛であった。


「なるべく、早くするって!」


 シュランは笑うと、ルオンが安堵したかのように頷いた。


 光が煌めいた。


 葉のワルツに彩られ、二人は紫の円舞をしながら、地面に降り立つ寸前で、


「でも、待つと、どうなるですよ」


 ルオンが期待を込めるように尋ねた。その期待感がルオンの力の余波のもれをうみ、握っていた棒切れから枝が伸び、葉がぽつぽつと芽生えだした。咄嗟に、棒切れを背に隠す。

 互いの脚が地面について、シュランが真顔でびっと指を立てた。


「待つとある日。名前の呼びかた、ルオに、ちゃん、がつくようになる!」


 ぽんぽん! と隠した枝に花が咲き乱れた。

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