第12話 魔法勝負②

 誰が呼んだか、なぜ現れたのか知らないが、一見しただけで見るからに危険な存在だとわかる。

 あたり一面にどす黒い靄が立ち込めたかと思うと、それが一点に収束し、徐々に形作られる一匹の獣。相当危険で、事実双頭だと下手なしゃれをぶっこいている場合じゃない。

 色は、魔界の登録商称なのか、紫がかった黒。艶やかな毛並み。二足歩行には適していない四本足は猫科の肉食獣を思い起こさせる筋肉質。

 ふさふさとした長い尾があり、翼は生えていない。が、オオカミのような巨大な顔と、ライオンといえなくもない、これまた猫科の相反する二つの顔。


 いっそ、ケルベロスなら描写もしやすいのであろうが、キメラというかキマイラとかいう概念に非常に似ているものだと思っていただけたらそう遠くへは行かないだろう。


 そんな、見るからに危険で、敵対勢力のパーセンテージがかなり高めな怪物の、二つの顔が同時に咆哮し……。


「きゃあ!」

「うおっ!」


 前者は武藤さんの悲鳴。ライオンの口からは稲妻の閃光が武藤さんへ放たれた。


 オオカミの口からはミエラに向かって炎が。

 それぞれ浴びせられる。俺は、計算外なのか蚊帳の外なのか、幸運にも無視された格好だ。危険は二人のか弱き少女へ。


 とはいえ、二人とも魔法使い。それも、それ相応の実力者であるらしい――伝聞かつ推測。

 とっさに、両手を突き出してガードする。彼女らの両腕の先からは、光る小ぶりな魔方陣が姿を現し、雷轟と灼熱をそれぞれ無力化したようだ。かすり傷ひとつ受けてはいない。


「こいつは、あんたの差し金ではないのか?」

 怒り心頭で叫びだすミエラ。


「違うわよ。言ったでしょう! 報告済み。魔界の門を開く何者かが呼び出した、さしあたり門番ね」

 状況に似あわず、割合と冷静に応じる武藤さん。


「…………」


 展開についていけず絶句する俺。蛇足か?


「ならば!」


 ミエラはぶつぶつと――おそらく呪文の詠唱だろう――何事か呟きながら、武藤さんの背後へ、つまりは安全圏へと移動する。

 対して、武藤さんは怪物と、ひとりで相対することになり、それを好奇と見てか、単に本能的に手近な相手を攻撃目標に据えたのか、襲いかかる魔物。


 前足に生えた物騒な爪でもって、武藤さんの肩口に狙いを定めている。

 武藤さんの周囲の空間が微妙にゆがんだ……様に見えた。

 直後、武藤さんはどこからどうして取り出したのか、手にした一本の杖で、怪物の爪を弾き返す。


「勝負はお預けだ……と言いたいところだが、こいつを仕留めたほうが勝ちというのはどうだ?」


 自分はセーフティゾーンへ逃げておいて、さらに都合のよいルールをでっちあげ提案するミエラ。半ば感心してしまった。と同時に多少の安堵が立ち込める。


 余裕あるんじゃないか? これなら俺への危険性は無きしも、少なしだろう。


「そんなこと言ってる場合じゃ!」


 次々と繰り出される前足での攻撃を受け流しながら、武藤さんが抗議する。


 が、ミエラはそんなことはお構いなしだ。


「食らえ化け物!」


 突如として、武藤さんの背後から一歩横に躍り出たミエラは、これまたいつの間にか手にしていた杖を振りかざす。


 杖の先からは渦を巻いて大量の水が魔物に襲い掛かる。

 なるほど、どういう理屈か知らんが、防御は一瞬で出来ても攻撃魔法の発動には時間がかかるのだろう。武藤さんを盾にしてその時間を稼いでいたわけだ。


「ふふん、ちょろいもんだ。わたしにかかれば……。これで勝負はわたしの勝ちだな……。その、従者は貰ったぞ」


 誰の同意も得ていない自分ルールを持ち出し、悦にひたるミエラ。

 魔物は襲い掛かる渦に飲み込まれ、沈黙したかに思えたが……。


「うがぉぅ~~!!」

 叫び声とともに、水流の一角が割れ、炎が、雷鳴がミエラに向かって疾走する。


 虚を付かれたミエラはそれを無防備に浴びてしまった。制服が破れ、焼け焦げ、当の本人も後方に吹き飛ばされる。


「そ、そんな……」

 力なくも、なんとか起き上がりつつ、怪物に目をやるミエラ。

「対魔法コーティング!?」

 武藤さんも驚愕の表情で魔物を見ている。

  俺も見た。傍観者たるが俺の役目なのだ。そしてそれを伝える。

 魔物の体全体に青紫色に光る筋が浮かんでいる。それは見ようによっては、魔方陣とも古代言語の羅列とも見えなくはない。要するに耳なしほういち状態。


 武藤さんの言葉をそのまま借りるなら、対魔法のコーティングが施され、想像するに受けた魔法を無力化する力があるのだろう。魔法の防御用の装甲というわけだ。


「む、無念……」

 時代錯誤な台詞とともに崩れ落ちるミエラ。スカートの裾からのぞく、傷だらけになった太ももがなまめかしい。などと言っている場合ではない。

 ミエラが出した水の渦巻きも消えうせ、魔物はゆっくりと残った武藤さんに標準をさだめている。


 ごまめの俺も入れて三対一が二対一になった。相手は双頭。俺が標準になれなければ良いのだが……。


 と、同時に俺の首元に伸びてくる光。武藤さんの魔法だ。俺は一瞬にして飼い犬状態へ。武藤さんと鎖で接続される。

 俺の首にはしっかりと首輪が装着される。プラスアルファで防御力に特化した伝説のアイテムなんかがあれば、なおよいのだが、これは単にそこからつながる鎖で武藤さんへ魔力を供給。外部バッテリー装置としての役割を担うだけの代物だ。


 首輪から伸びる鎖が、武藤さんの手首に出現した腕輪と接続される。

 本来であれば首輪と腕輪のペアルックなんて相手が武藤さんであれ、願い下げたいところだが……この危機をのりきるための必要最小限の制約事項なのだとしたら文句は言っていられない。


 現に、武藤さんは魔物を打ち倒す決意を秘めて、俺の身を案じて――希望的観測――、気合を入れている……はずだ。

 魔物は今度は、右の顔と左の顔の狙いはひとつ。武藤さんへ向けて炎と雷を繰り出す。

「えっ!」

 と簡素な悲鳴をあげた武藤さん。

 二種類の攻撃は想定の範囲内であっても対応の範囲外だったのかも知れない。


 迫りくる炎に向かって差し出した手から放たれる魔方陣によって炎を防いだものの、同時に迫る雷からは、無防備だったようで、これは物理的回避。つまりは横に飛びのくことで避けていた。が、完全に避けきることができなかったようで、右手には痛々しいやけどの跡が見受けられた。ちなみに武藤さんの右手は俺の鎖とつながってないほうだ。


 魔物は調子に乗って続けざまの追撃。体制を崩した武藤さん目がけてとびかかる。その両前足の爪を光らせて。

 これも、バックステップでかわす武藤さん。さらに一瞬の隙をついて、杖を振り、火の玉を魔物に浴びせかける。しかし、またしても魔物の体表面には光る文様が現れて、せっかくの炎がぷしゅっと消え失せてしまう。


 その後も、魔物の攻撃をまともにはくらいはしない武藤さんだったが攻撃を返す隙も見つけられず防戦一方だ。

 そして俺は観戦一方。そんなことでよいのか? という男としてのプライドと、非魔法使いとして、ただの何の変哲もない一般人としての無責任さから、何も出来ずにいたのはついさっきまで、ほんの数秒前までの話。


 今の俺は違う。一計を案じ、静かにその身を移動させる。

 魔法も使えない、さらには身体能力も並もしくは中の下、格闘センスなど生まれ持ってこなかった俺だが、この場においてできることはゼロではない。

 武藤さんへの魔力の供給という一点において、以外でも。

 魔物が武藤さんを噛みしだこうと、大地を駆ける。その瞬間だ。


「えい!」


 待っていたチャンスを、無駄にせぬよう勢いと、気合を込めて、首からぶら下がる鎖を引っ張る。


 魔物は地面から数センチの高さに持ち上がった鎖に足をとられえ転倒する。そしてその隙に武藤さんが必殺の攻撃魔法を詠唱してとどめをさす……。

 はずだった。


 思惑は見事に外れ、俺は鎖ごと魔物のほうへと引きずられた。そのまま地面に倒れこむ。数メートルは引きずられた格好だ。

 それでも多少は、魔物の突進力を削いだらしく、武藤さんは短い詠唱の後、さっきよりも大き目の火炎を魔物にぶつけるが、やはり効果なし。


「魔法が効かないのか? それとも余裕がない?」

 こうなれば乗りかかった船だ。武藤さんに問う。と同時に、こんな俺でよければ、何かできることはありませんかと、ひたすら低姿勢で。時間稼ぎくらいなら、相談に乗りますけども。


「ダメなの。魔法は効かないみたい。呪文を唱える時間が十分にあっても……多分だめ」


 絶望的回答。フロム武藤さん。

 ミエラは気を失ってしまった。武藤さんは防戦一方。俺は観戦者。三人が三人一様に、対魔物戦の非秘密兵器、非対決戦兵器と化してしまったこの現状。


 武藤さんを同列に扱うのは問題ありだな。

 彼女は、一人で戦っている。彼女が魔物からの攻撃を一手に受けてくれているからこそ、ミエラは安全に寝っ転がっていられるのだし、俺も、こうやって落着いて戦いを見守っていられる。


 それにしても、ただの魔法使いかと思われた武藤さん。スポーツも万能なようで、前足の攻撃を杖で受け止める仕草にしても、避ける様子にしても、躍動感溢れている。格闘センスってやつにも恵まれているのかも知れない。


 きらきらした汗が飛び散っていたらさぞ、さわやかな光景に違いない。

 が、こと、このどんよりとした空の下、魔空間では、そうも言ってられない。


「俺に……できることがあれば……」

 心の底からではない提案。


「大丈夫、死なないで!」

 武藤さんは一瞬こっちに視線を投げると、微笑を浮かべながらそういった。

 勝算があるのか……。それとも……。


 しかし、いつも俺の命を一番に慮ってくれる武藤さんに敬意を表しつつ、まあこれだけ当たり前のことを当たり前に言われて、でもってまかり間違ったらほんとに命を粗末にしかねない状況って俺は二度目だが、普通はなかなかありえんよな。


 効き目の無い魔法攻撃を封印した武藤さんは、ひたすら肉弾で、しかも防御用の魔法すら使わずに、体術まかせで戦っていたが、それにはある秘策が込められていたらしい。

 そのことに気づいた。そう、武藤さんは詠唱している。必殺の呪文に違いない。


 なんとなく安堵感。安心しきるにはまだ早いが、武藤さんがこれだけの溜めを必要とする技というか魔法を繰り出すのならそれはとっておきのものに決まっている。


 通じないわけがない。通用しない方がどうかしている。

 だが、そこからの展開は俺の想像をはるかに超えていた。

 記憶にあるのは……最後にみたのは武藤さんが、呪文を発動した姿。

 それと同時に俺の体は消え失せた。首輪も鎖も、ついでに言えば鎖とつながっていた武藤さんの腕輪もだ。

 首輪がなくなるのも鎖がなくなるのもやぶさかではない。もともと魔法で出したものなのだから。

 道連れに俺の体が無くなった?

 じゃあ、俺はどうなったのか? 俺の意識は今、武藤さんの右手に握られているメルヘンチックな一本のステッキに宿っているらしい。先ほどまで使っていた古めかしい木の長い杖はどこかにいってしまった。


 その代わりを務めるのが、先っちょにピンクのかわいらしいハート型の飾りのついた、そして万遍なく赤やら黄色やら、パステル調やらの宝石のようなキラキラ石で装飾された、マジカルアイテム。

 そんな、奇妙な物体に俺の意識は……体は……取り込まれてしまったらしい。


 と同時に、俺は武藤さんと魔物を上空から見つめるいわば神の視点を手に入れていた。

 要は、わたくしめ、従者という立場から、ひとつのマジックアイテムへと降格してしまったらしい。ご褒美は上空からの眺め。

「ごめんね、こうするしかなかったの」

 上空の俺ではなく、手中に収めた俺へ向かって呟く武藤さん。


『こ、これって……』


 なんとなく俺の想いが武藤さんに伝わっている模様。

 俺の意識は、周辺を包みこみ、マジックステッキに集約されている。そしてそれを持つ武藤さんへと。


「大丈夫。あなたの力……無駄にしないから……」


『無駄とか……そんなんじゃなくって……元に戻れるん……ですよね?』


「男の子が小さいことを気にしない!」


『一喝されてしまった。だけど、これはあんまりだよ。人間時代が懐かしいよ……と俺の考えたことが全部武藤さんに筒抜けになってしまっている気分で、プライバシーも何もあったもんじゃないし、かといって何も考えないわけにはいかないし……』


「ごちゃごちゃうるさい!」


『武藤さん激怒? いや、それって俺のせい……?』


「ミラクルマジカルハートフルチェーンジ!」


 もはや俺には構わず、武藤さんは、ステッキを振りかざす。武藤さんの体は空中に舞いあがる。そしてその周辺をまばゆい光が包み込む。

 背景はもちろんメルヘンチックなパステル空間。ほわほわ感がたまらない。


 そして武藤さんは衣装を脱ぎ捨てほぼ裸体。……のようだが、肝心のところは光に覆われて見えない。

 でれでれとした思考に囚われそうになった俺を、


「見ないで!」


 と静止しながら、武藤さんの変身が進む。武藤さんの手足、胴体が順に光っていく。順次戦闘用のコスチュームが装着されていく。

 戦闘に適しているんだかいないんだか。


 ピンクでふりふりのワンピースに身を包んだ武藤さん。手足にも、ふりふりの。髪飾りももちろん忘れてはいない。

 そしてそのまま、宙に浮かんだまま、決めポーズ。台詞もばっちりだ。


「学園に舞い降りた輝ける天使! 魔法少女! マリア=ファシリア! 参上!」


 俺の動揺は大したもんだったが、それについては多くを語らない。実際、問題語るべきことは多くない。なにせ、変身の反動だかなんだかで、俺としては非常に生きにくい状況にさらされたのだ。


 体は失い、精神はマジックステッキに宿され、そして意味もなく体中が痛む。いや激しい痛みに襲われるイメージを抱いていた。苦痛。喜びを伴わない苦行。思考が停止する。辛い、しんどい、痛い、苦しい。

 だが、武藤さんは少しの間だから我慢してねとあっさり言うと、都合よく変身シーンに見とれてくれたのか、しばし動きを止めていた魔物へ向き直る。


 はたと正気に返った魔物が武藤さんへ突進する。

 武藤さんは素手でガード!

 どうやらそういうことらしい。その衣装は、薄手も薄手。武藤さんは一見すると隙だらけ。肌を露出している部分も相当にあるが、見た目にそぐわず全身に不思議な防御力を備えているようだ。

 肘のあたりで相手の爪を受け止めても傷一つ負っていない。


 それだけではない。

 跳躍力、打撃力、その他もろもろ、すべてにおいて一流アスリートを凌駕する身体能力を手に入れたらしく、単純な格闘によってみるみる魔物を圧倒していく。


 相手の放つ炎や雷鳴などは気合で弾き返す。

 先ほどまでの苦戦が嘘のようだ。

 魔物も体力勝負には自信があるのか、どてっぱらに渾身の蹴りを入れられて、吹き飛ばされても痛い顔ひとつせずに、果敢に立ち向かい続けるのだが、相手が悪い。

 そんな攻撃はさらりと躱し、振り払い、怒涛の反撃が武藤さんから繰り出される。

 とはいえ、所詮は肉弾戦だ。致命傷を与えるまでには至らない。

 このまま、だらだらと消耗戦へもつれ込むのかと俺が心配するまでもない。


 そう、あれだ。

 あるんでしょ? 必殺技。ここまでお膳立てを整えておいてなかったら逆に驚きだ。ささとやっつけちゃっておくんなまし。

 このまま、アッパーカットで魔物を遠いお星様のところまで吹き飛ばすのもありかも知れないが。

『メルヘンギャラクシーアッパーカット』とかでね。


 だが、武藤さんは俺のはかない期待に応えてくれた。

 周囲の目を気にしているのか、単に自分の趣味なのか。

 一応、お決まりの事のように、敵の攻撃を受けて吹き飛ばされる武藤さん。校舎の壁にぶつかり、壁には大きな罅とくぼみが形成される。まあいい。どうせここは魔空間だ。


 空間が解ければ、なにもかも通常に戻るのだろう。

 そんなおおげさな演出を伴いながらも、無傷で元気な武藤さんんは、とうっと飛び上がると魔物へお返しとばかりのとび蹴り。

 これには、魔物も少なからずダメージを受けたようで、起き上がったものの、首を振り回復を待っている。完全なる前ふり。前兆。ここで飛び出さなくていつ披露すべきものがあるのか。

 武藤さんは俺を――ステッキを突き上げた。


「闇を滅ぼせ! 我に力を!」


 どこから湧き出たのか、ステッキの先端に光が集まってくる。俺はというとそれまで感じていて筆舌しがたい痛みに加えて、圧迫感がおまけで付いてきた。乗車率五百パーセント、おまけに乗客のすべてが石膏像といったありえないぐらいの苦境。


 だが、武藤さんは俺には構っていられない。

 ちょうどいいころあいまでエネルギーが溜まったところで、


「ファシリア=ファンタジック=クラッシュ!」


 ステッキを魔物に向ける武藤さん。技の名前からするともはや、この人は武藤さんではなく魔法少女ファシリアになっているのかも知れないが、それにしてもクラッシュはないだろう。ウェーブとか、フラッシュとか、いくらでも適当なネーミングがあるんじゃない? なんていう俺の突っ込みはもはや武藤さんへは届かない。実際問題そんな突っ込みを入れる余裕なんてありはしなかった。


 結果として、すさまじい量の光線、とどのつまりビームのようなものが魔物を襲い、対魔法コーティングってなんだっけ? とおもわず設定無視っぷりを非難してしまうくらいの威力をもって、魔物を包み込み、そして消し去ってしまった。


 後に残ったのは、灰色の魔法空間とひとりの魔法少女。魔法少女の手に握られた俺。俺こと、名称不明のマジカルステッキ。

 それから、意識を取り戻しつつある、ミエラ。

 武藤さんが魔物を倒した余韻に浸りながら小さく頷くと、世界が日常モードへと変化していく。

 魔法少女から武藤さんへ。いつもの制服姿に脈絡なく戻る。空には見慣れた夕焼け。

 やはり、校舎に入った日々も消え失せていた。

 俺の体も帰ってきた。


「大丈夫?」


 とりあえず――そうだろう、俺以上の優先順位を与えてやってもこの場では仕方ない――ミエラの元へ駆け寄り、抱き起こす武藤さん。


「う、うう……」


 ミエラは軽く呻きながらも、意識を取り戻した。


「あいつは?」


「なんとか、倒したわ。ミーちゃんの魔法でダメージもあったし……」


 ミエラに気を使ってか、魔法少女であることは絶対の秘密なのかしらじらしいことを言う武藤さんだ。


「そうか……では、勝負はおあずけだな」


 ふらふらと立ち上がったミエラは、わけのわからないことを言う。

 レギュレーションを変更した、魔法勝負の行方は更に迷走を始めたらしい。

 武藤さんが魔物を倒した時点で勝ちじゃあないのか……?


「これで、勝ったと思うなよ! いずれその従者はわたしが頂く!」


 内心負けを認めているのだろう。捨て台詞にその心情が表れていた。

 ともかく、詳細を問い詰めることも無くこの場を後にしたミエラ。悔しさでいっぱいでそれどころでもないのかも知れない。ああ見えて。というか、見るからにプライドが高そうだ。


 で、驚いたことに、武藤さんもそのまま帰ってしまった。

 ひとり中庭に残された俺。

 武藤さんを追いかけていってもよかったのだが、例の虚脱感と倦怠感が一気に押し寄せて来て、走ることはもちろん、歩くこともままならず。いつもの数倍の時間をかけて家路に着くことを覚悟してしばし呆然。


 あんだけわけのわからん展開に人を巻き込んでおいてアフターフォローなしとは……。 ある意味ミエラなんかよりよっぽどたちが悪いのかも知れない。

 …………武藤さん……恐るべし……。

 と、人の気配を感じて俺は精一杯の力を込めて首を回した。がんばらないと首すら回らないほどの厄介な状況に辟易しながら。


「お疲れのようね」


 ゆっくりとした足取りで近づいてくるのは教育実習生の佐倉木先生。いや、この人物こそが、悪魔や魔物を送りこみ、魔門とやらを開こうとしている元凶の、エルーシュとかいう女悪魔に相違ない。


「何の用だ!」


 俺は、虚勢を張り、少しでも自分のペースで進めようと、気を張る。


「あら、そんな言い方ないじゃない? 折角楽にしてあげようとしてるんだから……」


 ずかずかと近づいてきた佐倉木先生は俺の首を掴むと、自分の胸に押し当てた。

 やわらかい至福の感覚に俺は包まれながら、それを拒絶しようとしてできない。距離を詰められたのも、体の不調以前にまったく体の自由が利かなくなってしまっていたからだ。


「ふふ、心配することないのよ。それにしても無茶するわねぇ。あの武藤さんってこ。あんなことしてたら、いくら君が優秀だからって、持たないわよ」

「何をする気だ!」


「私の魔力を分けてあげようってんの。こんな調子じゃ明日も寝込むことになるわよ。それはこっちにとっても都合悪いしね……」


「お前が……エルーシュ、魔門を開く黒幕なんだな?」


「あら、名前覚えててくれたの? ありがとう。お礼にいいこと教えたげる。ひとつめは武藤さんのことね。彼女はもう魔法使いの枠を超えてしまっているわ。だから、あなたの魔力がいくら多くても、彼女に仕えている限り、毎回こんな疲労が、あなたの体を壊しかねない消耗が続く……」


 それは……辛いな。


「でもって、あなたも悪いのよ。あなたにあるのは魔力だけじゃない。それにいつ気づくかしらね。教えてあげてもいいんだけど、それにはまだ早い」


 それって、俺も魔法使いの素養があるということか?


「ざ~んねん。あなたに魔法は使えないわ。多分ね。でもそれ以上の事ができる可能性は秘めている。今の段階でいえるのはこれくらいかしらね」


 思わせぶりな……。


「さあ、もういいでしょ。これで明日も元気に登校してちょうだい」


 体が自由になった。言われたとおりに、疲労も消えた。これで帰宅の心配をしなくて済むようだ。それはメリット。


「じゃあ、また明日ね。石神君」


「ま、待て!」


 呼び止めようとした俺の目の前で教育実習生の姿をとったエルーシュは唐突に消えてしまった。

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