桜下に見、往々にして炎舞

河野 る宇

◆-壱の章-

*舞う花、幻の如く

 泉 恭一郎いずみ きょういちろうはアメリカ合衆国、首都ワシントンD.C.のタイダルベイスンに来ていた。

 まだ冬の面影が微かに残る空は青く雲は少なめ、湿度が低いせいか日陰は若干の肌寒さを感じる。

 ワシントンD.C.はメリーランド州とヴァージニア州に挟まれたポトマック川河畔に位置している。

 タイダルベイスンはそのワシントンD.C.のナショナル・モール(国立公園)南側にある。多くの住民や観光客が咲き乱れる桜を楽しげに眺め、爽やかな風が頬をくすぐった。

 西ポトマック公園の一部としてポトマック川に隣接する入り江で、Tidal Basinとは潮留め調整池のことなのだが、ワシントンD.C.のTidal Basinは水濁防止や景観上の目的から造られている。

 国会議事堂を筆頭に、ナショナル・モールには数多くの博物館や美術館が建てられていて、その西端にはリンカーン記念堂がある。テレビや映画でたまにお目にかかるリンカーン大統領像がある所だ。

 丁度この時期、アメリカでは全米桜祭りが開かれており、タイダルベイスンは世界的な桜の名所ともなっていた。

 海外を飛び回る泉にとって、日本を懐かしむ場所ではある。とはいえ、日本のように屋台がある訳でも、ブルーシートを敷いて焼き肉や飲み会をしている者がいる訳でもなく、皆それぞれに満開の桜を眺めて楽しんでいる。

 一体、何本の桜が植えられているのか正確な数までは解らないが入り江の沿岸に沿って並ぶ花々は壮観のひと言だ。

 四千本ちかくあるというのだからそれも頷ける。

 これが本来の花見なのではないだろうかと、男は数え切れない桜に目を細めた。桜は水面までをも彩り、これから行われるパレードを華やかにしてくれるだろう。

 もちろん、泉はそれを見るつもりまではない。二十八歳の男は身長百八十五センチと日本人にしては高めで鍛えているせいか体格もほどほどに良く、外国人のなかにあって少しも見劣りしない。

 サンドカラーのカーゴパンツに青の前開き半袖シャツ、黒のメッセンジャーバッグとさして目立つ格好ではないが、整った面持ちに赤茶色の髪と同じ瞳からは勝ち気な態度が見て取れる。彼は、それに足る経験をしてきた。

 フリーの傭兵である泉は、とある用事でアメリカを訪れている。フリーの傭兵というのは多い方じゃない。

 大抵はどこかの会社に属していて、そこから仕事をあっせんされる。あくまでも社員であるためあまり仕事を選り好み出来ないがその分、手厚い補償が受けられるというわけだ。

 フリーは楽じゃない。仕事は自分で探さなければならないし、こと日本においては武器弾薬の調達もままならない場合がある。

 個人的とは言い難いほどの量が必要な場合があるからだ。それらを貯めておける場所の確保も難しい。

 それでも国籍を日本から移さず、主な住処を都心近くに構えている自分に多少なりともおかしさは感じている。もちろん、それに執着している訳でもない。

 調達した武器は海外にいくつか倉庫を借りて保管し、その経費だけでもばかにならない。泉は国が関与する戦闘にはあまり興味が無く、そのせいもあって仕事はかなり選ぶ性格だ。

 とはいえ、そのての戦闘で傭兵がやることは限られている。正規軍より危険か、危険はないが相当につまらないかのどちらかだ。

 どちらにせよ、彼が好む戦い方はできそうにはない。

 泉がフリーでいる事の理由は仕事を選べるという一点に集中していた。やたらと面倒な規則に縛られる事もない。

 とはいえ、そうなると選べる傭兵としての仕事はそう多くはない。

 おかげで要人や金持ちの護衛やらを多くこなして資金を集めなければならない。彼の態度は良いとは言えず、相手を怒らせる事がしばしばあるため近頃ではなるべく会話をしないようにしている。

 しかしながら優秀なのは間違いないらしく、寄せられる依頼には不足していない。タイダルベイスンには、仕事に関係する事柄でアメリカに来たついでに寄っただけだ。

 日本から贈られた桜は、どこで見ても美しいと思える。横暴な性格の泉でもそれくらいの感性は持ち合わせている。

 この場所でこれといった目的がある訳でもなくぶらついていると突然、泉の視界を突風が遮った。煩わしく目を眇め、開けた視界に現れた一つの影に強烈に惹きつけられる。

 桜の花びらの舞うなか、柔らかな金のショートヘアが揺れる──青年だろうか、恐ろしく整った顔立ちは中性的でその瞳は印象深く、まるでエメラルドのように輝いていた。

 十メートルほどの距離にいる青年は二十代半ばだと窺える。自分と比べると小柄のようにも思えたが、体格は細めに見えて鍛えていることが半袖から伸びる腕に確認される。

 明らかに日本人ではない容姿なれど、なんと桜が似合うのか。否、あの風貌ならば似合うのは桜だけではないだろう。

 これほど魅力的な人間に今まで出会ったことがない。唐突な出会いについぞ足は動かず、気がつけばその影を見失っていた。

 消えた影を追うように足早に歩み寄るが、周囲を見回しても僅かな気配すらまるで感じられない。

「──幻覚、じゃないよな」

 さすがに俺もそこまでボケちゃいない。まさか見とれているだけとはと自分の不甲斐なさに呆れて溜息を吐き出し、眉間に深いしわを刻んだ。

 追える要素が一つもないことに苦々しく舌打ちする。獲物を逃がしてしまったことに悔いは残るが仕方がないと切り替えてタイダルベイスンをあとにした。

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