第30話
「青りんご、アタシを食べテ?」
りんごを持つ桜季さんが声を裏返して言った。
目を丸くして桜季さんを見詰めると、にっこりと柔らかな笑みを返された。
「まずはアタシを食べて、しょっぱいお口の中を洗い流しまショ? ね?」
そう言ってウサギりんごの口先で唇をつんつんと突いてくる。
僕はそのくすぐったさと、桜季さんの裏声が面白くて思わず笑った。
すると、
「あ~、やっと笑ったぁ」
桜季さんが嬉しそうな声を上げた。
その後ハッとしたように口に手を当て「しまった、キャラ崩壊しちゃったぁ」と言ったので僕はまた笑ってしまった。
「ほらほら、もうちゃっちゃっと食べちゃってよぉ」
もう声を繕うことなく、りんごの先で唇をつつく。
僕はもう一度小さく笑ってその可愛いウサギりんごにかぷりと噛みついた。
「ふふふ~、青りんごかわいい~。何かペットにエサをあげてるみたぁい。青りんご飼いたいなぁ」
りんごを頬の内に溜めてもごもごと噛んでいる僕の頭を、桜季さんがわしゃわしゃと撫でる。
僕を飼いたいというのは冗談だろうけど、本当に犬を撫でるような手つきに苦笑する。
ひとしきり撫でると、桜季さんはその手を組んで、膝の上で肘を吐いた。
「青りんごはさぁ、頑張っているよねぇ。それでもって足手まといなんかになっていないよぉ。このお店の役にすごく立ってるよぉ」
ゆったりと前屈みになり手の上に顎を乗せながら桜季さんが言った。
思いもよらない言葉に目を丸くしていると、僕と同じ高さになった瞳がにっこりと微笑んだ。
「まずねぇ、お掃除をすっごく細かくしてくれるでしょぉ? だからお店の中がいつもきれい。お料理の手伝いだって分からないことがいっぱいだろうにその都度ちゃんときいてがんばってる。自分にできることを探してそれを一生懸命するのってね、すごいことだと思うよぉ。人ってさぁ、大きいこととか目立つことばっかりしたがるじゃん。でも青りんごは仕事の大きい小さいとか関係なく、ひたむきにがんばってる。なんでも人並みにこなす奴にはさ、きっとできないこと。それって本当にすごいことなんだよぉ。だからさぁ、青りんごはそのままがんばって大丈夫。でも、がんばるのに疲れたら……」
りんごを唇にとんと当てられる。
「その時は今日みたいにおいしいもの食べながらゆっくり休憩しようよぉ。おれ、青りんごのためならおいしいものたくさん作ってあげるからさぁ」
ね? と優しく首を傾げられ、僕の口からはさっきとは違う嗚咽が漏れ始めた。
悲しみのない、安からな涙が次々に溢れ出る。
それを止めることもなく、桜季さんは微笑みを浮かべたまま僕が泣き止むまでりんごを剥き続けてくれた。
僕が泣き止んだ時には、お皿にウサギりんごが山盛りになっていた。
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