第2話

しわがれた声に呼び止められ、僕は周囲を見渡した。

すると、ガレージの降りた店の軒下に、小さな机を構え座っているおじいさんの姿が目に入った。

机の上には大きな水晶玉が置いており、その周りにはお札が貼られていた。


「ぼ、僕のことですか?」

「ええ、貴方です。貴方、大変なものにとり憑かれていますね」

「え!? 大変なもの! 一体何ですか?」

「詳しくはこの水晶を通してみらんと分からん。ちょっとここに座りなさい」


おじいさんが机の前にある椅子を指差した。

僕は言い様のない不安から、言われるがままその椅子に腰を下ろした。

僕が座ったのを認めると、おじいさんは水晶玉を自分の顔の前まで持ち上げ、何やら呪文を唱え始めた。

干からびた灰色の髭の中に埋まった口から、低くしわがれた呪詛らしき言葉が這い出て来るのを、僕は緊張して見詰めていた。

最後に「ハアッ!」と大きな声で言い括ると、静かに水晶玉を机に置いた。

そして、深刻そうな顔で僕に告げた。


「これは昨今稀に見る大悪霊に取り憑かれておる」

「え!? 悪霊ですか!」

「悪霊ではない。大悪霊だ。悪霊よりも強力で質が悪い」

「そ、そんな……!」


絶望にくらりと目が眩む。

しかし、通りでと最近の連続する不運に合点がいった。


「僕は一体どうしたら……」

「青年よ、気を落とすでない。いいものがある」


頭を抱える僕に、おじいさんが心強い声で言った。

そして、机の下から大きな白い壺を取り出した。

突然現れた大きな壺に呆気にとられて見詰めていると、おじいさんがゴホン、と咳払いをして説明し始めた。


「これは邪気払いの壺だ。これなら、少しずつだが大悪霊の力を弱めることができ、やがて大悪霊を完全に抹消することができる。さらに、邪気は払い、幸運を呼び寄せるという優れものだ。まぁ、優れているだけ値段は百万円と少し高くはあるが」

「百万!?」

「しかし、これで大悪霊を追い払えると思えば安いもんだ。しかも、幸運も呼び寄せるのだ。すぐに百万など取り戻せる」

「いや、でも、今すぐ百万円を払うというのはちょっと……」

「支払方法については心配はいらん。分割払いというものもあってだな、非常に良心的であるぞ」

「い、いや、でも……」


鼻息荒く詰め寄ってくるおじいさんに閉口していると、


「おい、じーさん。ここらで妙な商売するなって、俺、言わなかったか?」


突然、背後から凄みのある男の声が、間を割って入ってきた。

振り返ると、自分と同じくらいの年齢の、けれど明らかに纏う威圧感が別種の男が自分のすぐ後ろに立っていた。


「ひぃ!」


今まで厳かな声で語っていたおじいさんが、甲高い悲鳴を上げて立ち上がった。

おじいさんの異様な怖がり具合といい、仕立てのいいスーツに身を包んでいるが、髪を派手な赤茶色に染め上げていることから、男が一般の人間でないことは確かだろう。

もしかして、やのつく自由業の方だろうか……。

おじいさんと同じく、僕も体をぶるりと震わせた。


「な、七橋ななはしさん、こんな時間にどうしてここに?」

「あ? 別に俺がどんな時間にどこにいようと関係ねぇだろうが。それよりも、テメェ、また変な物を売りつけたりしてねぇだろうな?」


ギロリ、と重圧感のある睨みをきかせて男が問うと、おじいさんはブルブルと首を横に振った。


「ま、まさか、そんなことあるわけがないじゃありませんか! 私はただ趣味でこの青年をちょっと占っただけですよ。あ! そうだ、これから用事があるんでした! それでは失礼します!」


早口で捲し立てると、男は壺と水晶玉を持って脱兎の如く退散していった。

その背を目で追いながら、「あのじじい、死なねぇとなおらないんだろうな」と男が舌打ちと溜め息を零した。


「あんたも、あんな変なじじいに引っ掛かるんじゃねぇ……」


言いながら、僕の方へ視線を落とす男の動きが止まった。

目を見開いてこちらを凝視する彼に、僕は首を傾げた。


「あ、あの……」


どうしました? と訊こうとしたが、それより早く男が口を開いた。


「こ、幸助さん! 幸助さんじゃないですか! お久しぶりです!」


声を弾ませ、男が僕の手をとった。

先ほどの凄みのある顔が嘘のようにキラキラと輝いている。

あのヤクザも裸足で逃げ出しそうな表情に比べれば有り難い展開なのだが、如何せん、誰なのか思い出せない。

自分の数少ない知り合いにこんな派手な男がいれば忘れるはずがないのだが……。

相手はしっかり覚えてくれているのに、申し訳ない。


「え、えっと、すみません、どなたですかね?」


僕がおずおずと訊くと、男はずい、と顔を近づけて言った。


「俺っすよ! 七橋徹也ななはしてつや、高校の時、映画同好会でお世話になったテツです」


高校、映画同好会、テツ……。

男の言葉をひとつひとつゆっくり咀嚼しながら、記憶を探っていくと、ある人物を思い出した。

そして、その顔を、目の前の男の顔と重ね合わせると……、


「あー! テツ君! あのテツ君か!」


ようやく過去と現在が一致し、その爽快感に感嘆の声を上げた。

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