第2話


*****


映画を観終えて、僕らは遅めの夕食をとることにした。

レストラン、アリスの森。

アンティークな雰囲気で、男二人で入るにはいささか可愛すぎるのだが、料理が他のお店とは群を抜いておいしいのだ。

映画館の真向いにあるため、どうしてもここに足を運んでしまう。


「いい映画だったねぇ。最後におばぁさんが包丁を取り出した時は万事休すかと思ったけど、まさかあんな展開になるとは」


感嘆の溜め息を零してから、口にペペロンチーノを運ぶ。

やっぱりここのパスタは麺のこしが違う、と晴仁が言っていたのできっとそうに違いない。


「そうだね。あと、ヒロインも可愛かった」


既に食事を終えた晴仁は、食後のコーヒーに口をつけながら答えた。

彼はすごく上品に食事をするのに、なぜか食べるのが速い。

無駄のない洗練された所作のためか、それとも単に僕の食べる速度が遅いのか……。


「うーん、確かに可愛かったけど……」


僕は同調しかねた。

確かにヒロインの子は可愛かった。

容姿だけでなく、キャラクターとしても申し分なく可愛かった。

ただ、あまりにも純粋でいろんな人に騙されるので、観ているこっちがハラハラしてしまうのだった。


「騙されやす過ぎて少し心臓に悪いヒロインだった」

「あはは、心臓に悪いヒロインか。新しいジャンルだね。僕はああいう子、好みだけどな。騙されやすくてほっとけない」

「ほっとけないというのは分かるなぁ。なんだかあの子の将来が心配になったよ」


三十五歳の無職に心配されるなど心外だろうが、それでも心配せずにはいられないほど抜けている子だった。

眉を垂らして溜め息を零すと、晴仁がくすくすと笑い出した。


「こーすけは優しいね。映画の登場人物の将来まで心配してあげるなんて」

「そ、そんなことないよ。ただ無駄に心配性なだけだよ」


自分のことは棚に上げて、と苦笑しながらパスタをフォークの先に絡ませる。


「ううん、すごく優しいよ。人の将来まで案じてあげられるなんて、そうそうできないよ。……自分のことで精一杯なはずなのにさ」


最後の言葉にパスタを巻くフォークがピタリと止まった。

視線を皿の上から、晴仁に移した。

普段と変わらない端然とした笑みがそこにはあった。


「こーすけ、仕事辞めたんだって?」


続く問いに、僕は目を見開いた。


「ど、どうして、そのことを」


動揺して質問で返してしまった。

しかし、肯定には変わりない。

晴仁が溜め息をつきながら答えてくれた。


「先週、仕事の関係で、こーすけの会社の近くまで行ったんだよ。それで、こーすけに会えないかなと思って会社に行ったら、仕事を辞めたって言われてね。……しかも辞めたのは三か月前らしいね」


最後はどこか責める様な口調だった。

変わらず笑顔のままだが、いつもとは若干違うことに今更ながら気付いた。


「え、えっと、まさか、まさかとは思うけど、もしかして、……怒ってる?」


恐る恐るたずねてみる。

日本の紳士代表と言っていいほど穏やかな彼が怒るとは考えにくいのだが……、


「うん、怒っているよ」


にっこりと笑顔で肯定されてしまった。

ひぃぃ! と心の中で飛び跳ねた。


「だって、三か月も前に辞めたんだろう? 遅くとも退職三か月前には辞表を出すはずだから、少なくとも半年は僕に秘密を抱えたまま会っていたってことになるよね? すっごく裏切られた気分だよ。辞めたことを知った時もすぐに電話しようと思ったけど、こーすけから言ってくれるのを待つことにしたのに、一週間待っても何も言ってこないから今日誘ったんだ」


にこにこと笑顔で怒りを表明するという何とも器用な怒り方に、胸がちくちくと刺される。


「う、それは本当にごめん。仕事をこの歳で辞めさせられたとか恥ずかしくてなかなか言い出せなくて……」


体を縮め込ませながら謝った。

そんな僕を見ながら、晴仁がふぅと溜め息をついた。

それは、仕方ないな、というような優しい溜め息であり、彼の怒りが少しおさまったように感じられた。


「確かに人には言いにくいことだろうけど、それでも、僕には相談して欲しかったな」


今までとは少し違う寂しげな口調に顔を上げると、晴仁は拗ねたような表情をしていた。

これまでに見たことのない表情に驚きを隠せなかった。


「そんなに驚かなくてもいいだろう。僕としては、こーすけの親友のつもりでいたから、困った時はすぐに相談して欲しかったんだよ。親友として当然の気持ちだろう?」


不覚にも、僕は涙を流してしまった。

僕のことをこんなにも思ってくれる親友が目の前にいることに、安堵と心強さを感じて、今まで張り詰めていたものがするすると解けていった。


気付くと、ウェイトレスさんが訝しげな顔でこちらを見ていた。

しかし、溜まっていたものは一度箍が外れるとなかなか止まらない。

晴仁は僕にアイロンのかかった綺麗なハンカチを差し出すと、立ち上がった。


「ここじゃ話しにくいだろうから、僕の部屋に行こう」


僕はこくりと頷いてハンカチを受け取った。

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