第34話
「そ、そんな大袈裟ですよ」
聖夜さんの感謝に心当たりがまるでないので、かえって居心地が悪いくらいだった。
「大袈裟じゃねぇよ。事実だ。……あの日、アンタが俺を庇ってくれた時、俺はオタクだってことを隠し続けることもできた」
確かにその通りだ。
なのに聖夜さんはお得意様の愛良さんを裏切ってまで僕の元へ来てくれた。
「誤魔化すこともできたのに、アンタの言葉が頭から離れなかったんだよ」
「僕の言葉、ですか?」
「ああ。メイド喫茶で言った、大事なのはフラキュアを好きだという俺の気持ちって言葉」
悪戯っぽく笑う聖夜さんに、僕は自分の言葉を思い出して赤面した。
は、恥ずかしい……!
若者に説教はするものじゃないなと痛感していると、
「……アンタみたいに、俺を、こんなオタクな俺でも受け止めてくれる奴がいるんだ、って思ったら、なんか不思議と怖くなかったんだよな。……それより、あの時アンタを見捨てて、アンタから軽蔑される方がずっと怖いって思った」
聖夜さんの目元が優しく緩んだ。
「確かにあの日を境に来なくなった客もいて正直やっぱりショックだった」
そう笑って言う聖夜さんだったけれど、その目元には悲しげな影が漂っていた。
僕はそれを直視するのが辛くて思わず顔を俯けた。
あの日以来、愛良さんは店に姿を現していない。
人気は相変わらずだけど、愛良さんのように店を来なくなったお客さんがいるのもまた事実だ。
そうやって自分を否定されることがどれだけ辛いことか、指名ゼロの僕なんかには想像すらおこがましいことだった。
「でも、アンタがいたから、なんかまぁいいかって思えたんだよな」
「え?」
顔を上げると、すでに聖夜さんの目元には悲しげな影など少しも残っていなかった。
爽快感すら感じられる笑顔で聖夜さんは言った。
「だから今の俺があるのはアンタのおかげだ。ありがとうな」
その笑顔は、今まで女性達を魅了してきた王子様スマイルとは全く違うものだった。
気品ある王子様スマイルに比べると野暮ったく、きっとこの場に愛良さんがいたら眉を顰めているかもしれない。
けれど、僕は今目の前にある、心の底からわき上がってきたような清々しい輝きに満ちた笑顔の方がずっと素敵だと思った。
「聖夜さんがお店からいなくなるのは寂しいですけど、精一杯応援させてもらいますね」
「……なんだよ、店辞めたらもう会わない気かよ」
「え?」
「いーよ。いーよ、アンタが職場が変わったら関わりを絶つ薄情な奴ってことはよく分かった」
拗ねたように顔を逸らしたので、僕は立ち上がって慌てて弁解した。
「ち、違いますよ! むしろ聖夜さんがよければまた一緒に映画を観たり、ごはんに行ったり、ゲームセンターに行きたいです!」
ハッとして辺りを見渡すと、僕の大きな声に他のお客さんが目を丸くしてこちらを凝視していた。
僕は恥ずかしくなり、気配を消すようにして静かに腰をおろした。
聖夜さんも目を丸くしていたけれど、僕が腰をおろした瞬間、吹き出した。
「あははは! アンタがそんな薄情じゃないってことぐらい分かってるって。つーか必死すぎ」
ひとしきり笑うと、聖夜さんは伝票を持って立ち上がった。
「それじゃあ俺、今から店長に話してくるわ。仕事前に呼び出して悪かったな。……でも、アンタには最初に言っておきたかったんだ」
穏やかな笑みでそう言うと、聖夜さんはポケットから紙を取り出して僕に差し出した。
その紙には『メイド喫茶☆萌えランド』の文字があった。
「この間行ったらくじで特大パフェ券が当たったけど、俺、甘いのそんなに好きじゃねぇから……」
「じゃあ一緒に今度行きましょうね!」
言い淀む聖夜さんの言葉を継いで、特大パフェ券を受け取った。
聖夜さんは少し目を丸くしたけれど、はにかむように笑って、その場を後にした。
離れていくその背中は、夢に向かうひたむきさと勇ましさに溢れていた。
それは、輝かしい未来がその先にあると確信させるほどのものだった。
そんな聖夜さんの背中を微笑みながら見送って、僕は残ったコーヒーを口に運んだ。
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