第32話

「ほんとキモいよね~。聖夜は優しすぎだよ。あんなキモいおじさんにつき合ってあげるなんか」


腕にすり寄る愛良さんを連れ階段をのぼっていた聖夜さんの足が不意に止まった。


「……聖夜? どうしたの?」


愛良さんが訝しげに顔をのぞき込んだ。


「……うるせぇ」

「え?」


聖夜さんが発した低い声に、愛良さんは困惑気味に聞き返した。

聖夜さんは彼女にまっすぐ向き直った。

その顔にいつもの王子様スマイルはなかった。


「うるせぇって言ったんだよ。キモい趣味で悪かったな。人の趣味に口出しすんな」

「せ、聖夜?」


突然口調も何もかも豹変した聖夜さんに困惑しきっている愛良さんを置いて、彼は階段を下りて僕のところまでやってきた。

そして眉間に皺を寄せてじっと僕を見下ろした。

思いもよらない展開に、僕はただただ口を開けてぽかんとしていた。


「……おい」

「え? あ、はい! なんでしょう?」


聖夜さんの声に我に返った。


「さっきのはもしかして紅葉たんのポーズを真似したのか?」

「あ、はい、そうです……」


思い出して恥ずかしくなり、声が自然と小さくなった。


「……違う」

「え?」

「あれは紅葉たんのポーズじゃねぇ! 右左逆だ! アンタがやったのはししのんの方だ! 半端な気持ちでやるんじゃねぇ!」

「す、すみません!」


怒鳴られ僕は慌てて頭を下げた。

一連の様子を、愛良さんや他のお客さんたちが唖然とした表情で見ていた。


「……せ、聖夜、どういうこと?」


信じられないといった様子で顔を強ばらせる愛良さんに、聖夜さんはハッと鼻で笑って返した。


「見ての通り、俺の方がキモいオタクってことだよ」


吐き捨てるように言うと、聖夜さんは僕らに背を向けて階段をスタスタと降りていった。

その足はホールへ向かい、やがてある人物が座るテーブルの前で歩みを止めた。


「おい。何セコい真似してんだよ、竜鬼」


名指しされた竜鬼さんは、表情を固まらせて聖夜さんを見上げた。

その顔は、今まで見たことのない聖夜さんの姿に驚いているようでもあったし、予想だにしていなかった展開に戸惑っているようでもあった。


「……ハ、ハァ? な、なに言ってんだよ」


やっと口を開いた竜鬼さんから出てきた言葉は、あまりに動揺を隠せていなかった。

聖夜さんは苛立たしげに溜め息を吐いた。


「こんなバカなことするのお前ぐらいしかいねぇだろ」

「ハァ!? ふざけんな!」


竜鬼さんが立ち上がり、聖夜さんの胸倉を掴んだ。


「変な言いがかりするんじゃねぇよ! 俺がこんなことするわけないだろ! 大体、証拠はあるのかよ!」

「証拠ならあるよぉ~」


一触即発な空気にそぐわないのんびりした声が乱入して、竜鬼さんも聖夜さんも目を見開いて声の主の方へと振り向いた。

いつの間にかホールに厨房の主である桜季さんが立っていた。

その手には携帯電話が握られている。


「パスコードが自分の誕生日とか分かりやすすぎでしょ~」


そう言ってにやりと笑うと、桜季さんは携帯電話を前にかざした。

画面にはばらまかれた写真と同じものが写っていた。


「な……っ! なんでお前、俺の携帯を……!」

「俺からしたらロッカーの鍵なんてオモチャみたいなもんだよぉ」


自分の携帯を奪い返そうとする竜鬼さんを軽くかわして、桜季さんはさらに携帯をいじる。


「あ、ユキって子と連絡取り合ってるねぇ。これは完全な証拠でしょ~」

「お、お前……っ!」


竜鬼さんが桜季さんに目がけて拳を振り上げた。

しかし、その拳が桜季さんのところまで届くことはなかった。


「ストップです、竜鬼さん」


竜鬼さんの手首を掴んで右京君が諭すような声で言った。


「離せよ、右京!」


竜鬼さんが鋭い目で右京君を睨み付けた。

けれど右京君に怯む様子はなかった。


「もう証拠は揃ってるんですから、これ以上見苦しさを重ねない方がいいですよ」

「お~! らっきょうたまにはいいこと言うねぇ。惚れちゃう~」

「うるせーです。とりあえず、事務所の方に行きましょうか」

「……っ、クソ!」

「あ……!」


竜鬼さんは右京君の腕を振り払い、そのまま店の出入り口に向かって走り出した。


「大人しく行くわけねぇだろうが! このバーカ……っ、てっ!」


振り返りながら右京君たちに向かって悪態を吐き捨てる竜鬼さんは前に立つ人物に気づかず、出口を前にしてぶつかりその場に尻餅をついてしまった。

すぐに立ち上がって逃走を図ろうとした竜鬼さんの顔が、自分の目の前に立つ人物を見て固まった。


「……おい、人を陥れてまで自分がのし上がろうなんて、随分と野心家だな」

「オ、オーナー……!」


声だけで竜鬼さんの顔がどれだけ引き攣っているかが簡単に想像できた。

無理もない。

旧知の僕でさえ震えが止まらないほど、テツ君の顔は恐ろしい形相となっていた。


ほ、本当に僕の知ってるテツ君……?


思わず人違いの可能性を疑ってしまう凶悪な顔のまま、テツ君はしゃがみ込んで竜鬼さんの顔を覗いた。


「いやいや、その野心には感心する。ホストとして大切なものだ。……けどな、」


ガッ! と竜鬼さんの頭を上から片手で掴んだ。


「ひ!」


掴まれていない僕まで思わず声を上げてしまった。


「ルールはちゃんと守らねぇといけねぇ……、だろ?」

「は、はぃ……」


威勢をむしり取られたようなか細い竜鬼さんの声で、この騒ぎは幕が下りた。

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