第25話


****


汗で濡れた体を洗い流すため、蓮さんはシャワーを浴びに浴室へ行った。

そして残された僕らはリビングのテーブルに向かい合わせになって座り、僕は事の経緯を説明した。


「……つまり、体調が悪いけど家に帰れない彼を気遣ってここに連れて帰った、というわけだね」

「はい……」

「そしてベッドに寝かせたら、寝ぼけた彼に引っ張り込まれて身動きが取れずそのまま寝てしまった」

「全くもってその通りです……」


晴仁は難しい顔をしながら僕の要領の得ない話をまとめてくれた。

普段見ないその難しい表情に、僕は思わず敬語で返した。

そのことに気づいた晴仁は、僕を安心させるように微笑んだ。


「こーすけ、なんでそんなに恐がってるの? 敬語なんて使って」

「いや、なんか怒っているような気がして……」


笑っているけれど目は全然笑っていないような気がしてならない。

家主に無許可で他人をあげたとなれば怒られて当然だけれども……。

晴仁はにっこりと笑みを深めた。


「うん、そうだね。ものすごーく、怒ってる」


ひぃぃぃ!

普段温厚な人間が怒るのはーーしかも笑顔でーー、相当な破壊力がある。

僕は勢いよく頭を下げた。


「ご、ごめん、本当にごめんなさいっ。そうだよね、普通自分の家に勝手に人をあげられたら怒るよね。その上ベッドまで使わせてもらって……」


考えてみれば僕の行動はあまりにも非常識だ。

僕は晴仁の優しさに甘えすぎていた。

優しい晴仁なら事情を話せば許してくれると思っていた。

申し訳ない気持ちでいっぱいで顔を上げられないでいると、不意にぽんぽんと頭を撫でられた。

顔を上げると、そこには目もちゃんと笑っている晴仁の笑みがあった。


「ごめん、ちょっと意地悪しすぎちゃったね。大丈夫だよ。そんなに気にしなくていいよ」

「晴仁……っ」


僕を気遣った優しい言葉に、滅多に見ない晴仁の怒りを見た後もあって、安堵の涙がうるっと目尻に滲んだ。

その顔があまりにも間抜けだったのだろう、晴仁はくすっと笑って、僕の頬に手を添え、その親指で目元をさすった。


「でも、いくら事情があっても、もうこの家に他人を上げないようにしてね」

「あ、うん、それは絶対しないよ!」


力強く何度も頷く僕に、晴仁の目元がほころんだ。


「僕のわがままをきいてくれてありがとう。神経質と思われるかもしれないけど、僕は自分の家に他人を入れるのが実はすごく嫌なんだ」

「え! そうなんだ!」


長年親友をしてきたけれど、温厚で誰にでも優しく気さくな彼に、そういった面があるとは知らなかった。

でもそういう優しい人だからこそ、家くらいでは誰にも気を遣わず自由でいたいのかもしれない。


「そうだよね、晴仁は気遣いするタイプだから家くらいではゆっくりくつろぎたいよね」

「んー、ちょっとそれは違うかな」

「え、違うの?」


驚いて思わず目を瞬かせる。

そんな僕に少し困ったように笑いながら、晴仁は言った。


「何て言ったらいいのかな。所有欲、とでもいうのかな。自分のものに触れられたくない、っていう意識が強いいんだ」


目元を撫でていた親指がいつのまにか僕の唇の輪郭をなぞっていた。


「へぇ、そうなんだ、意外だなぁ。でも確かに晴仁の家にはいっぱいおしゃれで高そうな物があるもんね。それは人に触られると嫌、というか心配になるよね」


部屋を見渡しながら僕は頷いた。

センス皆無の僕でもそれらが洗練されたものであることはよく分かった。


「あ、じゃあ僕もなるべく晴仁の物に触れないようにするね。嫌な時は遠慮なく言って……って、というかそもそも他人の僕が晴仁の家に居座ってること自体悪くない!?」


どうしよう!

今までそうとは知らず図々しく居座り続けていた……!

僕は慌てて立ち上がった。


「え、えっと、えっと、ごめん、そうとも知らずに……! あの、と、とりあえず、今から不動産に行ってくるよ!」


とにかく行動へ移さないと! と慌てて走り出そうとした僕を晴仁が手を掴んで引き止めた。


「あはは、こーすけは考えがすぐ先走るね。大丈夫だよ。こーすけは特別だから。そもそも嫌なら最初から家に住まわせてないよ」

「そ、そっか……」


晴仁の嘘偽りのない笑みと言葉に、僕は椅子にへなへなとへたり込んだ。


「よかったぁ。晴仁に嫌われてなくて」


大きく溜め息を漏らす僕に、晴仁が笑った。


「そんなに僕に嫌われるのがいや?」

「もちろんいやだよ! だって晴仁とはずっと付き合っていたいからね」


笑って即答すると、晴仁が目を丸くした。

その驚いた表情に僕は、慌てて言い足した。


「あ、もちろん友達として一緒にいたいということで、それはつまり心の繋がりみたいなもので、あの、その、ずっとこの家に居座るっていう意味じゃないから、っうわ!」


弁解を連ねていると立ち上がった晴仁にテーブル越しに抱きしめられてしまった。


「ふふふ、嬉しいなぁ。こーすけも同じ気持ちでいてくれたなんて」


晴仁の嬉しそうな声が耳の傍をくすぐった。

よかった。

どうやら有り難いことに晴仁も僕とずっと友達でいてほしいようだ。

僕の一方通行でなくてほっとする。


「こうなったら、おじいさんになっても仲良くいようね」


晴仁のマイホームの縁側で日向ぼっこをしながら囲碁を打つ、なんて想像をしながら僕は笑った。


「…………テメェ、やっぱりホモ野郎だったのか」


鳥肌が立ったような声が聞こえて顔を上げると、湯上りの蓮さんが顔を強張らせてリビングのドアの近くに立っていた。

その表情は、若い子の言葉で言えばまさに『ドン引き』というものだった。


「ちょ、ちょっ、違いますよ!? 僕たちはただの友達で……」

「言い訳くせぇ……。別に人の性癖に文句はいわねぇけど、恋人がいるなら他に手を出すなよ」

「いやいやいや! それも誤解です!!」


ほぼ悲鳴に近い声で無実を訴えたけれど、僕に向ける視線はますます胡乱げになる一方だった。


「あ、そういえば、まだ聞いてなかったね。……初めて会った時、キスしたって言ってたけどそれはどういうことかな? こーすけ」


晴仁の威圧感を纏った笑みと蓮さんの侮蔑の視線に挟まれ、僕は泣きそうになった。

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