騎士と姫君 5

「姫――姫様はどうなったのですか?」


 エフィーゼが悲痛な声を上げる。思わず椅子から滑り落ちそうになった彼女を、遠子とおこが支えた。

 モニターの一つに、理沙りさの『コンダクター』から送られた映像が映る。そこには横たわる黒服の男と、所在なげに立つ祥太郎しょうたろうの姿だけがあった。


「どうやらお姫様たちには、祥太郎君と理沙ちゃんも敵に見えちゃったみたいね」

「イディスの者もまだ存在すると。さい殿、どういうことなのです!?」


 背後から襟首えりくびをつかまれ、体をがくがくと揺さぶられる才。


「さ――さっき黒パーカーを着た男の姿が『視えた』から警告しようとしたんすけど、別の場所にいた奴だったのを勘違いしちまったみたいで」


 苦しげなその声に、『コンダクター』越しのため息が重なった。


『ったくお前の予知能力は相変わらず人騒がせだな!』

『予知能力じゃなくて、才さんが人騒がせなんじゃないですか? ……まあ、もし本当にこっそり襲い掛かられてたら危なかったかもしれないですし、お姫様たちは頑張って探しましょう!』

『それこそお前の予知で何とかなんねーのかよ?』

「範囲が広すぎて……さっきは偶々たまたま意識が合っただけだし」

『ったく、お前の予知は以下略』

「仕方ねーだろ! その代わり応用が利くからコンピュータと合わせたりして色々役に立ってんの! 町にも実装しようと思えばできんだから、文句言うなら予算をよこせよ!」

「だからそういう話は後でしようじゃないか。祥太郎君、理沙君、何が起こったのか報告してくれ」


 いつものやり取りの中にマスターが口を挟むと、理沙の思案顔がモニターにアップで登場する。


『えっと……お姫様と一緒にいた男の子が銃を持っててですね。そのビームが当たったら、あたしたち遠くに押しやられちゃったんです。その隙に、敵さんの黒い服を奪って、姿を消しちゃったみたいで』

「男の子? 何者ですか、それは?」


 そこにエフィーゼが険しい表情で割り込んだ。驚いた理沙の姿が遠ざかる。


『よくわかんないですけど、仲良さそうにはしてました』

「仲が良さそう……姫様と?」


 一転考え込む彼女を尻目に、マスターは二人へと指示を出した。


「とにかく、その倒れた人物をこちらへ……そうだな、ひとまずテストルームへと運んでくれ」

『了解!』


 祥太郎の返答を聞き、一旦通信を切ったマスターに、スタッフの一人が声をかける。


「マスター、どうします? プランCに移行しますか?」

「いや、うちのアパートは非戦闘員がほとんどだからね。無人地区も多いし、それは最終手段だ。ザラ君たちの――」

「ならば私が!」


 言いかけた言葉をさえぎったのは、またしてもエフィーゼだった。


「どうか私に行かせてください! 私であれば、姫様もきっと話を聞いてくださるはずです!」

「それはそうかもしれないが――」

「でも、危険だわ」

「それなら尚更!」


 彼女はさとす遠子へと、力強く目を向けた。


「イディスは私たちの敵なのです! これ以上皆様にご迷惑をおかけするわけには参りません! どうか、どうかお願いします!」

「ごめんなさい、言葉を変えるわね」


 遠子はそんな彼女を見て、小さく息を吐く。


「あなたにその状態で出て行かれても、かえって足手まといになるの。わかるわよね?」

「……それは」


 率直な言葉は、鋭く胸をえぐった。エフィーゼは言葉を失い、唇を震わせる。

 だが、それが冷静な思考を取り戻させた。


「……遠子殿の仰るとおりです。申し訳ない」

「そうだね。でも、エフィーゼさんの言葉なら届くというのも事実だろう」


 マスターは言って、戸惑うエフィーゼに微笑んだ。


「少し作戦を変えよう」


 それから『コンダクター』に触れ、新たな場所へと通信を繋げる。


「ザラ君、マリー君」

『ハイ、マスター?』


 すると陽気な声が返ってきた。


『さっきからずっとタイキ。ワタシ、待ちくたびれたネ』

「色々とあったものだから、すまないね。これから、こちらのエフィーゼさんが彼女たちの故郷の話をするから、それを聞いてくれるかな?」

『OK、任せておくネ。――ハロー、エフィーゼ? ワタシはザラね。ヨロシクネ!』

「あの、作戦とは、どういう……?」

「まあ、慌てないで」


 モニターに映し出された笑顔に戸惑い、助けを求めるように視線をよこす彼女に、マスターは片目をつぶってみせる。


「ここからがイリュージョニスト、ザラの真骨頂しんこっちょうだ」


 ◇


「きっともう、大丈夫」


 途中見つけた小さな公園の茂みに身を隠しながら、ガルデはリドレーフェに言う。手をかざすと一定時間水の湧き出る不思議な泉もあり、そこで喉を潤すことも出来た。


「でも、ハラ減ったな……」


 何かが満たされれば、別の何かが問題として浮き上がってくるのが人生の常というものだ。先ほどから腹の虫が鳴っておさまらない。


「パーティーで食べてくれば良かったのに」

「だっておいらたち、食っちゃいけないって言われてたんだもん。あんなごちそう、めったにお目にかかれないのに!」

「そう」


 空腹なのは二人とも同じだったが、まだ愚痴ぐちる相手がいる分、ましというものだった。


「じゃあ今度、わたくしから料理長に言って、ガルデ用のご馳走ちそうをたんと作ってもらうわ」

「ほんと! やった!」


 機嫌きげんが上向いた彼を見て、「もし帰れたら」という言葉は慌てて飲み込む。

 今いる場所がどこなのかは一向にわからなかったが、その手に握られた小さな銃が二人の命運を握っているのは確かだった。


 神器じんぎは授かる者によって大きく姿を変え、その使い方は使用者にしかわからない。普段はゆっくりと時間をかけ使い方を模索し、学んでいくものなのだとリドレーフェは父から聞かされていた。イディスの者ではない、妙なやからの登場に一時はどうなることかと思ったが、ガルデが偶然にも神器の使い方を理解するきっかけとなったのは、不幸中の幸いといえよう。

 じりじりと時間は過ぎていく。人の気配がない分、鳥の声がよく聞こえた。


「……あら?」


 焦りと空腹に突き動かされるように茂みから顔を覗かせると、そこに妙なものを見た気がして、思わず小さく声が出た。


「姫様、どうした?」

「いいえ、なんでもないわ。……ああ、蝶が飛んでたから少し驚いただけかも」


 指差すほうに、真っ白な蝶が飛んでいる。ガルデは「なぁんだ」と言ったが、リドレーフェの中ではかえってもやもやとしたものが大きくなってしまった。


「姫様?」


 つい、茂みの中からふらふらと歩き出していた。公園の入り口から通りへと顔を出すと、蝶はひらひらと上下に舞いながら、その先の角を曲がろうとしている。


「姫様、危ないって。またあいつらに見つかったらどうすんだよ!」

「やっぱり――気のせいではないわ」

「何がだよ、姫様!?」

「間違いない。オウンガイアシラユキよ!」


 それは故郷、オウンガイアに生息する蝶の名だった。花の蜜を求めて数多く舞うその姿が、季節はずれの雪に見えることからつけられたものだ。国章にまで描かれているが、子供たちはそんなことはおかまいなしに追い掛け回すし、リドレーフェ自身も例外ではない。それだけ誰にとっても身近な存在だった。


 あの蝶の姿があるということは、この奇妙な町も、オウンガイアからそれほど遠くない場所にあるに違いない。そう思い、ガルデの制止も振り切って走る。

 息を切らせて角を曲がった先には、思いもよらなかった光景が広がっていた。


 ◇


『……その先には、白壁しらかべが坂道に沿って連なっていて、道はうねりながら城まで続いています』

「白いカベ、ツルツル? ザラザラ?」

『どちらかというと、ざらっとしていました』


 エフィーゼの話を聞き、ザラは少し目を閉じる。


「OK。じゃあ、空気はカラカラ? ジメジメ?」

『海が近くにありますし、今の季節はそちらからの風が通るので、少し湿っています』

「OK。――こんなカンジ?」


 彼女が左手でステッキをくるりと回してから、反対の手のひらを軽く叩くと、その上に町のミニチュアとでも呼ぶべきものがぼうっと現れる。

 それを見て、『コンダクター』の表面に映るエフィーゼは目を見開く。それは突如手のひらに現れた小さな町への驚きからだけではなかった。


『はい……まさにそうです。まるで私どもの町をご存じかのようだ』

『ザラ君の得意技でね。私も経験したことがあるが、頭の中を覗かれているような気分になるよ』

「ヒトギキ悪いね。ちょっとしたイマジネーションよ。……さてさて、ここからはちびっこの出番ネ」

「わ、わたし?」


 突然矛先が自分に向き、マリーは目をまたたかせる。


「これから、このファントムを町にひろげるから、ちびっこのマジックでコーティングするネ」

「ああ。――えっ?」


 最初の手はずでは、『アパート』の管轄地域と外を繋ぐ道の封鎖を術で強化し、後はその時々で対応することとなっていた。ザラはさらっと言ったが、それが管轄地域全体となると相当な労力がかかる。


「ちびっこのマジックコーティングで、プリンセスたちにファントムをもっともっとリアルに感じてもらって、お上手じょーずにエフィーゼのところまで行ってもらうよ。バトルになっても危なくないし、一石二蝶々いっせきにちょうちょうネ!」

「簡単に言わないでよ! 儀式に時間がかかっちゃうし、ザラの術にかぶせなきゃいけないんでしょ? そんな高度なの――あと一石二蝶々じゃなくて、一石二鳥いっせきにちょう

「やるしかないネ。ダイジョーブ、トーキョーとか、ジャパン全部とか言ってるわけじゃないネ。ちびっこももうステキなレディだから、絶対できるよ!」  

「そんな無責任な!」

「ダイジョーブ」


 もう一度、ザラは同じ言葉を繰り返す。


「ワタシだって、いつもケッコー、イッパイイッパイよ?」

「慰めにならないわよ!」

「だってね、どんなにオトナになって、パワフルなっても、タイヘンも、コワイも、みんな同じよ? だけど、アンドゥルーよりヤスシー強いね。みんな、そやってナントカカントカ乗り越えていくものなのヨ」

「でも……あと、案ずるより生むが易し」

「イイワケはナシナシね! ダイジョーブ、何かあっても、マリーには支えてくれるナカマがいるからネ!」

「……わかったわよ」


 こうやって押し問答もんどうしていても、時間だけが過ぎていく。その間に事態は深刻化してしまうかもしれないのだ。


「やるしかないのよね。わかった、やってみる」

「ダイジなのはギシキじゃない、マリーが何をしたいかってことよ」


 マリーは頷き、扇を広げる。フォンドラドルード家に代々受け継がれてきたもので、儀式を短縮するのに役立ってくれる。高速詠唱こうそくえいしょうを繰り返し、意識を研ぎ澄ませた。


 彼女が認識している魔術の世界は、カラフルな糸が絡み合った織物に似ている。それに働きかけ、変容させるのが『結界師けっかいし』の力だ。

 儀式や集中で高められた力は、明確な意図、あるいは『綻びの言葉ヒドゥン・スレッド』と呼ばれるしゅをきっかけとして発動する。

 普段は儀式の最中に自然と浮かんでくるその特別な言葉も、今はただ待つというわけにはいかなかった。紡がれた糸の中に隠された意図を捜しに、マリーの意識は飛翔する。

 体温が上がり、息が苦しくなった。

 ――初心に戻り、呼吸を整える。焦りと不安、痛む頭に集中が途切れそうになる度に、自分を叱咤しったして呼び戻した。


(大丈夫、ザラやみんながいる)


 そうして、数分とも何時間とも感じられる時の流れの後、マリーは『それ』にたどり着いた。

 息を大きく吸い、解き放つ。


「『追従回廊ホーミング・コリダー』!!」


 マリーの影が長く伸びた。それは巨大な手となって膨れ上がり、ザラの幻を包み込む。オーロラのように揺らいでいたそれは、影と溶け合い、よりリアルな質感を持ち始めた。


「マリー! エクセレント! Wow!」


 ザラはとびきりの笑顔を見せた後、ステッキをくるくると回す。


「ではでは……えーと、イッツアイリュージョン! ポンポポーン!」


 それから、幻をボールのように空へと打ち上げる。

 幻は弧を描いて飛んでいき、少し先の建物の陰へと落ちた。するとぽん、と気の抜けた音と共に輝きが放たれ、日本の住宅街が、異国の城下町へと変わり始める。


「すごい。……けど、相変わらず適当なのね」


 以前見せてもらった別の術も、その場でいい加減に考えたかのような言葉や振りとともに発せられていた。しかし彼女にとっては呪文など何でも良いのだろう。マリーへのアドバイスの通り、一瞬の集中力の凄まじさが見て取れる。


「このままワタシ、ファントムをひろげるから、マリーもがんばるネ!」

「……善処するわ」


 結界はザラの術にあわせて拡大していくはずだ。それは任せておけばいい。しかし結界の維持は続けなければならない。少しの気の緩みが術全体の瓦解がかいに繋がりかねないと思うと、また不安が大きく首をもたげてくる。


「マリー」


 それを見越したかのように、ザラが声をかけてきた。


「余計なこと考えないね。目の前のやることだけ考えて、五十歩百歩ごじゅっぽひゃっぽよ」


 彼女にとっても決して楽な作業ではないはずだ。でもいつものように明るく振る舞い、こちらを気遣きづかってくれる。


一歩一歩いっぽいっぽでしょ。――OK、任せておいて!」


 自らをも鼓舞こぶするかのように力強く言い、マリーは改めて意識を集中させた。

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