騎士と姫君 6

「……メレスティラだわ」


 リドレーフェはぽつりと呟く。故郷ふるさとの、その町の名。

 蝶はひらひらと、懐かしい景色へ彼女をいざなう。


「姫様、待って!」


 ガルデも急いで後を追う。一瞬足を取られそうになり下を見ると、平らだった地面は石畳へと変貌へんぼうしていた。白い壁が続く道も、かすかに鼻をかすめる潮の香りも、彼自身覚えがあるものだ。


「ねぇ、姫様、何かヘンだって!」

「どうして?」

「だって、誰もいないし……」

「誰もいないのは、さっきだって同じだわ。景色が戻っただけでも、きっとまだましよ」

「そうかな……?」


 けれど、胸に広がる違和感は、どうしても拭い去れない。


「やっぱり怪しいよ。戻ったほうがいいって!」

「――いや」


 唐突に、リドレーフェは足を止める。


「いやよ。わたくし、もうあんな場所には戻りたくない」

「姫様……?」


 彼女は振り返らない。その声は、小さく震えていた。毅然きぜんとした態度の奥で、ずっと恐ろしさを我慢してきたのだということに、ガルデは初めて気づく。


「……わかったよ、姫様」


 ガルデはリドレーフェを追い越し、後を見ないままで手を差し伸べる。


「行こう。おいらがきっと守ってやる。おいらは姫様の騎士だからな!」

「……ありがとう」


 言ってリドレーフェはそっと涙を拭い、まめだらけの手を握りめた。

 それから二人はゆるやかな坂道を上っていく。立ち並ぶ商店には、やはり誰の姿もない。


「やっぱり……変よね」

「それはさっき言っただろ」

「……そうよね。ごめんなさい」

「いいんだよ。今までのとこだってヘンだったんだし、どっちにしても行ってみないとわかんないんだから」

「ええ。……そうね」


 実際、見知った景色である分、今までの場所よりもほっとするものがあった。それに、変化が起こったということは、この不可解な世界の核心に少しは近づいているということなのかもしれない。

 ガルデは神器じんぎを握り締め、油断なく周囲に目をやる。


「今――誰かが」


 気づいたのはほぼ同時だった。ガルデは抱えていた黒服を急いで広げ、自分たちの身を隠す。

 そのまま慎重に進んで行くと、確かに人影があった。少し曲がった細い背中と一緒に、杖が頼りなく上下に動く。


「……ルミナばあだわ」

「ルミナばあ?」


 ささやくような声で、二人は会話する。


「ええ。街へ遊びに出る時は、色々良くしてもらうの。――どうしたのかしら。急いでるみたい」

「ついてってみようぜ」


 はやる気持ちを抑え込みながら後をつけた。だが大きなサイズとはいえ、二人で無理矢理に服へと包まっているので、上手く歩けない。


「城へと向かってるみたい」

「声、かけてみる?」

「でも……」


 このままだと見失ってしまう可能性があるが、やはり不安もある。

 リドレーフェが決めあぐねていると、目の前を影が横切った。

   

「あっ!」


 止める間もなく、ガルデが飛び出していく。

 その先には――黒い服。先ほどの男とは別の、イディスの者だった。


「ばあちゃんを離せ!」


 ガルデが神器を向ける。放たれた光が、ルミナ婆に銃を突きつけていた男を地面へと転がした。


「ばあちゃん、大丈夫!?」


 しかし彼女はしわだらけの顔に笑みを浮かべてこちらへと会釈をし、再び何事なにごともなかったかのように坂道を上り始める。


「えっ、ちょ、ちょっと――!?」

「ガルデ!」


 リドレーフェの悲痛な叫び。振り返ると、目の前にはこぶしが迫っていた。

 重い衝撃。めりっと嫌な音がし、体が宙を舞う。


「――がはっ!」


 次の瞬間、背中に強い痛みが走った。


「ガルデ! ――ガルデ!」


 守らねば、と思う。でもすぐに体は動いてくれない。とにかく神器を探した。生ぬるい感触が顔の皮膚を伝い視界を狭めたが、何とか石畳の上に転がったそれを見つけ、手を伸ばす。

 そこへ振り下ろされた重圧と、激しい痛み。


「ぐぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 硬い靴底で踏みつけられたのだと理解し、そのあるじを睨みつけた。

 残酷な笑みを浮かべた黒服の男。もう片方の足で神器を遠くまで蹴り飛ばし、わざわざ揶揄やゆするように近づけてきたその顔に、勢いよく唾を吐きかけた。


「っなぁっ!?」

「へへへー、大当たりー!」


 汚された顔が怒りに赤くなる。男は血走った目で拳を振り上げた。隙が出来た足下から右腕を引き抜き、神器へと向かおうとするがはばまれる。


餓鬼がきがぁっ!」


 背中をつかまれ、放り投げられた。地面へ打ち付けられる衝撃をこらえ、すぐに体を起こす。しかし今度は首をがっしりと掴まれた。

 指も太く、そのめ付けも強い。大人の男の力だった。


「やめなさい! ガルデを離して!」


 首がふっと楽になる。急に空気が入ってきて、激しく咳き込んだ。


「……姫様、来ちゃダメだ」


 言葉をしぼり出した時には、男はこちらに背中を向けていた。おびえた目であとずさるリドレーフェにじりじりと近づきながら、先ほど落とした銃を見つけて拾う。


「ダメだ姫様、逃げて!」


 神器を拾っていたら間に合わない。この体格差では、男に体当たりをしても揺らがすことさえ難しそうだった。とにかく必死で、走る。その間にも、男の腕は動いていく。


「姫様ぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 思い切り跳んだ。我が身をリドレーフェの前へと、男が構えた銃のその先へと。


「はいっ、そこまで!」


 唐突に割り込んできたのは、またもや華奢きゃしゃな背中と軽やかな声だった。男の体は軽々と吹き飛び、後方の白壁しらかべへと激突する。


「あうっ」


 背中を強打した男は、口から空気を吐き出しながら、ずるずると地面へ崩れ落ちた。


「うぎぇぇぇっ」


 ガルデの体も、勢い余って地面へとスライディングする。


「何とか間に合ったか!?」

「人が住んでるあたりで騒いでくれて助かりましたね。――でも怪我してます! 早く運ばないと」

理沙りさちゃん、これ傷にスプレーしてあげて。応急処置にはなるわ」

「うわ、すごい色……しみません?」

「しみないと思う。少し眠くはなるけど」

「何で遠子とおこさんの薬はもれなく眠くなるんすか」


 流石にもう、動く気力は残されていなかった。かすんだ視界に、以前には居なかった人物がさらにもう一人、入り込む。


「姫様……!」

「エフィーゼ……なの?」

「はい、姫様、ご無事で……!」


 大柄な女の手が、リドレーフェに伸ばされる。

 彼女は震えるその手を包み込むようにして握り、ぽろぽろと涙をこぼした。


 ――よかった。

 安堵あんどと共に、体の痛みも少しずつ引いていく。代わりに穏やかな眠気が寄せてきて、ガルデは意識を手放した。


 ◇

  

「鼻骨の損傷は修復した。あとはしばらく寝かせておけ。目覚めたら何か食べさせてやるといい」

「じゃあ私、早苗さなえさんに用意してもらえるように頼んでくるわね」

「何から何まで恐縮です。ドクターも、遠子殿も」

「私は医者だからな。医者は患者を診るのが仕事だ」

「困った時はお互い様よ。エフィーゼさんも病み上がりなんだから無理しないでね」


 医務室を出て行った二人に深々と頭を下げ、エフィーゼは並んだベッドに横たわる二つの寝顔を見る。それはとても安らかで、見ているだけで胸があたたかくなった。


「ひめ……さま」


 身じろぎした口から発せられた言葉に、思わず笑みがこぼれる。


「ありがとう。小さな騎士よ」


 姿勢を正し、小声で言う。

 それには、穏やかな寝息が返ってきた。

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