二つの世界

二つの世界 1

 ――気がつくと、知らない場所にいた。

 少しあたりを見回して、それから自分の居場所を把握する。なだらかな丘の上だった。眼下にはのどかな田園風景がひろがり、あたりに家は点在しているものの人の姿は見当たらない。それで、美世みよは少しホッとする。少なくとも、あわてて身を隠さなければならないということはなさそうだ。

 この夢を見るときは、いつもそうだった。人に会えば驚かれたり、怖がられたり、逆に追いかけられたりする。気が休まるひまもなく、あるいはとても孤独で――そして、疲れ果てた状態で目がさめるのだ。


「今回は、ちょっとだけいい感じかも。でも早く目が覚めないかなぁ」


 そうつぶやいてみる。自分の声で起きることを期待したところもあった。だが残念ながら、そう上手くはいかない。


「……そうか、夢なんだ」


 そこも、今までとは違っていた。明晰夢と言ったか。自分なりに何とかしたくて夢について色々と調べた時に知った言葉だ。見ながらこれは夢なのだと気づく夢。その場合、夢を自分の思い通りにできるのだという。


「それなら私、空も飛べたりするんじゃない?」


 言ったとたん、ふわりと体が浮き上がった。


「やった! ほんとに飛べた!」


 この変な夢を見るのは何回目だろう。けれども、こんな展開になるのは初めてだった。体は羽のように軽く、高く飛びたいと願うだけでぐんぐんと高度が上がる。


「いっつもこうならさ、楽しいのになー」


 ひとりでつぶやき、空から下を見た。もしこれが本当の出来事なら震えるほどの高さだが、夢だとわかっていれば怖くない。景色は流れ、建物も木も人もミニチュアのようだ。時々こちらに気づいた人が、自分を驚いた顔で見上げるのもなんだか誇らしい。

 しばらく自由に飛び回っていると、やがて大きな街が見えてきた。いくら自分の思い通りになるとはいえ、人の多い場所まで行く勇気は出ない。あわてて引き返し、ひとまず最初に居た場所に戻ろうとした時のことだった。

 

「おなかすいた……」


 ふとそう思い、口に出してしまう。すると楽しかった気持ちはすっかり萎れ、今すぐにでも何かを食べたいという思考で頭がいっぱいになった。

 そこで、ひとつの疑問が湧く。


「これ、夢だよね?」


 腹が減る感覚も、耳元でうなる冷たい風も、あまりにリアルだ。

 ひょっとしたら夢だと思いこんでいただけで、これは現実なんじゃないだろうか。そう思ってしまったら最後、美世の意識は状況の不可思議さへと向かう。


「じゃあなんで私、空飛べてるの……?」


 その一言が力を失う合図だったかのように、彼女の体は急激に落下をし始めた。


 ◇


 目をあけると、間近に覗き込む顔が三つ。


「わぁっ!」

「うわっ! 急に大声出すなよ! あとツバとばすんじゃねぇ!」


 怒って腕で顔を拭いているさい。少し離れて立つ理沙りさに、扇で顔を覆いながらこちらを見るマリー。


「……あれ? もしかして僕、起きちゃった?」

「しっかりしろ寝ぼすけ太郎。いや、寝ぼけっていうのか……? 俺らの体も寝てるわけだし」

「サイ、今それはどっちでもいいわ。ショータロー、周りをよく見てみて」


 ぼんやりした頭のまま、周囲をゆっくり見回す。今は建物の陰に座らされていたが、どう見ても知らない街だった。


「儀式は成功したってことか。良かった。でも、みんな服がいつものやつじゃん?」


 そう言いながら、自分の服装も確認してみる。白装束ではなく最近気に入ってよく着ている服だった。


「そのあたりは、わたしたちのイメージをもとに術で再構築されてるみたいね」

「もらった香袋もちゃんとありますよ!」


 そして理沙の言葉どおり、それぞれの手には香袋が握られている。


祥太郎しょうたろうさんも起きた? ことですし、まずは美世さんを探さないとですね!」


 四人が居るのは古い石造りの建物が並ぶ一角。遠くには大きな時計塔が見えた。


「どことなくこの街、ロンドンに似てるのよね」


 マリーがぽつりと言ってから視線を向けた先には、瓦礫が積み上がっている場所がある。裏通りのような道とはいえ、大きな街にしては人も少ない気がした。


「だけど、街の様子が……ミヨの力の暴走状態はひとまず抑えられていると思うけれど、『大干渉だいかんしょう』の影響も強くなってきているのかも」

「俺らの側にも『ファントム』がしょっちゅう現れるようになってるから、こっちにも美世ちゃん以外のが来てるだろうな。別の世界から『ゲート』経由での乱入もあるだろうし」

「あの人に話を聞いてみますか?」


 理沙が足早に通り過ぎる女性に目を向けながら言うと、才は小さく首を振る。


「いや、接触はもうちょい待とう」

「じゃあ、ひとまず僕がどっかに移動させようか?」

「能力使用もちょい待て。とりあえず、近くを歩いてみようぜ」


 言って歩き出した才に皆、黙ってついていく。

 路地を抜け、大きな通りへとぶつかる。車道では自動車が走り、バイクや自転車に乗る人の姿も見える。歩道には行き交う人々。ここが地球のどこかにある街と言われても違和感のない光景だった。


「あっ、あそこ人だかりが出来てますよ!」


 理沙がいち早くそれに気づき、声を上げる。車道を挟んだ反対側、少し離れた場所にある建物には制服姿の人物や報道陣と思われる人々が集まり、物々しい雰囲気に包まれている。建物の一部からは黒煙が上がっているようだった。


「建物が壊れてるみたいです! 事故か何かあったんですかね?」


 それを聞き、近くを歩いていた老人が立ち止まる。


「また爆発があったんだってさ」

「また、ですか?」


 彼は理沙の疑問を相槌と受け取ったようだ。大きなため息をつき、やれやれと首を振る。


「こんなことばっかりで嫌になるねぇ。幽霊や宇宙人の仕業だとか言い出すヤツもいるようだ。世も末だな」

「そいつら、そーゆーの見たんかな?」


 才が問うと、老人は肩をすくめた。


「原因も犯人も不明なままだから、不安になってこじつけたくなる気持ちはわからんでもないがな。妙な事故が増えてるのは事実だし、お前らも気をつけろよ」

「ああ、ありがと。じーさんもな」


 老人はひらひらと手を振り、去っていく。十分に距離があいたのを確認してから、才は皆に小声で尋ねた。


「なぁ、今の話、どう思うよ?」

「『悪夢を招く者ファントム』がこっちにも頻繁に現れてるってことだよね?」


 祥太郎が答えると才は腕を組み、小さくうなる。


「それもだが……」

「おそらく、ムーには異能力者がいないんだわ。もしくは、存在したとしても世間に認められていない」

「たぶんな。科学に関して言えば地球と同程度。異能力のサポートがねーなら『ファントム』に対抗するのは厳しそうだ。できるならこっちの能力者の協力も得たかったんだが……」


 あたりに目をやると、あちこちが壊れている街。窓が閉まったままの建物も多かった。そこに住む人たちはどこかへと去ったのか、それとも閉じこもっているのか。

 空を見上げれば、灰色の重たい雲が一面を覆っていた。景色は冬なのに、空気は妙に生温い。その感触は結界に覆われた神社に足を踏み入れた時のことを思い起こさせた。


「対処の仕方がわかんねー分、こっちの世界のほうがヤバかったりするのかもな。――ん?」


 何かが『視えた』気がして、才は声をあげる。急いで意識を集中させると、いくつもの映像が重なるようにして目の奥で光った。


「才さん、空に何かあるんですか?」

「ああ、いや……最初間違いかと思ったんだけどな。空飛んでった映像が『視え』たから」

「何が?」

「美世ちゃんが」

「は?」


 理沙に続いて問いかけたマリーの口があいたままになる。


「見た? 空飛ぶ女の子」

「あれマジな話なの?」

「あたしは見てないんだけど、動画も出回ってるよ」


 ちょうどそんなことを話しながら通りすぎていく二人の少女。手に持つスマホの画面は遠い。才が声をかけようと動きだした時、理沙が言った。


「美世さんですね」

「えっ、理沙ちゃんこの距離で見えんの?」

「視力には自信あるんです!」

「とにかく才の予知が正しいってことだろ? 美世ちゃんはどっちに行ったんだ?」

「そ、そうだな……」


 才は気を取り直し、再び意識を空へと向ける。


「あっちの方角だ」


 祥太郎は急いで周囲に目を向け、誰も見ていないのを確認してからうなずいた。



 ◇


「いてて……」


 腕や足先に鋭い痛みを感じる。ゆっくりと目だけを動かすとたくさんの木の枝が見えた。美世はひとまずホッと息を吐く。落下を始めた時には生きた心地がしなかったが、運良く木に引っかかって助かったようだ。

 今度は少し首を回してみる。するとやたらと地面が遠くに見え、体が縮み上がった。


「どうしよう……」


 飛び降りられるような高さではない。木を伝って降りようにも、体を支えているのは絡み合った細い枝ばかりで足場にできるようなところはないし、下手に動けば折れてしまいそうだ。

 何度か試してみたが、再び飛ぶことは出来そうにない。中途半端に飛べたところで、落ちてしまうことを考えるとそれも怖い。

 今回の夢は楽しいものになりそうだと思った途端にこれだ。いいかげん泣きたくなってきた頃、落ち葉を踏むような音が耳に届いた。


「あら大変、誰か木に引っかかっているわ」


 続いて聞こえる、優しげな声。美世はそちらを確認できないまま、おそるおそる声を上げる。


「……あの、すみません、助けてください! 降りられなくて」

「どうやって登ったの? まさか空から落ちてきたのかしら?」


 声音から察するに年配の女性のようだ。のんびりとした口調で問われても、美世の方にはそんな余裕はない。


「あとで説明しますから! どうにかならないですか?」

「ごめんなさい、ちょっと驚いちゃって。ちょうど良い木を選んだのね」


 老婦人はふふふ、と笑って、木を軽く揺すった。


「ちょっとぉ!? 何するんですか!?」


 思った以上の大きな揺れ。悲鳴に近い抗議の声を出した瞬間、美世の体が下へと向かって動き出した。――落下ではない。優しく下に降ろされたのだ。

 柔らかな土の上で目を丸くする美世を見て、綺麗な白髪の老婦人は優しく微笑む。その反対側では巨大な手のごとく組み合わさった木の枝が、役目を終えたというかのように元の位置へ戻っていった。


「このことは秘密よ。こういう不思議な出来事を好まない人たちは多いから」


 老婦人はそんなことを言って、唇に人差し指を当てる。


「は、はい……」


 戸惑いながらも美世はゆっくりと起き上がる。手首や足下に擦り傷がたくさん出来て痛みはしたが、それ以外は特に問題なさそうだ。


「とにかく、助けていただいてありがとうございました!」

「いいのよ。せっかくだから家に寄ってお茶でもいかが? すぐそこなの」

「でも、あんまりご迷惑おかけするわけには……」


 申し訳ないと思う気持ちは本当だった。だが、この老婦人を信用してついて行って良いものかという不安が、どうしてもある。

 そんな美世の気持ちをよそに、ぐううううと腹の虫が鳴った。老婦人はそれを聞き、またふふふと笑う。


「軽いお食事も用意するわ。年寄りの一人暮らしは寂しいの。どうか遠慮しないで」

「……はい。ありがとうございます!」


 少しだけ迷ったが、結局欲求には逆らえなかった。美世は頭を下げ、老婦人へと駆け寄る。すると微笑みながらこちらを見ていた彼女の瞳が、いぶかしげに揺れた。ポケットから取り出した眼鏡をかけると、その表情は驚きへ変わる。


「……サキコ?」


 彼女が声を震わせて呼んだのは、美世のよく知る名だった。

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