異変 3

『おはようございます。朝からお騒がせして申し訳ございません。こちらは、異種技能省異界対策課いしゅぎのうしょういかいたいさくかでございます。この地域はこれより大変危険となる見込みでございますので、早急な避難をよろしくお願い申し上げます』


 朝の町へと、優しげな声が響く。それはスピーカーを通した音として拡がり、やがて脳内へと直接響く『言葉』となった。


「イリュージョン!」


 そして突然あちこちで打ち上がる花火。火花が落ちた先には『避難経路→』という文字がカラフルに浮かび上がる。


『繰り返します。皆さま避難経路に従い、早急に避難をよろしくお願い申し上げます。押さない・走らない・喋らない・戻らない「おはしも」は大事ですけれども。今すぐ、避難をお願い申し上げます』


 急なことに戸惑い耳を済ませていた住民も、パニックになりかけていた者も、あるいは無関心を決め込もうと思っていた人々も――繰り返される言葉を聞いているうちに湧き上がってきた「避難しなければならない」という思いに抗えなくなってしまう。


「おい! いきなり避難しろってどういうことだ! 説明しろ!」

「お兄さん魔力耐性が強いんやねぇ、ステキ。でも今は急いで避難してな。『お願い』」

「あ、はい……」


 中には放送を行っている役所まで乗り込む住民もいたが、毒々しい色の煙を吹きかけられては大人しく戻っていった。


「はぁ……今日は久々のオフやったのに。面倒やわぁ」

「メンドメンド言ってるト、世界が綿棒しちゃうのヨ!」

「わかっとる。でも面倒なもんは面倒なんよ。……あと、うちにツッコミは期待せんといてな」


 一瞬がっかりした表情をしたザラに笑ってから、友里亜ゆりあは長椅子に腰掛け、がらんとした役所内を見回した。


「でもま、世理奈せりなちゃんの言霊のおかげで楽できるのはありがたいなぁ。さすが名家のお嬢様。実力も折り紙付きやわ」

「ユリアもメイカーだって聞いだけどそうじゃないノ?」

「こわっ。その情報どこから仕入れたん? うちは実家から縁切られとるし、もう関係あらへんよ。それより、ひーちゃんは一人で大丈夫やろか」

「ひーちゃん……ヒサメのコト? さっきヒトリでグツグツ言ってるのは見たヨ」

「そやからうちにツッコミは期待せんといて」

「モー! ユリアのイジワルー! イケス!」


 一方その頃。祥太郎しょうたろうたちが泊まる宿を貸し切る形で設けられた対策本部では、慌ただしく人が行き来していた。最上階にある部屋の窓からは、美世みよのいる離れの小屋を中心に何重にも施された結界がうっすらと見える。あたりに巨大な力を放ちながらも、彼女は今も眠ったままだった。

 

「ゼロくんには『アパート』へと移動してもらい、引き続き何か気づいたことがあれば知らせてもらう手筈になっている」


 マスターはそう言って神妙な面持ちの皆を見る。ゼロから聞いた『大干渉だいかんしょう』が早まるという話は、すでに伝えられていた。

 他よりも少し広めの和室の中には、中央にあるテーブル周辺に集まる四人とマスターのほか、窓際に立つエレナ、入り口付近の隅にちょこんと座る和装の少女がいる。


「それでマスター、僕たちはこれからどうすればいいんですか?」


 祥太郎の問いを受け、マスターはその少女の方を見た。大きな目がじっとこちらを見返す。頭の上に作られた二つの団子も相まって、小動物を連想させた。


「それは、彼女から説明してもらおう。片桐氷雨かたぎりひさめさんだ」

「……ひーです。よ、よろしく」


 ぎこちなくお辞儀をする氷雨につられて皆も頭を下げる。喋り方は子供っぽかったが、マリーと同世代にも見えた。少し前かがみに座り、おどおどと視線をさまよわせては目を伏せる。何かを言いかけてはやめる、というのを繰り返し、しばらく口をぱくぱく動かしていたが、そのうち諦めたかのように黙り込んだ。


「………………」


 あまりに続く沈黙に皆が耐えきれなくなってきた頃、彼女は意を決したかのように顔を上げる。


「えっと……お、おまえら」


 それからマリー、理沙りさ、祥太郎、さいを順に見て、手で自らの喉をかき切る仕草をした。


「地獄行き」

「なんで!? 僕たち何かしましたか!?」


 驚いた祥太郎があたりを見回すと、みんな落ち着いた様子で次の言葉を待っている。これはいつものあれだ、と直感した。


「……また僕だけよくわかってない感じ?」

「いや、俺も会うのは初めてだが、なんとなーく知ってるっつーか」

「たぶんすごく緊張しちゃうんですね。師匠も似たようなタイプなんで」

「お話中、失礼します」

 

 そこで襖を開け、友里亜が入ってくる。それを見た氷雨の表情がぱぁっと明るくなった。


「ゆー、待ちわびたぞ……!」

「ごめんな、町の人避難させるのに時間かかってしもて。今の話、ちょっぴり聞こえたわ。たぶん、美世ちゃんと接点があるしょうちゃんらが頼りなんやけど、簡単な道やないってことが言いたいと思うんよ」

「そう、それ……」

「しょうちゃんって僕のことですか? ――それより、そんな当然みたいな顔でうなずかれても分かりませんよ!」

「なめられたらアカンよって、ゆーに言われたから……」

「ひーちゃん、それはこういう時の話やなくて……もう、うちが説明しよか?」

「面識がある方が術も行いやすくなると聞いたのでね。友里亜くんはそれなりに親しいと言えるだろうから、氷雨くんに説明してもらうのが良いと考えたのだが」

「ああ、マスターの言う通りやわ。ほな、ひーちゃん気張り」


 助かったと思った直後に突き放され、氷雨はがっくりと肩を落とす。だが今度こそ腹を決めたのか、何度か深呼吸をしてからぼそぼそと話し始める。


「えっと……みーの中身は、むーに行ってる。でも、みー自身は、夢を見てると思ってる」

「ひーちゃん、ミーとかムーってなんのことか説明せんと、伝わらへんよ」

「んむむ、ゆーうるさい。……でも、正論。みよだから、みー。むーは、向こうの世界。呼び名がないと、不便、だから」

「それは確かに。奇しくも幻の大陸の名称と同じだね。良いセンスだ」


 エレナが褒めると彼女は少し嬉しそうにしたが、それを誤魔化すかのように咳払いをして話を続けた。


「まず、みんなでみーの居る、小屋に行く。みんなも寝る。ゆーのお香で、みんなと、みーの感覚をつなげる。そうすると、みんなも一緒の『夢』を見る」

「そうしたら、ミヨと出会えて、こちらに引き戻すことが出来るのね」


 それまで考えにふけっていたマリーが口を挟む。氷雨は小さく首を振った。


「普通なら、そう。でも、いまは違う。それだけじゃ足りない。『大干渉』は防げない。みんなは、夢の世界に行く。それをひーの音で、『ほんとう』にする。『ほんとう』にすると、みーもみんなも、本当にむーに行く。あっちで食べたり、飲んだり、さわったり、できるようになる。だから、あっちから『ゲート』も開ける、はず」

「あのー……質問が」


 今度は祥太郎がおずおずと手を挙げる。氷雨は一瞬びくりとしたが、余裕のあるところを見せたかったのか、引きつった笑みを浮かべながら言った。


「うぬ。許可、する」

「ムーに行ったことが『ほんとう』になるってことは、こっちにある僕たちの体はどうなるんです?」

「えと、抜け殻? になる。……あ、でも、ちゃんとひーたちが儀式をやってる間に戻ってくれば、大丈夫」

「間に合わなかったら?」

「死ぬ」

「ですよねー」

「……大丈夫」


 彼女は大きくため息を付いた祥太郎を励ますように、ぐっと両の拳を胸の前に掲げる。


「『大干渉』が起きたら、どちみち死ぬ」

「ですよね……」

「皆には、まずミヨ君の保護、そして『ゲート』を開くための場所を探してもらう」


 氷雨の説明を引き継ぐようにして、エレナが口を開く。


「あるはずなんだ。二つの世界がいま最も接近している場所、エネルギーがひときわ高まっている場所が。こちら側はもう判明している」

「ミヨの神社ね」

「その通り。多少ずれることがあっても、あの周辺になるのは間違いない。サイ君の予知でムー側のポイントを見つけてもらい、ショウタロウ君と私で同時に『穴』を開ける」

「了解。ゼロのやつも頑張ってるみてーだし、俺様も成長したとこを見せてやらねーとな!」

「責任重大すぎる……」

「ショウタロウ君、大丈夫。そのためのトレーニングは積んできただろう?」

「まぁそうなんですけど、実際やるとなると」

「もちろん、マリーとリサ君にもサポートで頑張ってもらうよ」

「はい、頑張ります!」

「やっぱり責任重大だわ……でもやるしかないのよね」

「私も『ゲート』を定着させる仕事があるからね。負けずに頑張るよ。それまで君たちの肉体が万全の状態でいられるよう、全力でサポートしよう」


 マスターも言って、安心させるかのように、いつもと同じ穏やかな笑みを浮かべた。


「大丈夫。君たちなら出来ると信じているよ」


 ◇


 そして、夜がやってきた。人々が去り、明かりと熱気を失った町は、暗闇の中に沈み込んだかのように静かだ。

 しかし結界で隔てられた神社の中へと一歩入れば、蒸し暑さと肌寒さが同居したかのような、異様な空気とざわめきに包まれる。足下の感覚は奇妙にゆらぎ、まるで大海原を漂う小舟の上に立っているかのような不安を感じさせた。

 やがて、美世の眠る離れの小屋が見えてくる。あたりには篝火が焚かれ、その影がゆらゆらと揺れた。


「お入りください」


 小屋の入口近くに立っていた男性がそう言って扉へといざなう。周囲は安全の確保と結界の維持のため、複数の能力者が取り巻いていた。一番前を歩いていた才が軽く頭を下げて入り、マリー、理沙、祥太郎が続く。扉をくぐったとたん、甘く、そしてかすかにスパイシーな、何とも言えない香りが鼻をくすぐった。


「ミヨ……」


 マリーがつぶやくように言う。うっすらと煙る視界の先にはベッドがあり、その上に美世が横たわっていた。空間が拡張され、外から見るよりも明らかに広くなっている小屋の床や壁には、魔法陣のようなものがびっしりと描かれている。


「ご足労いただきありがとうございます」


 穏やかだがよく響く声が皆を迎える。その声が氷雨のものであると気づくまでに、少しばかり時間がかかった。

 彼女の装いは、昼間とは明らかに違っている。着物というよりは貫頭衣という印象の白い服に黒い帯。服にも、口元を覆う布にも水墨画のように見える不思議な模様が描かれていた。その傍らには、同様の格好をした友里亜が立つ。


万象流ばんしょうりゅう六音院ろくおんいん、片桐氷雨」

「同じく万象流・五香院ごこういん江上友里亜えがみゆりあ

「皆様の旅をお手伝いいたします。よろしくお願い申し上げます」


 それから、うやうやしく頭を下げた。話し方も仕草も別人のようになった氷雨に戸惑いを隠せないまま、皆、頭を下げ返す。


「揃ったね。それでは、始めようか」


 マスターが言った。四人は美世のベッドを中心として放射状に敷かれたマットの上まで進み、腰をおろす。事前に言われたとおりに体を清め、白装束へと着替えている彼らとは違い、マスターとエレナは普段どおりの服装だ。


「君たちがムーへと行っている間、連絡を取り合うようなことはできないが、一方通行のコミュニケーションであれば可能だそうだ」


 エレナが同意を求めるように氷雨を見ると、彼女はこくりとうなずく。


「寝てるみたいな感じ、だから……一応、体はこっちの言うこと聞いてるし、寝言みたいに喋ったりもできなくは、ない」

「おや? すっかり話し方が戻っているね」

「あいさつ、終わったし……あいさつだけはちゃんとしろ、あとはおまえ喋んなくてもいいぞって、お師様によく言われてたから……」

「ひーちゃんは史上最年少で『六』まで上がったくらい優秀やからな。細かいことは補佐に任せられるし」

「んふふ……ゆー、もっと褒めていいぞ……」

「成る程。――とにかく、皆にはこれを持っていてもらいたい」


 そうして四人に渡されたのは、小さな巾着袋だった。


「あ、これ……」

「しょうちゃんは見たことあったな。香袋なんやけど、これを握ったまま眠りについてもらう。何かあったときには、ぎゅっと強く握って喋れば、こっちに言葉が届くって寸法や」

「持って寝れば、夢の中にも出てくるんですね?」


 においをくんくんと嗅ぎながら聞いた理沙に、友里亜はうなずく。


「眠る前に強く意識しとくと、もっとええな。そやかて寝言みたいなもんやから、複雑なことを伝えるんは無理や。下手すると儀式の妨げになるし、こっちからの連絡もよっぽどのことがない限りはできへん。それは覚えといてな」

「えと、他に質問がなければ、急いだ方がいいと思うから、はじめる……」


 氷雨の一言で、それぞれ横になり、目を閉じる。衣擦れの音がしたあと、焚かれた香のにおいが変化した。優しい花のような香りで昂ぶった気持ちは段々と穏やかになり、手足の感覚が少しずつ消えていく。体は眠っているかのようでいて、頭ははっきりと目覚めていた。鋭く働く聴覚に、音が飛び込んでくる。

 氷雨の声なのだということはわかった。歌――ではない。まさにそれは『音』だった。音叉が響かせるような揺らぎのない旋律が小屋の中へと充満する。


「…………!」


 香りと音で、身体中が満ちていく。意識は次第に、この世界を離れていった。

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