ゼロ 2

 それから、エレナは依頼内容を説明した。ゼロは黙って耳を傾け、しばらく咀嚼するように時間を置いてから口を開く。


「……つまり、『大干渉だいかんしょう』が起こる前までに『悪夢を招く者ファントム・ブリンガー』となってあちらの世界に渡る者を見つけ出せということだね」

「そういうことになる。可能だろうか」

「うん。きみたちが作ったというレーダーがあるから、そこを中心に『視て』いけばいい」


 彼は渡された資料をひらひらとさせた。


「ただ、骨が折れるのは確かだ。レベルが大きいものを見つけて、それから周囲の状況も逐一調べないといけない。なるだけ早いポイントを見つけられた方がいいだろ?」

「仰る通りだ。早ければ対応に余裕ができるし、向こうにもこちらにも被害が少なくて済むからね」

「わかった。引き受けるからには、出来る限りのことをしよう」

「ありがとう。助かるよ」

「……ありがとな、ゼロ」


 エレナに続き、申し訳なさそうに言ったさいを見て、ゼロは苦笑する。


「そんな顔しないで欲しいな。心情は察するけどさ。ぼくだってこの十年、成長してないわけじゃないんだ」

「そっか。なら、どーんと任せるぜ!」

「ハハッ、才は極端だなぁ。……作業には少し時間がかかるけど、君たちにはここに留まってもらいたい。集中してる間は家の移動が出来ないから、誰かに見つかっちゃう可能性もあるしね。たまに勝手に侵入してくるやつもいてさ。そういうことがあったら、追っ払って欲しいんだ」

「それで構わないよ。皆もそれでいいね?」

「ああ」

「わかったわ」

「あたしも大丈夫です!」

「僕もいいですけど、『アパート』で作業してもらうんじゃダメなんですかね? このカバンハウス置いとくにしても安全だと思うんですけど」


 祥太郎しょうたろうの無邪気な発言に、一同は顔を見合わせる。


「あ、すいません。そういうんじゃダメってことですよね」


 それから視線は、一斉にゼロへと向かった。


 ◇


「へぇ、中々良い部屋じゃないか」


 ゼロは物珍しそうにあたりを見回す。結局あの後『アパート』へ移動することが決まり、ひとまず才の部屋へとやってきた。


「まさか才の職場――の自室か。そこに来ることになるなんてなぁ。あんなに小さかったのに、本当にちゃんと働いてるんだなぁ」

「いやいやお前も小せぇっちゃ小せぇだろ」

「あのポスターは誰? 市原あまな……?」

「いいからウロチョロすんじゃねぇよ! 仕事しに来たんだろうが!」

「ごめんごめん、つい面白くて」

「ったく、お前は親戚のおっさんかよ」


 ため息をついた才に、ゼロは心底嫌そうな顔をした。


「おじさんは才の方だろ?」

「かーっ! だから俺はまだ十代だっつーの!」

「はいはい、二人ともそこまでだ」


 収集がつかなくなりそうなので、エレナが割って入る。


「先ほども話したが、サイくんの部屋にゼロくんの住居を置いてもらうということで良いかな? 場合によっては他の部屋を用意するが、居住棟の方が人の出入りが少ないし、長時間置いておくにも適しているだろうからね」

「ああ、俺はオーケーだ」

「ぼくは中に入ってしまえば同じだからね。任せるよ」

「んじゃ、戻ろうぜ」


 才がトランクを適当な場所に置き、とんとんと指先で叩くと、エレナはうなずいた。

 次の瞬間には全員、ゼロの家の中にいる。


「やっぱり便利だなぁ、転移能力。階段をわざわざ降りてこなくてもいいし。今後もこうやって気軽に侵入されたら困るけど」

「そんな失礼なことはしないから安心したまえ。もし勝手にお伺いする時はドアの前で待たせていただくよ」

「うげ。結局侵入する気、満々じゃないか」


 ゼロはそう言いながらも笑い、キッチンや別の部屋を行き来して水や携帯食、毛布などを集めてきた。


「ゼロさん。食べ物とか飲み物が必要なら食堂でもらって来ましょうか? 早苗さんって人のお料理とっても美味しいですし、言えば保存食でも何でも、すぐ作ってくれるんですよ!」


 理沙の言葉に、彼は首を振る。


「慣れてるモノの方が調子が出るんだ。……えっと、仕事が終わったら食べてみたいから連れてってよ」

「はい、ぜひ! お仕事よろしくお願いします!」

「うん。あっちの廊下の先にある部屋で作業するから、そこさえ入らなければ、このリビングとかキッチンとか、他の空いてる部屋も自由に使ってもらって大丈夫だから」

「了解した。ではゼロくん、頼んだよ」

「トランクの周囲も念のため結界で守っておきますから、ご心配なく」

「よろしくお願いします!」

「頼んだぜ、ゼロ」


 口々にかけられる言葉に照れくさそうにうなずき、ゼロは廊下の先へと姿を消した。


「……さて」


 静まった部屋の中、エレナが言葉を発する。


「ショウタロウくんの提案のおかげで、私たちも動きやすくなったね。全員でここに留まる必要はなくなったから、交代制にしようか。サイくん、きみの見立てではどのくらいかかると思うかい?」

「そうだな……少なくとも三日はかかるだろうな」

「そんなに!?」


 驚く祥太郎に、才はあきれたような顔をした。


「そりゃそうだろ。俺が『視る』みたいな少し先の未来でさえ、結構なルートの検証しなきゃなんねーんだぜ? レーダーを参考に出来るっつっても、まずは実際『大干渉』が起こるかどうかの確認をしなきゃいけねーだろうし、そこに至るまでの流れも視つつ情報を集めてかなきゃなんねーんだ」

「体への負担は大丈夫なのかしら。サイもそれを心配してたでしょう?」

「まー正直に言えば心配だけどな。でもあいつも出来るからこそ仕事として引き受けたわけだし、大丈夫だろ」

「ゼロさんも成長したって言ってましたし、きっと大丈夫ですよ! アパートの中なら何かあればすぐ駆けつけられますし、ドクターや遠子さんもいますから!」

「遠子さんの謎の薬の力は実体験から知ってるけど、ドクターってちゃんと治療できるのかな……?」

「やめろ祥太郎、気が滅入る。――とにかく、何とかする方法はあるんだからな。俺がガキん時とは違うんだ」


 そう言って彼は笑い、エレナへと顔を向ける。


「エレナさん、交代制にするって言ってたし、まずは誰かに任せてもいいか? 確認してーこともあるから、コントロールルームに飛ばしてくれると助かる」

「了解した。私もマスターと話したいから一緒に向かおう。こちらはマリーとリサくんにお願いできるかな?」

「はい! 大丈夫です!」

「わかったわ、ママ。任せておいて」

「僕は……?」

「ショータローは一番大変な目に遭ってるでしょ。まずは休んだらどうかしら」

「あたしたちはここで休ませてもらうから大丈夫ですよ! マリーちゃん、あとでお菓子持ってきて食べようね!」

「ついでにトーコから紅茶ももらってきてくれない? ここお水しかないんだもの。――というかトーコも連れてきたらいいんじゃないかしら。どうせ暇でしょうし、何かあれば治療も出来るから」

「女子会かよ! もしゼロが出てきたらお裾分けしてやってくれよな」


 少し硬かった空気が、だんだんと和やかなものへと変わっていく。

 それからゼロが再び姿を現したのは、才の見立て通り三日後のことだった。


「……今、ドアが開きましたね」


 理沙がぽつりと言うと皆の会話が止まる。その時はちょうど、ゼロを訪ねたメンバー全員と、遠子もリビングへと集まっていた。


「おい、大丈夫か!?」


 ふらふらと廊下を歩いてくるゼロに才はあわてて駆け寄り、手を貸す。顔は青白く、目の下には濃いクマが浮き出していた。口の端は赤黒く汚れ、そのシミは被ったフードにも付着している。


「血が出てるぞ、どうした!?」

「唇を切ったのね。強く噛んだせいかしら」


 遠子が覗き込んで言うと、ゼロはぴょこぴょこと何度もうなずいた。


「うん。だから大丈夫……」

「いや大丈夫に見えねぇよ! ゼロ、まずは休めって」

「うん、休むから……もう少し待ってくれ。『大干渉』はこのまま行けば確かに起こる。ひどい光景だった……。起こる時期について、確実なことは言えない。だけどどのルートを視ても、来年末には終わっている。手を打つなら夏……8月頃までにはしておかないと間に合わないかもしれない」

「一年弱というところか。時間がないな」


 ため息とともに吐き出されたエレナの言葉。ゼロはパーカーのポケットを探って中からしわくちゃになった封筒を取り出し、彼女へと差し出した。


「『悪夢を招く者ファントム・ブリンガー』……について。一応見えた日付もメモした。でも、変わる可能性があるから、当てにはならない。書いてある人物をマーク……するといい」

「分かったから、そろそろ休めって!」

「ゼロくん、サイくんの言う通りだ。こちらもきちんと拝見するから――」

「もう……一つだけ。書かれた情報は……共有するだろ? このことは、中に書いてない。どうするかは、任せる。ぼくは……こっちの世界しか、視えないから、あっちの世界で起こることについて、詳しくはわからない。でも、この作戦を成功させるには……きみだ」


 ゼロは才の腕を支えにして顔を上げる。

 それから――マリーをじっと見た。


「……恐らく、きみが鍵になる」

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