悪夢を招く者
悪夢を招く者 1
「『
「そう。元々は『幻を連れてくる』程度の意味合いだったのだが、次第に悪い意味でしか使われなくなっていったようだね。私も遭遇したことはないが、状況から見て間違いないだろう」
それからマスターは
「わたしも、お祖母さまから聞いたことがある。『ファントム・ブリンガー』には気をつけなさい。きっと悪いことが起こるからって」
「んで、あのガキとおねーさんがそうだったって?」
「少年の方だね。『レディ・サウザンド』と呼ばれていたのは幻影だろう」
「おかしいと思ったんですよね。最後の消え方は、それまでと違ったから」
それは
「他の事例がそうであるように、少年にとって君たちとの戦いは『現実』ではなかったのだろう。彼は恐らく、『夢の中』でゲームに興じていただけだ」
この世界のどこかに存在しているのか、あるいは異世界の住人か。いずれにしろ『ゲート』の力も借りることなく、空間を渡り歩く能力者。共通しているのは皆、それを無自覚に行っているように見えるということだった。
「彼ら自身も幻のようなものでね、本体なのかどうかも定かではない。調査を試みた者もいるようだが、上手くいった例を少なくとも私は知らない」
「でも幻なんて強さじゃなかった気が……」
「それが、『悪夢』と言われるゆえんでもあるね。秘められた強大な魔力が、無意識下で爆発した結果だという説もある。だからその痕跡を追うのすら、並大抵のことではないと」
「正体を掴めないと、噂ばかりが大きくなるってこともあるのよねぇ。人って怖がりだから」
遠子がぽつりと付け加え、煎茶をすすった。
「マリーちゃん、どうかした?」
声を掛けられ、じっと床を見つめていたマリーは顔を上げる。遠子だけではなく、皆の視線が集まっていた。彼女は何と言ってよいのか分からず、曖昧に首を動かす。
「ええ……何か嫌な予感がするの。確かにあの『レディ・サウザンド』は強かったけれど、お祖母さまの言っていたのは、もっと違うことのような気がする」
そうして紅茶を一口飲んだ。ベルガモットの香りが、ふわりと口から鼻の奥へと広がる。
祖母がその後何と言っていたのか、彼女の記憶には残っていない。もしかしたら、大したことは言われていないのかもしれない。祖母もまた、誰かから『ファントム・ブリンガー』の事を聞いたに過ぎないのかもしれないのだから。
「大丈夫だよ、何かあってもいつもみたいに、みんなで乗り越えれば。ね?」
「理沙ちゃんの言うとーり! 今んとこなーんも視えねーしさ。平和平和」
理沙と
確かにこれまでもそれなりに危険な目には遭ってきたが、乗り越えてきたという事実は、自信になる。
それでも、しこりのような居心地の悪い感覚は、中々彼女のもとを去ってはくれそうになかった。
◇
「どうしても駄目?」
「駄目です。まだ調査中ですから」
「だって、わたしも当事者だし、お役に立てるかもしれないでしょう?」
「でも目的は本を見ることですよね?」
「……ええ、まぁそれは」
「じゃあ後にしてください。今それどころじゃないんで」
そう言い捨て、書庫へと入っていく男の背中に、マリーは小さく舌を出す。
「何やってるの?」
突然背後からした声にびくりとして振り返ると、そこにはおっとりとした笑顔があった。
「な、なぁんだ、トーコ。トーコこそどうしたのよ?」
「だって私、解毒係だもの」
「……ああ、そういえばそうよね」
「何か気になることでも?」
「まあね。ちょっと、フォンドラドルードの蔵書にヒントがないかと思って」
「ヒント? ……ああ、『ファントム・ブリンガー』の?」
「ええ」
頷き、何気なく書庫の扉の方を見た時、マリーの心に疑問が沸き起こった。
「解毒って、もう終わったの?」
「そうよ。戦った時にどういう毒かもわかったし、遠子さんにかかれば、ちょちょいのちょいよ。あとは念のための確認と、お片づけね」
遠子は言って指をくるくる回し、おどけて見せる。それはとても、彼女らしい仕草だった。
「流石ね。……そういえば、遠子はどうしてあの結界のことを知っていたの? マスターから聞いたとか?」
「いいえ。町を守る結界だから、きっと上手くいくんじゃないかって思ったの」
「そう……そうよね。『アパート』の近辺では、何が起こるかわからないものね」
「それじゃ、マリーちゃん、私も行ってくるわね。また後で」
白い鹿の像の間を潜り抜け、彼女の姿が完全に書庫の中へと消えたのを見送ってから、マリーは小さく呟く。
「……ありえない」
先ほど扉の中へと入っていったスタッフも明らかに普通の服で、特に何の結界を張っているようにも見えなかった。毒の処理は、本当にあっという間に終わったのだろう。
今までであれば、何の違和感も覚えなかったに違いない。戦ったのが、マリーの作り出した結界を瞬時にすり抜け、祥太郎の力をも簡単にかわしてしまうような相手でなければ。
「ありえないわ」
そしてマリーは結界師だった。
未熟なところもあるとは自覚している。しかし名家と呼ばれるフォンドラドルード家の一員として生まれ、幼い頃から修行を積んできた。あれほど強力な結界の近くにずっと住みながら、その存在に気づかないなど、ありえない。シミュレーターで過去へと行ってしまった時のように、力を封じられていたという訳でもないのに。
扉を見たまま数歩下がり、それから踵を返して歩き出す。その足取りは、次第に速くなっていった。
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