詫び石と魔法の書庫 5

 閉められたシャッターが、町を灰色に染める。オウンガイアの騒動の時とは違い、流れるゆったりとした音楽が、その光景を余計に寂しげに見せた。

 掲げられた『つるみや』の文字を眺めながら腕を組み、せわしなく指先を動かしていたマリーはふと顔を動かし、さいを見る。


「サイ、あとどれくらい時間がある?」

「そうだな……あって10分ってところか」

「早く結界のデザインを考えないと。……ショータロー、猛毒の連撃ってどんな風なの? 想像がつかなくて」

「どんな風って言われても……シュシュシュって感じで」

「シュシュシュ? もっと具体的に何かないの?」

「そうだなぁ……全体攻撃はさ、魔法で跳ね返したり、防御高めると防げるんだけど、連撃はそれを突き抜けてくるんだよ。一撃一撃は軽いんだけど――って、どした? マリー」

「これ、思ってたよりまずい状況なんじゃない?」


 急に頭を抱えたマリーを見て、きょとんとする祥太郎。しかし自身の口にした内容を反芻し、その理由にようやく気づく。


「ああ、そっか。いやでもさ、あくまでゲームの話だし」

「甘く見られる相手じゃないのは確かよ。そんなにお手軽な相手なら、あんなにブックマーカーたちが一方的にやられるなんてことはないし、わたしだって結界で全部の本を守れたもの」


 悔しげな表情で言う彼女の肩を、ぽんぽんと優しく叩く手。

 振り向けば、普段の遠子の笑顔がある。


「大丈夫よマリーちゃん、私、解毒とか得意だから」

「だって猛毒なのよ!? 即死級だったらどうするの!?」

「……遠子さんの薬だったら、毒にかかるのを防いだりもできます?」


 そこでおずおずと口を挟んできたのは理沙りさだった。


「ええ、もちろん」

「じゃあ、みんなの体に塗れば!」

「あいにく塗り薬はなくて……」

「トーコ、そのくらい融通きかせなさいよ!」

「おい、多分そろそろだぜ。早く対策立てないと」


 じっと様子をうかがっていた才が、低い声で告げる。


「そんなこと言われても――わかった、とにかく時間を稼ぐから、みんなも何か考えといて」


 言ってマリーは扇を取り出し、儀式を行い始める。しばらく衣擦れと、靴が地面を叩く音だけが周囲に広がった。

 そこに、生ぬるい風が流れる。異変を真っ先に察知したのは理沙。


「来ます!」


 その時には既に、マリーの術は完成していた。


「『咲き誇る薔薇の迷宮ロージー・メイズ』!!」


 敵の姿が空中から生れ出たのと同時に放つ。地面から伸び、幾重にも重なった結界が、女をあっという間に包み込んだ。

 だが――。


「すり抜けてくる!?」


 自らを囲むオーロラのような輝きを少しだけ眺めた後、女は姿を消したり表したりを繰り返しながら、まるでそれが存在しないかのように移動を始める。


「嘘でしょ!? 全く効果がないだなんて……」

「相性が悪かったんじゃない? あまり気にすることないわ」


 遠子がお気楽なことを言いながら、どこからか取り出した袋から粉をばらまく。


「理沙ちゃんお願い!」

「はぁっ!!」


 それに理沙が、溜めていたをぶつけた。


「弾けて!」


 一気に膨張したエネルギーの風に乗り、あたりは霧が立ち込めたように白くなる。


「けほっ。――ちょっと何なのこれ? 前が見えないんだけど」

「マリーちゃん来るぞ! 12時、2時、3時の方向!」

「『虚空の宴エンプティー・パラダイス』!!」


 しかしそんな中で、マリーも準備はしていた。才の声に導かれ、生れ出たいくつもの黒い円盤が、現れた赤い鎌を辛うじて受け止める。その衝撃で飛び散った赤黒い風は、白い霧にまとわりつかれてすぐに見えなくなった。


「うん、毒は上手く中和できたみたい」


 満足げに頷く遠子を一瞥し、今までほとんど動くことのなかった女の顔に、憎々しげな表情が乗る。


「飛べ!」


 その隙を狙い、祥太郎も仕掛けた。強くイメージしたのはテストルーム。そこに飛ばすのが一番安全だと思ったからだ。しかし意識の指先は女の体を捉えられず、空回りしてしまう。かつてない感覚に、焦りが生まれた。


 ――風が起きる。女の姿が霧の中へと紛れる。


 次の瞬間、その姿は祥太郎の目の前にあった。にやりと笑う顔に穿たれた、深淵のように虚ろな瞳。

 頭が真っ白になる、身動きが取れない。幾本もの赤黒い鎌が振り上げられたその時――衝撃は横から来た。


「大丈夫ですか!? 祥太郎さん!」


 次いで来る背中への痛み。せき込みながら、とにかく急いで体を起こした。あちこち痛んだが、自分の今までいた地面に毒々しい色の鎌が突き刺さっているのを見ると、そんな痛みも一瞬で吹き飛んでしまう。


「あ、ありがとう、理沙ちゃん」


 転移することもままならなかった。理沙がで弾き飛ばしてくれなかったら、命はなかったかもしれないと思うと、ぞっとする。

 そして『レディ・サウザンド』は、いつの間にか姿を消していた。


「また消えた!? このままこの区画の外に出られたら――」

「きっと大丈夫よマリーちゃん。結界があるし」

「確かに、あるにはあるけど――」


 『アパート』管轄区の周囲には、町に溶け込むような形で結界が張り巡らされている。それは何も知らない一般人が出入りしてしまうのを阻むほか、緊急時にも役立てられていたが、そういう場合は状況に合わせて強化をするのが一般的だった。


「あの能力じゃ、またすり抜けられちゃうかもしれないじゃない。わたしが強化したところで……」

「才くん、彼女が次どこのあたりに出現するか視える?」

「んーと……いたいた。22番地のとこの出口だ」

「祥太郎くんは体大丈夫? とにかく行かなきゃ。マリーちゃんも、泣き言うのは後にして」

「わかったわよ」

「――いや待て」


 そこで才が目を細め、再び周囲に注意を払い始める。


「見失った。……多分、ルートが変わった」

「それって、未来が変わったってことですか? じゃあどうしましょう。みんなで手分けして探して――」

「とにかく、マスターに連絡してみよう」


 その時、ふいに遠くで爆発音がした。続いて煙が空へと昇っていくのが見える。



「『レディ・サウザンド』!? どういうことだ?」


 才の疑問に、誰も答えられるはずもない。

 転移してきた管轄区の入口の一つ。そこには、ヒステリックに見えない壁と格闘している女がいた。髪も服も振り乱すその姿からは、先ほどまでマリーの結界を突破した余裕は微塵も感じられない。


「マリーちゃん、この結界を利用しましょう」

「言われなくても!」


 遠子に頷き、マリーは素早く詠唱をはじめる。

 我に返った女が逃げようとした時には、術は完成していた。


「『囚われの舞踏会ダンス・オブ・コンファイン』!」


 結界から伸びた幾筋もの光が、女を抱きしめるように包み込んでいく。逃げるどころか、身動きすらままならない。まるでダンスの最中のように背中をそらせて首だけを動かし、その先にいた遠子を睨みつけたまま。


 ――『レディ・サウザンド』は、崩れ落ちるようにして

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