新春の幻 4

 男たちは押し黙ったまま、山を一歩一歩、登っていく。乾いた大地を踏み締める音が、木々の間にこだました。

 山に入ることを恐れているのは誰しも同じだが、長の指示とあれば仕方がない。


「いたぞ!」


 やがて先頭を行く者が鋭く声を上げる。前方で、細身の女がこちらを見下ろしていた。


「女だ! ――ひとりだけか!?」


 また別の者が声を上げる。次第に着物に描かれた花も鮮明に見えてくるが、近づかれても女は怯えの色一つ見せず、微笑んでいる。その余裕のたたずまいが、余計に彼らの不安を煽った。


「こんなところまでご苦労様」


 女はしれっと挨拶をし、それから懐に手を入れる。

 ――場に緊張が走った。しかしそこから取り出されたものを見て、男たちは判断に迷う。

 女の手にあるのは、小さな包み。白く細い指先は、迷うことなくそれを開ける。


「何をしている!」


 そこから舞う煙のようなものを見て、ようやく危険を感じた先頭の男が女に掴みかかろうとした。――が、その屈強な腕が届く前に、男の体がゆっくりと沈んでいく。女はそれを見下ろしながら、さっと片手を上げた。


「走って!」


 掛け声とともに、茂みから次々と人影が飛び出し、脇をすり抜けていく。慌ててそちらへ対処しようとしたが、粘膜に当たるざらっとした感触に、男たちは取り乱した。


「これは!?」

「ぶふぁっ、何だこの臭い!」


 また女が、あの粉を撒いたのだ。

 動揺は呼吸をも乱し、得体の知れぬものの侵入を許してしまう。抵抗しようという思いも空しく、男たちの意識は急激に薄れていく。

 呻き声はやがて、ばたばたと人が倒れ伏す音へと変わっていった。


 最後の一人が倒れるのを確認しながら女――遠子は口元を着物の袖で覆い、山を一気に駆け下りる。倒れた男たちは戦いの最中ということも忘れ、彼女の撒いた眠り薬で夢の中だ。


「遠子さん!」


 祥太郎が短く言って木の陰から手招きし、すぐに口元を手で覆う。全員、遠子が渡した抗睡眠薬を飲んではいるが、なるべく眠りの粉は吸収しないに越したことはない。

 ある程度離れ、誰も追ってこないのを確認してから、皆ようやく大きく息をつく。


「まさかあんな隠し玉持ってたなんて……先に言ってくださいよ、遠子さん」

「使う時になったら言おうって思ってたから」

「それより……長が災厄の元凶だというのは、本当なのですか?」


 戸惑いを隠せないニコに、遠子は静かに目を向けた。


「ええ、そう考えるのが自然だもの。私たちを捕らえるように言ったのも、長殿でしょう?」

「ですが……」

「優しい人だったのね。長殿」

「はい。あまりお会いする機会はなかったですが、祖母もわたしも気にかけていただきました」

「それならなおさら、止めに行かなきゃいけないんじゃない?」


 遠子はそう言って、答えも待たずに歩き出す。


「……どんな結果が待っていたとしてもね」


 その呟きは、ニコには届かなかった。


 ◇


 ニコの家付近でも男たちが数人待機していたが、静かにさせるのは苦もなく、それから長の屋敷まで誰にも遭遇することはなかった。

 ぐるりを囲む塀を一息に抜け、屋敷の奥へと駆ける。ニコの案内もあり、他の建物よりも立派な居宅はすぐに見つかった。


「どうなさった、客人」


 そこに乗り込もうとした矢先、部屋の中から飛び出すようにやってきて目の前を塞いだのは、最初に会った男たちだった。


「ニコ、これはどういうことだ?」


 問いかけられても彼女は上手く答えられず、黙って俯いている。


「客人って、私たちのことよね」


 その代わり、口を開いたのは遠子だった。


「当然でしょう」

「あなたたちのおもてなしって、お客を閉じ込めることを言うのかしら?」

「何を仰っているのやら」


 男は口の端を上げ、目を笑みの形に歪める。


「あちらでお待ちいただいただけでしょう。……ささ、お戻りください」

「でももう、宴は始まるんでしょう?」

「申し訳ありません。準備に手間取っておりまして」

「せっかくみんなでお散歩して時間潰したのに、まだかかるって」


 遠子は仲間たちに視線を送ってから、男の背後へと目を向ける。

 地面から高い位置にある床の先、部屋の奥のさらに一段高くなった場所に、御簾がかかっているのが見えた。


「あら、すてきな御簾」


 その奥には、動かぬ影。強引に近づいて覗き込もうとする彼女を、村人たちは遮る。


「なりません」

「あちらにいらっしゃるのは長よね? ご挨拶しないと」

「それはなりません。――皆、客人をお連れしろ!」


 男の呼びかけに応えて現れ、近づいてくる者たち。いつの間にか村人の数は増えており、すでに周りを取り囲まれている。山で遭遇した人数よりも、こちらの方が多い。


「これで皆さんお揃いね」


 だが、遠子たちはこれを待っていた。


「うわっぷ」

「いやっ!」

「ごほっ――これは何だ!?」


 それには誰も答えない。皆息を止め、口元を覆いながら、近づいて来る者たちに眠りの粉をぶつけていく。

 中でも身軽な格好をした祥太郎と理沙はジャンプをして長のいる建物の床へと飛び乗り、もがく村人を追い越して広間へと突入した。そして素早く薬を御簾の向こうへと投げ入れ、庭へと引き返してくる。


 ――振り向けば、御簾の奥で影が動くのが見えた。


 一瞬の緊張と、続く爆発音。天井の一部が吹き飛ぶのを見て、ニコが悲鳴を上げた。そこから飛び出した人影は、重力を感じさせない動きで屋根の上へと降り立つ。


 煙がおさまった後に現れたのは、さらさらと流れる黒髪と、煌やかな着物。まるで、平安絵巻から抜け出てきたかのような女だった。


「……小癪な」


 切れ長の目が、憎憎しげにこちらを見下ろしている。


「長……!?」


 ニコの目は、驚きに見開かれた。もちろんその人物が、彼女の知る長であるはずがない。


「本物の長殿はどうしたの?」

「そんなもの」


 遠子の問いに、女の口が、にぃっと頬まで裂ける。


「とっくに燃やしてやったわ。わらわがここを支配するには邪魔じゃからの」

「んー、ま、確かに美人っちゃ美人だけど。あんたみたいな性根の腐ったのに支配されたいなんて思うヤツ、いねーんじゃねーの?」


 才の軽口も、女は鼻先で笑い飛ばす。


「ふん、小童こわっぱが粋がりおって。二百年の時を生きるわらわに楯突くとは」


 笑みを浮かべるその顔からは、それだけのよわいは全く感じられない。


「なんだBBAか」

「誰がばばあじゃ!」

「怒るくらいならトシばらさなきゃいいのに。バカじゃないの?」


 未だに蓑虫なマリーが、呆れたように溜め息をつく。


「いかにも三下くさいよなー」


 祥太郎もそれに乗っかれば、遠子が穏やかにたしなめた。


「三人とも、今がどういう状況だか忘れてない?」

「……あ」


 思わず顔を見合わせた三人が視線を戻すと、女のこめかみがぴくぴくと引きつっている。


「ずいぶんと好き勝手を申すではないか。望みどおり――」

「先手必勝!!」


 その言葉を遮り、とにかく突進しようとした理沙の腕を、がっしりとつかむ手。


「えっ?」


 それは、ぐっすりと眠っているはずの村人のものだった。

 その目に理性の光はなく、ただ虚空を見つめたまま、彼女の腕をぎりぎりと絞る。


「――痛っ、やめてください!」


 しかしその訴えが届くはずもなく、力が緩むことはない。

 そして不気味な動きで近づいてくる姿は一つではなかった。眠っていたはずの全ての村人が立ち上がり、包囲網をじりじりと狭めていく。


「なんだこいつら!?」


 祥太郎が理沙の腕をつかむ女の手を引っ張るが、びくともしない。


「祥太郎さん、後ろ!」

「えっ? ――くそっ、離せ!」


 そのうち近づいてきたもう一人の女に、彼自身も捕らえられてしまう。


「なんて馬鹿力だ! みんな早く逃げろ!」

「そうしたいのはやまやまなんだが……遠子さん、どうします?」

「うーん……どうしようかしら」

「皆、あの女に操られてるみたいね」


 村人たちに合わせてじりじりと動いてはいるものの、逃げ場はどんどんと失われていく。


 ニコは端から相手にされていないらしく包囲網の外に置かれていたが、腰が抜け、恐ろしさに声も上げられないようだった。

 女は戸惑う皆を見て、高笑いを上げる。


「ほほほ……おぬしらが眠らせてくれたおかげで、心を支配するのが容易くなったわい。礼を言うぞ」


 それから若干の抵抗も空しく、ついに三人も捕まる時が来た。


「さて、わらわの邪魔をした罪は重い。どう料理してくれようか――そうじゃ、まずは謝罪をしてもらおうかの」


 その姿を見てまた可笑しげに笑い、女はふわりと地面へと降り立つ。そして真っ赤な爪の先で、才、マリー、祥太郎を順に指差した。


「悪いことをしたら謝るのが道理というものじゃろう。でなければ天罰が下るもの。なぁ、小童ら?」


 それから恍惚とした表情で、じり、じりと三人へと近づいていく。


「ああ、どのような謝罪が良いじゃろうか。土下座か? それとも裸踊りか? いやいや、そんなものは生ぬるい。もっともっと――」


 ごちっ。


「あうっ」


 その時、頭上から降ってきた何かが鈍い音を立て、女の頭に命中した。

 女は思わずよろけて膝をつき、降ってきた物体は、ごとっと地面に落ちる。


「あ、俺のPC」

「貴様ら、一体何を――」


 女は慌てて体を起こすと、憎しみと痛みで歪んだ顔をこちらへと向けた。


 ずどん。


「ぐへぇっ!」


 その直後、今度は先ほどよりも巨大な物体が降ってくる。


「あら、消えた本棚」


 起き上がりかけた女は、もろにその下敷きとなっていた。


「あっ、『ゲート』!」


 そしてそれらを投げ落としたのは、空に開く黒い穴。


「……ん? 体が軽くなったぞ」

「うわっ、俺のPCが!」


 呟く祥太郎の隣で、才が悲鳴を上げる。その視線の先では、銀色のノートPCが書架に潰され、大きく変形していた。

 そして愕然としている人物が、もう一人。


「わ、わらわの秘術石ひじゅつせきが……」


 何とか書架の下から抜け出した女の手のひらの上には、粉々になった赤い石が乗っている。本棚とPCに挟まれ、すり潰されてしまったらしい。

  

「どうやら、今ので結界が壊れたみたいね」


 遠子が言うと、女は憤怒に満ちたおもてを上げた。


「き、さ、ま、ら――!」


 怒りは稲光となり、あたりにほとばしる。その一筋は庭にあった石造りの噴水に当たり、粉々にした。


「今度は、私たちの番よね」


 だが遠子は涼しげな顔で言う。すると彼女を捕らえていた手からすとんと力が抜け、男が崩れ落ちた。

 彼女が自由になった指をぱちん、ぱちんと鳴らすたびに、村人は次々とその場に倒れ伏していく。


「た、助かった……ニコちゃん大丈夫?」

「は、はい……わたしは、な、なんとか」

「痛かった……ちょっとあざになってる!」

「折り目がついちゃったわ。クリーニングに出さないと」

「うわ……ほぼ割れてる……」


 女は自由になった面々を見て、驚きの表情を浮かべた。


「何を――わらわの術を追い出したというのか!?」

「当然じゃない」


 遠子は言って、胸を張ってみせる。


「だって遠子さん特製のお薬が、この人たちの体に入ってるんだもの。――祥太郎くんお願い。彼らを避難させて」

「了解!」


 倒れた村人たちは、今度は次々と姿を消していく。


「ニコはここにいてもらったほうがいいかしら? 大丈夫よ、きちんと守るから」


 通常形態に戻ったマリーが扇を振れば、ニコの周りを見えない壁が覆った。


「マリーちゃん、前方から火炎!」


 その背中に、才の鋭い声がかかる。


「邪魔者は全て燃やし尽くしてくれるわ! ――何っ!?」


 波のように打ち寄せた業火が一瞬にして消え失せると、女は小さく声をあげ、すぐに新たな術の準備へと移った。


「次は稲妻だ! 真上と10時方向、2時方向!」

「任せといて!」


 しかし発動する直前で才に見破られ、空に突如現れた円形の闇に吸い込まれて消える。


「貴様ら、何者だ!?」


 流石に女の顔からは、余裕の色が抜け落ちていた。


「あなたも中々の術者だけれど、わたしたちのチームと当たってしまったのが運の尽きよね。行いが悪いから天罰が下るんじゃない?」


 マリーがここぞとばかりに言い返すと、女の表情はさらに醜く歪む。

 形勢逆転。今度は迫られる立場となり、じりじりと後ずさる女。


「こっちは行き止まりです!」


 だが逃げようと踵を返したその先には、祥太郎と理沙がいた。

 息を呑んだ一瞬で、その体は至近距離にまで移動する。理沙の手が、軽く女の鳩尾へと触れた。


「『ライトニング手のひら.com』!」

「――っはっ」


 そこから伝わった衝撃波により、女はあっさりと気絶する。

 急に訪れる静寂。ニコは信じられないという表情で、再び地面へとへたり込んだ。


「ライトニング――ドットコム?」

「えへへ、今名前考えちゃいました! 手のひらに気がこもってる感じも表現できてて、すごくないですか?」

「はぁ……まぁ」


 祥太郎は上機嫌な理沙に曖昧に答え、地面に横たわったまま動かない女を見た。


「凄いのは確かかな」

「間違いねぇ! あの『ゲート』は、アパートにつながってる」


 ハイタッチをする二人の向こうでは、『ゲート』をじっと見つめていた才の声が上がる。


「完全に閉じちまうまで、十五分ってところか。急がねーと! この女はどうする?」

「さすがにこのままここへ放っておくわけにはいかないわよね。連れて帰って、マスターに任せましょう」


 遠子がマリーを見ると、彼女も神妙な顔で頷いた。


「わかってる。あんな厄介な術を使うやからだもの。気合を入れるわ」


 マリーは女のそばまで行くと、舞うように扇を動かし、厳かに告げる。


「イーア・イルス・イーヴェ――我、フォンドラドルードの盟約に連なる者なり。大地をいだき、天翔あまかける精霊たちよ、ここに集いて魔を封じるひつぎとなれ」


 それから常人には聞き取れない速さの言葉を口から紡ぎ出す。それは軋むような音となり、あたりに風を巻き起こした。


「『常闇の結実コアグレーション・オブ・ダークネス』!」


 そして一際強く放たれた言葉とともに、小さな黒い炎が生まれ出る。それは女を囲む六つの点となった。くらい光がほとばしる度に、炎を頂点とした闇色の六角形が濃くなり、体を覆い隠していく。


 やがて風がおさまった後には、黒い結晶が地面に横たわっていた。


「マリーちゃん、理沙ちゃんに対抗してカッコいい演出してる間に、あと五分しかないぜ!」

「演出じゃないわよ! ドットコムと一緒にしないで!」


 才とマリーが言い合っている間に、理沙は結晶を片手でひょいと持ち上げる。


「二人ともドットコムを気に入ってもらえたのは嬉しいんですけど、落ち着いて。……才さん、あそこまで行ければ、帰れるんですよね?」

「ああ。『ゲート』の中にさえ入っちまえば、自然にアパートに戻れるはず。――祥太郎、頼んだ」

「OK」


 祥太郎も、大分小さくなった空の『ゲート』を見た。不満を並べ立てていたマリーも、流石に黙るしかない。


「ああ、そうだ、ニコちゃん」


 遠子はまだ呆然としているニコに向かって、小さな包みをいくつか差し出す。


「これ、解毒剤。眠ってる人たちは自然に起きるけど、もしあまり長く起きない人がいたら使って」

「本当に短い間でしたけど、ニコさんと友達になれてよかったです!」

「とも……だち、だなんて。そんな」

「またどこかで会えるといいわね、ニコ」

「ニコちゃん! ――ぶっ」


 抱きつこうと手を伸ばした才は、袴の裾をマリーに踏まれ、地面へと顔面から突っ伏す。顔はひどい有様になったが、そのおかげでニコの緊張は少し解けたようだった。


「か、神様、本当に行ってしまわれるのですか? 長もいなくなられて、わたしたち、これからどうすれば良いのか――」

「ニコちゃん。あなたが長になって、この村をまとめればいい」

「そんな! そんなことわたし……できません!」


 涙を浮かべて取り乱す彼女に、遠子は優しく笑む。


「出来るわ。だってニコちゃんはこの村や村の人たちが大好きで、誰よりもみんなのことを考えていたもの。悪い術にも嵌ったりしなかったし、私たちのことも助けてくれた。そのおかげでもうすぐここ一帯は、肥沃な大地に戻る」

「で、でも……」

「じゃあ別に、みんなで頑張ればいいじゃない。何にしてもニコちゃんの先見の明は役に立つから」

「あと一分で閉まるぜ! 行かなきゃ!」


 才の切羽詰った声。祥太郎が意識を集中すると、才、マリー、結晶を抱えた理沙が一瞬にして転移した。


「元気でね。ニコちゃんならきっと、みんなを助ける巫女になれるわ」


 ニコの手を握り、手を振った遠子の姿もすぐに掻き消える。


「ニコちゃん、短い間だったけど、ありがとな!」

「神様――」

「祥太郎」

「えっ?」

「僕は祥太郎っていうんだ。『神様』じゃなくてさ」


 そして、祥太郎もこの地を離れる。

 その直前、ニコの口が何事かを呟くのが見えた気がした。

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