そこそこのチカラ

そこそこのチカラ 1

 やわらかで心地よい感触。まだ夢の中にいるかのような意識の中、ぼんやりと向けた瞳の先には、それがあった。

 二つの美しいふくらみ。それを覆うカラフルな布地は、朝日を艶やかに弾き返す。

 視線は一旦下がり、同じくひらひらと鮮やかな布地の上の円い窪みと曲線に彩られた谷間を通って、きょとんとした顔へとたどりつく。

 その顔が、眩しい笑みを見せた。


「あまな……ちゃん……?」


 思わず呟く。彼女はそれを聞き、不思議そうな顔で首をかしげた。

 まだ、もやが掛かったような頭で見回してみても、見慣れた部屋に間違いない。横たわる体にかかる布団の感触も、肉感的な重みも、現実だとしか思えなかった。

 ゆっくりと、手を伸ばす。恐る恐る触れた細い指の先が泡のように消えてしまうことはなく、無邪気な仕草でこちらの手をぎゅっと握りかえされる。


「夢、じゃない……?」


 勢いよく体を起こすと彼女がよろけた。ベッドから落ちないように、思わず肩を両手でささえる。


 ――どくん、と心臓が跳ね上がった。


「いや、まさか――やっぱり、夢だよな。こ、こんなはっきりした感触があるが夢に違いない。だだから何をしてもきっと――」


 そのまま静かに顔を近づけた。彼女はやはり不思議そうな顔をしているものの、逃げることはしない。唾を飲み込み、距離をさらに縮めていく。


 その時、かすかな違和感をおぼえた。


 彼女の顔色が変わっていく。

 青ざめ――いや、黒ずんでいくかのように見える。

 しかし表情は変わらない。あくまで不思議そうな顔で、首をかしげる。


「――ひっ」


 小さな声が口から出た。しかし目の前の女は、また首をかしげながら近づいてくる。

 その瞬間、ごそっと頬の肉が削げ落ちた。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」


 悲鳴が、『アパート』の一角に響く。寝ぼけた顔で歯を磨いていた祥太郎しょうたろうは、思わず口から泡を噴き出した。


「にゅあんだ今の悲鳴!? さいの部屋からか!? まあいいか。――いや、やっぱ良くないか」


 とりあえず何度かうがいをし、飛び散った泡をタオルで拭いてから外へと出る。


「おい才、どうした?」


 才の部屋の前まで行き、ドアをどんどんと叩いてみるが、反応はない。どうするべきか少しだけ迷いはしたが、とにかく中へと入ってみることにした。意識を額のあたりへと集めれば、硬いドアは溶けるようにして消え、次の瞬間にはダークブルーを基調とした部屋の中へと移動している。


「おーい」


 呼びかけてみるが反応はない。よく整理されたリビングには誰の姿もなかった。こみあげてきた緊張感の中、今度は足を忍ばせながらキッチンを覗き、寝室へと向かう。そこのドアは、少しだけ開いていた。

 そっと、そこから様子を窺う。カーテンの隙間から差し込む光の中、ベッドの上では才ともつれ合う棒人間の姿。


「お、お前、まさか棒人間にまで手を出すなんて――!」


 つい上げた祥太郎の声に、返ってきたのは意味不明の言葉だった。


「ああああま、あままま」

「あまあま?」

「あままま、あまなちゃんが棒人間に……」


 そして才は、それきり動かなくなる。


 ◇


「特に体に異常は見られない。何か意識が現実逃避したくなるような出来事にあったのだろう。放っておけば回復すると思われる」


 ドクターは巨大な虫眼鏡をしまうと、白衣をがしゃがしゃといわせながらドアの方へと向かう。

 医務室には、いつものメンバーが集まっていた。白いベッドに横たわる才は、苦悶の表情を浮かべたままで寝ている。


「師匠……師匠は、大丈夫なんだっピ?」

「さっきドクターが大丈夫って言ってただろ? あの人ちょっとアレだけど、腕は確かみたいだし」

「アレとはどういう意味だね、転移少年」

「うわっ、ドクターまだいたんすか!?」

「別に私はどこへも出ていないぞ。観葉植物に水を与えに向かっただけだ。さあ、アレとはどういう意味なのか、具体的に言ってみたまえ」

「い、いやそれは……」

「ところで棒人間ちゃん。棒人間ちゃんは、本当に才くんに襲われたのかしら?」


 言葉に詰まる祥太郎を助けたのは、遠子とおこののんびりとした声だった。


「なんで師匠がボクを襲うっピ?」

「じゃあ、お前が才を襲ったのか?」


 すかさず祥太郎も話の輪へと加わる。その言葉にも、棒人間は首をかしげた。


「そんなことしないっピよ」

「なら一体、何があったんだよ?」


 棒人間は、今度は少し考えるようにしてから、言葉を続ける。


「……この前、ドクターがぶん投げた武器が当たった後、ボクは意識がモウロウとしながら、アパート内をさまよったっピ」

「ああ、そういやそんなことあったなぁ」

「あれは武器ではない。注射器だ」

「ドクター、棒人間さんのアフターケア、一切しなかったんですね……」

「まあ、わたしたちもリドレーフェたちのことで手一杯で、すっかり忘れてたけれどもね」

「とにかく、いつの間にか師匠の部屋までたどり着いたっピ。それで、ヒトを見たんだっピ。そしたら体が熱くなって、こう、にゅいーんぼいーんと伸びて広がる感じがしたっピ」

「人って……他にも誰かいたのか?」

「ううん、誰もいないっピ。でもヒトは見たっピ」

「誰もいないのに……わかった、TVとか本とか、ポスターとかじゃない?」

「なるほどー、そういえば……」


 遠子の言葉を聞き、祥太郎は、気を失う前に言った才の言葉を思い出す。


「あまなちゃん……もしかすると、市原いちはらあまなか?」


 それからすぐに携帯を取り出し、画面を皆の方へと向けた。そこには水着姿で微笑むアイドルの画像が表示されている。


「ほら棒人間。こんなヒトだったか?」

「それっピ! そのヒトを見たっピ!」

「市原あまな……わたしは聞いたことないけど、有名なの?」

「あたしも芸能人とかよく知らないからなぁ」

「私、もしかしたら見たことあるかも。ドゥン、ドゥンドゥドゥドゥン♪ っていうCMに出てる子じゃない?」

「そうそうそれ! ほら、そこそこ可愛いだろ。歌も演技もやる気もそこそこ、そこそこアイドルの市原あまな。俺もそこそこ好き」

「それを売りにしてやっていけるのね……」


 呆れたように言うマリーに、祥太郎の声は熱を帯びる。


「違うんだよ、市原あまなの凄いところはさ、ビジネスそこそこじゃないところなんだよな。本気のそこそこだから。その絶妙なバランスなんだよ」

「全く褒めてるように聞こえないんだけど」

「だからー、なんか親近感湧くじゃんか、そこそこだと。そこがいいの!」

「とりあえずショータローは、そこそこじゃなくてかなり好きってことだけは伝わってきたわ」

「それで?」


 話が進まないので遠子が促せば、棒人間は続ける。


「師匠に相談しようと思ったんだけど寝てたから、ボクは師匠が起きるまで待ってたっピ」

「話から察するに、サイにはボーニンゲンがアマナに見えたってことでしょうね」

「成る程。恐らく薬剤が棒人間の体に何らかの影響を及ぼしたんだろう。よし、早速検証してみよう」

「へ? っピ」


 急に話に割って入ったかと思うと、ドクターは白衣の背中から注射器を颯爽と引き抜き、構えた。


「や、やめるっピ! 暴力反対っピ!」

「医学の発展のためだ。やむを得ん」

「やめてぇぇぇぇぇっピ!!!!」

「ドクター見てると、医学ってなんだろうって気がしてきます」


 理沙りさが医務室を駆け回る二人を見て、ぽつりと言ったその時だった。

 『コンダクター』が鳴り、それからマスターの声が響く。


『祥太郎君、理沙君、マリー君。至急ミーティングルームまで来てくれ』

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