そこそこのチカラ

そこそこのチカラ 1

 やわらかで心地よい感触。まだ夢の中にいるかのような意識の中、ぼんやりと向けた瞳の先には、それがあった。


 二つの美しいふくらみ。それを覆うカラフルな布地は、朝日を艶やかに弾き返す。

 視線は一旦下がり、同じくひらひらと鮮やかな布地の上の円い窪みへとたどり着いた。曲線に彩られた谷間をゆっくりと戻った先には、きょとんとした愛らしい顔。

 その顔が、眩しい笑みを見せた。


「あまな……ちゃん……?」


 思わず呟く。彼女はそれを聞き、不思議そうに首をかしげた。

 まだ、もやが掛かったような頭であたりを見回してみる。見慣れた部屋に間違いない。横たわる体にかかる布団の感触も、肉感的な重みも、現実としか思えなかった。

 ゆっくりと、手を伸ばす。恐る恐る触れた細い指の先が泡のように消えてしまうことはなく、無邪気な仕草でこちらの手をぎゅっと握りかえされる。


「夢、じゃない……?」


 勢いよく体を起こすと彼女がよろけた。ベッドから落ちないように、思わず肩を両手でささえる。


 ――どくん、と心臓が跳ね上がった。


「いや、まさか――やっぱり、夢だよな。こ、こんなはっきりした感触があるが夢に違いない。だだから何をしてもきっと――」


 そのまま静かに顔を近づけた。彼女はやはり不思議そうな顔をしているものの、逃げることはしない。唾を飲み込み、距離をさらに縮めていく。


 その時、かすかな違和感をおぼえた。


 彼女の顔色が変わっていく。

 青ざめ――いや、黒ずんでいくかのように見える。

 しかし表情は変わらない。あくまで不思議そうな顔で、首をかしげる。


「――ひっ」


 小さな声が口から出た。しかし目の前の女は、また首をかしげながら近づいてくる。

 その瞬間、ごそっと頬の肉が削げ落ちた。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」


 ◇


 悲鳴が、『アパート』の一角に響く。寝ぼけた顔で歯を磨いていた祥太郎しょうたろうは、思わず口から泡を噴き出した。


「にゅあんだ今の悲鳴!? さいの部屋からか!? まあいいか。――いや、やっぱ良くないか」


 とりあえず何度かうがいをし、飛び散った泡をタオルで拭いてから外へと出る。


「おい才、どうした?」


 才の部屋の前まで行き、ドアをどんどんと叩いてみるが、反応はない。どうするべきか少しだけ迷いはしたが、とにかく中へと入ってみることにした。意識を額のあたりへと集めれば、硬いドアは溶けるようにして消え、次の瞬間にはダークブルーを基調とした部屋の中へと移動している。


「おーい」


 呼びかけてみるが反応はない。よく整理されたリビングには誰の姿もなかった。こみあげてきた緊張感の中、今度は足を忍ばせながらキッチンを覗き、寝室へと向かう。そこのドアは、少しだけ開いていた。

 そっと、中の様子を窺う。カーテンの隙間から差し込む光の中、ベッドの上では才ともつれ合う棒人間の姿。


「お、お前、まさか棒人間にまで手を出すなんて――!」


 つい大きくなった祥太郎の声に、返ってきたのは意味不明の言葉だった。


「ああああま、あままま」

「あまあま?」

「あままま、あまなちゃんが棒人間に……」


 そして才は、それきり動かなくなる。


 ◇


「特に体に異常は見られない。何か意識が逃避したくなるような出来事にあったのだろう。放っておけば回復すると思われる」


 ドクターは巨大な虫眼鏡をしまうと、白衣をがしゃがしゃといわせながらドアの方へと向かう。

 医務室には、いつものメンバーが集まっていた。白いベッドに横たわる才は、苦悶の表情を浮かべたままで寝ている。


「師匠……師匠は、大丈夫なんだっピ?」

「さっきドクターが大丈夫って言ってただろ? あの人ちょっとアレだけど、腕は確かみたいだし」

「アレとはどういう意味だね、転移少年」

「うわっ、ドクターまだいたんですか!?」

「別に私はどこへも出ていないぞ。観葉植物に水を与えに向かっただけだ。さあ、アレとはどういう意味なのか、具体的に言ってみたまえ」

「い、いやそれは……」

「ところで棒人間ちゃん。棒人間ちゃんは、本当に才くんに襲われたのかしら?」


 言葉に詰まる祥太郎を助けたのは、遠子とおこののんびりとした声だった。


「なんで師匠がボクを襲うっピ?」

「じゃあ、お前が才を襲ったのか?」


 すかさず祥太郎も話の輪へと加わる。その言葉にも、棒人間は首をかしげた。


「そんなことしないっピよ」

「なら一体、何があったんだよ?」


 棒人間は、今度は少し考えるようにしてから、言葉を続ける。


「この前、ドクターがぶん投げた武器が当たった後、ボクは意識がモウロウとしながら、アパート内をさまよったっピ」

「ああ、そういやそんなことあったなぁ」

「あれは武器ではない。注射器だ」

「ドクター、棒人間さんのアフターケア、一切しなかったんですね……」

「まあ、わたしたちもリドレーフェたちのことで手一杯で、すっかり忘れてたけれどもね」

「――とにかく、いつの間にか師匠の部屋までたどり着いたっピ。それで、ヒトを見たんだっピ。そしたら体が熱くなって、こう、にゅいーんぼいーんと伸びて広がる感じがしたっピ」

「人って……他にも誰かいたのか?」

「ううん、誰もいないっピ。でもヒトは見たっピ」

「誰もいないのに……? ――わかった、TVとか本とか、ポスターとかじゃない?」

「なるほどー、そういえば……」


 遠子の言葉を聞き、祥太郎は、気を失う前に言った才の言葉を思い出す。


「あまなちゃん……もしかすると、市原いちはらあまなかな?」


 それからすぐにスマホを取り出し、画面を皆の方へと向けた。そこには水着姿で微笑むアイドルの画像が表示されている。


「ほら棒人間。こんなヒトだったか?」

「それっピ! そのヒトを見たっピ!」

「市原あまな……わたしは聞いたことないけど、有名なの?」

「あたしも芸能人とかよく知らないからなぁ」

「私、もしかしたら見たことあるかも。ドゥン、ドゥンドゥドゥドゥン♪ っていうCMに出てる子じゃない?」

「そうそうそれ! ほら、そこそこ可愛いだろ。歌も演技もやる気もそこそこ、そこそこアイドルの市原あまな。僕もそこそこ好き」

「それを売りにしてやっていけるのね……」


 呆れたように言うマリーに、祥太郎の声は熱を帯びる。


「違うんだよ、市原あまなの凄いところはさ、ビジネスそこそこじゃないところなんだよな。本気のそこそこだから。その絶妙なバランスなんだよ」

「全く褒めてるように聞こえないんだけど」

「だからー、なんか親近感湧くじゃんか、そこそこだと。そこがいいの!」

「とりあえずショータローは、そこそこじゃなくて、かなり好きってことだけは伝わってきたわ」

「それで?」


 話が進まないので遠子が促せば、棒人間は続ける。


「師匠に相談しようと思ったんだけど寝てたから、ボクは師匠が起きるまで待ってたっピ」

「話から察するに、サイにはボーニンゲンがアマナに見えたってことでしょうね」

「成る程。恐らく薬剤が棒人間の体に何らかの影響を及ぼしたんだろう。よし、早速検証してみよう」

「へ? っピ」


 急に話に割って入ったかと思うと、ドクターは白衣の背中から注射器を颯爽と引き抜き、構えた。


「や、やめるっピ! 暴力反対っピ!」

「医学の発展のためだ。やむを得ん」

「やめてぇぇぇぇぇっピ!!!!」

「ドクター見てると、医学ってなんなんだろうって気がしてきます」


 理沙りさが医務室を駆け回る二人を見て、ぽつりと言ったその時だった。

 『コンダクター』が鳴り、それからマスターの声が響く。


『祥太郎君、理沙君、マリー君。至急ミーティングルームまで来てくれ』

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