愛され女子の絶対法則教わります

笹井 理穂子

プロローグ

プロローグ

 提出すべきレポートを出し終え、定期試験の日程をすべて終えたというのに、とうてい喜ぶ気になれず、私はベンチに座り、行きかう人々を眺めていた。

 暗い表情をしているであろう私とは対照的に、大学構内を行きかう人々の顔は輝いている。

 いや、まあ、ね。

 そりゃみんな嬉しくて仕方ないんだとは思う。

 試験が終われば待ちに待った夏休みだもんね。

 海やプール、それに、新しい出会いとか。

 それなりのルックスおよび人付き合いのできる輩なら、そういうワクワク感いっぱいのバケーションが、待っているのかも知れず、楽しい気分になるのも当然だ。

 私がどうこう言うべきではないのかも知れない。

 だが、しかし!

 私はこぶしを固くにぎり、大地を踏みしめるようにして立ち上がった。

 昨日から私が置かれている危機的状況を全く知らずに、知ろうともせずに、こんなことがあるなんて、と驚くことすらなく、楽しもうとしている人々の群れ。

 このあふれんばかりの不公平感。

 これが許せるのか、私っ! 

 否、断じて許せないわっ!

 ええい、今すぐ何人かひっとらえて、私のこの気持ちを情感たっぷりに訴えてやる!

「あんた、何、面白いこと考えてんのよ」

 耳元で囁かれた声に、私は文字通り飛び上がった。

 まさか。

 まさか、そんな!

 飛び上がった拍子にずれた眼鏡を両手で持ち上げるようにして、おそるおそる仰ぎ見ると、そこには思った通りのモノが浮いていた。

「な、な、なななんで! 今、昼間ですよ」

 さきほどまでの勇ましさはどこへやら、自分の声が情けなく震えているのがわかる。

「それが?」

 声の主は、私の頭の上をふよふよと漂っている。

「フツーに驚くでしょ。今は夜じゃないし、さらに言うと、ここ、外ですよ。真っ昼間の人気の多い場所ですよ。夕方の音楽室とか、トイレなんかでもないんですよ」

 言い募ると、彼女はかわいそうな子を見るような目で私を見た、ような気がした。

 どういうわけか顔が見えないのだ。

 ちょうど顔のあたりに、濃い霧がかかっているようで、そこだけ見えない。

 もし見えて、目が白目だったりすると、余計怖いので、それはそれでいいんだけど。

「あのねえ、あたしはあんたに憑いてるの。憑依してるの。つまりあんたがいるところはあたしの場所。そして、あんたのものはあたしのもの。もちろん、あたしのものもあたしのものだけどね、カッカッカッ」

 某有名漫画のゴツイこどもですか、あんたは、と突っ込みたいところをぐっとこらえる。

 時代劇の悪役みたいな笑い声を立てている彼女は、真夏を感じさせる日差しをもろともせず、私の頭上に浮いている。

 やっぱりこの現実を受け入れるしかないのだ。

 生きている人ではないモノとお友達になってしまったいうこと。

 そう。

 私、相川紀子あいかわのりこは幽霊に取り憑かれてしまったのだという現実を。


              *****


 なぜ、幽霊に取り憑かれるようなことになったのか、それを語るには、私が貧乏だということを、知ってもらわなければならない。

 両親が早くに死んでしまい、私はずっと叔母夫婦に育てられた。

 優しい彼らはものすごく良くしてくれたけど、商売がうまくいかず、とにかくお金がなかった。

 まだ子供で、稼ぎに出ることができない私は家事を一手に引き受けた。

 おかげで掃除や洗濯はお手のものだし、節約料理がものすごく上手になったので、それはそれでよかったんだけど。

 テレビもなく、ゲーム機もなく、習い事に行くことも、塾に行くことも望めない私は、一人きりの時間を、もっぱら近くの図書館で過ごした。

 中学生、高校生になってもそれはかわらず、部活に入ったり、みんなとお茶することもできなかった私には、本だけが友達の毎日だった。

 結果、おしゃれにも恋愛にも縁がないまま、成績だけは優秀な、そして頭でっかちな女子に育ってしまった。

 トレードマークは黒縁メガネ、髪の毛は美容院に行くのがもったいないので、腰まである髪の毛を黒ゴムで一本にくくるのが定番だ。

 もちろん、高校卒業後は働くつもりでいた。

 大学に行きたいという気持ちはあったけど、それは、純粋に学問を究めたいという気持ちからではなかったし、家計に余裕がないことは十分すぎるほどにわかっていたから。

 でも叔母は、将来のことも考えると絶対大学に行ったほうがいいと、強く進めてくれた。

 さんざん迷った末、叔母の熱意に感謝して、進学を決めたものの、これ以上、二人にお金をかけさせるわけにはいかないと思った。

 奨学金を取ることで、なんとか学費の目途はついたものの、下宿代、食費はバイト代で賄わなければならない。

 私は家賃の安い下宿を徹底的に探した。

 それはそれは、頑張った。ものすごく、頑張った。

 そうして、探し出したのが、風呂なしだけど四畳半の広さ、共益費も込みの家賃二万円の物件だ。しかも公衆浴場は歩いて一分という好立地。

 京都市内でこの値段は格安でしょ?

 まあ、築年数も格別なんだけど、そこは見て見ぬふりをする。

 もとより、ない袖は振れない。

 節約のために、本箱も洋服を入れる衣装ケースも段ボールで代用した。机もダンボールを使うことにしたのだが、その上で試験勉強をするのは、思ったよりも大変だった。

 実家から持ってきた古雑誌を箱いっぱいに詰め、強度を高めたつもりだったが、うっかり薄い紙にボールペンで書こうとして、その紙ごと貫いたりするし、第一、高さも中途半端で勉強に集中できない。

 特に、初めての定期試験で、私はそれを痛感した。

 普段、バイトにかまけているせいか、試験対策はけっこう大変で、段ボール机で勉強していると、腰が痛んでたまらないのだ。

 ごろりと転がって腰を伸ばしていると、黄色い紙が壁際に落ちていることに気が付いた。

 ゴミ箱に入れそこねたらしい。

 捨てようと拾い上げると、それは近所のリサイクルショップの売り出しのチラシだった。

 『目玉商品、美品ちゃぶ台五百円』と黒々と書かれた手書きの文字に目が吸い寄せられる。

「これ、これよ! なんてタイムリーなの!」

 ちゃぶ台があれば、ご飯も食べられるし、勉強だってできる。

 これはぜひとも欲しい。

 幸いにも、受講している講義の関係で、全学部共通の最終試験日よりも、一日早く、私の試験は終わる予定だった。

 残すは、最終日にレポートを提出するのみだが、そのレポートは作成済みだ。

 念のために、バイトのシフトを入れていなかったので、午後は丸ごと、オフになる。

 思い立ったら吉日とばかりに、私はちゃぶ台を買いに行くことにした。 思えばそれが運の尽きだったのだ。

 期待に胸を膨らませ、足取り軽くリサイクルショップに向かった私を待っていたのは、せちがらい現実だった。

 ちゃぶ台は売り切れていたのだ。

 店主曰く、開店早々、売り切れたそうだ。苦学生がほかにもいるらしい。

 未練がましく、ほこり臭い店内を見て回ると、リサイクルショップなのに、みんな結構、いい値段だ。

 と、ふと、文机が目に入った。

 アンティーク調のそれは、傷はあるものの、状態は悪くなかった。むしろ、味があってとてもいい雰囲気だ。

 これなら、ちょっと狭いけど、ご飯を食べるときも使えるだろう。

 でも、高いだろうな、と思いながら見た値札には、殴り書きのような文字で百と書かれていた。

 百円!

 思わず二度見して確認した私は、小躍りしそうになった。

 チラシに書かれていない目玉商品を見つけてしまった。

 まさか間違いじゃなかろうと、おっかなびっくり店主に確認してみたけど、正しい値段だという。

 しかも、サービスでうちまで届けてくれるというではないか。

 財布からお金を出しながら、私は幸運に震えた。

 あのとき、注意深く見ていたら、値札に書かれた数字の投げやりさや、主人の表情から不穏なものを嗅ぎ取れたかも知れないのに。

 うまい話には裏があるとは真理だと今なら思う。


 文机を夕方に配達してもらうことにして、家までの帰り道を小躍りしながら歩いていたら、その先に、高木俊也たかぎしゅんや先輩が歩いているのを見つけた。

 よくよく幸運な一日だ。

 実を言うと、叔母の熱意の他に、もう一つ、私が大学進学を決めた理由がある。

 それが高木先輩だ。

 美形、スポーツ万能、成績優秀、すべてを兼ね備えたような高木先輩に、私はずっと片思いをしていた。

 もちろん、そんな素敵な人に、彼女がいないはずもなく、それは知っていたのだが、恋する心は止められない。

 先輩が難関大学に合格したことを知った私は、そのときから、猛烈な勉強を開始した。

 大学進学はあきらめていたけれど、もし、少しでも可能性があるのなら、先輩と同じ大学に行きたいと、ひそかに思ったからだ。

 教科書と学校の先生を使い倒して、圏外から、見事合格を勝ち取ったのは、ひとえに先輩への恋心のおかげというほかない。

 そうして、晴れて入学し、先輩のいるサークルを探し当て、入ったのが二か月前。

 まだあまり話せずにいるが、先輩の近くにいられるだけで、私は嬉しかった。

 先輩は手ぶらで大学に向かっている。これからサークルに顔を出すのかも知れない。

 そういえば、部室に楽譜を止めるためのテープを置いてきてしまっていて、取りにいこうと思っていたことを思い出す。

 別にすぐに必要なものではないのだけれど、忘れ物をしたことを自分への口実にして、私は先輩の後をついていくことにした。

 見つからないよう、距離をあけて追いかけると、先輩はサークルの部室がある学生会館へと入っていった。

 エレベーターで上がる先輩を、階段で追いかける。

 目的の階につくと、先輩はすでに部室に入った後のようだった。

 部室の扉は少し開いていて、中から話し声が聞こえた。

 ほかにも上級生が来ているらしい。

 夏合宿の相談でもしているのだろうか。

 いけないと思いつつ、先輩の声が少しでも聞きたくて、扉の近くに寄る。

「それでな、高木。さっきから、一回の女子で彼女にすんのなら、誰って話で盛り上がってたんだよ」

「お前ら、そういう話、好きだよな。この前は三回生の女子の中で、じゃなかったけ?」

 高木先輩の答える声が聞こえた。

「そういうお前もだろ? ちなみに、俺らの中の一番人気は、やっぱ、実夏ちゃんでさ。高木はどうなんだよ? まさか、あれとか? 相川紀子とか?」

 私は心臓が止まるほど驚いた。

 まさか、私の名前が出るなんて!

 一拍ほどの間があって、高木先輩が噴出すような気配とともに、言った。

「まさか! んなわけないでしょ? あんなダサイの、無理だよ」

 周囲から音が消えたような気がした。

「うん、うん。まあ、そうだよな」

「下手に手を出すと、なんか祟られそうだしな」

 どっと笑い声が響く。

 はじかれるように、私は走り出した。

 階段を、一足飛びで降りていく。

 先輩の笑いを少し含んだ声が、耳から離れない。

「あんなダサイの、無理だよ」

 先輩はそう言った。

 フラれた。

 告白してもないのに。

 一グラムの可能性もないことぐらい、最初からわかっていたのに、涙があふれ出てきた。

 家に帰り着くまでの道、私はひたすら走った。

  

 下宿先の玄関につくと、すでに届けられた文机が待っていた。

 先ほどまでのワクワクしていた気持ちはすっかり消えて、私はしょんぼりしながら文机を中に運んだ。

「ダサイって……」

 口にすると、涙が止まらなくなった。

 否定できない。

 でも、好きな人の口からは、聞きたくなかった。

 結局は、おしゃれという努力をしなかった私が悪いのだろう。

 そう思いはするけど、やりきれない悲しさがこみあげてくる。

 文机に突っ伏して、私は泣いた。

 その夜、落ち込んだ私は、ふて寝もかねて、いつもより早くせんべい布団で就寝した。

 泣くだけ泣いたし、後は思い切り寝て、悲しい気持ちを忘れようと思ったのだ。

 なのに、あろうことか、夜中に生まれて初めて金縛りにあってしまった。

 全身が締め付けられるみたいで、痛いし、息苦しい。

 最初は恐怖を感じたものの、そういえば何かの本に、金縛りとは身体は寝ているのに、脳が起きてしまった状態だと書いてあったと思い出す。

 あの出来事のショックで熟睡できないんだと考え、そのうちなんとかなるだろうと、のんきにしていたら、ほっぺたに何かが触った。

 糸のような髪の毛のような感触だ。

 ちなみに当然ながら、部屋には一人だ。

 虫かな?

 虫だよね。

 それだって、充分考えたくないことだけど、急に跳ねあがった恐怖指数を何とか沈めようと、努力してみた。

 でも。

 その努力は一瞬で無駄になった。

 接着剤でくっついているような瞼を気力でこじあけ、無理やり目を開いたとたん、視界に飛び込んできたのは、闇の中にぼんやりと浮かぶ女の白い顔だった。

 それこそ、目のそらしようもないくらいに近く。

 近眼で眼鏡女子だけど、ここまで近いとさすがに顔のパーツまでちゃんとわかる。

 さっき、触ったのは、彼女の髪だったのかもと思ったら、私は失神しそうになった。

 っていうか、いっそのこと、失神したほうがマシかも。

 でも意外に図太い私の神経。意識ははっきりとしたままだ。

 最悪な出来事が起こってから、まだ丸一日も過ぎていないのに、こんなことになるなんて、呪われてるとしか思えない。

 目を閉じることもできず、声を出すこともできず、どれくらい女と見つめあっていただろう。

「びっくりしたー」

 女がため息と一緒に、そう言った。

 いやいや、それはこっちの台詞だ。

「あんた、この文机買ったの?」

 しゃべりかけられても、金縛りで何にもできない。

「しかも、あたしが見えるんだね。なんか感動」

 湿った声でそう言う。

 良くわからないけど、感動しているらしい。

 こっちは全然、そんな雰囲気じゃないんですけど。

 そう思っていたら、ふっと身体が自由になった。

 がばっと跳ね起き、両手で身体を抱きしめるようにしてかばいながら、私は尻でずるずると後ずさった。

 でも悲しいかな、四畳半の部屋って狭いんだ、これが。

 あっという間に、背中が壁にくっついてしまう。

「あら、そんなに怖がらなくてもいいって。あんたを食べたりしないし」

「で、で、でも、た、たたったりとか、するんじゃないですか?」

 恐ろしくて、言葉がうまく出てこない。

「そんなことしないよ。この顔をよく見てよ。祟るような顔じゃないでしょ?」

 そう言って、女は顔をずいっと近づけてくる。

 近い。近いってば。

 私は両手を前に出して突っ張るような態勢をとり、ぶんぶんと首を猛烈に振った。

「見えません。顔が見えないんですよ。あなたの目や鼻のあたりに、濃い霧がかかったみたいで、全然、見えないんです」

 そう。

 それがまた、これが現実の出来事だと、妙な説得感を私に与えてくるのだ。

「見えない? ……そうなんだ」

 女が落胆したように言った。

 その声があんまり悲しそうで、私はちょっと気の毒になった。

 私から離れて、女はふらふらと文机の近くに行った。

 後姿が明らかにしょんぼりしている。

「それに憑いてらっしゃるんですか?」

 かわいそうになって、つい妙な敬語で話しかけてしまった。

「そうみたい。よくわかんないんだけどね」

 女は机の前にちょこんと座った。

 宙にも浮いてないし、輪郭もはっきりしているしで、こうして後ろ姿をみていると、ちゃんと生きてる人みたいに見える。

 身体つきはほっそりしていて、着ている服はセンスのよい水玉模様のワンピースだ。長い髪は、後ろできちんとまとめられている。

 むむ。

 この人、結構、美人さんじゃないかしら。

「今までも、こうやって夜になると出てきてたんですか?」

 興味が出てきて、聞いてみた。

「うん。でもさ、出てっても、みんな見えないのよね。ただ、机があると、気味が悪いんだって。部屋の中がそこだけ暗いような、重苦しい気配があるような。だから、あたしが死んだ後、処分されてリサイクルショップに買い取られたものの、購入者が現れるたびに、二、三日であそこに返品されちゃってね。お寺に持っていこうとされたときは、お祓いされちゃたまんないと思って、あたし、抵抗したの。めちゃくちゃ頑張って、ポルターガイストみたいなの、起こしてみたりとかさ。やってみたら、意外にできたのよね。すごい?」

 ……すごいとかそういうことじゃないような。

「ね、ね、すごいでしょ?」

 振り向いてまで答えを求めてくる女に、あたしは根負けした。

「すごいです」

「うふっ」

 女は嬉しそうに笑った。

 幽霊っていうのは、こんなに感情豊かなものなんだろうか。

 思っていたのとはだいぶ違う。

「ところで、あんた、そんなに好きだったの?」

「へっ?」

 突然の質問に、私はまぬけな返事をしてしまった。

 女が何について聞いたのか、思い当たったとたん、私は口を両手で覆った。

 そういえば、夕方に文机に突っ伏しながら、フラことを語りながら、泣いてたんだった。

 でも、それは部屋に一人きりだと思ってたからであって、幽霊がいると知っていれば、口が裂けても言わなかったのに。

 かーっと顔が熱くなる。

 死ぬほど恥ずかしい独り言を全部聞かれてしまったのかと思うと、穴があったら入りたい気分だ。

 いっそのこと、穴がないなら、床をぶち破って、もぐってやるくらいの勢いで。

「見、見てたんですか?」

「一言も漏らさず聞いたし、見てた。この二つの目で、よーく、よーく見てた」

 自分の目を指で指す。

 だから、私には顔のパーツどころか輪郭ですらちゃんと見えないんだってば、と心の中で突っ込みながら、見られてた恥ずかしさに身もだえする。

「泣いてたよね。センスがどうとか、もてないとか、ダサいから先輩に嫌われた、振られたとかぶつぶつぶつぶつ、呟いてた」

「そ、それは、たぶん何かの間違いです」

 怒鳴るようにして、否定した。

「もう忘れてください。自分でもよく覚えていないし」

「ちゃんと告白したわけじゃないのに、男たちの話の肴にされた挙句、意中の人にダサいから無理っていわれたんでしょ?」

 ……私の言葉は完全無視ですか。

「ところで高木くんって、いい男?」

「ぶほっ!」

 私は飲んでもないお茶を噴出す勢いで、空気のかたまりを口から吐き出した。

「た、た、た……」

「高木くん、でしょ?」

「いやいや、まあ、そうですけど」

 今、その名前を聞くのは、辛すぎる。

 直接告白していなくても、失恋は失恋だ。

 いや、まあ、最初から彼女がいるし、こんな私の恋が成就すると思ってたわけじゃないけど、一応、勉強という努力はしてきたのだ。

 泣き濡れて独り言を言うくらい、許してくれたっていいじゃないか。

「ひとりじゃなかったんだな、これが」

 ふふんと幽霊が笑った。

「そうだったんですよねー、って、人の思考、読まないでくださいよ!」

 やりづらいこと、このうえない。

 私は怖さも忘れて、次第に腹が立ってきた。

「怒らないでよ。でもさ、よかったじゃん。ダサいってはっきり言ってもらえて。ほんとのことだし、曖昧な否定より、ずっとさっぱりしてるし」

「どこがですか! 好きな子がいるとか、そういうのでいいじゃないですか。そんなことを言われたら、もう先輩の目が黒いうちは、彼の前を歩けません」

「じゃ、白くしちゃえば? 取り付いて、殺してあげようか?」

「……幽霊さんが言うと、冗談に聞こえなくてマジ怖いです」

「いやあね、そんなこと、できるわけないでしょ。あたしができるのは、こうやってあんたと話すことと、ポルターガイストだけよ」

「……十分怖いですよ」

 カラカラと幽霊が笑った。

「でもね、冗談じゃなく、高木くんの言ってくれたことはいいアドバイスよ。あんたが恋人として考えらないのは、ダサいのが原因だとはっきり言ってるんだし、そこを直せば点数アップってことでしょ? まあ、あたしは他にいい男を見つけるために、高木くんを踏み台にすることをお勧めするけど」

「踏み台?」

「そうよ。女の子ってのは、好きな男が出来ると綺麗になろうとするでしょ。そういうホルモンが出てさ、目がキラキラしちゃって、輝いて、オーラまで出てくんの。でもって、失恋しちゃうとどうなるかって言うと、ここで二つのパターンに分かれる。一つはあんたみたいなのね」

「私みたいな?」

「そう。マイナスを思いっきり抱えたまま、底なし沼へ沈むタイプ。失恋から何も得ないタイプね」

 ムッとする。

「みんなそうでしょ? 好きな人にふられたら、そりゃもうお先真っ暗ですよ。得るものなんて、何にもないです」

「出た! マイナス思考。人間はね、自分が標準だと考えがちだけど、人間の種類ってのは、そんな少ないもんじゃないからね。いろんな子がいて当たり前。でも、あえてそれを大雑把に分けると、ふたパターンになる。一つがマイナスとくれば……」

「プラスに考えちゃう人たちがいるってことですか?」

「ピンポーン!」

 古い、そう思ったが、私はあえて突っ込まずに頷いた。

「でも、本当にプラスに考えることができるんですか? 好きな人にふられちゃった時点でもう終わりじゃないですか」

 現に今、高木先輩にダサいだのなんだの思われてると思うだけで、世界が真っ暗に思える。

「そりゃ、その恋は終わりだろうけど、世の中に男はそいつだけじゃないでしょ? なら、この失敗を糧に、振られた男よりももっといいのをつかもうって思う子たちもいるの」

「そんなものですか?」

「ふられた悔しさを、綺麗になる方向に使って、前よりもっと、輝くことが、女の子にはできるものなんだから」

「あ、そういえば、なんか女性雑誌の特集にそんなことが書いてあったような……」

「そう、それよ、それ。なんだ、あんたもちゃんと読んでるんじゃない」

「いや、読んでるっていうか、電車に乗ったときのつり広告で見たといいますか」

 幽霊が目を見開いた、ような気がした。ようするに、呆れたという感じだ。

「あんた、恋愛を語っちゃ、駄目なタイプよね」

「わかってますって。だから、こうして今、悲しい目にあってるんじゃないですか。いろんな意味も込めて」

「何がいろんな意味よ。情けない」

 幽霊は、大きな大きなため息をついた。

 ため息をつきたいのは、こっちだっつーの!

「いいわ。たぶん、そうなのよ。あんたとあたしが出会ったのは、神様の温情」

 なにやら、思いつめたようにそう呟いた幽霊は、私に向かって、ほっそりした人差し指をびしりと突きつけた。

「あたしがあんたに彼氏を作るサポートをしてあげる。今日からあんたは、あたしの恋愛塾の生徒よ!」

「は?」

「あんたが彼氏を無事ゲットするまで、あたしは側を離れないからねっ!」

「へ? ええっ、ええええー!!」

「ま、高木くんとやらには、直接ふられたわけじゃないし、まだチャンスはあるかもよ?」

 こうして夜中に私はめでたく幽霊の弟子入りと相成ったのであります。

 めでたし、めでたし。

 いや、めでたくないってば。

 とにかく、昨日の夜から、今朝がたにかけて、そんなことがあって、私は幽霊と暮らすことになったのだ。


               *****


「ああ、久々のシャバの空気はうまいわ」

 幽霊はそう言うと、頭上で組んだ手を伸ばして、うーんと、伸びをした。

「で、何の用事でここに来たんですか?」

「今日はレポート出すだけだったんでしょう? だから、暇だろうと思って」

「暇じゃないですよ。今日はこれからバイトです。試験中、バイトを休ませてもらってたんですから、お店にも悪いし、お金もピンチなんです」

「なーんだ。てっきり、サークルにでも行くのかと思ったのに。で、高木くんの顔を拝めると思ったのに」

「……野次馬根性、まるだしじゃないですか! とにかく、うちでおとなしくしておいてください」

 つい、興奮して大きな声を出してしまい、通り過ぎる男子学生に不信感をあらわにした目で見つめられてしまった。

 ほかの人から見れば、ひとりでしゃべっている変な奴にしか見えない。

「はーい、わかりました」

 不満そうに頬をふくらませてから、幽霊は姿を消した。

 再びベンチに腰を下ろし、私は頭を抱えた。

 悪い幽霊ではなさそうだけど、これから毎日一緒だと思うと、どうにも気が重かった。


 

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