ブランコ狂想曲〜鶏肋走禽楽曲

牧野 ヒデミ

第1話. スタンプ


一  スタンプ



世界の中の時を知る事は、小さな木箱の片隅にスタンプの押された古切手がある事だ。   


五番線の駅のホームで、オレンジ色に緑色の東海道線を下り、

橙色の花弁が風に乗り飛び行くも、ガラス窓から百人の乗客がすれ違うも、全てを解る事は出来ない。


今まで大切に使っていた祖母から受け継いだ腕時計のネジが壊れた。


銀色の細いブレスに、小さな文字盤で、手首にピッタリと巻き付けると、祖母は華奢な体つきだったのを良く思い出しては、暴飲暴食に気を付けたものだった。


二つ、三つと、この世の中に沢山の商品が売られ、私の中の大切な時計が失われた事を気にする人は、どれ程いるのだろうか。


私に届く事と届けられる事は、稼動していく事とは違うのだ。

小さな一つの腕時計に価値を見い出すのに、創り手であったり、持ち主だったりと、その時代全てを含めた人間観が大事になる。


それは私にとっての事だ。


一つの工芸品に対して、文化的な物、芸術品である事で、守られているのであれば、世界的なバランスと基準が求められるだろう。

発明と発見を第一の目的としているならば、きっと、ゴールテープを最初に切り、高い表彰台の一番上に。

そして、冠を授かり、輝かしい功績を称えられ、物凄い高い評価を得る事だ。


人間一人一人の創作の力を止めている大きな黒い渦が、

世界の何処かに沢山ある。


残されている建造物が時に、バランスを傾けたまま維持されているのは、象徴であり、芸術品への希みなのだろうか。


時々、語り手と、必要者の希望が、私には解らなくなる時がある。


そう考える様になったのも、一人の音楽学者に出会ったからだった。



鶏助走禽楽曲ケイロクソウキンガッキョク。」

夕暮れ蚊蜻蛉何処へ飛ぶ、

お里が知れると乱れ頭髪、

くたびれジャケット。


三叉路で目映しも虚無になりり、

靴を三メートル程ほうり投げて、

ケンケン走りで自宅に帰った。


こういった日には、決まってソノラマを広げ、送受話器を持ち上げる。


ポータブルレコードプレーヤーのターンテーブルに、ソノシートを置き、

受話器の5番を一度押すと、薄赤いシートは波打ちながら回転始め、

レコード針をそっと下ろすのだ。


音楽を聴く時には、ソーダ瓶の栓を抜き、ゆで卵を作った。


ソノラマ雑誌の表紙裏に載せてある9曲もの曲目、


一番「柄・大柄虫取りすみれ」 

二番「あばら家レジェンド」 

三番「厚塗り粉屋の長火鉢」

四番「若年ニャオポイント」

五番「アジるオプティミスト」


アコ-ディオンとシロホン、オルガン打楽器、気の抜けたトロンボーンから


六番、「風紋・アダージョアパッシュ」

七番、「隠退蔵物質~水母」


八番、「麹花」



図らずも此の羊腸の小径歩き


米の虫、空方へ


すぎぎれぎれの玉章を


胸声に白玉楼中


踏み入りし地がありの故


プリムラありきも干天の慈雨とつぐみ飛びて


ならば夢寐にも


希望を掴む



そして九番、ラストは「鶏助走禽楽曲」


と、ソノシートは、錚錚と音をたてる。


♪…


輝くミモザの歩道に、溢れ返る人々は温かく、エジソンが電球を発明した十九世紀から生まれた数々の生活用品とセセッション。

私の町と他国の町と、国境線の無い島国と、

陸で繋がる大陸のこの一日の終わりは、

今歩道を歩いている人の集める事。

求める事。


そして、喧噪と、衝撃と、ターミナルに設置された太郎ベンチに腰掛けて、夕食のメニューを考える。


薄荷さんは、どうしているのだろうか。


森の中のフィトンチッドとは、一つの胞子や雨ともなり、フサスグリが日陰で実を付ければ、エジソンの灯りに人が集まるように、鳥も軽快に飛び集まるだろうに。


足柄マドンナ、ハバーハハ。


薄荷匠太郎ハッカショウタロウ。ソノシートのヒロイズム。


縫い合わせば遥かへ、いつどの夕闇を過ぎても。

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