Chapter 4

 そういえばお酒出してなかったね、と桃谷さんは言って、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、カレーもそこそこに食べ終わっていたので皆でそれをちびちびと飲みながら、福島がテレビを見てもいいかと聞き、電源をつけて最近とんと見なくなっていたバラエティ番組を横目で見つつ三人で駄弁っていたのだが、その辺りから野田の記憶は曖昧になっていて、福島が「ねぇ、野田はさ、女とか作らないの」と聞き、野田は「えぇ?」と聞き返して、酔いがまわるとだんだん耳が遠くなっていくのが野田の癖だったのだが、そうすると福島が、テレビの騒がしい笑い声をよそに、「だから、彼女とかいないの、って聞いてんだよ」と再び訊いて、「ばーか、いねーよ、いるわけねーだろ」、と野田は答え、その後その話題は確か桃谷さんにも振られたのだったが、桃谷さんは「えっ、えっ、えぇーっ?」とはぐらかすばかりで、更に問いただしてみると、今はいない、ということで、「でもそろそろ作りたいよねぇ」というようなことを言うので、まったくもって紛らわしいのだったが、そのあとで、福島がTVにも飽きてきた様子でソファの上でごろごろし出し、「ねぇ、AVないのAV?」と、高校のころとまるで変わってないような事を言い、野田は呆れて、AVはもういいよと思いながら「ねーよ」と答え、桃谷さんも「あー、そういうのは全部家を出るときに一通り処分しちゃったからなぁ」と言ったので、福島は「はー、お前ら、よくそれで生きていけるね、性処理とか大丈夫なの? ……あ、でも、っつーことは桃谷さんも昔はそういうの持ってらしたんすねぇ、いやー、なんかほら、桃谷さんってあんまり女の人とか興味なさそうな感じ?だし」と呟いて、桃谷さんはまた困ったようにあはは、と笑ったのだったが、いや、野田に関して言えば本当はそういうのも何本かはあったのだが、全部が全部福島には見せたくないような内容のものばかりだったので、余計なお世話だろ、という一言だけで済ませたのだった。



 で、まぁ、気が付くと朝になっていて、野田が起きてすぐに思い出せたのがその2つだったのだが、まぁ、その他にもくだらないことを沢山話したということは覚えているし、言われれば思い出すだろうくらいの感じで、まあ、昨日は久しぶりに気持ちよく飲めたしいいか、とも思ったのだが、何故そんな事だけが未だに頭の中に残っていたかと考えたとき、やれ女だとか、AVだとか、性処理だとかそういった話題で繋がっていたことにも気が付き、静かに、ため息をついたのだった。

 時計を見るともう正午近くだった。昨日は確か、次の日が土曜日だったと言うこともあって夜中の2時過ぎまで飲んだのだが、桃谷さんがそろそろ寝ると言い出し、仕方なく就寝となって、だから厳密にはそれは昨日ではなく今日のことではあるのだが、まぁそれはいいとして、ソファの上に目をやると昨日と同じく福島がタオルケットにくるまって眠っており、いい加減にもう帰ってくれよ……、っつーか帰れ、と思いつつも、ちょうどそのとき枕元で充電器に嵌まっていた携帯電話からベートーベンの『悲愴』が流れてきて、野田は、おや、と思った。メールではなく着信だったので電話をとり、「はい、野田ですが」と答えると、数秒の沈黙の後で、

『……あ、あのー、もしもし』

 と返答があり、「どちら様でしょうか?」と野田が尋ねると、電話の主は『あ、あの、亮太です。鶴橋亮太……』と言ったので、野田は、あぁ、と思い、それは年の離れた従兄弟で、今はちょうど高校生くらいであるはずの、鶴橋のおばさん家の亮太くんに違いないのだった。その声を最後に聞いたのは彼がまだ中学生で、まだ声変わりも果たしていない時期だったので、その新鮮さに野田は少し驚きつつ、あ、亮太君? と訊くと、

『はい。その、まっく』と言って彼は一瞬口ごもり、『……ま、正樹さんは、いま話しても大丈夫ですか?』と尋ねてきたので、いや、まっくんでいいよ、と野田は笑って答えた。

 もともと鶴橋のおばさん家は、野田の家と違って東京の23区内にあり、というか、別に鶴橋のおばさんと言っても、ただ野田の母親の妹であるおばさんが鶴橋さんという人と結婚したのでそう呼んでいるだけなのだったが、それで野田が東京の大学に進学したとき、その鶴橋のおばさんの家でしばらくお世話になることになり、そこで当時まだ小学生だった亮太くんと一緒に、ゲームなぞしてよく遊んだものだったのだが、今思い返してみても、結構な懐かれようだったな、ということも野田は思い出し、亮太くんは一人っ子で兄弟などはいなかったので、そのせいもあったのだろうか、と野田は思った。まあ野田の方にしても姉が一人いるくらいだったのたが。

「……で、何かあった? それとも相談とか?」

『あっ』と亮太は言い、『そう、その、相談があって。えっと』

 と、そこまで言って、亮太はまた口ごもってしまったので、野田のほうも「ん? 何?」と促してやると、亮太は、

『あの、まっくん家に遊びに行ってもいい?』

 野田は一瞬目をしばたたかせ、それから慌てて、

「……い、いや、いいけど。場所わかる? 前に年賀状送ったでしょ、あれに書いてあると思うけど」

『うん。大丈夫』

 というので、本当に大丈夫なのだろうかと思い、そっか、で、いつ頃?と聞くと、

『え、えっと、近々』

「……」

 これには野田もさすがに眉をひそめずに入られなかったのだが、とりあえず「は、はぁ」と頷いておいて、「それじゃあ、また近々、来るときは電話してよ」と言った。亮太はうん、と答え、『じゃ、じゃあ、それだけだから。じゃあね』と、野田が何か言おうとする前に早々に電話を切ってしまった。野田はただ呆然とし、しばらくそのままでいたのだったが、そうしていると隣の部屋から起き出してきたのか桃谷さんがすでに部屋にいて、「誰だったの?」と訊いた。

「あぁ、いや。従兄弟が、もうすぐうちに来たいって言って」

「もうすぐって?」

「いや、分かんねっす」

「ふうん……?」

 桃谷さんもよく分からなさそうに頷きつつ、「とりあえず、何か作ろっか。もうすぐお昼だし……」と言った。



 しばらくするとソファから福島も起きてきたので、三人で朝食兼昼食をとり、「今日はどうすんの?」と野田が聞くと、「もうちょっといる……」と福島は答え、それから、「あ、鍋やりたいな、鍋」と言った。野田は顔をしかめたが、福島は「ほら、もうすぐ冬だしさ、知り合いも呼ぼうと思えば呼べるし」と続け、まあ確かにもう十一月なのだったが、桃谷さんも「まあ、そう言われるとちょっと食べたくなってくるねー」と言って、福島の同意を得、じゃあそこまでいうのなら今夜あたりにでもやるか、という雰囲気になりかけたところで、福島がふと思い出したように「あ」とつぶやいて、「いっけね、今日待ち合わせあるんだった」と立ち上がった。いつだよ、と野田が尋ねると福島は1時と答え、午後1時ならそれはあと20分ほどしかないのだったが、福島は「大丈夫大丈夫、すぐ近くだから」と言いながらパジャマを脱ぎはじめると、ハンガーにかかっていた自分の服を取ってその場でいそいそと着替えだしたので、福島が上着を脱いだ、その上半身の、最初の夜についクラっときて服を脱がしかけたときにも思ったのだが、その胸板の厚さにおどろき、その腹の丸さに思わず見とれてしまって、そういえばコイツは「終電逃しちゃって」「ここ近かったから」とも言っていたし、行動範囲はこの辺りなのだろうか、とも思っている内に、福島はもう着替え終わっていて、洗面所まで走って行くとしばらくして水道の音が聞こえ、それからまたドタバタと足音を立てながら、「じゃ、またね!」と言ってさっさと家を出ていってしまった。

「来るときもそうだったけど、帰るときも、嵐みたいな子だったね……」と桃谷さんは言い、野田が「あいつ、またねって言いましたね」とつぶやくと、桃谷さんは、そう言ってるなら、しばらくしたらまた来るんじゃない?と、また例の困ったような笑みを浮かべながら静かに答えたのだった。

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