第3話「ひじきの煮物」
昼休みを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
歴史の辻岡先生が教室を出るのに続いて、クラスメート達は、各自散り散りになっていった。机を向かい合わせ、弁当を食べる準備をする女子達。購買部人気トップの「チーズコロッケパン」をゲットするためにダッシュする男子達。毎度見慣れた昼休みの光景だ。
ふと見ると、アキヤは弁当を持って、サトミと一緒に教室の扉を出ようとする所だった。俺を置き去りにするなんて、何て薄情な奴だ。
「おい、待てよアキヤ。何で俺置いてくんだよ」
呼び止められたアキヤは、振り向いてきょとんとしている。
「ん? 置いてくって?」
「俺だよ。弁当食いに行くんだろ。俺も一緒に行くよ」
昼休みには、俺とアキヤとサトミ、それとD組の佐倉というサトミの友人の女子を合わせた四人で弁当を食べるのが、一年の頃からの習慣になっている。そのはずなのだ。
しかし、アキヤは露骨に怪訝な表情を作ると、小声で言った。
「お前、弁当って……? 加納は?」
「え……?」
サトミも、表情を曇らせて口を挟んだ。
「だって宗司……あんた、お昼は屋上でしょ? 加納さんと一緒に」
「え?……ええと……まあ……ああ! そうだっけな!」
サトミはさらに声を潜めて……
「そうだっけじゃないわよ! ちょっと……宗司、今朝のことといい、ひょっとして加納さんとうまく行ってないとか?」
と言った。
「いや……違う違う! べ、別にそういうことじゃないんだけどな……」
努めて平然とごまかしたつもりだったが、軽く冷や汗をかいた。
何にしても、自分の言動が人から奇異に受け取られるのは、いい気持ちがしないものだ。
冴子と屋上で一緒に弁当……? まさか、俺は「そういうこと」をしてきたことになっているとは…… あらためて、俺と冴子が恋人同士だという設定は、他の連中にとっては、真実そのものなのだと認識せざるを得なかった。
ちらりと冴子のほうを見やる。片手で弁当箱を持った冴子が涼しげな笑みを浮かべて、俺達のやり取りを見ていた。
「じゃあ、屋上に行きましょうか。宗司君」
「お……おお。腹減っちまったぜ。朝から蕎麦だったからなあ、ハハハ」
俺はそんなごまかし笑いをすると、努めて自然に振る舞いつつ、冴子と共に教室を出た。
屋上に出るには、西階段と東階段どちらからでも可能だ。2Cの位置からは、西階段を昇るのが明らかに近道なのだ。冴子は当然のように廊下を西に歩いていき、俺もそれに追随する。
しかし、西階段に到達する直前、俺の足はピタリと止まった。
「ちょっと待て。加納……そっちは駄目だ」
「そうなの? 何で?」
「何でもだ。とにかく向こうの階段を昇ろう」
「遠回りになるけどいいのね?」
「ああ、いいんだ……」
またも……またもや。
どういうわけか、強烈に「こっちの階段は駄目だ」と思ってしまう。自分でも何故だかわからない……
これは何なのだろう……
あらためて東階段を昇り、屋上へ出る鉄の扉を開けた。大分さび付いているので、不快な音がキリキリと耳を逆なでする。
「うわあ、気持ちいい!」
屋上に足を踏み入れるや、冴子は歓声を上げて、フェンスの間際に小走りで近づいていった。
近くにあるベンチに弁当と水筒を置くと、両手でフェンスを掴んで外の景色に釘付けになった。
「視線が一階上がるだけで、全然景色が変わるものなのね!」
高い所に上がっただけのことなのに、随分と大げさにはしゃぐものだ。俺は、そんな感想を抱きながら、歩いて冴子の後を追いかける。
「きれいね~」
眼下に見える函館公園のさらに向こう側に、港が広がっていた。おもちゃのような漁船がいくつも桟橋に張り付いて浮かんでいる。確かに、言われてみれば、教室から見るよりも、海が大きく感じられる。
右にふと目をやると、隣には冴子の横顔があった。
どうやらこいつは、普段はしかつめらしい顔ばかりしているが、旨い物を食べた時とか、こうして綺麗な物を見る時には、途端に無邪気な顔になるらしい……
「宗司君。あなた、素晴らしい学校に通ってるのね。そういう自覚ってある?」
冴子は、金網を両手の指でわしづかみにしたまま、ギコギコと斜めけんすいのような動きをしながら俺に言った。
「そうかあ? 別に子供の頃から港なんて見慣れてるし……今更景色がいいとか思ったこともねえな~」
「ふーん……勿体無いわね~。この絶景の価値が判らないなんて~」
「それよりも飯食おうぜ。腹減って仕方ねえよ」
「そうね。同感だわ」
俺達は、二人で同じベンチに腰をかけて、弁当を食い始めた。冴子は中心よりも少し右寄りに、俺は左の端ギリギリに座った。長いベンチだったから、冴子とはそれなりに距離があった。それでも、女子と同じベンチに座るというのは、どうにもプレッシャーがあって仕方ない。
俺は、ちらりと冴子の膝に乗っけてある弁当箱を見る。お袋が俺の物とお揃いで作ってくれた弁当だ。これまでの情報を整理するに……例えば、両親が海外にいるとかの事情があって、冴子は俺の家に居候している、食事も弁当もお袋が世話してくれている……というのが、現在の「設定」になっているらしい。
「しかし、お前……俺とおそろいの弁当箱って……でけえよな……それ全部食えるのか?」
ごく正直な感想を言っただけで、からかう意図は全く無かったのだが、冴子は急に頬を赤らめた。一応、恥ずかしいという気持ちはあるらしい。
「た……食べられるわよ。別にいいでしょ。食べる量は個人差があるんだから」
「い……いや、別に構わねえけどな。女子にしてはお前食うんだなって思って……」
「まあ、私のことはどうでもいいから、まずはそのヒジキの煮物を食べて御覧なさいよ。絶品だから」
「ん~そうかあ……? ひじきねえ……」
またしても、冴子は美味しい美味しいと連発しながら大型弁当をどんどん平らげて行った。
どうも、こいつと一緒に過ごしているうちに、徐々に妙な気持ちが沸き起こってきた。つまり、自分の「生き方」と言ったら大げさだろうが、毎日の普通の生活を、俺はもう少し省みなければならないのではないか、と思い始めているのだ。
親父が作ってきた蕎麦の味。お袋の弁当の味。校舎から見える港の風景。俺は、随分と身の回りの大事なものを見落としてきてしまっているのかも……
ウズラの卵のフライを、多分意図的に最後まで食べ残している冴子の弁当箱を眺めながら、俺はそんな事を考えていた。
こいつ……この中だと、ウズラが一番好物だったのか……まあ、俺も好きだけど、あれは最初に食った。
「ねえ、宗司君。ちょっと聞きたいんだけど、黒田さんってどういう人?」
実に幸せそうな笑みを浮かべながら、ウズラのフライでフィニッシュを決めた後に、冴子はそんなことを言った。唐突な話題だったので、少々不審に思った。
「ん……黒田? ええと……黒田真奈美か? 何でだ?」
「ええと……ちょっと気になるのよ。クラブはどこに入ってるとか、どういう性格とか……」
「そうだな~どういう人って言われても、俺には全然わからねえな~女子の中でも特別地味~なキャラって感じかな。殆ど気にしたこともねえよ。で……その黒田が何なんだ?」
「ふーん……そうなんだ。それじゃあ気にしないで。きっと、気にしないほうがいいわ……」
黒田真奈美は、一年の時も同じクラスだった女子だ。友人は誰だっけ……クラブは確かテニス部?……でも、一年の途中で退部したって話を聞いたことがある……という程度の認識で、俺の記憶には殆ど残っていない生徒だ。なんで、そんな存在に冴子が引っかかったのかが判らなかった。気にしないでと言われると、逆に妙に気になる……
「それから、もう一つ聞きたいんだけど……これって何?」
冴子は、今度はポケットから何かを取り出して見せた。1本のチョークだった。
「ん? 『何』ってチョークじゃねえのか? そんな物、何で持ってるんだ?」
「ふーん……チョークって言う筆記具なのね。数学の時間に、武馬先生に指されて黒板で解答書いた時に、ちょっと気になったから一つ持って帰ったの。で……これって何で出来てるの?」
「ちょ……原材料のこと聞かれても、俺は困るな~ええと……チョークっていうと、そうだ、確か塩酸加えると、二酸化炭素が発生するとか、中学で習ったような……」
「塩化水素で……? それじゃ炭酸カルシウムかしら……」
「ええと……わからねえけど……きっとそうなんじゃね?」
「やっぱり『リトル・ハックル』だったのね……」
「え? 何だって? リトル……?」
「ううん、気にしないで……なるほど……これ使えるかも……もう少し確保しといたほうがいいわね……」
などと、またもや訳の判らない独り言を言って、俺を当惑させる。
「ねえ、宗司君。授業が始まるまで、学校を案内してくれない?」
「ん? お前ここの事、全部知ってるんじゃねえのか?」
「それが、そうでもないのよ。どこにどういう部屋があるとか、どういう物があるとか、細かい所は判らないから、教えて欲しいの」
「まあ、それは構わないけど……別に教えるほどの物は無いと思うけどな」
「ちょっとした宝探しをしたいのよ。実は重要なことだから、頼むわ」
宝探し?……
謎の記号を書いたメモといい、自動そろばんといい……どうも、こいつの行動はあっちこっちで謎がちりばめられている。
結局の所……こいつは何者なんだろうか……
☆ ☆
そして、放課後。
部活が終わると、俺とサトミとアキヤは校門付近で冴子と待ち合わせをした。
どうやら「美術部」所属ということになっている冴子と、そうやって一緒に帰る習慣になっているらしい。思えば、合唱部所属の紗枝がこの学校にいた頃も、部活が重なっている日は、こうやって合流していたのだ。
下山道を徒歩で下っていくと、函館公園の入り口に到達した。帰りは下り坂だから歩くのも楽だ。例の馬鹿げたロープウェイを使う必要だってない。俺達四人は、そのまま博物館の隣を抜け、噴水広場に出た。
例の祠堂会が、集会をまたやっていた。
しかも、朝よりも人数がかなり増えていている。冴子は登校の時に「気にするな」と言っていたが、チラリと目をやってしまった。
白い衣服を着た信者の集団の中心に、ひときわ目立つ存在があった。
教祖の祠堂幸三。
間違いない。というか、あんな胡散臭いひげを蓄えた奴は、他にそうそういる訳がない。前に、函館駅前で選挙運動していた時にも、生で見たことがあったが、こんな所で、教祖が直々に参加しているとは……
それとは別に、信者の中に、やけに若い見覚えのある顔があった気がした。まさかと思って見直したが、勘違いではなかった。
高校生くらいの女子……黒田真奈美だ。
あいつ……祠堂会の信者だったのか……冴子が「気になる」といっていたのは、このせいか? しかし、冴子は登校初日なのに、何でそんなことに感づいたのだろう?
俺の右腕を、つんつんと押す感触があった。冴子の肘だ。「気にするな」というサインだろう。確かに、関わりあいになると厄介そうだから、じろじろ見ないほうがいいかもしれない。俺は、ごく無関心を装って公園を抜けた。
その後、俺達は普段通りに「十字街」で市電から降りると、これまた普段通りに「グッド・ラック十字街銀座店」に向かった。
一番初めに店に足を踏み入れた俺は、まずは店内を見回した。一体、行きつけのこの店には、どんな「馬鹿げた異変」が待っているのだろうと、心配になったのだが……
とりあえず、内装については普段と変わった点は見当たらなかった……
正直ほっとした。ことによったら、ミラーボールがテラテラ回っているとか、クリスマスツリーが飾ってあるといった事態を覚悟していたのだ。どうやら、妙な現象が起こるのは、俺の家と学校周辺に限定されている、ということなのだろうか。
やはり、グッド・ラックこそは「函館スタンダード」だ。どんな「妙な設定」にこの函館が変更されてしまっても、ここだけは微塵も揺るがないのだ。
「桑城。お前、席とっておいてくれ。俺ら、先にオーダーしとくから」
アキヤたちは既にカウンターに並んでいる。
「ああ、判った。カバン貸せ」
俺は、アキヤからカバンを受け取ると、いつもの「指定席」に向かった。俺とアキヤのカバンを椅子に置いて、4人分の席を確保した。この時点で俺がオーダーに行っても構わないわけだが、万が一置き引きにあわないとも言い切れない。誰かが食べものを持ってやってくるまでは、一人は席に座って待つのが、ルールになっているのだ。
一人になって手持ち無沙汰になったので、ポケットからスマホを取り出した。
俺には、登校する途中でやりそこなった「課題」が残されているのだ。
紗枝にメッセージを送るという、重大な課題が……
メッセージの送信ボックスを開く。
休み時間に打ってあった、下書きを確認する。
(変なこと聞くようだけど、俺……お前の彼氏だよな?)
ここまで打った所で、放っておいたのだ。はたして、この文面で送信していいものか、迷いが出たからだ。はっきり言えば俺は怖かった。もしも、今の紗枝が、俺とは何の面識もない、という「設定」に従っているとすれば……
そんな結果だけは知りたくない……
その文面を、どう編集しようかと逡巡しているうちに、冴子がやってきた。俺は慌ててスマホをポケットにしまった。
「あのさ、宗司君……」
冴子は、もじもじして、何かを言い淀んでいる。
「ん? 何だよ」
「私、『お金』って持ってないんだけど……」
「ん? 一銭も持ってないのか?」
「そう……」
「あ~そうなのか~? だから~?」
いや~な予感はした。しかし、俺はあえてしらばくれてやった。
「おごって欲しいんだけど……駄目かな~」
「だ……駄目だ駄目だ! 俺だって金無いんだよ」
それは、嘘偽り無く数字で証明できる客観的事実であり真実だった。来週発売される、バンプラの新製品のための資金を確保するのもギリギリなのだ。しかし冴子は……
「駄目かな~」
……と、上目遣いで、例の捨てられた子猫のような顔をしてみせた。
やばい……こいつ……俺の扱い方を学習している……?
仕方ねえか……その顔をされると、どうも弱い……
俺は、身を切り裂かれる思いで、虎の子の千円札を渡してやった。
冴子は「ありがと! 流石は私の彼氏ね!」と言って、途端に明るい顔を見せると、くるりと反転し、小走りでカウンターへ向かって行った。
やがて、アキヤがバーガーとジュースを手に持ってやってきて、俺の隣に座った。俺は、自分の分をオーダーしに行こうとして腰を浮かせた。
その時だ。ふとアキヤが持っているバーガーの包み紙に、大きな引っかかりを覚えた。
「ん? アキヤ……お前、今日は何頼んだんだ? そんな色の包み紙あったっけ……って? 何だそりゃ!」
俺は我が目を疑った。アキヤが手に持っている、緑色のバーガーの包み紙には、明らかにバッタのような「昆虫」のイラストがプリントされているのだ。アキヤに遅れて、サトミと冴子もバーガーと飲み物を手に歩いてきた。二人とも問題の「バッタ柄のバーガー」を手に持っている。
「ん? お前これ知らないんだっけ? 先月からある新メニューだけど?」
「ちょっと待て……何だって、そんなイラストがプリントされてるんだよ、それって……」
俺は、とんでもなく嫌あああ~~~な予感がしてたまらなかった。ピキピキと前腕の当たりからチキン肌が広がって行く。
アキヤはスルスルと紙をほどくと、バーガーを取り出し、上のバンズを外して、中に挟まれている「具」を俺に見せつけた。
「当たり前じゃねえか。ジャパニーズ・イナゴ・バーガーなんだから」
今日は、朝からずっと、俺は懸命に驚くことを自制してきた。
しかし、今度ばかりは、理性の臨界点を突破して、絶叫しながらのけぞった!
「ウ……ウギャアアアアアアア!!!!!」
なんと、バンズの間には、イナゴの佃煮が、びっしりと並べられていたのだ。あのバッタに見えたイラストは「イナゴ」だったのだ!
「あれえ? 宗司、知らなかったの? これ結構珍味なんだよ」
サトミは、既にイナゴバーガーに一口かぶりついた後だった。お……お前まで……
「駄目だああアアア!!! それだけは駄目だあアアアア! そんな物見せるな。俺の前で食うな! 虫だけは駄目だ。そんな物は食べものとして断固として認めねえ! 認めてなるものかああ!!!」
しかし、冴子の表情は冷徹だった。奴もイナゴバーガーの最初の一口を食べ終わると、
「宗司君。それ間違ってるわ。断固として間違ってる」
と俺の目を真正面から見据えて言った。
「何が? な、何が間違ってるんだよ!」
「だって、これが『カマキリ・バーガー』で無い理由は何だと思ってる?」
「ん? カマキリ? そんな物食うなんて聞いたことねえぞ。当たり前じゃねえか!」
「その通りだわ。カマキリやトンボの佃煮なんて聞いたこと無いでしょ。でも、イナゴの佃煮は有名じゃない? 何故だと思う? それはイナゴが美味しいからよ。食材として広く扱われていると言うことは、長い歴史の中で人々から美味しいと認められたことを意味するのよ。人々は、ヒトデを食べないのに、近い生物でグロテスクなナマコを珍重するでしょ? それと同じよ」
なるほど……これには強烈な説得力があった……
俺はたじろいだ。気色悪い冷や汗がジワリにじみ出てきた。しかし、ここで冴子に論破されるわけには行かない……それでは、俺がイナゴ・バーガーを拒否する理由を失ってしまう。なんとしても、あんなムシの固まりを食べるわけにはいかないのだ。
「いいや、違う! 美味い不味いの問題じゃない。俺があれを拒否するのは『見た目』の問題だ。イナゴはムシだぞ。俺はムシが大嫌いだ。特に足の多い生き物ほど嫌いだ。ムカデやゲジゲジは論外だが、昆虫も駄目だ。節のある足が六本もあるだろ。あんな生き物は気持ち悪すぎるだろうが!」
我ながら改心の反論だった。個人の「美的感覚」の問題に落とし込んでしまえば、完璧だ。俺は一生イナゴ・バーガーの恐怖から逃れられるのだ。
しかし、俺の「正論」を聞き終わった冴子の表情には、迷いや曇りが一切見られなかった。
「宗司君、それ間違ってる。明確に、大きく……感動的なまでに間違ってるわね」
「な……何がだよ……俺の何がそんなに間違ってるって?」
「あなた、今朝『カーキ・アーゲ』を食べていたわよね?」
ん?……「カーキ・アーゲ」? 掻揚げの天ぷらのことか? 天ぷらはウニや焼肉と並ぶ、俺の最強の好物だ。
「ああ、食ったぞ。それがどうしたんだよ」
「あなた、桜エービには、足が何本あると思っているの?」
……ハッ!…………………………
「六本どころじゃなくて……あなたが『論外』と断じた、ムカデやゲジゲジ並みに足が多いのではなくて?」
た……確かにいいいいいいいい!!!!!!!!!
「そして生物学的にも、エービは、昆虫やクモと同じく、節のある足をたくさん持つ、『節足動物』のグループに属する、『ムシ』ではないの?」
た、た、た……確かにそうだ!
俺は、桜エビがびっしり詰まった搔揚げライスバーガーが大好物なのだった! 確かに、イナゴが詰まったイナゴ・バーガーは、何らそれと変わりがないじゃないかあああ!!!
ま……負けたあああああああ!!!!
イナゴ・バーガーを否定する俺の主張は、今こっぱみじんに論破されたあ!!
冴子の奴、おごってやった恩も忘れ、ここまで俺を叩きのめすとは!!!許すまじ、冴子!!
俺の頭の中が真っ白になった!
グルグルと、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡る!
朦朧とした意識の中で……気がつくと、俺はカウンターに立っていた!
バイトのお姉さんに、大声で叫んでいた!
「アイスティーのLとイ、イ、イ、イナゴ・バーガー下さい!!」
無意識のうちに、イナゴ・バーガーを頼んでいたのだ!
そして、それを持って席に戻ると、速攻で包み紙をほどき、イナゴ・バーガーにかぶりついた!
バンズの間にびっしりと詰まったイナゴの群れを、丸ごとモシャモシャトと噛み砕く!
そして、一気に飲み込む!
なんという屈辱! なんという敗北感!
気がつくと俺は泣いていた! 悔しさの余り、泣きながらイナゴバーガーを一気に食べつくした!
そして、最後に、アイスティーを豪快に飲み干し、イナゴの欠片を一切残さずに、口の中を洗浄した!
俺の異様な行動に気圧されて、アキヤとサトミは呆れ返った様子で言った。
「おい……桑城……お前が涙もろいのは知ってたけど……何も泣くことねえじゃねえか……」
「ええと……宗司、それで? 味の感想は? 美味しいでしょ?」
俺は断固として言ってやった。
「 す ご く ま ず い ! ! 」
いや……実のところ、味なんて判らなかったのだが……
「だから、これは二度と食わねえ! 味が好みじゃねえ!」
俺は、これが言いたかったのだ。食わない限りこれを言うことはできない。
このやり取りを見ていた冴子は、いきなり手の平で机を小気味よく叩いた。
バンッ!
「素晴らしいわ!」
冴子は我が意を得たりといった満面の笑顔で、さらに机を叩いた。
バンバンバンバンバンッ!!!
「宗司君、あなた正しいわ! それなら完璧に筋が通った主張だわ! 味覚の好みは十人十色。何を不味いと思っても、それは個人の自由! 食べた上で不味いと言うのなら、確かに一片の隙も無い論理だわ!」
やたらと嬉しそうに、そんなことを力説する。そんなに、俺の不幸が楽しいのかよ……
イナゴのインパクトが強すぎて、気づくのが遅れたが、冴子は俺の真正面、サトミの隣の席に座っている。そこは、半年前までは「紗枝の定位置」だった場所だ。紗枝がいなくなってからは、ずっとアキヤがその位置に座っていたのだが、今日の奴は、当然のように俺の隣に腰掛けて、その席を冴子のために空けたのだ。
一緒の登校……
一緒に食べる弁当……
グッドでの俺の正面の席……
俺の生活の中で、紗枝が占めるはずだったポジションを、今はことごとく冴子が担っている。
一体、何がどうなって、こういうことになってるんだ……
ただし、冴子は紗枝とはまるで違う性格ではあるのだが。
紗枝はもっと控えめで保守的な奴だった。毎日を一つの型にはめて、変わらない生活を地道に繰り返していくタイプだ。
このグッドでも、一貫してウーロン茶しか頼まなかった。間違ってもイナゴ・バーガーを嬉々として食べるような破天荒な奴ではなかったわけだけど……
☆ ☆
グッドでの食事が解散した後は、「いつも通り」に路面電車に乗り、「いつも通り」に「堀河町」駅でサトミと判れた。
そんなこんなで、俺と冴子はようやく「蕎麦処 玄助」に帰ってきた。俺は、これまた「いつも通り」に店の玄関から入った。ただし、今日は冴子も一緒であることだけが大いに異なっていた。
「帰ったぜ」
「おう!」
厨房の奥からは、聞き飽きたいつもの親父の声。
「よお、サエちゃん! いつも可愛いねえ」
「やだ~浅田さんったら」
レジの傍のテーブルで蕎麦をすすっていた浅田のおっさんが、冴子を見つけるなり声をかけた。やっぱり、この人まで冴子のことを知ってるのか……
「いやあ~それにしても、玄さんの『ジキモソ』は相変わらずうめえな~」
などと、モシャモシャ蕎麦を咀嚼しながら、妙なことをおっさんは言った。
ん?……「ジキモソ」って?
「全くだぜ、蕎麦玄の『ジキモソ』は最高だぜ」
浅田のおっさんと向かいの席に座り、ビールジョッキを握っている酒屋の川口さんも、当たり前のようにそれに同意してみせた。
何だよ、「ジキモソ」って? そんなメニュー……うちにあったか?
……と思いつつ、壁をみまわしてみると……
「人類の生み出した究極のモーリ・ソーバ(愛称ジキモソ)」
……と書いた張り紙がお品書きの一番先頭に、ひときわでかく張ってある。
おいおい、感激のあまり、メニューの名前にしちまったのかよ、親父……
しかも、冴子の発言を微妙に曲解してるし……
あいつは、あくまでも「盛りそばという、料理の形態が、究極の完成度を持っている」と言ったのであって「親父の盛りそばが究極」とまでは言っていないのだ。
それにしても、「ジキモソ」……愛称まで指定してるとは、イタすぎるぞ親父……
「おじさま? 今日は手が足りてますか? 私、お店に入りましょうか?」
冴子が厨房に顔を突っ込んで、親父に聞いた。こいつ、店の手伝いをしてるのか。結構感心な奴だな。幼稚園の頃以来、手伝いなんてしたことない俺は、微妙に反省する。
「ありがとよ、サエちゃん。こっちは間に合ってるぜ。それよりも、母さんが用事あるみたいだ。なんか、『法学方陣』の調子がおかしいとか言ってたぜ。ちょっと様子を見に行ってやってくれないか?」
「あ、はい。判りました」
ん?……何だあ、「法学方陣」……って? また、妙なことが起こり始めたみたいだが……
俺は、またも嫌な予感をモヤモヤと抱えながら、冴子と共に居間に上がった。お袋が床の隅にしゃがみこんで何かを見ている。
「ただいま、おばさま」
「ああ、サエちゃん、お帰り。ちょっと、見てくれない? 『法学方陣』がおかしいのよ。寒くってたまらないわ」
お袋まで妙な言葉を使っているが……やな感じだ。
「法学方陣」って?……と疑問に思いながら、お袋の前の床を覗き込んでみると……
奇妙な道具が置いてあった。
図形や文字や数字がびっしりと刻み込まれた、金属板。
ん……これは、冴子がたまに書いている妙なメモと似ている気がするが……
中心には、どういう意図か、数十本もの「鉄くぎ」が集めて置かれている。
これは一体……?
「ああ、すみません。ちょっと見せて下さい」
冴子はそう言いながら、お袋の隣にしゃがみこむと、指先で金属板の縁をつるつるとなでた。
「少し、調整が狂ってます。すぐに直しますね」
今度は指先で文字を書くような仕草で金属板をなぞり始めた。すると、鈍く光る光の文字や記号の列が、ポカリポカリと浮かび上がっては、金属板に吸い込まれていった。
何だ? 何が起こってる……?
しばらくその様子を観察していると、やがて、中央に置かれた釘が赤く輝き始めた。
「これで大丈夫です。すみませんでした」
冴子は、立ち上がりながら言った。
「ああ、良かった。いつも、ありがとうね。サエちゃん」
「あ、あと『ソリッド』が少なくなってるみたいだから、『待機状態』にしておきますね」
「あら、そうだったわ。じゃあ、それもお願いするわ」
お袋はそそくさと台所に行って戸棚を開けると、そこから一つのビニール袋を持ってきた。中には、大小の鉄くぎがぎっしりと詰まっていた。
気がつくと、例の金属板からは、物凄い熱が発せられていた。これじゃまるで灯油ストーブ並みだ……
ん……そういえば、この場所は本来、灯油ストーブが置いてあった場所じゃ? それに、さっきの戸棚だって、確か灯油の保管場所……
おい、待て……それじゃこれ、ひょっとして「暖房」なのかよ?
「判りました。じゃ後で持って降りますね」
鉄くぎを受け取ると、冴子はスタスタと階段を昇っていってしまった。俺はあわてて奴の後を追いかける。
部屋のドアを開けて室内に入ると、冴子の方は丁度自分の部屋、あの謎のドアの向こうに入ろうとしている所だった。俺は、慌てて冴子を呼び止めた。幾らなんでも、これは説明してもらわないと納得できない。
「お、おい、ちょっと加納、待てよ! 今の何だよ! 何やった? ありゃ新手の手品か?」
冴子は苦笑しながら振り向くと、
「やっぱり、質問されると思ったわ。説明が必要?」
と、言った。
「当たり前だろ!」
「うん、判った。じゃあ、少し待ってて。シャワー浴びてからね」
冴子は、そう言ってから一旦はドアの向こうに消えた。しかし、即座にまた少しドアを開けて顔だけをニュッとのぞかせると、
「今度は、のぞいちゃ駄目よ」
と、皮肉っぽく笑いかけた。
「の、のぞかねえよ!」
多分俺は、思い切り赤面していただろう。いちいちいらないことを付け加える奴だ……
女子がシャワーに入り着替えもするとなると、終わるまでには随分と時間がかかる。俺は、こたつに入り、一昨日パチ組したバンプラにパテをコテコテと盛りながら、それを待った。
三十分ほど経つと、冴子はパジャマ姿で俺の部屋に入ってきた。
手には、ノートくらいのサイズの金属板を二枚持っている。
冴子は、コタツにもぐりこんで座ると、天板にさっきの物とよく似た金属板を置いてみせた。
「これが、方陣よ。こうやって、『ソリッド』をセットするの」
と言って、一本の鉄くぎを中心に置いた。
「お、おい、なんだよ、『ソリッド』って? 説明不足だろ。いきなり訳の判らない特殊用語使うなよ」
「あ……ごめん、そう言えば宗司君には、そこからして判らないのね。『ソリッド』って言うのは、物体を『法』の燃料として使うときの呼び方よ」
「は……燃料……? この鉄くぎが……? ええと……それじゃさっきのは、化学反応で熱が出たみたいなものか?」
「そうじゃないの、正確には『法学反応』ね。『ソリッド』というのは、『物質』と同義じゃないのよ。それが何の『材料』で作られているかと、人間社会の中でどのような位置を占める『物体』なのか、両方の性質を併せ持った『概念の固まり』なのよ。例えば、同じ『鉄』という材料で出来ていても、『鉄くぎ』と『ハサミ』と『包丁』では、『異なるソリッド』なの」
「うう~んん……判ったような判らないような……」
「とりあえず、暖房に使えるような『ソリッド』を家の中から探したんだけど、これ位しかなかったのね。間に合わせのソリッドだから、『ソリッドネーム』もなかったんだけど、暫定的に『不機嫌な夕刻』としておいたわ」
「ソリッドネーム?」
「ええ、伝統的な『ソリッド』には、どれもきちんと『ネーム』がつけられているの。どのようなソリッドネームをつけられているか、それ自体が、その『ソリッド』の重要な要素なのよ」
俺は、昼に冴子に屋上で見せられた、チョークの欠片の事を思い出した。
「ん? それじゃ、お前が言ってた『リトルなんとか』っていうのは……」
「そうよ。『リトル・ハックル』というのは、大理石の『ソリッドネーム』ね。あのチョークはかなり近い特性を持ってるから、何とか代用品に出来るかなと思ったの。ちょっと調整に手間取りそうだけど」
「ん? ひょっとしたら、どんな『物』であっても『ソリッドとして』使えると言うことなのか?」
「ええ、そうよ。だけど、それぞれが持つポテンシャルは、物凄く差が大きくて、『有用なソリッド』となると、かなり限られてくるの。例えば、植物の葉っぱには、膨大な種類があるでしょ? だけど、人間がそのまま食材として食べても美味しい葉っぱはどれくらいあるかしら?」
「また、食い物の話につなげるのかよ……ううん、確かにそれは凄く少ないよな。その例えなら良く分かる」
「それに、どういう物のポテンシャルが高いかは、法則が無いに等しいの。それこそ試して見なければ分からない、厄介な世界ね」
そう言いながら、冴子はもう一枚の金属板を片手で持っている。こちらの中心部には、何も文字が刻まれておらず、縁から色々な鉱石のようなものが、クサリでジャラジャラとぶら下がっていた。その上に、釘を一本ずつ置いては、指先で妙な操作をしている。金属板に様々な光の文字や記号が浮かび上がっては消えていく。まるで、モニター画面だ。
「それで、そっちは一体何してんだよ」
「うん……これは『制御ボード』。これを使うと、色んな情報を調べたり、ソリッドの操作を出来るのよ。周りにぶら下がってる石は、動作を安定させる補助ソリッドね。私がカスタム化したのよ」
そう言いながら、冴子はボードに画像を表示して見せた。パジャマを着た冴子自身の画像だった。原理は違うのだろうが、まるでタブレットのようだ。
「見てて。例えばこんなことも出来るのよ。人の眼球の動きをトレースして、どの場所をどれ位の頻度で見ていたのかを調べられるの。ほらっ」
指先でスラスラとボードの縁をなぞると、無数の赤い光点がボード上の冴子の画像に重なって表示された。これはつまり……?
「あなたが、私の身体のどこを見ていたのかの記録ね。どう……圧倒的な割合で私の『オッパイ』に集中しているでしょ」
俺は動転し、にわかに脳天へ血流が上昇して行くのを覚えた。白状すれば、それは大いに身に覚えがあることだったからだ。
「ちょっ……ちょっと待て……誤解だ! そ、それは違う……たまたまそれは、その時だけの誤差の範囲で出た結果であって……」
「そうかしら、他にもあるのよ。これとか……これとか……ほら、これも……」
ボードには次々に冴子の画像が表示されていく。それらのことごとくで、エッチな場所に視線が集中している。冴子のシャワーを浴びている時に、俺が一瞬見たときのヌード画像もあった。モザイクで修正はかかっていたが、見事なまでにヒップに視線が釘付けになっていた。我ながら、素晴らしい動体視力だ。
「私は、個人的趣味で色んな人の記録を取ってきたのよ。それを元に統計学的に計算すると……その結果を御覧なさい! あなたの『好色偏差値』は七十よ!」
な!……好色偏差値!!!
「この数値によって、その人の「好色度」は段階的に評価されるのよ。『普通に好色』→『やや好色』→『かなり好色』と上がっていくのね。あなたほどの数値になると『極めて好色』なのよ。分かった?」
ガガーンッ!!!!
……という音が、実際に俺の頭の中に響き渡った……気がした。前に冴子は、俺が『極めて好色』だというのは、数学的に証明できる、客観的事実だと言っていたが、それは、こういう理論に基づいていたのか!
この俺……が……「極めて好色」……だと……? 知らなかった……「人並みにはスケベ」程度だと思っていたのに……
「どうしたの? ひょっとして宗司君ショック受けてる? 気にすること無いわ。『好色偏差値』70というのは、具体的には百名中七位という順位だから、一位では無いのよ。上には上がいるということね。だから、おごることも恥じることも無いわ」
いや……別に「好色偏差値」で学年トップを狙うつもりは無いわけだが……
「まあ、宗司君が、私の身体をいやらしい視線で嘗め回すように見ていることは事実だけど、それは犯罪にはならないし、健康にも害はもたらさないわ。だって、『好色が死因』って聞いたこと無いでしょ? 『過好色』って言う病名も聞いたこと無いし」
なんだか、フォローされればされるほど、ちくちくと非難されているように聞こえるのは、気のせいだろうか……ともかく、俺は「好色問題」から、話題を元に戻すことにした。
「うううんん……良くわからねえけど、その『制御ボード』で、さっき何やったんだ?」
「ソリッドの『チューニング』をしてたの。間に合わせのソリッドは、素のままじゃ、まるで『発動』しないから、かなり微妙な『情報』を入力することで『調整』しなくちゃいけないの」
俺は、「調整」が終わったらしい鉄くぎを、何気なく手に取った。
その瞬間だった。ビリリと、指先がしびれるような感触を覚えた。
「ん……何だ、これ。『何か』が入ってる……」
同時に、これまでに周囲の世界から俺が感じ取ってきた、「妙な違和感」の正体が分かった気がした。ひょっとして「これ」が原因だったのか?
「ちょっと宗司君、判るの?」
俺の発言に対して、冴子は心底驚いた様子だった。何に対しても動じなかった彼女が、これまでに見せたことも無い表情をしている。
「判るっていうか……感じるんだよ。何だか『妙なものが入ってる』ってことだけだけど……」
俺は、他の釘も十本ほどまとめて、手にとって見た。それら全てから、同じようなものが入っているのを感じる。冴子は、最初に俺が触れた釘を手にして、さらに驚いた表情を見せた。
「あら……これ、さっき入力した『情報』が消えてる……どういうこと? ちょっと、今触った奴はどれだっけ!」
そう言ってから、後から俺が触った他の釘も調べる。
「え?何でなの? こっちのも全部消えてる……ちょっと、宗司君、手を触らせて!」
冴子は、こっちの承諾も待たずに、いきなり俺の手の甲を握ってきた。フニュっと。
不意を突かれたせいもあって、その衝撃は絶大だった。
女子に手を握られたことは、正真正銘初めてだ。こんな形ではあったが、柔らかな手の感触の破壊力は想像を絶していた。はっきり言えば、俺は「性的興奮」を覚えた。
それこそ激烈に覚えたわけだが、とりあえずそんなことは本題では無い。重要なのは、冴子が俺の手を握った結果だ。
「やっぱり……『情報』があなたの手に移ってる……ねえ宗司君、ちょっと、それをまた元の場所に戻せない?」
そんな事を言われても、俺本人は全く理解できないわけだが……とりあえず釘を再び触ってみる。
元に戻す……? 確かに言われて見れば、俺の手の中には『何かが入ってる』気はするけど……
そうだな……ええと……「こう」か?
またも、指先にヌルリとした奇妙な感触が起こった。今度は、釘のほうに何かが『入った』ような気がした。冴子は、俺の手から釘を再び受け取ると、見る見るうちに表情を変えていった。
「これは……? なんてことなの……?」
そして、突然右手を大きくブンと振り上げると、コタツの天板を手の平で思い切り叩いた。
バアンッ!!
「す、素晴らしい!!」
ひと際でかい音が室内に鳴り轟いた。
「な……何がだよ。何を興奮してるんだよ!」
「これを興奮するなっていうの? 宗司君、あなた凄い才能よ! あれだけ大量の情報を書き込んだのに、それを一瞬で抜き取るとか、即座に元に書き込むとか、前代未聞だわ! しかも、何十本も同時に!」
「ええと……俺には全然自覚が無いわけだが……そういうものなのか~?」
「そうよ! 周囲から情報を読み取ったり、精査したりすることは、私もそれなりに出来るほうだけど、ここまで大量に転送は出来ないわ! 宗司君、見込みあるわ。きっとその能力は磨けば凄いことになるわよ!」
一応は、褒められているらしい。ただ、どうにも上から目線なのが、微妙にひっかかるんだけど……
「うーん、でも俺には、その『情報』ってのが、どういうものか、まるっきり判んないんだけどな。ただ、抜き取ったり書き込んだりできるだけじゃ、何の役にも立たないと思うけど?」
「まあ今回は、あなたに凄い素質があるらしいことが判っただけでも収穫よ。これをどう伸ばして活用していくかは今後の課題ね。それよりも、宗司君。今度はあなたにお願いがあるんだけど」
「ああ? 俺にお願いだと? なんだか、嫌な予感がするな~」
「怖がらなくてもいいわよ。ちょっと待ってて。持ってくるから」
冴子はコタツから抜け出ると、自分の部屋の方に消えていった。そして、間もなく両手に何かを持って帰ってきた。
「いくつか、教えてほしいことがあるの。この道具、みんな持ってるけど、何に使う物なの?」
まず、冴子が見せたのはスマホだった。こいつ……訳の判らない特殊技能は使えても、携帯の使い道すら知らないのか。
「これは携帯電話っていう、遠くに離れた人と会話したり文章を送信したりする機械だよ」
「通話装置なの? 思った通り、簡単な制御ボードのようなものなのね」
「いや……あれとは大分違うと思うが……」
「一応、使い方知っといた方がいいかもしれないと思ったの」
「それじゃ、俺のスマホの説明書貸しとこうか。機種が違うけど、読めば判るだろ。お前、頭いいんだから」
俺は後ろを振り返り、背後にある机の引き出しに手を伸ばすと、スマホのマニュアルを取り出した。
「それから、これの使い方も教えて欲しいの。お金をこれで管理するんだと思うんだけど」
マニュアルを受け取ると、冴子が次に見せたのは、キャッシュカードと通帳だった。まさか、そんなことすら知らないとは……
「これは、銀行口座から金を引き出したり預けたりする道具だよ。今度、コンビニで使い方教えてやるよ。ちょっと見せてみろ」
俺は、冴子から通帳を受け取って開いて見た。
「何だよ。残金ゼロ? 金持って無いってほんとだったのかよ。少しは金入れとけよ。何かと困るぞ」
「あ、そうだ! そろそろお店がはける時間ね。片付けの手伝いに行かなきゃ! 説明書ありがと。借りとくわね」
冴子は、コタツから抜け出すと、階段をタッタカ降りて行った。なるほど、こうして店の片付けもせっせと手伝ってるわけだ。うーむ、感心な奴だ。親父の奴は冴子に甘いから、結構バイト代もはずんでくれるんだろう。
俺は少し安心した。それで、こつこつと金をためれば、服とかも買えるようになるだろう。あいつも女子なんだから……って、何で俺、あいつの心配してんだか……
…………
…………
…………
それから、部屋で一人きりになった俺は、すっかり思考停止状態に陥っていた。
無理も無い。色々と数えきれないほど、訳の判らない事が起こり過ぎて、俺の思考力は爆発寸前になっているのだ。
一体、俺は何を考え、何をすればいいのだろうか……
しばらくして、当面自分にとっての「最大の問題」をようやく思い出した。
そうだ……紗枝に出すメッセージの件だ……
一体、どうすりゃいい……
スマホを取り出し、下書きを画面に再び表示しながら、俺はしばし考える。
(変なこと聞くようだけど、俺……お前の彼氏だよな?)
仮に、今のあいつにとって、俺が赤の他人になっているとしたら……
こんなメールを送られたらどう思うだろうか……これじゃ、キモイ電波だよな。
じゃあ、逆に俺のことをまだ、彼氏と思ってくれているなら……
電波とは思わないだろうが、やっぱり妙なことを聞くな、とは思うだろう。
ひとしきり悩んで、結論が出た。ごく普通にメッセージを出せばいいのだ。今でも、紗枝が「俺の彼女の紗枝」だったなら、ごく普通のメッセージを送り返してくれるはずだ。
(こっちは、新学期始まったよ。そっちの様子はどう?)
これでいい。もし、紗枝がもう俺を彼氏と思っていなくても、このメッセージは何かの間違いだと受け取ってくれるかもしれない。
意を決して、俺は「送信」を押す。即座にメッセージは「送信済み」となった。
その時、ちょうど冴子が一階から戻ってきて、俺が入っているコタツの前を無言で通り過ぎた。
「それじゃ、私部屋に戻るね。おやすみ、宗司君」
「ああ、お休み」
冴子は、離れへのドアを開けたが、中に入ろうとした直前で、くるりと振り向き、
「それにしても、イナゴ・バーガーって驚いたわよね」
と、涼しい声で言ってのけた。
(……?)
「結構抵抗あったけど、なかなか美味しかったわ」
(な……何だよ! お前も抵抗あったのかよ!)
そして、こうも言った。
「泣くほど嫌だったら、食べること無かったのに……」
冴子は、苦笑いを浮かべながら、ドアをバタリと閉めた。
(おい……)
(そう思ってたんなら、止めろよ!)
あいつのことを、少しは可愛いと思ったり、感心したことを、思い切り後悔した。
そして、再び俺の部屋に静寂が訪れた。
見たいTVも無かったので、手持ち無沙汰になってしまった。こういうときは、バンプラを組むのに限る。さっきパテ盛りした奴は乾くのに時間がかかるのでしばらく作業できないが、それとは別に組むのを中断していた大物もあったのだ。机の隣に積んだ、ストックの山の一番上の箱を掴んで、コタツの上に置いた。ニッパーでパーツをパチパチ切り取り、ナイフでゲートをキリキリ削っては、組み上げていく。
そんなことを繰り返し、やっと右足が完成しそうになった辺りで、あるひとつの考えが、何気に頭に浮かびあがってきた。
素朴だが、至極全うな疑問が。
ていうか……「法学」って何?
ていうか……冴子……あいつ、結局何者?
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