第6話「長姉相続」
当主の老婆が亡くなったことを鷹志田が知ったのは、夜になってからであった。
あてがわれた部屋でうたた寝をしているうちに、本格的に撃沈してしまった彼は、宇留部邸内の異常に気づくことができなかったのだ。
彼のことをもっとも気にかけていた舞衣でさえ、祖母の突然の死に気を取られ、その存在を忘却しきっていたぐらいであった。
外との連絡がつかないことに気がついた宇留部一族は、病院や葬儀屋にコンタクトをとるため、隣の家に三女の夫を遣いにだした。
ついでにかかりつけの医師を迎えに行くために、姉妹の従姉妹である清美が車を出すという話になっていた。
医師による死亡確認がなくとも、末期の水ぐらいはできるので、そこは年長者である琴乃たちが形式的に行っていた。
それから、刀自の遺体をとりあえず部屋に安置して、彼らは一番広い居間でこれからのことを相談していた。
鷹志田はそこに現れた。
「すいません、お水をいただけませんか? 喉が乾いてしまって……」
用意されていた急須のお茶を飲み干してしまった鷹志田は、申し訳なさそうに告げた。
さっき簡単に紹介された時とは雰囲気がまったく違うことに、すぐには気がつかなかった。
多少寝ぼけていたのかもしれない。
その声を聞いて、宇留部家の人々はようやくたった一人の部外者の存在を思い出した。
「あ、弁護士さん、いたんだっけ」
「忘れてたわ」
一族の当主の死に混乱していた人々は、とりあえずことのあらましを鷹志田に説明した。
驚いたのは鷹志田も一緒だ。
自分が眠りほうけていた間に、依頼者が亡くなっていたのだ。
そのことについて彼にはなんの責任もないのだが、罪悪感を覚えてしまう。
同時に、弁護士としての自分の立場が揺らいだことにも気がついていた。
(刀自は私を例の舞衣さんに全財産を相続させるための方策を練るために呼び出したのだから、ここにいる親族の大部分にとっては敵みたいなものなんだよな。お役御免ということになるかな。舞衣さんに頼るというてもあるけど、後ろ盾がなくなった以上、彼女にはもう発言権はなさそうだし。もう目はなくなったか)
迎えに来てもらった時の舞衣の扱いを思い出す。
この癖の強い親族に対抗するだけの力強さは舞衣にはなさそうだ。
すると、刀自の望みは叶わず、ごく普通に四分の一ずつの遺産分割となることだろう。
ただ、その際にできる限り舞衣に有利に分割をすることはできるかもしれない。
そのためには舞衣と直接委任契約を結ばないとならないが、心情的にはともかく実質的な味方のいない彼女の心の隙につけこむことは不可能な話ではない。
自分が彼女の味方だと信じさせればいいだけなのだから。
その意味で鷹志田は、宇留部家ではなく、舞衣の顧問弁護士となる方が良さそうだと考えた。
顧問が後ろに控えているのと、孤軍奮闘では最初からの立場がまったく違うことになる。
ただ、立場の弱い可哀想な薄幸の美女に同情したわけではない。
弁護士はビジネスマンでもあるのだ。
舞衣に味方する方が金になる。
それだけのことだ。
「先生、申し訳ありませんでした……。ドタバタしていて、お構いもせず」
「いえ、舞衣さんこそお辛いでしょうに。お察しします」
「ありがとうございます」
部外者であることを意識して居間の端に寄って考え事をしていると、舞衣が話しかけてきた。
内心の打算をおくびにもみせず如才なく振舞ってみせる鷹志田。
若いせいかこういう場には不慣れだったが、そこはフィーリングでなんとか乗り切れそうだ。
憂い顔の美人は絵になると、心の中でやましいことを考えてもいたが、それはどうでもいいことである。
「かかりつけのお医者様に確認していただいたら、葬儀屋さんや親戚の方々に連絡して、明日の夜にはお通夜ができればと思っています」
「週末ですからね。なんとかなるでしょう」
「先生はどうされます? 祖母の予定では今日の夜には先生の用意された叩き台をもとにして、遺言の準備をしてから、別の機会にもう一度来ていただくという話でしたが……」
「そうですね。おばあ様がお亡くなりになった以上、もう遺言書は作れませんね。ただ、故人の意思はうかがっているので、それに基づいた遺産分割ができればいいと思っています」
そう言いながら、鷹志田は目配せをしてみせた。
廊下で話ができないか、という内容で。
おそらく頭の回転の早そうな舞衣なら通じるだろうという確信を持っていた。
一瞬、驚いた顔をした舞衣だったが、意味がわかったのか、
「そういえば、先生。お夜食はお食べになっていませんでしょう。台所に簡単に食べられるものがありますので、どうですか?」
「ああ、助かります。忘れられていたからか夕飯もご馳走になっていないもので」
「ええっと本当にすいません。では、こちらに」
本当に申し訳ないと思ったのか、舞衣の顔は八の字眉の困ったような顔をしていた。
彼女たちも何も食べていなかったのだが、それは親族―――今となっては遺族なので仕方の無い話だったが、客にまで何も出さないというのは筋が違う。
二人っきりで話をしたいという鷹志田の思惑もあったが、客を饗さなくてはならないという主人側の義務を疎かにしてはならないと考えたのもあるだろう。
台所に行くと、ラップに包まれたおにぎりを出された。
量があるので、夜食用にわざわざ用意されたものらしい。
テーブルに腰掛けて食べ始めると、舞衣も正面に座った。
その間にお茶の準備をしてくれるようだ。
「……舞衣さんはどうなされますか?」
「なにをでしょう?」
「遺産相続の件ですよ。この件に関しては遺言書作成がメインであったようなので、刀自がお亡くなりになった以上、私は用無しです。ですが、貴女にはこれから先のほうで弁護士が必要でしょう。無理にとは言いませんが、このまま私に委任されますか? 力になりますよ」
「……」
「叔母さんたちは貴女にとっては厄介な相手になるでしょう。それに、私が見たところ、菊乃さんの旦那さんは面倒そうです。若い女性が一人でやりあうのは大変だ」
「そう……ですね」
「正直、乗りかかった船というのもありますが、この家の財産管理の一端を担えれば、弁護士としての私の仕事にとってもメリットになります。それに貴女個人の代理人ということになりますので、遺産分配もできたら貴女に有利になるように進めていけると思いますが……」
一般人は弁護士というか、法律関係者をトラブルに入れることに高い意識のハードルを持っている。
普通はそれを乗り越えて依頼することになるのだが、なかなか決心がつかないものが大半だ。
諸外国ならまだしも、日本ではまだまだといっていい。
そのせいで弁護士などに相談に行った際には、もう手遅れになっているケースは多々ある。
舞衣の逡巡もそういったものだろう。
鷹志田はそう考えていた。
「頼んでみたら、従姉さん」
いつの間にか台所の入口に一人の青年が立っていた。
茶髪の、いかにも遊んでいそうな感じの大学生という印象だった。
三女の菊美の息子で、小夜子の弟だった。
鷹志田の覚えている限りの情報によれば、去年都内の私立大学に入学したばかりのはずだ。
見た目からチャラ男のようなので、鷹志田は内心でそう呼んでいた。もっとも、そんな様子はおくびにも出さない。
「智くん」
「あ、俺にもお茶を一杯もらえる? ―――で、この弁護士さんの言う通りにすれば。従姉さん、まともにうちの母親なんかと口論できないでしょ。下手をすればお祖母ちゃんの財産全部持ってかれるよ」
「そんな」
「母さんはそこまでするつもりはないだろうけど、菊乃伯母さんなんかしゃぶりつくす満々だぜ。あと、幸吉伯父さんも」
智は出されたお茶を飲む。
多少、ぬるいとはいえゴクゴク飲むので相当喉が渇いていたようだ。
だから台所に来たのだろうか。
「……君は舞衣さんの味方をする気なのかい?」
「うーん、味方というわけではないね。ただ、お祖母ちゃんの昔話を聞いていたから、ちょっと嫌な予感がするだけ」
「昔話?」
「うちに伝わる話。先生には関係ないけど、孫の俺たちにはよくお祖母ちゃんが語っていたんだよ」
「なるほど。よくわからないけど、その影響というのがあって、君らは舞衣さんにひどいことはしたくないという訳か」
「ら?」
「君のお姉さんも言葉を濁してなんか言いたがっていたぞ」
「ああ、姉ちゃんもか。まあ、そうだよな。母さん達も知っているのに、欲の皮が突っ張っちゃったせいで忘れてるみたいだけど、普通は覚えているはずだし」
「意味深だな」
鷹志田は眉をひそめた。
なんとも歯にものが挟まったような言い方だが、この一族には共通した何か秘密のようなものがあるようだった。
それが相続にまつわるものらしいことしか想像できないが。
「……それは、宇留部の土地に財宝とかが眠っていたりするとかいうことなのかい」
思いついたのはそれぐらいだった。
それなら、通常の遺産分割をしたりすると困ったことになりかねない。
「面白いこと言うね。さすが、高学歴」
「どうも」
確か、大学の偏差値ではこの智の方が鷹志田の出身校よりは上だった気がした。見た目とは裏腹に成績はいいようなのだ。
だからか、やや学歴コンプレックス気味の彼には嫌味にしか聞こえなかった。
最難関の国家資格試験を突破したとしても、そのあたりの劣等感は抜けてくれなかったようだ。
ダメだな、私は。
そう鷹志田は内心でごちた。
「お祖母ちゃんがいうにはね。うちは長姉相続が絶対で、それができないと家督が滅びるとか言うんだよ」
「ちょうし? ああ、長姉ですか」
「うん。古い家だから、長女が継いで婿をとってそれでずっと永らえてきたらしいよ。お祖母ちゃんもそうだったらしいし」
「―――ただ、今回はお祖母様の前に私の母が亡くなってしまって」
舞衣の母親―――喜世子はもう他界している。
長姉相続というのならば、彼女に行くのが筋のはずなのだが、その分は舞衣が代襲相続することになる。
だから、刀自は舞衣に全財産を譲りたいと固執したのか。
ようやく鷹志田は問題の核心を理解した。
「なるほど、すでに本来の長姉がいないから、こう言ってはなんですが、次女と三女が調子に乗っているというわけですか」
「あと、幸吉さんもね。養子に入っているし」
「その辺の事情は知りませんが、よく刀自が認めましたね」
「大叔母さんと清美さんがゴリ押ししたらしいよ。細かいことはしらないけど」
そう言った一族の事情があるから、相続がうまくいきそうにないと、刀自は彼を呼んだのか。
もう少し早く聴きたい情報だった。
ただ、とりあえず長姉の相続人である舞衣の側につく者がいたほうがいいという最初の話に変更はなさそうだ。
「それに、従姉さん、
「なんで」
「武さんのことかい? 菊乃さんの一人息子の?」
「うん。……武兄、離婚のときの慰謝料で首が回らないらしいからさ。金のためならなにをするかわからない」
「まさか。武兄さんはいい人よ」
「それは子供の頃の話さ。今は違うと思う。離婚の原因だって、奥さんへのDVらしいし。まあ、ちらっと見たことあるけど、あの奥さんもキチ入っていそうで嫌なタイプだったけどさ」
大学時代にラグビーをしていたという武は、今年で三十歳になる会社員だ。
だが、すでに一週間以上の長逗留をしているという話なので、もしかしたら会社員ではなくなっているのかもしれない。
要注意、と頭の中にメモをとった。
それから、三人で少しだけ雑談をして、鷹志田が情報収集に励んでいると、また一人が台所にやってきた。
次女の旦那の幸吉だった。
誰かを探しているように視線をキョロキョロと動かしていた。
「おい、おまえら、清美……さんを見なかったか?」
三姉妹の従姉妹にあたる宇留部清美は、エブリイで出かけたはずである。
そのことを舞衣が言うと、
「さっき見たらエブリイは駐車場に停まったままだった。清美……さんはまだ出ていないみたいだった」
時計を見ると、すでに一時間以上前に出発したはずなのに、まだ邸内にいるというのだろうか。
鷹志田は立ち上がった。
「ちょっと見てきます」
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