20.義経現代伝
「いいさ、いくらでも聞こう」
「ありがたき言葉にございます」
仰々しい言葉遣いで礼を述べると、九音はゆっくりと顔を上げた。そのまま、真剣さが張りついたような表情で俺を見つめる。
その様子に俺は思わず溜息を吐いた。
「聞くには聞くが、お前その言葉遣いをやめろ」
「おや? 何か問題でもございましたでしょうか?」
「問題だらけだ。まずは、うざったい。次に、面倒くさい。んでもって、最後に」
正座のまま身を乗り出し、九音に顔を近づけ、
「俺は、常盤九音の話を聞くんだ。源義経じゃない、一人女の言葉をだ」
俺がこの話の席に着いた理由を述べた。
「…そうですか。では、私もこの家で過ごしたままに振舞いますね、義君」
九音はどこか困ったように苦笑すると、俺としっかり目を合わせて見慣れた笑顔を見せる。これから重要な事を話すというのに、いつものような談笑をするようで不思議と空気が和んだ気がした。
「さて、何から話してくれるんだ?」
「そうですね…では、本当に始めから話したいと思います。最初の、私が義経であると自覚した時からですね」
そう言うと九音は俺の表情を一度確認し、こほん、と咳払いをすると過去を懐かしむように話を始めた。
「以前に私が鎌倉へ来る事になった経緯をお話しましたが、覚えていますでしょうか?」
「家の相続だかなんだかで、逃げて来たはずだ」
「はい、その通りです。覚えててくれたんですね。めっさ嬉しいです」
「そう忘れんだろうさ、一度聞いたことなら。いいから、話を進めてくれ」
ダイレクトに好意を示され、照れ隠しを行うようにぶっきら棒に話を本筋に戻してしまう。九音は俺の心の内をすべて見透かしたように、クスリと控えめに笑うと、
「平泉を出た時なんです、私が義経である事に気がついたのは」
静かに自分の過去を話し始めた。
「鎌倉を追われた時と状況が似ていたせいでしょうか、あの日私はふと自分の過去を思い出したんです」
「思い出す…か。前世を持つというのは、記憶喪失に近いものなのか?」
「いいえ、少し違います。無くしていたというより、思い出すんです。そうだったのかではなく、そんな事もあったなという感じでしょうか」
つまり、九音の言う事を鵜呑みにするのであれば、前世を持つという事は断続的に生き続けたという事になるのだろうか。
「記憶の継続か。しかし、それまでは思い出せなかった以上、いわば記憶の改ざんが行われたという事にならないのか? いや、言い方がくどいな。つまりはだ、思い出した時点で元の人格が変質するという事にはならないのか、という事だ」
俺は自分が思った事を素直に口にする。自己というものは曖昧なもので、認識を違えることがあれば、そのものが変わってしまう。九音の状況が気になるのも仕方のない事だろう。
「そうであればどれほど楽であった事でしょうか…」
九音の表情があからさまに曇っていく。どうやら、デリケートな部分を突いてしまったようだ。
「結論から言えば変質ではありません。今の自分があり、過去に自分が何をしていたかを思い出しただけなのですから。それはつまり、義君の言う通り継続でしかないのです。変質は伴わず、結果へと着地すると言うべきでしょうか。私の場合はっきり言ってしまうと、黒歴史を掘り起こしてしまった気分でした」
「黒歴史…」
「ええ、今の私は女性であり、母と暮らしていた記憶があります。つまり、かつては理解しえなかった女性というものを理解しているという事です。結論から言えば、理解へと意識が移行できたのは幸いでした。性別の不一致というものは、なってみなければ分かりませんが存外悩みの種になってしまうんです」
「そいつは…よかったんだよな? 無事に自分を受け入れられて」
「ええ、今の自分を許容できたという部分ではですが。しかし、そうなると私の過去…男性であった事について女性として思う部分が出てくるのです。そう、私の過去は…」
義経には確か三人の妻がいたはずだ。一人はここ鎌倉に縁のある静御前。奥州…今で言う岩手まで連れて行った郷御前。そして資料があまり残っていない蕨姫。
蕨姫に関してはなんとも言えないが、他の二人は確かによくない最後を迎えていると言えるだろう。とはいえ、
「仕方のない事だったんじゃないのか?」
静御前は鎌倉に帰す際に、結果的に失敗であったが護衛をつけて金品も渡している。郷御前は自分で手にかけたと言われているが、どの道助からない状況であったのならば、一つの選択肢であったと言えるだろう。
「仕方のない…そう、そのように見えるんです。記録においてはそうです。ですが、あの時私は…邪魔がいなくなったと、心から思ったのです」
俺は沈痛な面持ちで言葉を弱々しく発した九音を静かに見つめる。
「静が居なくなり、荷が下りた思いでした。彼女が私の子を身ごもっていた事実を私は知っていたというのに。それすらも、単に荷物であるとしか認識していなかったのです」
「そうか」
「郷を手にかけたとき、私はまだ生きる気でいました。ですから、足手まといが無くなったと思いました。娘と郷がいなければ、逃げ切れると。この手で妻子を殺めておきながら」
「…そうか」
「それらを自分の一部であると認識してしまった私の気持ちが分かりますか? 記憶の継続と言えど、姿かたちも変わったこの身で全てを受け入れろと? ええ、受け入れましたとも。だってそれは、紛れもない私の人生だったんですから。けれども、受け入れたとして私は…何を思えばいいのでしょうか」
かつての本心の吐露。その感情に対し俺がどう思うべきかは定かではない。されど、九音自身が黒歴史といった以上、
「そうか、後悔しているんだな」
何を差し置いても、残ったものは一つなのだから。
静かに俺の言葉に頷いた九音は、小さく、ああ、と感嘆の声を上げる。
「女の身になり理解した苦労。平泉から逃げ出した後、自分が仕出かした事を知るたびに身を震わし、過去を憂う日々。気がつけば鎌倉にいた今。それら全てを言い表す言葉は、後悔だったんですね」
「…分かっていなかったのか?」
俺は九音の言葉に驚き、言葉に詰まりながらもそう質問する。
九音はわずかに笑みを口角に浮かべ、首を横に振った。
「いいえ、分かっていて逃げていたんです。後悔なんてすれば、あの子達は…不幸にも私に付いて来た女達に対して失礼でないかと。酷い言い訳です。自分に罰を与える事で、許されようとしてるなんて。ああでも」
九音は儚げな、今にも崩れそうな笑顔で俺を見て、
「人に生まれた以上、いつかは救われてしまうのですね。自分を罰し続けるなんて、それこそが真実のエゴに違いありません。この後悔こそが私の罪。ごめんなさい、みんな。ごめんなさい…」
ようやく、ずっと言いたかった言葉を口にする事ができたのだろう。
「勝手に喋り出して、勝手に救われて。せわしない事だな」
「ええ、そして身勝手な話です。ですが、それこそが私なのです。例えどれほど他者の痛みを知ったとしても、それを止めることなど出来ないと、身勝手に生きてこその私だったんですね。それは例えどのように変質しても、義経である以上変わらないことだったのです。私にとって前世を持つとは、後悔も含め過去からの歩みだったんですね」
「過去からの歩みか」
俺は柳の言葉を思い出していた。
あいつは前世を持つことを今を生きるための糧だと言った。
そして、九音は過去からの歩みであると口にした。
はたして正解はどちらなのかと考え、恐らくは自分で答えを出した結果が答えなのだと、俺は勝手に納得していた。
「さて、これにて私の中の葛藤も消化できた訳ですし、本題へ戻りましょうか」
「清々しいまでの切り替えの早さだ。いいぞ、実に好ましい」
「えっと…それで、どこまでお話しましたでしょうか?」
「阿呆め、お前が前世を思い出した所で話が脱線したんだ」
「まあ、そこからですか。参りました、私悩みが解決しましたので、長い話をするのがめっさ面倒です」
「お前…自分から話すと言っておいてからに」
俺の気のせいでなければ、正体がばれる前よりもはるかに自由になっていないか?
俺は、迂闊に九音の悩みを解決した事を後悔し始めていた。もし、九音が開き直って義経部分を全力で出してきたとすれば、対処に終えないだろう。なにせ義経は、史実にしてもめちゃくちゃな事をやらかしているからだ。
「九音、抑え目で頼むぞ。何の事かは分からんでいいが、ともかく抑え目だ」
「はい、全力でいきます。全て分かった上で全力で頑張ります」
九音はかつてないほどの全力の笑顔で俺の願いを正面から叩き割った。
駄目だ、この女薄々分かっていたが性格が悪い。清美とは違った意味で、話が通じないタイプだ。面白い、実に面白い。今は面倒以外のなにものでもない訳だがな。
「さて、では話の続きをしましょう。義経だと分かった結果、どうしても鎌倉に帰りたくなった私は、追っ手をまきつつ鎌倉へ。鎌倉到着後、自分の過去を書物などで読みながら、心を痛めたりヤキモキしていました。その過程でストレスを発散するごとく色々な趣味に没頭し、意外とエンジョイライフを送りました」
「随分と色々端折った上に余計な情報があるが、存外分かりやすいな。いいぞ、その調子だ」
「そして、どうしても解決しなければいけない出来事に出くわし、気がつけばある男性にかどわかされ、レズとポンコツ少女が居る家へ軟禁される事になりました。さらに日焼け系サバサバ女子と不思議系黒髪幼女が家に追加され、私の行く末はどちらへ。ああ…無常です」
「何が、ああ無常だ。軟禁などしていないし、かどわかしてなど断じてない。お前が勝手に住み着こうとしたんだろうが」
俺は気を荒立てずに冷静にツッコミを入れた。九音が明らかにハッスルし始めた以上、俺が冷静さを保たなければ、場が荒れに荒れる事間違いないからだ。
というよりも、
「解決しなければいけない事って何だ?」
九音が完全に需要な部分を誤魔化しにかかっている以上、流される訳にはいかない。
「義君、めっさ寂しい反応です。すっかり枯れてしまったんですね…」
「枯れとらんわ! …ごほん、九音よ俺は誤魔化されんからな」
「自分は毎回誤魔化そうとするのに、人には駄目だというのは暴論ですよ」
「黙れ、俺はそういう人間だ」
「そうでしたね」
九音の奴、あっさり納得しやがった。ふざけるなよクソ女、とでも言いたい所だが事実なので押し黙るしかない。九音が自分を認めたように、俺も自分を認めよう。決して楽な方に流れているわけではないぞ。決してだ。
「このまま押し問答をしても義君が疲れるだけですね。仕方ありません、義君にはもう分かっている事でしょうし、話させていただきます」
やれやれといった様子で溜息を吐く九音。腹が立つが、事実俺は大体の予想をつけていた。というよりも、初めて会った時の行動と九音の正体が分かれば、ある程度の察しが付く事なのである。
「結論から言えば、私はあの鶴岡八幡宮にいる富士坊主を倒さなければいけません」
「倒す、か。それは使命か?」
「ええ、そうなります」
「そうか、ならばお前の本当にしたい事ではないな」
九音の嘘を俺はバッサリと切り捨てた。
「…酷いですよ、義君。分かっているからって、物事をストーレートに言うのは、ぶつけられた方からすれば事故にあったようなものなんですよ?」
「お前が素直に目的を言わないからだ。違うな、中途半端に誤魔化すのがいけない。解決したい事と言っておいて、今度は倒すなんざ、どうも噛み合わないだろ。お前はさ、知りたい事があるんだろう?」
俺の予想が正しければ、九音は富士坊主を倒したい訳ではない。それ以前に九音の抱える問題の核は富士坊主ではない。
「分かりました、降参です。義君の言う通り、私はあの富士坊主に…いいえ、富士坊主に取り込まれたモノに用があるのです」
そうだ、富士坊主は宿したモノの念によって成長する。そして、故あるものにしか見る事が出来ない。最初から見えていたのは九音だけであるというならば、必然として源氏関係の誰かが宿されていると言う事になる。
「あの日、私が静の所縁を訪ね、舞殿に立った時。確かに私は見たのです。それは誰かの後悔の念でした。…いいえ、私がそう思いたいだけなのかもしれません。しかし、あの日確かに私は富士坊主から発せられた、あの光景を見てしまったのです。忘れる事の出来ない、あの光景を」
九音はあふれ出る感情を押し殺すように、顔をうつ向かせる。そして、小さい、それでも確かに覚悟のこもった呼吸をすると同時に顔を上げ、
「私は確かに、私が送った文を畳に押し付けるにように握りしめる光景を見てしまったのです」
揺るがぬ意志のこもった瞳で俺を捕らえる。
「そうか、そういう事情か。ならばお前が確かめなければいけない事とは」
「はい、義君の言う通りです。私は知りたいのです」
そして、その瞳を俺から離さすまま、体を乗り出すようにして、
「私は…源義経は、富士坊主の中にいる
富士坊主の正体を口にした。
源頼朝、この鎌倉を造った人間の名を確かに口にしたのだった。
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