灰色の選択(2)

 パーティーから1週間後の夜半、僕は文字通りの地獄にいた。

 目隠しと両手両足を拘束された状態で車に乗せられ、どこかへ運ばれている。両サイドから時折押しつけられる金属が何であるか想像しただけで震えが止まらない。果たしてこの車はどこへ向かっているのか。その先で何が待っているのか。僕は……生きて帰ることが出来るのだろうか。


 発端は突如発生した大規模地震。日本とは異なり滅多に地震の無い中東では建物の耐震なんて無いに均しく、各地で建物が崩壊し、街は阿鼻叫喚の大騒ぎとなった。

 日本人スタッフの多い鷹羽の人間は比較的直ぐに立て直し被害状況の確認と避難誘導を始めたのだが、現地の人間はそうもいかない。突然起った天変地異により冷静さを失い、神の怒りだ、土地を荒らした神罰だと地にひれ伏す者が多数。確かに地震は怖い。比較的慣れている日本人ですらそう思うのだから、未知に均しい体験である彼らからすれば本当に世界の終わりにも感じるのだろう。でも、街を守る警備の兵士がそうなるのは勘弁頂きたかった。

 地震の発生から約5分。示し合わせたかの様に過激派ゲリラが鷹羽の施設を襲撃。地震の動揺から立て直すことが出来なかった兵士はあっさり突破され、敷地内への侵入を許すこととなった。

 余震が続く中彼らの快進撃は止まることを知らず、ついには僕が宿泊している社員寮へ。皆が集まる管理棟へ向かおうと準備をしていた僕の部屋へ押し入り、威嚇としてライフルを数発発砲。正直、漏らしそうなくらい怖かった。だって、突然ターバンで顏を隠した男たちがわらわらと入ってきて、戦争映画まんまのライフル(確かAKとかいうメジャーなヤツだ)を発砲してくるんだから……平和ボケした日本人にその事実を受け止めろというのは酷な話である。

 一方の彼らは落ち着いたもので、懐からiPhoneを取り出し(こんな状況でもiPhoneは活用されている。正にデファクトスタンダード)、画面と僕の顔を見比べ始める。やがて納得がいった様で、リーダーっぽい男が合図すると、横から二人が僕の両手を拘束。嫌な予感がと思った矢先に腹に一発強烈なブローを頂く。痛いとかそう言う感触じゃ無い。どちらかと言えば重い、だ。たまらず膝をつき、ゲロゲロと胃の中の物を吐き出す。追い打ちに後頭部を銃のストックで殴打され、僕の顔は吐瀉物の中へ落下。そうして、僕は一旦意識を手放した。

 次に目覚めたときは既に車に乗せられており今と同じ状態である。勤めてから色々な国へ行くことはあったが、こうした本当の危険に接触する機会は無かった。時には内戦間近の国へ行くこともあったが、基本的には常に警備の人間と一緒だ。隣の戦火などどこ吹く風、正直他人事としか感じていなかった。その酬いが遂にやってきたのだ。

 まぁ、端的に言うと僕、川瀬明日麻29歳は……のです。



 情報通り、前方には猛スピードで走る日本製の自動車を改造した車が3台。砂煙を上げながらこちらへ向かってくる。まだちょっと距離があるからおそらく向こうからこちらは見えていないだろう。

「見つけた。この調子だとあと10分かそこらでこっちとすれ違うかな」

 咥えタバコで暗視装置の付いた双眼鏡を使い荒野を走る車両を捉えながら、横でオフロードのバイクに跨がる相方にそう伝える。方角、風向き、遮蔽物、共に条件は悪くない。これならやれるだろう。

「了解。それじゃキリノ、作戦通り露払い宜しく」

「……いいけど。もし一番前に乗ってたら知らないぞ」

「わざわざ3台で走ってるんだから普通真ん中でしょ? 外れてたら……まぁ、このまま何もしなくても国連に空爆されて皆殺しにされるだろう未来は変わらないわけだし。過ぎたるは及ばざるが如く、果報は寝て待つより迎えに行った方がより価値があがるのよ」

 何だかよく分からない格言を言うとキックスタート。バルバルバルバルと力強いエンジン音と共に勢いよくオフロードバイクが飛び出して行く。跨がる彼女のトレードマークであるがテールランプと共に闇夜に赤い軌跡を残す。

 ヤレヤレ、彼女の肝っ玉の据わり具合にはいつも驚かされるが今回もなかなかなものだ。さらっと言っていたが、失敗すればまず間違い無く空爆という状況である。実際、私たちの双肩にちょっと笑えない数の人の命と、歴史の教科書に載ってしまうかも知れない小規模な戦争開始の引き金が託されているというのに。

 私、こういうことをする為にここに来てるんじゃ無いんだけどな。それでも何だかんだで手伝って、巻き込まれて、最終的にはフォローすることになってしまうのだから。これも彼女の人望の成せる技か。それほどまでに彼女は、魅力的な女性なのだ。

 さて、いい加減腹をくくってさっさと始めよう。短くなった紙タバコを息で吹き飛ばし、風で暴れるショートボブの黒髪をヘアピンで押さえつける。

 どさっと、担いできたケースを下ろし、中身を取り出し手早く組み立てていく。本当に早い人は15秒程で組み立てることが出来るらしいが、私は別にこれが専門というわけでは無いのでたっぷり30秒以上かけて準備する。しっかりと地面に設置。腹ばいの姿勢でスコープを覗き構えを取る。形状は大口径の狙撃用ライフル。対物ライフルだとか、アンチ・マテリアル・ライフルだとかそんな呼ばれ方をしている代物だ。昔は対戦車ライフルという名称だったらしいが、今時の戦車は非常にお堅くなりやがられましたのでその名前は取り消しになったのだとか。でもスマートフォンは年々巨大化の一途を辿り、一時期のパカパカケータイより大きくなっちゃった気がする……あ、ショルダーフォンに比べるとスマートだからいいのか。

 突っ込み不在の為、若い世代には通じない思考のルーチンはセルフ処理してそっと胸の奥にしまっておこう。こんなの若い子に聞かれたらまたおばさん扱いされかねない。因みに私は初期ケータイ世代。PHSはもう終わりかけだった感じです。おっと年齢がばれてしまう。

 そんなどうでもいいことに思考を割きつつも、準備は淡々と進む。スコープで真っ直ぐ対面をこちらに向かって突っ走ってくる車を確認。初弾装填。では、ここからは私の領分だ。


 腹ばいの姿勢のまま、深く息を吸い込む。

 シンと冷えた夜の空気。

 体内に取り込んだら循環させ、ゆっくりと吐き出す。

 意識を、整える。

 境界の向こう。

 こちらの在り方と、あちらの在り方。

 体はライフルを構え、視界はスコープ越しに対象を捉え、意識は境界の狭間から俯瞰する。

 体の震えを、己の呼吸を、対象の物理法則を、存在の在り方を。

 全て手中に収め、そのを結ぶ。


「―――あいました」


 拍手、の代わりに右人差し指をかけた引き金に力を入れ撃鉄を鳴らす。轟音と共に発砲。マズルブレーキから噴出される発砲煙。渇いた大地から巻き上がる砂煙。物理法則にのっとり12.7mm弾は約3km先の車目がけて撃ち出された。

 着弾の一瞬前、車は荒野の瓦礫に足を取られ右へ急ハンドル。時速100kmを超える速度での走行、当然車体は元のコースを外れることになる。つまり、真っ直ぐ車線を狙った弾丸は虚しくも外れることとなるはず―――だが、逸れたコースを追尾するかの様に狙い通り車のエンブレムマークへ吸い込まれた。

 初段命中。ボンネットへのクリティカル。轟音と共に車は炎上。後続車両2台は急ブレーキで炎上した車を回避して停止。

 着弾を確認。次弾装填。再び構え、整え、結ぶ。

「―――あいました」

 撃鉄拍手。轟音。マズルブレーキ。最後尾を走っていた車のフロントガラスへ吸い込まれていく弾丸。次弾も命中、爆発を確認。

 はい、お疲れ様でした。あとは、彼女の領分だ。



 爆発を2度確認。超長距離かつ夜間の狙撃。通常なら当たるわけが無い芸当。だが、結果は2発とも命中。それもクリティカルと呼べる成果。しかも1発目なんて予期せぬ車の進路変更で絶対に当たらないケースだ。でも、当てた。まぐれじゃ無い。放たれた弾丸は文字通り着弾したのだ。

 彼女、狗条くじょう 霧慧きりえの狙撃とはそういうモノなのだ。撃つ前にターゲットと弾丸の縁を結び、後はその縁に合わせるというトンデモスキル。魔法と呼ぶに相応しい芸当である。キリエが言うには、銃弾の精製にはいくつも工程が必要で、故にこれは“神秘”に分類される魔法ではなく、“方法論”を体現した技法の一種だそうだ。そうした日本独自の魔法をキリエは咒方術じゅほうじゅつと呼んでいる。

 魔法は祈りと奇跡によって生み出される神秘。咒方術はまじないと方法論によって成立する成果物。そう以前聞かされた。正直、私には違いがよく分からない。そう私が答えると、彼女はいつも通りアルコールで上気した顔でこう言うのだ。

「まぁ、こんなモノゴトの分別なんて後付けで他人が勝手にカテゴライズしてるだけだし、当人からすればどっちでもいいのさ。……あぁ、これはあれだ。そう、つまりは宗教と一緒なのかもしれないな。端から見てれば違いなんて無いし、元を正せばルーツは一緒かも知れない。でも、それを証明する手立ては無いし、証明したくない、されては困る、する価値が無い、しない方が人類皆平穏に暮らせる、そう判断した結果、ちょっと声が大きくて、シンパの多い人が決めたカテゴライズや主義主張がオフィシャルになってんの。あれ? ということは私も魔法使い? あははははじゃあ私魔法少女だ! あははは魔法少女! 魔法少女キリノちゃん! ふりふりの服着て魔法のステッキの代わりにライフル振り回して! 知ってた? 日本の魔法少女の中には肉弾戦をメインで戦うアニメも多いんだよ?」

 大変ご機嫌な様子でした。彼女はそろそろアルコールを控えるべきである。

 因みに、30歳を超えてしまっている彼女は“少女”ではないので、あえて言うなら“魔女”である。3km先からライフルでピンポイントショット決めてくる魔女。どう考えてもそれは悪魔の類いだ。

 彼女を魔女で悪魔だとカテゴライズするのであれば、私は……うん、どう考えても私の方が悪魔だ。というか悪魔そのもの。紛う事無き悪魔。では、悪魔は悪魔らしく、カチコミに行きますか! 

 2発目の着弾、爆発と間髪入れずにバイクは唸りを上げて急接近。暴れる車体を押さえ込みながら全力でアクセルを回し、炎上する車から逃げ降りようとしていた男めがけて車体を飛び込ませる。そして直ぐにアクセルターンによる急停止。……結果については特に報告しない。みなまで言うな分かるだろ。

 そしてバイクを急停止させるや否や、呆然とその様子を見ていた唯一無事な車に乗る男たちに向かって告げるのだ。

「今晩は背信の戦士たち。お姫様をもらい受けに来たわ」



 ……踏んだり蹴ったりである。

 1度目の爆発の後車は急停車。思いきり顔をシートにぶつけ鼻を強打……血の味がする。あぁ、絶対鼻血出てるよコレ。でも、おかげで目隠しがずれて視界が開ける。何とか体を起こすと2度目の爆発が発生。窓の外ではさっきまで車であったであろうモノが炎上している。ジーザス。

 そして唐突に現れたオフロード仕様のバイクに跨がる女。暗闇でもその姿が女性だと認識できたのは燃える2台分の炎のおかげ。黒いパンツにカーキ色のミリタリジャケット。そして何より特徴的な、真っ赤な長い髪。夜風に靡く長い髪は、まるで燃え上がる炎の様に妖しく闇夜に揺らめく。

「今晩は背信の戦士たち。お姫様をもらい受けに来たわ」

 英語だったので幸い意味は分かる。お姫様? こいつら僕以外にも拉致しているのだろうか。この車には僕以外人質はいなさそうだが……

 その赤い姿を見るや否や我先に男たちは車から飛び出し、腰だめに構えたライフルを乱射する。声の後直ぐバイクから飛び降りた女は、低い姿勢で地を這うように接近。まるでライフルの軌道が分かっているかの様な動きで一発も当たること無く一番近くにいた男の目前まで接近。低い姿勢から跳ね上げる様にライフルのマガジンを蹴り上げて外し、2撃目でスライドを蹴り込んで強制排莢させ無力化。何が起きたか分からず硬直した男の鼻っ柱を殴り昏倒させる。更に、意識を失った男を盾に腰から拳銃を抜き発砲。狙われた男は大した抵抗も出来ず銃弾をまともに受けて崩れ落ちる。

 残るは二人。二人の男のうち濃い色のターバンで顔を隠した方(もう一人は薄い色である)が、車の中でうずくまる僕を引っ張り出し、盾の様に前に立たせた上で空に向かって発砲。その銃をそのまま僕の頭部にゴリゴリ押しつけて何やら大声で叫びだした。熱ッ!! ちょ、マジ止めて熱いから!! 

 何言っているか分からないけど、大方想像はつく。どうせ、人質を殺されたくなかった武器を捨てて投降しろとかそんなんだろう。……欧米の対ゲリラマニュアルによると、より多くを救う為に人質ごと撃ち殺すことを推奨していると聞いたことがある。それにさっきあの赤い女は“Princess”と言った。なら彼女の救助対象は僕では無い。

 ……終わった。僕の人生ここまでだ。こんなことならこの前日本に帰ったとき、吉原の超高級でアレなお店に行けば良かった。安いところで妥協したら見事に地雷引いてしまったし……節約して、貯金して、将来や老後に備えていたのが全部馬鹿みたいじゃないか。

 そうこうしているうちに男がカウントを始める。流石に僕でも数字くらいは分かる。あ、だめだ僕の命後5秒。え、嘘、ホントに終わり?

 そう絶望した矢先、女は手にしていた盾(意識を失った男)と拳銃を手放し両手を挙げる。まさか、投降するというのだろうか。そうしてゆっくりとこちらに歩き始めた。

 男たちも半信半疑、銃を構える手に力が入る。目配せ合図して、薄い色のターバン男がライフルを構えたままにじり寄る。距離にして3m。本当に目と鼻の先。男たちと女は何やら言葉を交わす。女はニヤニヤ笑う。挑発でもしているのだろうか?

 薄い色のターバン男は女の足に向けてライフルを発砲。片足を打ち抜かれた女は崩れ落ちる。あぁ、痛そう。

 そんなことを思っていると僕の背後でも銃声。あれ?と声をあげる暇も無く事態を把握。僕も撃たれたのだ。膝から崩れ落ちる。痛い、撃たれた、足が、体が、悲鳴を上げている。血があふれ出る。ズポンが真っ赤に染まる。

 赤い女も、その髪と同じ色の血液を流し倒れている。どくどくと、どんどん流れて……? 人間って足撃たれた程度であんなに血が出るモノだっけ?

 そう疑問を感じた時、突然薄い色のターバン男の足が文字通り爆発した。何が起きたか分からないまま倒れ込む男に赤い女は覆い被さり、自分の血で真っ赤になった両手で男の顔に触る。そして、また爆発。飛び散るナニか。惨劇のスプラッタ。髪も、顔も、服も真っ赤に染めてケタケタ笑う女。何だ、あのは?

 僕に銃を突きつけていた濃い色のターバン男が直ぐさま赤い悪魔に向けて発砲。しかし、その銃弾は赤い悪魔が手を振り散布された血の水滴と接触し、空中で爆発。更にもう一降り。水滴は勢いよく濃い色のターバン男と僕に飛着。思考では無く、脊髄で理解する。あ、これは駄目なヤツだ。

 間髪入れず巻き起こる爆発。だが、その威力は予想に反して小規模なモノ。水滴が付着した部分が軽いやけどを起こす程度の爆発で、命に別状は無い。僕もターバン男も死を覚悟しただけに、予想外の結果に呆然としてしまう。

 だが、その一瞬の隙が彼にとっては命取りだった。気づいたときには両手を真っ赤に濡らした赤い悪魔が直ぐ側に迫る。ターバン男が必死に銃を振り回すも、足を払われ転倒。マウントポジションを取られる。赤い悪魔は男の口元を隠すターバンを毟り取ると、その口に血液をぽたり、ぽたり、ぽたりと垂れ落とす。そうして、僕には理解できないこの土地の言葉で何かを問い詰めていく。恐怖に震えながら肯き、答える男。質問が繰り返されることしばらく。気が済んだのか最後に指をパチンと弾くと、間髪入れずに飛び散り、その一部が僕に降りかかった。

 流石の衝撃映像に、僕の意識はそこで限界を迎える。殴られて、拉致されて、銃撃に巻き込まれて、最後に目の前(50cmくらい)でリアルスプラッタだ。平和な日本で生きてきた僕では荷が重い。脳内処理の限界により意識回路がハングアップ。正常な精神状態を保つ為にも、ここらで一旦シャットダウンしましょう。

 薄れていく意識の中、男の口に血液を垂らす女の嬉しそうな顔が脳裏に浮かぶ。……もしかしてさっきまでの男たちに大人しく拉致された方が、人生のルート選択としては幾分ましだったんじゃないだろうか。


 後に、僕はこのときの馬鹿な思いつきが、実は間違いでは無かったことを知るのだ。

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