第9話 ブレイン

「久しぶりだね、掴くん」


「ご無沙汰してます。ブレイン教授」


 ティンカーベルこと小鳥のコンサートが終わってから2日後。

 彼女の祖父ブレイン・アールグレイから電話が入り、お礼の件も含めて久しぶりに会いたいと申し出を受け、掴は久しぶりにブレインが勤める大学を訪れた。


 背が高く灰色がかった白髪を肩付近まで伸ばしたロマンスグレーの英国人。ステッキ片手にシルクハットと燕尾服が似合いそうな風貌をしている。


「さあさあ掛けてくれ、今お茶を入れるよ」


「はい、ありがとうございます」


 慣れた手つきで茶葉と湯をカップに注ぎ、数秒経たずにテーブルにアールグレイTが置かれる。鼻孔をほんのりとした茶の良き香りが刺激する。カップを手に取り一口啜る。ほのかな苦みと旨み、暖かさが気分を落ち着かせる。


 世界で活躍したのち日本に拠点を構え、今ではすっかり日本の暮らしに落ち着いている。研究室内は書類などがきちんと整理されており、書斎も本で埋め尽くされ散らかった様子は見当たらない。所々に日本のお土産品らしき品々が飾ってるのは趣味か孫である小鳥の影響だろうかと考える。


「育継くんを介してとはいえ、無茶な頼みをしてしまったな。ありがとう。小鳥もティンカーベルとしての活動は誰にも話せないからね」


「とんでもない。僕にとって実りのある出会いでした。大空さんはとても素晴らしい人です。彼女の歌は世界を虜にする」


 掴の言葉にブレインは意外そうに、軽く驚いた表情を見せる。


「君が素直に人を褒めるとは珍しい。てっきり私の孫でも容赦ない言葉をかけると思っていた」


「僕は本当に褒めたいことしか褒めませんよ」


「そうかそうか、そういう性格だったね」


 柔和な笑みを浮かべるブレイン教授。穏やかな視線と独特の静けさは、彼の宿した知性と思慮深さを物語っているようだ。さすがは父と師匠の恩師だと思わずにはいられない。


「それにしても驚きましたよ教授。まさかお孫さんがいて僕らと同じ歳だったなんて……」


「数いる息子娘夫婦達の子どもの一人だからね、わざわざ全員紹介する必要も無いだろう」


「まあそれはそうなんですけど。というかそんなにいらっしゃるのですね」


「君と同じ歳なのは小鳥だけだから、丁度良いと思って紹介したんだよ。最も、仲良くなるのに歳は関係ないと思うがね」


「最初は年上の方だと思いましたよ。大人びてしっかりされた印象でしたから」


「そうだろうね。おっと、今日はこんな話をしたくて君を招いたわけではない」


「なんですか?」


「これを覚えているかい?」


 そう言ってブレインは電子端末を取り出すとスイッチを押し、テーブルの上に置く。机から数センチ離れた丁度良い高さに、デジタル工学で描かれた光り輝く脳の立体デジタルモデルが表示される。


「バーチャルブレインですね。もちろん覚えてますよ。僕や望達も教授に作ってもらったから。今でも個人サーバーに大切に保管してますよ」


 彼は人間の脳を完全に立体スキャンして、デジタルの脳「バーチャルブレイン」を作り出す装置「BSIF」を開発。バーチャルブレインは脳をあらゆる角度から分析解析して医療やリハビリに活かす事が可能で、スキャンした脳の成長に合わせて同じように成長する。そしてファンギャラに搭載されているAIはこのBSIFを基に生み出されている。


「これは私のバーチャルブレインだ」


「教授の?」


「さらにこれを拡大しよう」


 端末機を指でなぞるとバーチャルブレインの内部が拡大されて映し出され、掴は思わず驚く。拡大表示されたバーチャルブレインの内部が、まるで宇宙を見ているかのようだったからだ。血管や神経等の細かい箇所が、宇宙に点在する星々の輝きや位置と似通っている。その幻想的な光景に、柄にもなく暫し見惚れる。


「驚いたか? そう、人間の脳はまるで小さな宇宙そのものだ。こうやって見てみると銀河の構造とまるで変わらない」


「凄いですね……」


「私はこのバーチャルブレインを自分のアバターに移植しようと考えている」


「えっ!?」


 ブレインの思いもよらぬ発言に掴は声を上げる。ブレインは掴の反応を楽しむかのように話を続けた。


「私が長年AIと人間の関係性、そして脳について研究しているのは知っているだろう?」


「それはもちろん。父と御守さんから沢山聞きましたし、ファンギャラに搭載されているAIも教授の研究の賜物です」


「御守くんが自分のバーチャルブレインを基にAIを制作しただろう?」


「ああ、烏丸からすまですね? 自宅のデジタル執事みたいなもんですけど」


 御守は自分のバーチャルブレインを移植した特殊なAI「烏丸」を個人的に開発し、自宅の警備や執事をやらせている。流石天才プログラマー兼エンジニアというところか、烏丸は流暢に会話が可能で、人間に近い思考が出来る高度な人格形成に成功している。ファンギャラのプログラム調整の際にはゲームマスターのアバター体に入りこんでの操作も可能らしい。

 とは言っても、烏丸の人格は御守のバーチャルブレインを素体に使用したにもかかわらず品行方正丁寧語。明らかに元の人物とはかけ離れている。おそらく自分と似すぎると衝突しかねないと調整を掛けたのだろう。

 御守家の家事や生活が上手く回っているのは、娘の踏子とこのデジタル執事のおかげなのである。


「烏丸は私が掲げる人間とAIのよりよい関係、つまりAIは将来人間の最高のパートナーとなり得るというスローガンに最も近い存在さ。私もそれで興味が沸いた。もし自分のバーチャルブレインをアバターに移植したらどのような働きがあるのかね」


 まるで子供のように目を輝かせ、溌剌と語り出すブレイン。その瞳には、夢と希望、壮大なイマジネーションが宿っている。教授の瞳と話しに惹かれた掴も、段々と興味がわき出す。


「たしかに、どうなるのか興味がありますね」


「バーチャルブレインでAIが作り出せることは既に実証済みだ。ならば後はアバターにバーチャルブレイン移植し、ログインせずに独自に行動させてみたいのさ。ファンギャラはAIの教育場でもある。様々な人々との会話や交流を通したアバターはどのような成長を見せるのか?」


「教授、僕なんだかワクワクしてきました」


「この話を誰かに話したくてウズウズしていたんだ。直接御守くんと育継くんに言ってもよかったんだが、彼らも企業戦士になってしまったから昔のように簡単に話してくれなそうだからな……」


 額を人差し指で抑えながら、かつての教え子たちが良い意味でも悪い意味でも大人になってしまった事を軽く嘆く様に憂いの表情を見せるブレイン。おそらく自分も世界的権威なものだから話しづらいのだろう。


「その点。掴くんはまだ子供だからこうやって気軽に話せるから安心だ。まったく堅苦しいとはこのことだ」


「それはどうもです。あ、でもAIの研究関連で父さん達に依頼すればいいじゃないですか? 教授もファンギャラ制作の協力者なんですから」


「だからそういう堅苦しい理屈や話を抜きにしてやりたいのだよ」


「ああそういう……」


「それに協力者の立場を利用して私欲に走ったみたいに捉えられるだろう?」


「あの、父さん達ってそんなに話しにくくなったんですか?」


 掴の聞き辛そうな問いに対し、ブレインは数秒沈黙すると、若干悲しみを帯びた表情をしかめて口を開く。


「……あの頃は可愛げがあったのう……」


「うちの父と師匠が申し訳ない!」


 掴は堪らず勢いを付けて深々とお辞儀をする。



 その後、掴は育継と御守にブレイン教授からのお願いと協力と称してバーチャルブレインのアバター移植の件を仲介役として話し、ついでにブレイン教授が昔より話にくくなったと嘆いていたとも付け加えた。

 こうして特別な手続きと許可を経て、名目上AI研究の一環として教授のバーチャルブレインが、彼のアバター「ピグマリオン」に移植される事となった。

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