ペンタ・ブラッド ~完全書式アアア~
SEEMA
プロローグ「とある信仰都市の一日」
「ほほーい堂♪ほほーい堂♪ 岩窟王ならほほい堂♪……あら、ここじゃなかったかしら……」
今晩は、この冬一番の冷え込みになりそうだ。窓の外では、刃物のようなパウダースノーが、しんしんと降りしきっている。この勢いならば、明日の朝までには、相当に降り積もるだろう。
「ミュウ!ミュウちゃん!『岩窟王』のストックどこに置いたか覚えてる?」
ニシル・キョウは、今年で満30歳になる、一児の母だ。夫のリオウは仕事からまだ戻っておらず、今キョウの他に家にいるのは、娘のミュウだけなのだ。
「あら……聞こえないのかしら」
そんな独り言を言いながら、キョウは台所の上の戸棚を開けた。
キョウは、一ヶ月ほど前に、ここ極北の「信仰都市」ユト・ラムに、南国から家族で引っ越してきた。しかし、引っ越したその日のうちに、キョウは、ユト・ラムに来た事を後悔した。極北の国ガンパンは、五つの「信仰都市」からなっている。住みやすいのは、あくまでも物価も不動産価格もべらぼうに高い、首都ガンパナードに限った話だった。
キョウが越してきたユト・ラムは、まず猛烈に寒かった。もう春なのに、今日の最高気温は僅か6度なのだから、人を馬鹿にしている。凍死するほどの気温ではないにしても、もう少し「温度調整」が効いているのかと思っていた。また、容赦なく都市内に雪が降ってくるのにも閉口した。これが、首都ガンパナードであれば、雨も雪も城壁内には入ってこないらしい。やはりうまい話は無いものだ。夫の稼ぎでは、自分達が住める「信仰都市」というのは、それなりの「能力」しか持っていないのだと、今ではキョウは諦めている。
「岩窟王」は、ここにも無かった。キョウはいまいましい六角形をした戸棚の扉を閉じた。もう一つ不満なのは、「六芒形都市」であるユト・ラムでは、目に見える物が、ことごとく「六角形」をしていることだった。窓枠も、家の形も、テーブルまでも。まったく使いにくいといったら無い。これは、力の小さい「信仰都市」の特徴なのだそうだ。前住んでいたカマーシュも「六芒形都市」だったが、ここまで「六角形まみれ」ではなかった。
「あ、そうだったわ。ここね!」
キョウが野菜倉庫の横の引き出しを開けると、「岩窟王」の箱がずらりと並んでいた。防虫剤と一緒に入れておいたことをやっと思い出した。
「どこでもポン♪いつでもポカッ♪ほほーい堂のがんく~つおう~♪」
南国に住んでいた頃は、当然だけど、暖房なんてものとは一切無縁だった。だから「岩窟王」の実物すら見た事が無かった。しかし、ユト・ラムに引っ越してからは、「岩窟王」は必需品だ。これが無ければ、夜は凍死してしまう。石炭よりは高いかもしれないが、部屋の空気を汚さないのがいい。
キョウは「岩窟王」の箱を開けた。ダントツのシェアを誇る、ユリのマークで有名な「ほほい堂の岩窟王」だ。
「岩窟王」の見た目の形は、どう見ても「天秤ばかり」でしかない。これが、家庭用の暖房に使える「ソリッド」だというのは「法学」にうといキョウには、とても不思議に思える。
「法」を発動させる時には、必ず何かしらの「物」を消費する。理論上は、この世界に存在する全ての「物」が、本来の目的ではなく、「法の燃料としても」使用可能なのだそうだ。ただし、それぞれが持っている「ポテンシャル」は、非常に差が大きいらしいが。ともあれ、様々な「物」を、「法の燃料」または「弾薬」として使用する場合には、それらを「ソリッド」と呼ぶのだ。
「ほほーい堂♪……ほほーい堂♪……」
それにしても、このCMソングは、妙に耳にこびりついて仕方が無い。
「岩窟王」を手にして、隣の部屋にある暖炉へ歩いていった。
暖炉の奥には「方陣」が置いてある。「方陣」とは、金属板の表面に、様々な図形や文字が複雑に組み合わされて彫刻されている「法学用具」だ。この製品は「六芒形都市対応」なので、中央に六角形が刻まれている。
キョウは「岩窟王」を「方陣」の中心に置いた。こうするだけで、「岩窟王」は「休眠状態」から「発動」し、自動的に「起爆」するのだ。まもなく、てんびんばかりが赤い光と熱を放ち始める。このまま放置しておけば、部屋も少しは温まるだろう。法学の知識が一切無くても、こうして「起爆」できるのだから大したものだ。「岩窟王」を置く角度によって、火力だって調節できる。
キョウは、他でも様々な用途で「ソリッド」を使用している。衣服の漂白、ゴミの焼却、部屋の除湿……などなど。普段は意識していないけれど、「法」によって、生活がどれだけ便利になっているかしれない。これも「法」を研究している「法学者」達の日々の努力の恩恵だ。
それにしても、ミュウの声が聞こえないのはどうしたことだろう。
幾らなんでも静か過ぎる。
いつもなら、腹をすかせて間食をねだってくる時間帯だ。キョウは、子供部屋のドアを開けるが、中には誰もいなかった。
その時、ガタンと玄関の方からドアが開けられる音がした。
おかしい……
出て行ったにしても、戻って来たにしても、こんな大雪の日に、外に出かける用事があるはずがないのだ。キョウは、にわかに湧き起こった胸騒ぎを抱えながら、玄関に向かった。
玄関に靴が無い。
ここユト・ラムでは、「家の中で靴を履いてはいけない規定」になっているので、家に戻ったならば、玄関に必ず靴があるはずなのだ。
キョウは慌てて玄関のドアを開けた。既に日は落ち、町は夜の帳に包まれている。良くは見えないが、町は一面の銀世界のようだ。舞い落ちる無数の粉雪が、街灯りを受けてチラチラときらめいている。
足元を見ると、小さな足跡が雪の上に残っている。家の壁に沿って、ぐるりと回りこみ、裏庭へと続いている。
ミュウはどこに?
胸騒ぎはどんどんと膨張していく。キョウは、駆け足で、雪に残された足跡を追って行った。そして、裏庭へ。
真っ白な雪に覆われた正方形の庭の真ん中に、人の身体らしきものが倒れている。まさか、ミュウが……?
それにしては「それ」は不自然に小さい。
その理由を知った刹那、キョウは余りの衝撃で頭の中が真っ白になった。
そこに落ちていた物は、ミュウの腹から下の部分だけだったのだ。その周りに、ミュウの「残りの部分」がバラバラになっていた。
出血は、ごく少量だった。右腕と左腕、そして頭部が、無造作に転がっている。しかし、それしか無かった。
「胴体の上半分」だけが、衣服ごとすっぽりと消えていた。
他の人間の足跡は一つも残っていないのに、その部分だけを忽然と消して、ミュウはバラバラになっていたのだ。
絶叫が喉元までせり上がって来たその時、キョウの視界に、もう一つの異物が飛び込んできた。
真っ白い雪で覆われた庭の隅に背を向けて立つ、一つの人影。
黒いフードを頭からかぶり、全身をコートで覆っている。
顔は全くわからない。しかし、人間ではあるらしい。
その足元には、足跡は一つも残っていない。まるで、空から舞い降りたように、その者は雪の上に立っているのだ。しかし、血痕が点々と、ミュウの身体から続いている。
刹那、キョウの視界が紫の爆光に包まれた。
同時に、白銀に覆われたユト・ラムの静寂を、轟音が斬り裂く。
絶叫を上げる暇も無く、キョウの肉体は、真っ黒な消し炭となって散り散りに吹き飛ばされた。
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