Eje(c)t1.5 -Spectre's SIN- (連作短編)

Prologue:

衛星通信記録 [第27号] (※開示請求:マスターキー)




 いらだたしげな、ノックの音がした。



جاء العملاء . مدرب .ジャ アレゥマーラ




 泥のような眠りから引き戻す、呪文のような言葉の羅列。まどろみの中から覚醒しても、一瞬まだ夢の中かと思ってうんざりした。頭を振る。



「あぁちくしょう……」



  瞼を開くと、悪夢としか思えない光景が、昨日と同じように広がっていた。


  日干し煉瓦レンガで出来た部屋は、ざらついた砂のまざる熱気におおわれている。開けっ放しで寝ていた口がざらつく気がした。

 乾いた砂が五十度を超える風に巻き上げられる、この国の空気。

 こいつのせいで、ここ一ヶ月まともに寝られた日がなかった。


 視界をあげると、採光窓から射し込む、ぎらつく太陽の光。


 薄暗い部屋に射し込んでいて、砂まみれの空気を照らし出している。近場の廃墟から引っ張り出してきた立派な執務デスクと、急増された本棚。廃墟と大して変わらない、殺風景な部屋。


 部屋のあちこちには、外交官が目を剥くような機密資料が乱雑にまき散らされている。投げ出した足の下に手をやると、執務デスクにまで砂が薄くつもっていて、砂が粘土のようにこびりつく。昨日封を開けたばかりの酒瓶も、十年放置されていたかのように砂色にすすけていた。中身の品質は絶望的だろう。


 

بص هاتفアレゥマーラ


「うるせぇな……聞こえてるよ」



 暑苦しい熱気を振り払うように、答えた。

 執務デスクに投げ出していた脚を、苦労して下ろす。上物のスーツは、見るも無惨にしわくちゃだった。


 デスクに転がっていた、割れた鏡の破片を手に取る。

 二日酔いと暑さでもうろうとした瞳。無精ひげをだらだらと伸ばし、二三週間野宿してきたような荒んだ顔をしていた。年は二十代後半にも、三十代も半ばにさしかかったようにも見える。酷い疲れで、曖昧な顔つきになっていた。

 鏡を投げ出すと、癖のある赤毛にバリバリと爪を立て、そこからまた砂がこぼれるのに嫌そうに目を細める。


 一見すると、バカンスついでに怪しい商品でも売りつけに来た詐欺師のような男だった。



「アシャギ、جاء العملاء . مدرب .ジャ アレゥマーラ



 彼は落ちくぼんだ目で、かすむ視界を部屋の入り口に注ぐ。

 短いひげを生やした、浅黒い肌をした青年が、奥歯に物が詰まったような顔でのぞき込んでいた。間抜け面で、手にしたデカい衛星電話を指さしている。

 ふざけやがって……夢も見ないほど眠りこむなんて何十日ぶりだと思ってんだ? 指を突きつけ、言ってやった。



「ガキみたいに俺の名前を呼ぶんじゃねぇ。赤城アカギだ。ボスの名前くらい覚えてろ」



 青年は眉をひそめて、首を振った。何言ってんだ? とその顔が言っていた。

 今度はこちらが--赤城が間抜け面になる番だった。



「あぁったく--おいクルド人の通訳はどこ行った!? 傭兵共HSSと一晩中カード勝負してやっと雇ったのに、もうトンズラされたのか?」



 青年はますます表情を曇らせた。執務デスクの上にあった酒瓶も、彼の心証をますます悪くしたようだった。しかめっ面でつかつかと部屋に入ってくると、わけのわからない言葉で瓶をさしてわめきだした。はいはい酒は御法度ごはっとなのね、知ってるよバーカと、強引に扉の向こうへと"ご案内"する。



「はいはいどうもありがとう。اَلُواَلُوアローアロー سَلِّمْ لِى عَلَى 神のكُلِّ أُسْرَتِكُمْおぼし召しを



 扉を蹴りつけるように閉め出した。

 頭がガンガンしやがる。毎日毎日、呪文みたいな言葉に囲まれて頭が変になりそうだった。青年からむしり取った衛星電話を、耳に押しつける。



「もしもし、世界の裏側の誰かさん?」



 すすまみれのスーツに手を突っ込み、よれよれのタバコに火を取り出した。火をつけようとして、ライターがないことに気づく。忌々しげにプッと吐き捨てた。


 衛星電話が、ブツリと乱暴な接続音を立てた。受話器の向こうのボソボソ声に耳をますして、彼はうつろな目をしてつぶやいた。



「あぁアマタ……じゃねぇか。今はアサドさん、だっけ?」




■  ■  ■  ■  ■  ■







 赤城は執務デスクから酒瓶をとってあおった。しかし不思議そうな顔をして、瓶を振った。最後の一滴が、砂だらけの床にシミを作り、うらめしそうにそれを眺める。



「……あぁ、施設は完成してるよ。廃墟の山からつくったんだ。七日間で世界を作った神に匹敵する大仕事だったね。しかも神は七日目には休んでるのに、俺は一ヶ月働きづめだった。あんな野郎、俺に比べりゃクソ以下だね」



 与太話よたばなしにクスリともせず、念仏のように続くぶつぶつ声。赤城は不服そうに顔をしかめる。



「はぁ? 一ヶ月だぞ、一ヶ月! 現地民使って計画したもん作らせるの、どれだけ大変かオタクわかる? あいつら何かあるとすぐإن شاء اللهインシャーアッラー إن شاء اللهインシャーアッラーって……だから、『神の望むままに』って言ってんだよ! この言葉が出たらまずこっちの予定通りにはいかないね。まさに施設完成は"神のみぞ知る"ってわけだ」


 今にも支柱が折れそうな黒革の椅子に、背中から飛び込む。執務デスクの上に積み重なった書類の山を、乱暴に鷲掴みにした。


 ヤク中のミミズが、上に行こうか左に行こうか迷った挙句、結局右に進んだような文字に目を凝らし、それが廃品業者の宣伝文句だとわかると、クシャクシャにして床に投げつけた。



「あぁ--そいつの保存状態だけは完璧だと言えるね。民間軍事会社PMCの基地からかっぱらってきた軍事薬物カクテル・ミストの冷凍保存装置で氷漬けにしといた。コンマ1度だって狂わない最高級品だよ。廃墟だらけのこの国で、いまや最高に"冷えてる奴"だよ、あいつは……ボーナス払えよな」



 ハキム! と赤城は声を張り上げた。まともに話せる言葉は今のところ部下の名前だけだった。


 再び扉の向こうから顔をのぞかせた青年に、知っている単語を適当に組み合わせて「あいつを"持って"こい」と言づける。


 青年は最初、血相を変えて扉の向こうに控えた男たちとひそひそと話し合っていたが、身振り手振りをくわえて赤城が怒鳴り散らすと、酔っぱらいをなだめるように手を振ってから、扉の向こうに姿を消した。



「クソ、俺はこの国の言葉だって満足に知らねーんだ」



 しばらくすると、男たちは奇妙な"棺"を運んできた。窒素ガスのタンクと電子装置が強引にくくりつけられた、銀色のジュラルミンケース。辺りには青白いタスクウィンドウがいくつも浮かび、数値やグラフが絶え間なくうごめいていた。カラカラに乾いたこの土地でも、表面には霜がびっしりとついていた。赤城がなでると、指先がへばりつきそうになって、慌てて手を離す。



「おーキンキンだな! かき氷にしたら旨そう……よぉし、もういい、こいつのふたを取っ払え。……さっさとやれよ、あ? とっ、ぱ、ら、え。わかる?」



 うるさいものを追い払うように手をひらひらさせると、運んできた青年たちは口々に何かをわめき散らした。赤城は我慢の限界とばかりに歯をむき出しにして何度もうなずき、



「あぁハイハイ! なぁに言ってんのかわっかんねーんだよ早く取っ払え!」



 ここ一ヶ月、何度もしてきたような無駄なやりとりを繰り返してから、ようやく青年たちは動き出した。首を振り合って、何かぼそぼそとささやき合う。呪詛の言葉か、神の許しを請うたのか。恐る恐るといった手つきで棺に手をかけると、金属が引きつけを起こしたような音を立ててふたを押し開く。

 開いた棺から逃れるように、青年たちは口元を袖で覆って、じりじりと後ずさった。赤城はうっとうしそうに彼らを押しのけ、身を乗り出す。


 片眉をひょいと押し上げて、白い煙を上げる"中身"に目を凝らす。



「……おぅおぅ、ぐっちゃぐちゃ。未開人が食った後のプティングみたいになってる。あ? 何って--"脳"がだよ」



 電話の向こうから聞こえてきた言葉に、赤城は困惑で笑みを浮かべた。



「なに? バカ言うなよ。脳みそかき混ぜてクリームシチュー作れってんならまだやれるけど、こいつは損壊が激しすぎる。解析なんて無理だよ」



 お断りだ、とつなげようとしたところで、急に彼の手元にオレンジ色のウィンドウが立ち上がった。

 いぶかしげに目を凝らす。ウィンドウの上端には『解析手順』とめい打たれていた。バカでもわかるように、とばかりに、細かい手順を表示しながら、人体を模した立体映像が、つぎつぎと細切れにされていく映像が流れる。



「(人の言うことを聞かねー奴--)」



 赤城は電話口にむかってチッと大きな舌打ちを鳴らすと、困惑している青年たちに視線をやった。彼らはPlayfun!12のような脳内機器ブレインインターフェースも導入していない。拡張現実ARを"見る"ことができないのだ。赤城が何もない宙に目をらしているように見えたのだろう。



「おら、ぼんやりしてないでドクターを呼んでこい! こいつの脳みそを切り刻むぞ!」



 一通り指示をとばすと、あわただしく青年たちは駆けだした。赤城は鼻を鳴らす。たまにはキビキビ動けるらしい。棺をのぞき込むと、"中身"に興味深げな視線を注ぐ。



「んで、この"大量殺人鬼シリアルキラー"の死体には何が眠ってるわけ?  何のデータ引きずり出したいのか知らんけど、完全には引っ張り出せないぞ、この様子じゃ。あんたが求めてる物がわからなきゃーー」



 ん? と赤城はいぶかしげに受話器に目をやった。

 衛星電話は電源のボタンが点滅していて、通話が一方的に打ち切られていることを告げていた。


 ありったけの言語をかき混ぜた汚い言葉を受話器に吐きかけてから、電話を乱暴にデスクに放り出した。いつもこうだ。一方的に用件を告げて、こちらの言い分など聞きもしない。罵声ばせいに四ヶ国は混ぜてやった。今度かかってきたら、グルカ語も混ぜてののしってやる。



「----おい、ちょっと待て」



 冷蔵機の蓋を閉じかけていた現地民に声をかける。おそるおそるといった風に棺をずらしていた青年たちが、迷惑そうな顔をむけてくる。赤城には知ったことではなかった。つかつかと歩み寄ると、目尻の垂れた目を、滴らせるように棺の"中身"へ注ぐ。



 棺の中で眠る、弛緩した体。



 額の肉が裂かれ、べろりとひっくりかえった皮と肉の間から、血に染まった白い脂肪の塊がこぼれだしていた。皮膚下にあった脂肪分だろう。肉ごと皮膚を持ち上げると、ぬちゅ、と湿った感触が指に垂れた。周囲の青年たちが息をのむ。赤城は平静な顔で、砕かれた頭蓋の破片を取り除く。そして引き裂かれた肉の先にある、奈落のような穴に目を凝らした。


 暗がりから、スプーンでかき回したような白い塊が、わずかにのぞいていた。



「死因は前頭部に受けた弾丸。ける間もなかったか、"処刑"を受け入れたか……それにしても」



 手にしていたオレンジのウィンドウと見比べて、赤城は死体の浮かべる"表情"に、苦笑じみた笑みを浮かべた。



「いったい何をしたら、こんな顔になる?」



 死体に語りかける赤城の姿に、後ろで控えていた青年たちが無言で視線を交わしあった。

 信心深い現地民は、金の力より"神のご意志"とやらに重きを置く。届いた死体を見た時の連中の顔は、電撃のように不安が広がったのがありありとわかって、赤城ですら計画の完遂を危ぶんだものだった。

 今、この"死に様"と向き合った赤城にも、彼らがおそれる『悪魔』の姿が、おぼろげながら脳裏に浮かんだ気がした。


 ウィンドウの上端に、"計画名"が点滅していた。

 口角が自然と持ち上がった。笑うしかない。



「"亡霊スペクター計画"……ね」



  かすかに嘲笑ちょうしょうを浮かべて、一人ごちた。あきらかに殺害されたとわかる"こんな死体"につける名にしては、なかなか詩的な表現だと思った。

 ウィンドウをクロス代わりに、中身の"死に顔"に投げやる。

   死体の顔に、ウィンドウが落ちた。重力に従い、死相の骨格に合わせて、オレンジの光はその顔を覆った。


   穏やかな死に顔から、骨格だけが浮かび上がる。

 ふと、赤城の脳裏に浮かんでいた『悪魔』のイメージが、くっきりと輪郭をもった気がした。


 言葉も通じない、誰からの返事も期待できない世界で

 彼はたった一人、誰にも理解されない思いを砂っぽい空気の中に転がした。



「 骸骨ガイコツかぶってるみたいだな、コイツ----」



  


  

 


  

 

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