三:バスケ部の朝練
榊が下駄箱で靴を履き替え、体育館内に入ると、キュッキュッとバスケットシューズが床をこする音やダムダムと床に叩き付けられたバスケットボールの音、女子の掛け声とときどきそれに続くバシッとバレーボールが床にスマッシュで打ち付けられた音などが耳に入ってきた。今体育館内にいるのは榊の男子バスケ部と女子バレー部だけのようだ。朝練習ということで参加している部員も少ない。まだ活動を開始せず静かな校内の体育館内で十人ほどの人間が出す音が、吸収する人間もおらず広い館内にがらんどうを思わせる反響を伴って響き渡るのを聞くのは、彼にとって半ば異世界に放り込まれたような心地よい体験であった。
「おう、天海、来たか」
腕組みしながら立っていた三年生の山本キャプテンが榊を高い視線で見下ろしながら言った。身長は192センチあり、顔は細舞った面長。黒の短い髪の毛は上に突っ立ち、眼鏡の下に鋭い細い釣り目をしている。肩幅は常人より広いのだろうが、身長のせいで細身に見える。顔立ちや高い身長から威圧的な印象を与えるが、バスケには厳しいものの、全体に人当たりのいい優しい人だ。
「はい、おはようございます。すぐに参加しますんで」
榊が片手を頭にやって会釈するようにぺこりと頭を下げると、
「おう」
再び部員たちの練習に目を配る山本主将。
榊は中学ではフォワードとして活躍しており、大会などでかなりの実績を残しもした。そのせいでまだ入部したてで練習試合などにも参加させてもらってないが、主将や顧問などから目を掛けられている。
榊はそのままストレッチ、軽い屈伸などでアップに入ったが、すでにランニングで登校しており、体全体が温まっているので、しばらくして各々がしている自主練習に加わった。
立ったまま腰を曲げて股下をボールをくぐらせるアラウンド、股下で軽く前後に投げたボールを素早く前後逆側に両手を回してキャッチするフロント&リアキャッチなどボールコントロールからレッグスルーを通して各種ドリブル、ゴールの空く順番を待ってスローインシュートの練習など。その頃には朝練習に参加するバスケ部員達が全員揃い、隣の女子バレー部の方も参加人数が増えたため、体育館内はやや活気を増していた。ツーマンでのパスやディフェンスオフェンスの練習に移る。
しかし、朝の時間が過ぎるのは早く、今では自分も練習に参加していた山本が正面壇上の壁に設置された時計にちらりと目をやると、パンパンと大きく手を打ち鳴らし、
「はい、やめー!」
大きく声を上げた。
しばらくはそのまま勢いと流れで練習を続けていた榊達だったが、皆がその動きを止めていくにつれ体育館内に響き渡る数々の音から来る音量は急速にしぼんでいき、ダムダムというボールを突く音、キュッキュッっとバスケットシューズが床をこする音が途切れると、次はその下に隠れていたぼそぼそとあちこちで会話する声、早くも片付けに取り掛かり始めた部員たちの発するごそごそした物音が表面に浮かび上がり、小さく辺りに響き始めた。隣の女子バレー部は目安に使っていたのか、山本主将が大きく発した声を聞くと早くも活動をやめ、いち早くネットやボールをしまいだし、後片付けに向かっている。先ほどまでのがらんどうに響き渡る喧騒から比べると寂しげが支配していたが、活動していた両部の部員たちの発した熱気がまだ強く残り漂い、空気の密度は濃かった。その濃い密度を通して、後片付けへと向かう暗黙の了解のような意志が皆の意識を共有している。
8時前だ。皆が慌ただしく片付けていると、キャスター付きのカゴにバスケットボールを放り込んでいる榊に同じ一年生で違うクラスの西浩史が話しかけてきた。
「よ~、さかっちゃん調子よさそうやん。キャプテンも気に入ってるみたいやし、この分やったら次の練習試合にも出してもらえるんちゃう?」
浩史は茶髪に染めた髪全体を特に切り揃えることなく適当に伸ばし、前髪は眉にややかかるぐらい、眉が細く、目も細めで、瞳の色がやや薄い。時々機嫌良さそうににっと片方の口角を吊り上げて笑うと、よく発達した上の犬歯が覗き見える。
「そんならいいけどな」
少し離れたところに転がっているボールを拾いに行って、すでにボールが詰まっている中に跳ね飛ばないよう加減して放り込みながら答える榊。浩史は同じ地区の他の中学校で榊と同じフォワードで活躍していた選手で、二人は何度か試合で対戦している。榊のチームが勝ち越すことが多かったが、ポジションも同じでお互い気さくなことから対戦後にしばしば話し合い、同じ高校に進学した今も友人として付き合っているのだ。
「またまた~。ほんとは自信あるんちゃう?」
浩史は歯をむき出し、目を細めてにかっと笑いながら榊の背中をバンと強く叩いた。彼は榊より一足早く片づけを始めており、すでに練習のため手前に出された体育館内付属のバスケットゴールを奥に操作して戻す作業を終えていた。彼は小学生までを兵庫で過ごしており、そのせいでこのような‘こてこての’関西弁になってしまったというのだが、榊自身が今までに会った関西人でここまできつい関西弁をしゃべった人間に出会ったことはないので、特にそうなる地域があるのか、個人の習得の性質なのか、はたまた浩史自身のキャラ作りで行っているのか関西に住んだことがない榊にはわからなかった。
「そんなこと言ってもお前も最近上手くなってんじゃん」
浩史の練習光景は高校に入ってから初めて見るが、特に熱心で、中学時代から比べても最近格段にキレを増している。榊の入った高校のバスケ部は地区でも強豪で、全体の練習メニューや量の質が高いというのもあるだろうが、それでも浩史自身の個人の特訓量が増えての結果だというのは確かだろう。
体育用具室にキャスターで転がしたボールを詰めたカゴを仕舞い、二人が体育館を出ると、すでに陽の勢いは強くなりつつあり、空気はだいぶ熱せられ、早朝の空気の涼やかさは大分薄まってきていた。体育館の中からも聞こえてきていた登校を始めた生徒達の騒がしい話し声が直接耳を打ち付ける。揃ってやや急ぎ足に部室に戻り、改めて汗を拭いた後で制服に着替え、最後になった二人が部室の鍵を職員室に戻しに行く。所定の位置のフックに鍵をかけると、二人は一年の教室の並ぶところまで早足で行き、それぞれの教室――榊はC組、浩史はE組――に最後に手を上げ合って挨拶を交わし、別れた。
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