第5話 浮遊思盃

 

 人を探して欲しいんです――消え入りそうな声で、そう呟いた。

 薄暗い照明の小さく区切られた小部屋――掘り炬燵式のテーブルを挟んで、乱堂慈恩と鈴森真琴が座っていた。

 テーブルの真ん中には、大皿に乗った揚げ物や串物の盛り合わせが置かれている。


「人探しのご依頼と言うわけですね」


 妙に丁寧な口調で慈恩が答える。

 ジョッキに入ったアイスの烏龍茶を、咽喉に流し込むと、まだ湯気を上げるポテトを摘まみ上げ、慈恩は口に放り込んだ。

 一方、真琴の前には、白いカップが、ぽつりと置かれている。

 真琴は冷めたカップの表面を見つめたまま、唇を噛むように俯いている。

 そんな真琴を静かに見つめ、慈恩は言葉を急かすでもなく、魚の干物に箸を付けた。

 個室居酒屋の片隅である。

 十二月という季節柄、店内は賑やかな嬌声で溢れている。


 あれから二人は、離れたところに停めてあった慈恩の車で移動した。

 真琴の部屋まで送り話を聞くか、慈恩の事務所に向かうか迷った。

 しかし、あんな怖い思いをした後である。

 初対面の男と二人きりになることは抵抗があるだろう――と慈恩が言った。

 大丈夫です――と、真琴は強がって答えたが、その言葉は正直ありがたかった。

 

 さて――と、悩みながら車を走らせていると、国道沿いに居酒屋を見つけた。

 気分が落ち着くだろうと、店に入ると慈恩はアルコールを薦めた。

 だが真琴が首を振るだけで何も応えずにいると、慈恩は温かいココアを注文した。


「晩飯を喰わせてもらってもいいですか」


 朝から何も食べて無いもので――慈恩は照れ笑いを浮かべると、真琴の返事も待たずに料理を次々と注文していった。


 つい一時間ほど前、刃物を突き付けられ、更には拳銃まで撃たれたと言うのに、眼の前に居る慈恩は何事もなかったように食事をしている。

 店内は暖房が効いているとはいえ、十二月である。

 上着を脱ぎ、Tシャツ姿の慈恩は、そのような事を微塵も感じさせず、冷たい烏龍茶を煽る様に飲んだ。

 袖から剥きだしになった二の腕は、真琴の太腿よりも太いだろう。分厚い胸板など樽の様である。

 その逞しい肉体で食事を口に運ぶ姿は、真琴に暑苦しい蒸気機関車を思わせた。

 そんな慈恩の姿を見るうちに、いつの間にか真琴の表情には柔らかさが戻り始めていた。


「あっ、ここの支払いは自分がしますから御心配なく。もちろん相談料には含みませんから」


 焼きおにぎりを平らげ、慈恩が追加でコロッケを注文するころには、真琴も冷めたココアを口にするようになっていた。


 健吾を探してほしいんです――。


 慈恩が食後のコーヒーを飲みだす頃になって、漸く真琴が口を開いた。


「一週間ほど前から、健吾――木村健吾が行方不明なんです」

「行方不明?」


 慈恩が声を潜めた。

 週の半ばであるが店はそれなりに混んでいる。

 酔客の賑わう声で、二人の会話など聞こえはしないだろう。

 それでも声を潜めるのは、慈恩にとっては仕事柄のマナーである。


「失礼。立ち入った事を窺いますが、その木村さんとはどのような――」


 業務的な確認です――と、慈恩は念を押す。


「――彼氏です。一応、結婚の約束もしています」

「ぁあ……なるほど」


 化粧を落とせば高校生でも通じそうな童顔。

 小動物のようにくりっとした、愛くるしい瞳を潤ませる真琴の口から、結婚などと聞くと、そのギャップに慈恩は内心、溜息を吐いた。


 真琴と健吾が知り合ったのは、今から六年前。都内の同じ大学。健吾が三年、真琴が二年の春だった。

 バイト先も同じだった健吾が同郷だと分かると、二人の仲は急速に深まっていった。

 一学年上の健吾が大学院に進むと、翌年には真琴は今の会社に就職。

 学年の下だった真琴の方が、一足先に社会に出た。

 その一年後、健吾は院を卒業したが、そのまま研究室に残った。

 その後も交際は順調に進み、ふたりの間では結婚の二文字が意識されるようになったのは、夏の頃であった。


「で、木村さんと最後に会ったのはいつですか?」

「先週の日曜日です。二人で買い物に」

「それが最後?」

「顔を合わせたのは。ですが、合わない日でも連絡はとっていましたから……」

「毎日?」


 はい――と、真琴は恥ずかしそうに頷いた。


 真琴の方は日々あまり大きな変化の無いOL生活であるから、時間の都合をつけることはそれほど難しくない。だが健吾の方は研究に絡んだ資料まとめが忙しくなり、研究室への泊まり込みもふえ、忙しくなっていた。


「それで最終的に連絡が取れなくなったのは――」

「先週の水曜日です」


 ちょうど一週間前だ。


「その最後の時――そう、なにか変わった様子は無かったですか?」

「いえ――いや、そうですね、ただ……」

「ただ?」


 形の良い眉をよせて、真琴は何か言葉を選んでいるようだった。


「最後に会った日曜日……わたしの部屋に来た健吾から、預かり物をしたんです」

「預かり物?」

「はい。卵のような形をした、琥珀色の綺麗な――」


 と、真琴が胸の前でソフトボールほどの大きさを表した。


「良く分かりませんが多分、陶器で出来ているのだと思います。表面が、つるんとしたもので、朱い文字と装飾が入ってました」


 健吾は言うには、古い美術品なのだと。


「卵?それをどうしてあなたに?」

「詳しい事は言えないけれど、この研究が認められれば、やっていける。そうすれば結婚が出来る――そう言ってました」

「成程――ね」


 慈恩が顎を擦った。


「その研究をまとめる為には、その卵のようなものが大事なんだと。色々と立て込んでいるので、傷つけたら大変だから、少し預かってくれと」


 真琴が冷めたココアで口を湿らせた。


「それで、あの日――最後に連絡の有った夜。『例のモノ無事か?』って言うんです」

「例の――その卵ですね?」


 真琴が頷いた。

 酷く慌てた様子で電話をよこした健吾は、開口一番そう言った。


「俺から連絡があるまで、誰にも渡さずに大事に持っていてくれと」


 それから、健吾とは一切の連絡が取れなくなった。


「木村さんは、大学に残ってどのような研究を?」

「私も専門外なので詳しい事は分かりませんが、民俗学のような古代史のようなものを研究していたようです」

「民俗学?古代史?」


 慈恩の問いかけに、真琴は少し困ったように苦笑した。


「秦の始皇帝がどうしたのとか、やれホウライが、ズイチョウがなんとかだ――健吾は楽しそうに語るのですが、あたしには何が何だかさっぱりで」


 頬を緩ませつつも、真琴の口から洩れるのは溜息だ。


「木村さんは、あなたに預けたそれで、論文でも書こうとしていたのですかね?」

「だと――思います。良く分かりませんが」

「そうすると、木村さんは研究のためのフィールドワークにどかに行ってるのでは?」

「確かに時折フィールドワークに出かける事は在りましたが、連絡が取れなくなるようなことは一度も……」


 真琴は首を振った。


「研究室の方に連絡をしてみました。でも無断で休んでいるようで、なにも聞いていないそうです。確かに夏ごろから頻繁に中国に行っていましたが、もし仮にそうだとしても、あたしに何の連絡も無く行くなんて考えられません」


 それに――真琴が視線を落とした。


「それに?」

「乱堂さんのところに連絡をする前の日、健吾のアパートに行ったんです」


 流石に心配になった真琴は、合鍵を使って部屋に入った。

 だが、特に変わった様子は無かった。旅行用の鞄も有ったし、何よりパスポートもそのまま置いてあった。

 部屋にも戻っていない様子であった。


「それで乱堂さんに、ご連絡をさせてもらったんです」

「成程。で、今日になって突然あの連中に絡まれたと」


 びくりと、真琴が身体を震わせた。


「――はい」

「奴らも、木村さんを探しているわけだ」


 既にここに来る車の中で、カフェでのやり取りは慈恩に話してある。


「現状で考えられるのは、奴らと何らかのトラブルが生じた木村さんが、身の危険を感じて姿を隠した――ってところなのかな」


 ぽつりと、慈恩が呟く。


「そんな……」

「木村さんがトラブりそうな原因に、なにか心当たり有ります?」


 真琴は大きく首を振った。


「セオリーだと金絡みなんだけどなぁ……本当に心当たり有りませんか?」

「確かに、只でさえお金になりにくい研究なので、困ってはいました。でも、そんな借金を作るところまでは……本当に分かりません。なんで健吾があんな怖い人たちに……」


 真琴自身、混乱しているのだろう。

 俯く頬に涙が零れた。


「この依頼お引き受けしますよ」

「えっ?」


 真琴が顔を上げた。

 話している内に、真琴の中には諦めが有ったのかもしれない。心のどこかで、慈恩が断ると思っていたのだ。


「ほ、本当ですか?本当に引き受けてもらえるんですか?」


 真琴が紅くなった鼻を啜り、涙を拭う。


「絶対に見つけられる――と保証は出来ませんがね。出来うる限りの事はしてみましょう。それで宜しければ、この依頼お引き受けしますよ」


 慈恩が苦笑する。


「はい、それで大丈夫です。宜しくお願いします」


 真琴の顔に、漸く笑みが浮かんだ。

 それを見た慈恩の顔にも、太い笑みが浮かんだ。


「さて、そうと決まったところで――」


 慈恩はメニューを広げると、料理を追加した。



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