ペルセポネーのザクロ
猫大好き
Ⅰ:バー
「だから言ってやったんだよ。お前はウィリアム・ブレイクの詩も絵画も理解するにはサイケが足りないってな。そしたらあいつ象徴主義がどうとか一生懸命語り出したけど、そんな風に頭で考えてる時点で分かっていないんだよ、ハハ」
スツールを回転させ、腕をカウンターに乗せた状態で体をこちらに向けたマックが口を大きく開け、上機嫌で笑う。サングラスをかけてはいるが、その下の目もやはり機嫌よく笑っているのが見ずにわかった。室内だから取ればいいのにと思うが、今やサイバー機能面でも何の役にも立たない時代遅れのポンコツ遺物を、こいつはここのところ、今話した自分の会話の内容に対してと同じく、いつも上機嫌で身に着けているのだ(「骨董屋で買ったんだぜ」と、初めてこれを身に着けて俺に見せた時言った。「たった50セントだったんだぜ。100年近く前のものらしいけどな。もちろんサイバーアクセスしようにも――マックはリム外側の小さなつまみをカチカチ動かしてみせた――何も機能しないがな、ハハ」その時もやはり機嫌よく笑ってみせたのだ)。
「ブレイクの絵画はありゃどう見ても350年前の下手くそな素人の描いた絵だろ? だからやっこさんや世の連中は変に価値を与えるために象徴主義だのなんだの持ち出すがね、そんな風に言葉や概念で切り刻んじゃいけないんだよ。そのまま受け入れないとな。そうすりゃ頭の中で勝手に想像してしまう、上手い技術で書かれたラインや彩色と、あの素人くさい`味’のある、奴の絵の‘境界’ってもんをそのまま楽しむことが出来るだろうぜ。人間何でも他のものに自分の思う『こうあるべし』を勝手に決めつけて、それとの比較で見てしまうもんだがな――特にこんな風に技術ではっきり表れてしまうもんはそうだ。だがな、俺もそう見るのが悪いとは思わん。だが、その『そうあるべし』と実際の目の前の絵画、この二つの違いをあるがままに理解した上で、その二つのヴィジョンのフレームの違いそのものを楽しむんだ。生まれてくるぼんやりした、曖昧な境界線をな。それがわかってから、もっと下手くそなやつの絵でも素直に楽しむことが出来るようになったぜ。今度あんたも絵を描いて持ってきなよ。俺が見てやるからさ。ハハハハハハハ」
くいっとウォッカを飲み干し、グラスを持ち続ける必要が無くなった手をそこから離してでっぷり太った腹に乗せると、スツールに座ったまま大きくのけぞり、大声で笑う。かなり大きな笑い声だが、この喧騒に包まれた雑多としたバーの中では特に目立つということもない。実際、話し声からしてもっと大きな声で話している連中もいっぱいいる。ただ、一つ向こうのスツールでエマがマティーニを口に運びながらうんうんとうなずき、「あたいもそう思うね」と相槌を打つ声は、間近で響く当のマックの笑い声にかき消されてほとんど聞こえなかった。
もう見慣れているはずとはいえ、この夫婦二人の全身緑の肌が並んでいるのを眺めるのはさすがに異様な感じがした。20数年前技術が開発され、実用化されてから、皮膚の下に葉緑素を埋め込むのは‘エコ推進’の連中にとってトレンドのようなものとなり、マックとエマの芸術家夫婦も数年前揃って整形外科でその手術を受けることにしたが、いつも会っているマック一人ならもはやそれほど感じない違和感も、二人揃うとやはり格別だ。もっとも、肌を緑に染めている連中を見かけるのは街中を歩いていてもそれほど珍しい事じゃないし、このバー内にも他にちらほらといる。自然環境団体の連中が多く住み、連日街頭で声を張り上げ、サイバー空間で広告電波を飛ばしまくってるここN.Yでは、やはり奴らの数に比例してそれだけ‘森の人々’が多かった。
ひとしきり大声で笑った後、またカウンターに腕を乗せて、ギッとスツールを軋ませながらこちらの方に身を乗り出してくる。相変わらず笑みを浮かべ、上機嫌の表情だが、幾分酔いが回っているようだ。肌の緑色に血流量の変化の赤が混じり込み、何とも言えずグロテスクな色合いを帯びる。他人の思想にケチをつけるつもりはないが、時としてこんな気持ち悪い外観を帯びるぐらいなら、‘緑の人間’に整形手術することもないのにと思わせた。その色合いの上にサングラスを乗せた様はまるで何かの踊り出すおもちゃの類のようだ。もっとも、最初の定着に大掛かりな手術を施した後は定期的に葉緑素とその増殖維持に必要な成分の薬剤の定期的な注射が必要で、それをやめると徐々に排出されていくらしいが。
「――なあ、ジョニー、お前さん、まだ新しい女作る気はないのか?」
「あいにく間に合ってるんでね」
俺は顔を近づけてくるマックから顔を逸らし、正面の方に向いてウォッカを飲みながら答える。マックは気心の知れた相手で、悪酔いする人間でもないが、やはりまだ浅いとはいえ酔っ払いと真正面から顔を合わせるのはそれほど好きでもない。
「やっぱりあのダッチワイフが相手か!」
俺の答えを聞くと、また腹を抱えて、今度はさっきよりさらに大きく、かすれたような高い調子が混じる下品な大声で笑い出した。
「――なあ、そんな人形相手なんかやめろよ。俺とエマがいくらでも紹介してやるぜ」
ぐぐっとカウンター正面を向いたこちらの顔を覗き込むように顔を突き出し、甘い誘惑でもあるように言ってくる。サングラスをかけたその顔は、笑顔でにまっと吊り上げられた口の表情と合わせて、ギャングか何かのようだが、タプタプにだらしなく膨らんだ腹のせいで台無しだ。
「ダッチワイフなんて言うな。ありゃ
俺はなおもグラスを口に運びながら言う。150年も前の、男の欲望処理のために作られた人形は外観はそれなりにうまく作られていたようだが、今と違って動いたり、話したりするわけでなく、質感もそこまでではない。その時の‘ダッチワイフ’という名称は、新たに人工知能を備えたメカとしての女型ロボが売り出された際に、過去のただ‘マグロ’の人形との違いを強調し、そのイメージから決別するために、‘
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