第6場:美しき若手チェリストG女史とR.シュトラウス……!
しばし部屋中央の小さな絨毯の上に裸足の足を乗せてとどまり、真正面から自身のオーディオセットを眺めやって、その確かな質感ににやにやと満足げな笑いを浮かべていた氏だが、やがて身を屈めると、ラック内部の機器に向かって手と指を伸ばした。棚上部のSACDプレーヤー、下のプリメインアンプの順に、それぞれの機器の下部中央にある丸い電源ボタンを押していく。毎度のことながら、氏はこの作業が好きだった。これくらいの機器ともなると、触れて操作するだけでも満足感を得られるのだ。低く出た平たい表面のボタンを指で軽く押すと、ほんの1~2ミリほど押し切ったところで、スイッチが突き当たるかすかな手ごたえの感触が指先の皮膚から肉、骨格に伝わってき、それに少し遅れて、まだスイッチから指が離れず、指先に触れたままのボタンの感触の余韻が残るうち、かすかにツーッと通電の音がする。ほんの数瞬の事だが、確かに安定した作りのボタンに手を触れる、これから音楽を聴くためのこの儀式を氏は愛してやまなかった。
続いてSACDプレーヤーの、筐体中央部両脇の軽く丸く盛り上がった箇所に縦に3つずつ並んだ小さなボタンのうち、左の一番上を押すと、スッと中央上部、M社のロゴのすぐ下のディスクトレイ部が手前に伸び出てくる。静かで、真っ直ぐでスムーズな動きだ。
開かれたトレイには一枚のCDが載せられて入ったままだった。全面白塗りの地に、CD上部に大きく太いゴシック体のアルファベットで演奏者名、下部にそれより小さな字で曲種と作曲家名が上段にワインレッド、下段にマリンブルーの配色の二段分けで印字されている。その印字通り、Gがチェロ演奏をするFレーベルの
このフレーム立てにCDケースを掛けるアイデアは以前奥さんの時子さんを車で100円ショップに連れて行った時、あれこれ品定めをする時子さんを待つ間退屈な手持ち無沙汰でぶらぶら店内を歩くうち、ふと目についたフレーム立てを見て思いついたもので、物は試しと買って家で試してみたところ、折り畳み式のため、CDケースの縦横のサイズ(紙ジャケットの場合、通常のプラスチックケースとは縦横の大きさが微妙に違う物が多いのだ)や、主に複数枚収納する要求から増える厚みの変化にそれぞれ融通が利く形で、カチッとはまるように閉じ開きで調整することができ、氏の思い付きの予測はまるっきり正しいことが証明されたわけなのだ。そして、せっかくなのだからということで、表面を黒く塗り、木調風の模様を施してはいるが、あくまで100円のそのプラスチック製のフレーム立ての代わりに、1500円ほどのきちんとしたマホガニーの物を買い、それ以来オーディオラックの天板の上にはいつもそれを乗せ、今聴いているCDのジャケットを綺麗に飾るようにケースをそこに掛けているのだ。他にも同様の事を行っている人がいるかもしれないが、山本氏は自分が発見したこの方法にいたくご満悦だった。
それはともかく、今その内側に曲線を描いた
美しい女性だが、彼女は14歳でデビューを果たした後、数年前とあるコンクールで優勝して、そのためこのCDの録音がなされた若き実力者だった。曲目はR.シュトラウスとメンデルスゾーン。収録はR.シュトラウスが晩年を過ごした、ドイツ最南部の、スイスと境を接したガルミッシュ=パルテンキルヒェンのホールで、F社らしく特にライブ録音が行われていた。チェロソナタはR.シュトラウス17~19歳時に書かれた若書きの作品だが、恐らくモーツァルトにも匹敵する神童だった彼らしく、実に安定した出来で、また、名ホルン奏者だった父フランツの影響を受け、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、そしてともに収録されているメンデルスゾーンらの作風を吸収しての古典的で明朗な作品だった。山本氏はこれまでこの作品を別盤で一度聴いたことがあるきりだったが、その時は印象に残らなかったこの曲に、この演奏で初めてその若々しい放逸の魅力に気付かされた。メンデルスゾーンのチェロソナタの演奏も素晴らしい出来だ。チェロ、ピアノともに瑞々しい音色で、また、適度に彫りがある。演奏者たちの若さがそのまま表れているかのようだった。ライブの自然な息遣いもよく、そうした演奏面の良さをF社の明晰クリアで、楽器間の間合いの音場感も感じさせる素晴らしい録音が見事に捉え、引き立てている。
山本氏ははぁとため息を吐いた。昨夜チェアに座りながら、何の気なしに聴き始めたこのCDの素晴らしさに耳を奪われ、じっと目を閉じ、忘我で聴き入ったことを思い出したのだ。そしてまた、ガルミッシュでの録音というところが氏の胸を動かさずにはおられない。ウィンタースポーツで一般には有名だが、シュトラウスが晩年移り住み、84歳でその死を迎えるまで居住し続けた場所だ。風光明媚な所で、山本氏は今立つ場所から右後ろ端にある書斎机の上のパソコンの上で何度か画像検索をし、その清新な美しさに打たれたことがある。R.シュトラウスはかの地で、その澄み渡った風景と空気に合致するような透明な晩年の諸作品を書き上げ続けたのだ。第二次大戦末期、ドイツの諸都市が爆撃を受け、古きドイツ国の精神が崩壊しようとする現実を目の当たりにした作曲者が内の慟哭を静かに、切々と奏でる弦楽のためのメタモルフォーゼン。戦争直後の作曲で、80歳を超えた作曲家が老年を通り越して再び童心に返ったかのような枯淡の境地オーボエ協奏曲。そして、死の直前の最晩年にアイヒェンドルフとヘッセの詩に作曲した、人生の日没の残照を歌い上げたかのような4つの最後の歌……。およそクラシック音楽愛好家でかの作曲家とその地を結び付けていくばくかの感慨に浸らない人間がいるだろうか。また、山本氏自身もうすぐ70に届こうとする年齢になり、一度死に直面した身として、ますます、ひしひしと晩年のシュトラウスの境地に共感し、思いをはせるようになっていた。そのR.シュトラウスのみずみずしい少青年期の作品をかの地で演奏するとは、まさに彼の生き様の円環を目の当たりにするようではないか。
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