第4話:凶星
やがてとっぷりとした夜闇が到来した。将兵達のあちらこちらに動き回って発する叫び声と物音が次第にやみ、時々一人二人でせかせかと動き回るのを見るほかは、多くがそれぞれ一塊に集まり、がやがやと何やら話している。恐らくこれから出撃する同じ隊の仲間同士話をしているのだろう。聞き耳を立ててみると、これからかける夜襲に対する話題――その効果のほどや、心構え、気合を入れるための言葉――もあったが、他愛もない話も多かった。先ほどまでの耳と肌をツンツン刺激するような喧騒が、そうした話し声に変わると、上から落ち込む夜闇が届いて来る声にしっとりとした重みの圧迫を与え、柔らかな可塑の変形を通して、妙に安心できる、心地よい響きとなってこちらの耳に聞こえてくる。そして、そのまどろみに誘いかねない気持ちを、今や闇に囲まれた人が行動する際の頼りで、傲岸な主人となった、あちこちに立てられてパチパチいいながら灰の煙を出すかがり火の揺らぐ炎がいちいち気をかき乱すような乾いた刺激をこちらの目と耳と鼻と肌に送り、これから大事が起ころうとする緊張した現実に引き戻すのだ。馬のいななきも聞こえる。これから将や隊長たちが乗るために厩舎から係りの者が連れ出してきたのだろう。時々ひょこひょこと全身を跳ねるように動かす、細長く巨大な黒いシルエットが視界の端を横切っていく。
クシュンと私はくしゃみをした。体を抱えてぶるっと震わせる。冷え込む。昼はそこそこ暑く、ために薄着をしていたのだが、夜とともに、気温が一気に落ち込んだようだった。北の方に位置するこの国では秋が来るのも早い。肌の表面をきゅっと引き締めさせるようなよく澄んだ冷気は心地良くもあったが、同時に物寂しげな冬の到来も予告する。生活感にあふれた人肌と建物に囲まれた街中でなく、平原と林のただ中に立てられたこんな砦ではその感を一層強くする。もうすっかり暗くなったというのに、どこか、周囲の離れた林の中から『クァー』と鳥が一鳴きするのが聞こえた。
今のくしゃみも周りの興味を全く惹きつけなかったようだった。皆が思い思いに話し合ったり、最後の点検か、気合を入れるためか、手持ち無沙汰を紛らわすためか、手にした武器を眺めたりしている。明るいうちなら例え耳に届かなくとも、目立つ動きで目を引いただろうが、こうも暗くなってくると、炎の明かりから引っ込んだ所にいる私に特に注目するものはいない。
私はほっとし、こうなっては見るものもないし、特にやれることもないので――やれることがないのは先ほどからずっとだが、ひょっとすると少しの手伝いくらいは命じられるかもしれないと思って突っ立っていた。もうあらかた準備を終えた今となってはその可能性――ひょっとすると、私も誰かに命じられることで、この活動的な空気の中に私も参加できるかもしれないというちょっとした期待――も無くなったわけだ――、最後の出陣まで見届けた後は食事をとって(夜襲に参加する者たちはすでに早目の食事をとっていた)、与えられた自室で占いの勉強をするかと考えながら、相も変わらずぼーっと立ち尽くし、お互い話し合いながらも、いよいよこれからする襲撃に緊張と闘志を高めていく将兵達の様を眺めていたが、空気が澄んだ今日は星がきれいだと、ふと陽がすっかり落ちて、いくつもの潤った白い輝きで埋め尽くされた夜空を見上げた。
と、私はぎょっとした。
普段は白く煌々と輝く、我がぺマ王国の北の宿星――秋口のこの時期はルアの一等星――がその姿をぼんやりとした暗赤色で揺らがせている。変に肥大しており、揺らぎが脈打つその様子は心臓にも例えられ、わかりやすいその読み解きは天文占いの初歩とされる――凶兆だ。
私はばっと反対の南側の空に目をやった。ルアに血拍(※暗赤色に揺らいで輝く様)が見られるときはほぼ凶兆――少なくともいい事が起こる前兆ではない――だが、南天の対となるルルが青に輝くなら転じて逆とす――大吉兆となり、白ならば凶事が起こるにしても、そこまでの大事でない。――その割に、ルアの滅多に見ない血拍の深い度合いに気が動揺したが――。
――ルルもまたその輝きを赤く暗くさせていた。――ルアほどの深さでなく、その輝きの揺らぎもなかったが、やはりこれは凶事――それもかなり強い――の起こる前触れだ。反対に、それより上に位置する、南天における敵国ドリの宿星たるテーリの星は白に薄い青をかけた、水色がかった色で煌々とはっきりした強い輝きを放っている。
――私はさっと西の空を見る。緊急性――、ユムの星はオレンジ――すぐにも凶事が到来する前触れだ。東の空に目をやった私はちっと舌打ちをした。災難の人為性か天意性を示すアーノンの星が雲に隠れて見えないのだ。その属する神話の英雄ワーラの星座の大部分がどんよりとした黒灰色の雲に覆い隠されていた。
私は強く息を喘いだ。再びルアの星に目を戻し、その不気味な血拍に自分の鼓動までドクドクと合わせて乱されるのを自覚すると(全ての専門家と同じ、私は外側に表れたその専門分野の良し悪し、善悪に生理的な感覚をも同調させてしまうのだ)、私は息苦しさのまま、ダッと自室に向かって走り出した。
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