窮国の占い師
猫大好き
第1話:夜襲を控えて
陽が西の山にその下端を落ち込ませ、空気を揺らがせて赤い輝きを届かせる頃、砦の中では騒がしく皆が立ち働いていた。
指示する掛け声に応答、甲冑具足の慌ただしく走り回る音、カチャカチャどさどさと武器や荷物を運んで地に放り出し、めいめいがどやどやと思い思いにそれを手に取って持ったりする。粗雑な怒鳴り声と騒音が鳴りわたるが、誰もそれを聞いて気を苛立たせることはない。むしろともに体を激しく動かし、仕事を共有することで得られる皆との心身の一体感を、空気を震わすそれらの物音で自分の身により深く擦り込んでゆき、喜びを感じているようだ。
皆が急き、気を奮い立たせるのはこれから敵陣に夜襲を仕掛けるためだった。武器や松明が用意され、砦内のかがり火もその準備のため常より早く、多めに灯されている。軍人でもなく、襲撃に参加するわけでない私は、その細い体を周りの邪魔にならないように道の端の蔭に棒のようにおっ立て、ぽつんとその様子を眺めているばかりだった。目の前を行き来する将兵たちは皆頑健な体格をしており、戦闘訓練どころか日常満足に運動もしない柳の質の体の私は、皆が身に着けているその重そうな鎧を見ては、私ならそれを着て戦うどころか、ろくに動くことすらできないだろうと、実際に自分が着て、その重さに押し潰される想像をしてはぞっとしていた。そうはいっても、空気を伝わってくる皆の奮い立つ気持ちに私も当てられなかったわけではない。何だかんだいって戦いは男のロマンではないか?
私は私なりの役割があってここにいることを自覚――そう、所属するこの砦の一成員としての立派な仕事意識を伴った自覚だ――してはいたが、やはり皆の立派な体躯と堂々たる動きを目にして、彼らの仕事に加われないもどかしさと――そもそも所属役割が違うし、命令系統にも慣れておらず、非力な私では周りに余計な迷惑をかけて時間と手間を余分に取らせるだけだろうが――、彼ら兵卒の、忠実な任務意識とそれを実行するに足る充分な体つきに素直な羨望を抱いていた。
時折、通りすがる兵がちらりと奇妙な物を見るような目でこちらを見やる。この忙しい時に仕事を手伝いもせず、鎧さえ着けていないとは何事だろうという目つきだ。無論、彼らとて、軍人だけでなく文官がこの砦に幾人か駐屯していることは知っているはずだが、私はそれだけでなく、その若さ――青さ――を非難されているような気がして萎縮していた。貧しい階級から募兵、徴兵に応じた若者(下は15歳から)や、貴族子弟の上官要請の一環で入れられた者たちと違い、文官でわずか20歳そこそこ――正確には満21歳――の人間がこんな前線にいるなど異例の事だった。中には、私の胸に付いた、角それぞれの先に小さな丸型が付いている暗赤にきらめく五芒星の意味を理解し、敬意の目を向ける――それどころか、幾人かの年配の兵士は前に立ち止まって敬礼しさえした――者もいたが、家名による身分の割に、今のところ何一つここで――それのみか、戦争に従軍したこと自体これが初めてだ――成すことをしていない私はその態度に対して申し訳なく思い、縮こまるばかりだ。私がなおもぼ~っと役立たずの無能の視線を向けていると、横から声が聞こえた。
「よっ、どうした? あほみたいに突っ立って」
いきなり後ろからドンと肩を叩かれた。その大きな手の衝撃で私は大きく前によろめく。その様を見て相手はケラケラと笑った。
「アース、お前は相変わらずだな。ちったあ体を鍛えた方がいいぜ? 特にこんな戦場に来るとなったら何が起こるかわからんしな?」
再び、今度は一層機嫌よく、腰を手に当てて、上を向いて呵々大笑する。
ミランは、私と同じ21歳で、さほど裕福ともいえない裁縫屋の家庭で育った。幼少時、私が乳母に連れられて広場に行った際、そこで(こういっては悪い表現だが)庶民の子達が遊んでいるのを見かけた私はそこに混ぜてもらい、その時以来彼とは大の親友なのだ。さほど裕福でないというのは言い回しで、本当は貧しい家庭だったが、貧乏暮らしから脱するべく発奮して15歳の時――兵卒採用最低年齢だ――募兵に応募して、その時以来、内の警備から、今の隣国ドリ王国との戦争が勃発してからは前線で武勲を立てまくって、今は一隊を統率するまでに出世していた。つまり、この砦の中においては、家柄ばかりで何の功績もない私よりはるかに頼りにされ、実際有用な人物というわけなのだった。今も若手兵士たち――といっても、ミランより数歳年上の一兵卒も混じっていたが――の幾人かが通りすがりにちらと尊敬の眼差しをやり、敬礼したりする――その後に、憧れの小隊長と馴れ馴れしく話し合う私に疑念の眼差しを送るのも忘れはしなかったが――。しかしもちろんそんなことで私たちの間柄が変わるわけもなかった。
「そんな事言っても、機会がないよ。爺さんと、その弟子達について勉強勉強勉強ばかりさ。――実践もたまにはあるが」
「ほう? その結果は?」
「よせよ――」
私は笑いながら軽くミランをはたいた。ミランは相好を崩しながら、身をかがめて大げさにやられたふりをする――やられたのは、甲冑の首部分を叩いてしまった私の手なのだが。私の職業――国家に所属する占い師――の仕事のうち、今まで私に割り当てられたのはつまらないものばかりだった。失せ物探し――、天気予報――、良い狩り場探し――。まだ若輩だから仕方ないとはいえるのだが。しかし、私はそれら与えられた任務を全て寸分違えることなく成功させた。私の名は宮廷内ではかなり知られ、家名を負うにふさわしい者との声望が高まった。私自身そのことに幾分の自負を抱いており、先ほどミランを叩いたのも単なるはにかみばかりでない。当然のことを聞くなと意味合いだ。ミランもその事を承知しているようだった。いわば私たちは、互いに相手が高みに上りつつあるのを認めて讃え合う、男同士の友情としては最善の関係にあると言ってよい。
しかし、その私にしても、宮廷内の些事調べからいきなり現在我が国に起こっている戦争における最重要拠点といえる――つまり国の最重要事だ――、ドリ王国との折衝の要衝に放り込まれるとは思わなかったが。私には直接言わなかったが、何でも祖父の提案――と、いうより、普段隠遁してはいるが、我が国においてほとんど絶対者といえる祖父の実質的命令――との事だったが、実際に初めて戦地に送り込まれる不安はともかく、祖父の意図が私にははっきりわからなかった。かくして私は宮廷の盛名も一切届かない、逞しく働く将兵たちの巣で縄張りたる砦に手持無沙汰で立っているというわけなのだ。
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