第166話 ★6★ 3月14日金曜日、11時過ぎ

 三月十四日金曜日、十一時過ぎ。伊豆高原桜まつりの影響と思われる多少の渋滞には捕まったが、概ね定刻通りに最初の目的地、伊豆稲取駅に到着した。

「今回の任務って、町にある石を見て回り、魔性石化が進んでいるようなら浄化するってことね」

 シートベルトを外しながら、こう抜折羅ばさらに訊いてくる。

「そういうことだ。たくさんの人間に接した石は人間が持つ魔性の力の影響をどうしても受けてしまう。一定量を溜め込めば、魔性石になるわけだ。今回は魔性石にしないための処置とも言える」

 抜折羅はさらさらと答えた。これまで魔性石を集めたり浄化を施したりといったことは紅とともにやってきたが、魔性石になりかけている石に触れるのは初めてのはずだ。

「こんなところにあるの?」

「見ればわかるんじゃないかな」

 車の外に出た紅の疑問に答えたのは遊輝ゆうきだった。

「南伊豆って土地は伊豆石と呼ばれる石が産出される地域なんだよ。その伊豆石のひとつで、建材として使われる凝灰岩が取れたんで、あぁいうものを使って紹介しているようだね」

 簡単に説明して、遊輝は駅前の小さな広場――江戸城築城石ふるさと広場に置かれた直方体の岩を指差す。その岩は縄が付けられていて引っ張れるようになっていた。観光客らしいおばさんたちが写真を撮っているのが目に入る。

「引っ張ってみるかい? 六人くらいで試してみるものらしいけど、本気を出せば軽く動かせそうだね」

「面白そうだけど遠慮しておくわ」

「観光も兼ねて楽しんでも罰は当たらないよ」

 紅が断るので、遊輝は肩を竦めて残念そうに言った。

「挑戦したいなら、一人でやってみたら良いんじゃないですか?」

 遊輝の意図を察した抜折羅はすかさず問う。綱を引っ張る体勢となれば自然と紅のそばに寄ることができる。それが彼の狙いなのだろう。

 抜折羅の台詞に、彼は観念したみたいな表情を浮かべた。

「それは何かの罰ゲームかい? 寂しい人間みたいじゃないか。せっかく三人で旅しているんだから、仲良く楽しもうよ」

「仕事は仕事だ。楽しむ要素などいらない」

 直方体の岩――築城石は今回の任務の対象ではないようだ。念のために近付いてみるが、特に変わった様子はない。

「抜折羅くんは本当に堅物だなぁ。この世に生を受けたからには、全力で楽しまなきゃ損でしょ?」

白浪しらなみ先輩はいささか楽しみすぎじゃありませんか? いつか手痛い竹篦しっぺ返しに遭うんじゃないですかね」

「紅ちゃんが振り向いてくれないだけで充分すぎるよ」

 さり気なく紅に手を伸ばしたのを、抜折羅は瞬時にはたき落とす。

「――今日の抜折羅くんはいつもよりおっかないね」

 遊輝の顔に苦笑が浮かぶ。

「白浪先輩の同行を許可した数時間前の俺を許せないだけだ」

 喋り方に注意を払う余裕がない。冷たく言い放つと、遊輝は苦笑に困った表情を加えた。

「それが本当なら、この行為はとばっちりってことだね」

「…………」

 指摘がもっともだと思えてしまったため、抜折羅は反論できない。

 黙っていると、紅が何かに気付いたらしく声を掛けてきた。

「ねぇ、抜折羅。フレイムブラッドが駅の中も見てみろって言うんだけど、行ってもいい?」

「中?」

 抜折羅がそちらに意識を向けると、確かに魔性石特有の気配が僅かながらする。紅の台詞からすると、彼女が持つ魔性石フレイムブラッドが感知したのだろう。

「――そうだな。見てきた方が良さそうだ」

「んじゃ、行ってくるね」

 紅の足取りは軽い。楽しげに彼女の束ねた髪が揺れる。

「ふふっ、紅ちゃんの感度も良くなっているみたいだね」

 先を行く紅の後ろをのんびりついて行きながら、遊輝が楽しげな様子で告げる。

「あんまり喜ばしいことじゃないですがね」

 正直なところ、抜折羅は面白くない。できることなら、彼女を巻き込みたくなかったからだ。

「抜折羅くんの力になろうって頑張っているんだから、健気じゃない。僕は好きだよ、そういう姿勢」

「俺は望んでいない」

 感情が口調に表れる。

「彼女は守られるだけの女の子じゃいられないたちなんだよ。わかっているんでしょ?」

「――わかっているから、苛つくんだ」

「ふふっ、抜折羅くんもだいぶ素直に自分の気持ちを吐き出せるようになったね。紅ちゃんの影響かな?」

「どうだか」

「……僕は彼女の影響を受けないみたいだから、ちょっと羨ましいんだけどな」

 そう告げた遊輝の横顔にはいつもの笑顔はなく、どことなく寂しげに映った。

「先輩は――」

「――二人とも、見てよ。大きなレッドジャスパーがあるわよ!」

 抜折羅の台詞は、駅の建物から顔を出した紅の呼ぶ声で中断された。話はここまでのようだ。

「赤石だね。金鉱のそばで見つかることが多いんだっけ」

 紅がいる駅舎に歩み寄りながら遊輝が解説する。

「詳しいですね。そこの説明書きにも載ってましたよ」

 遊輝に尊敬の眼差しを向けて紅が誉める。

「今回は予習してきたんだよ。解説の出番を抜折羅くんに取られたくなくてね」

 抜け目がない人間だな、と抜折羅はつくづく思う。努力は嫌いだと公言している遊輝だが、本人が努力だと思っていないだけで、あれこれ考えてはよく動く。サービス精神が高く、何かと張り合いたがる性格がそうさせるのだろう。

「詳しいデータは譲るよ、抜折羅くん」

 譲られても嬉しくないのだが、紅の期待が込められた瞳に見つめられると黙っているわけにはいかない。看板に載っている説明文にはない範囲の補足をする。

「レッドジャスパーは大きな括りで言えば水晶の仲間だ。その中でも不純物を二〇パーセント以上含んだ不透明な石をジャスパーと呼ぶ。ここで紹介されているように、ジャスパーは日本でも採れ、赤いものであれば佐渡の赤玉石が有名だ。宝石としての価値は低く、水石として鑑賞されることが多い」

「さすがは資格持ちね」

 記憶している情報をさらさらと述べると、抜折羅は石に触れる。温かな大地のエナジーが手のひらからじんわりと伝わってくる。

「ちなみにパワーストーンとしてなら、ジャスパーは安定した石でそうそう暴走することはない。この石も魔性を伴ってはいるが、危険性はないだろう」

 ずいぶんと大きなレッドジャスパーだ。数人の手のひらを充分に置けるサイズである。溜め込めるエナジーも大きいのだろう。温もりを感じる優しいエナジーは、悪い方向に進むことはなさそうに思えた。

「そうだね。危険性がないってのは僕も同感だよ」

 遊輝が頷くと、紅もレッドジャスパーに手を置いた。

「うん。あたしもそう思う」

「次の場所に行くか。そしたら昼食だ。平日でも並ぶ店らしいから、時間がかかると思うが」

 抜折羅は石から手を離すと、二人に告げる。

「何のお店?」

「金目鯛で有名な店だ」

 紅の問いに答えてやると、遊輝が愉快そうに笑った。

「地元の魚が食べられる場所を探しておくとは、旅行を楽しむ用意もあるんじゃん」

「この近辺にある店をリサーチした結果だ。他意はない」

 つい彼の台詞を否定したくてむすっとしてしまう。ですます調で喋る気も失せてくる。

「ふーん。そういうことにしてあげるよ。――ねぇ、もし時間があるようなら、文化公園に寄ってくれない?」

「何かあるんですか?」

 遊輝の依頼に、紅が興味を示す。

「日本三大つるし飾りの一つ、雛のつるし飾りが展示されているんだよ。祭りの開催期間中なんだし、見に行こうよ」

 言って、遊輝は置いてあったチラシを取ると抜折羅たちに向ける。

「む……」

「あたしも見たいなぁ。駄目かしら?」

 言いよどんでいた抜折羅だったが、紅に上目遣いで訊かれてはノーと言えない。しぶしぶ頷いた。

「仕方がないな。あまり長居はできないから、そのつもりで」

「うん、了解。ありがと」

 紅の笑顔には勝てない。熱を少し感じて視線を外し、歩き始める。

「――のんびりしていては時間が勿体ない。行くぞ」

「はーい」

 そして抜折羅たちは伊豆稲取駅を出たのだった。


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