第131話 *9*

 ぼそぼそと聞こえてくる抜折羅ばさらの声は英語のようで、電話の相手がタリスマンオーダー社の関係者なのだろうとこうは推測する。

 ――慌てている感じだったけど、誰からの電話なんだろう?

 態度がいつもと違うと気になるものだ。わざわざ距離を取ったことを考えると、仕事に関した話なのだろうか。

「ふーん。手を出すなって言われると、出したくなっちゃう性なんだけど、抜折羅くんはわかってないね」

「えぇ、本当に」

 遊輝ゆうきと二人きりにされてしまった。タルトを食べさせてあげなかった報復がくるとすれば、おそらく今だ。

「ふふっ、警戒してるね」

 紅の正面に遊輝が入り込む。長い銀髪がふわりと揺れた。

「当然でしょう?」

 一歩退く紅の手を素早く取ると、遊輝は易々と引き寄せる。

「ちょっ!?」

 腰に左腕が回され、空いた右手は紅の頬に触れる。輪郭をなぞるようにして顎に指先が到達すると、そっと持ち上げられた。一連の動作が慣れすぎていて無駄がない。

「捕まえた。警戒しているわりには、いつも簡単に僕の腕に収まっちゃうよね」

「放して下さいっ」

 顎を持ち上げられているためか、うまく大声を出せない。身体をよじれば、しっかりと腰を密着させられて逃げ場がない。

 焦る紅を、熱を帯びた赤い瞳が見つめている。次はどうしてやろうかと企てている表情だ。

「抜折羅くんを選んだというなら、君は僕を嫌う努力をすべきなんだと思うよ?」

「だから、放してって――んっ!!」

 唇が触れ合う。

 最初は軽く。次に触れたあとには唇を舌でなぞられた。その瞬間、背中がぞくりとする。

「んっあっ……」

 キスをされていると理解している。だが、身体が対処に移らない。

 遊輝の唇が離れて、顔に掛かる前髪が彼の細い指先でそっと端へと寄せられる。赤い瞳に映る自分の惚けた顔が、ものすごくいやらしく感じられた。

「――君の唇は甘酸っぱいね。もっと味わわせて」

 ――だ、ダメっ!!

 拒む台詞は声になることはなく。

 無理やりこじ開けられた唇の隙間から彼の長い舌が入り込む。

「んんぅっ……」

 口を塞がれるように口付けされて息苦しく、否応なく口を開けば、歯列をなぞっていた舌がぬるりと奥に入ってきた。紅の舌に触れると、愛撫するように優しく舐められる。その刺激は身体の奥まで届いて、意識をとろりと溶かしていく。

「んぅ……」

 心地よさに抗えない。相手が抜折羅ではないという事実は心をささくれ立たせるが、この刺激に夢中になってしまう自分を抑えることは難しかった。

「――ずいぶんとキスが上手になったね。とろんとした顔をしちゃって、気持ち良いんだ?」

「……違っ……はぁ……はぁ……」

 息が上がってしまっている。鼓動も早く、身体が熱い。

 紅は恥ずかしくて彼から顔を背ける。できればここから逃げたいのだが、遊輝の腕は腰をしっかりと支えて離してくれなかった。

「隠さなくても良いのに。正直に答えないなら、身体に直接訊いてあげようか?」

「ひゃっ」

 頬を撫でていた右手が首筋をなぞる。敏感になっていたのか、肌に触れられるだけで変な声が出てしまう。

「可愛い声で僕を煽るのも上手になったね」

「煽って……ないですってば」

 横目に遊輝の顔を見ると、安心したように微笑んでいるのがわかった。紅を苛めて楽しんでいるのではなく、反応を確認できてほっとしているみたいに感じられる。

「そうかな? 男と遊ぶことを覚えたみたいに見えるんだけどな」

 遊輝の手のひらが紅の胸にあてがわれた。存在感のある大きな膨らみの形を確認するように撫でられると、ざわざわと肌が反応する。

「やっ……」

 そのうちに胸の先端に手のひらが当たり、押すようにしながら擦られた。

「ひゃんっ」

 普段は決して感じない甘い痺れに、紅は身を震わせた。服の上からだというのに、刺激が強くて身悶えしてしまう。口を開けば、自分のものとは思えない甘ったるい声が漏れて、紅は懸命に声を押し殺した。

 なおも続く愛撫に気が狂ってしまいそうなのに、さらなる刺激を――強い快感を求めている自分が存在する。もう一人別の人格があるみたいで、それが怖い。

 ――このままじゃ溺れてしまう……。

「や……やめて……下さい」

 何故こうなってしまうのかわからない。自分の身体の反応に戸惑いながらも、これ以上のことをされたら正気を保っていられない気がして、紅は必死に訴えた。

 遊輝の視線を肌で感じる。狂わされそうになっている自分を見つめる熱い視線を。

「今、僕はね、君を包む可愛らしい洋服を脱がして、薔薇色に染まる君の肌に直接触れてみたくてたまらないよ」

「そんなことしたら……あたし……訴えますからっ」

「君はしないでしょ?」

 確認するように問うて、彼は紅の耳をむ。食まれた場所がじんと痺れて、また聞き慣れない声を上げそうになってしまうのをぐっと堪えた。

「そうそう。後学のために良いことを教えてあげる」

「……何ですか?」

 耳元で囁かれるとくすぐったい。それでも堪えて続きを待つ。

「男が女の子に服をあげるときはね、その服を着ているのを見てみたいって気持ちの裏に、その服を脱がしてやりたいって欲望があるんだよ。覚えておいて」

 そう告げると、彼はブラウスについた襟を兼ねたフリルをやや乱暴に引っ張って鎖骨の辺りを露出させ、素早く唇を寄せた。

「あっ……」

 首とも肩とも言えそうな場所にチクリとした痛みが走る。噛まれたのか、強く吸われたのか、あるいはその両方なのだろうか。身動きが取れないまま、しばらくそうしていると、やがて解放される。

 彼に支えられていた腰がラクになると同時に、紅はすとんとその場に崩れた。身体にうまく力が入らない。なんとか上体は起こしていられたが、まるで人形にでもなってしまったかのような気分だ。

 遊輝は紅の前にしゃがみ込むと、先ほど唇を寄せていた部分に長い指先で触れる。そして嬉しそうに笑んだ。

「傷の治りが早い紅ちゃんでも、キスマークを刻むことはできるみたいだね」

 彼の指先が離れたところで、すぐに手で押さえる。見える場所ではないので確認できないが、今された行為がそういうことであることは理解できた。合わせて、紅は乱れた胸元をさっと直す。なかったことにしてしまいたい。

「できるならこのまま君を僕のものにしちゃいたいところだけど、今夜のところは我慢してあげるね。抜折羅くんに縁を切られたくないし。この続きに興味があるなら、今度は一人で僕の家においで。可愛がってあげるから」

 人差し指を唇に当てて、遊輝は妖艶に笑む。誘いは本気だと受け取った。

「絶対に一人じゃ近付きませんから、ご心配なく」

 心臓はまだ高鳴ったままだ。遊輝相手にこんな状態になってしまう自分が恨めしい。抜折羅を好きだと言っているのに、他の男に気持ちが揺らいでいるなどとは思いたくない。だが、抜折羅から責められたら、反論できそうにないと感じているのも事実だ。

「ふふっ、頑張って」

 ぽんぽんと軽く頭を叩かれると、遊輝は少しだけ距離をおく。

 まもなく、抜折羅が階段を上がってくるのが見えた。


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