第132話 ★10★

 養母からの電話は、近況報告とクリスマスパーティーの話だった。冬休みに入ったらすぐにワシントンの本社に顔を出すように、とのことだ。

 ――何も、このタイミングで電話してこなくても良いだろうに……。

 本人に言うと十倍以上になって返ってくるし、電話をさっさと切り上げたかった抜折羅ばさらとしては、電話の前でうんうんと頷くしかできなかった。社長業で忙しい養母が電話を掛けてくるのは稀だが、それだけに蔑ろにすればあとが面倒くさい。だから、気が乗らなくても電話に出る選択肢しかないのだ。

「……って」

 階段を上って目に入った光景に、思わず頭に血が上った。明らかに何かあった様子で床に座り込み首に手を当てているこうと、いかにも無関係を装って距離を取っている遊輝ゆうきの姿があったからだ。

「紅っ!?」

 抜折羅は急いで紅の前に回ると、視線を合わせるために膝立ちになって彼女の肩に手を載せた。

「悪い。白浪しらなみ先輩に何かされたんだろ?」

 問いに、紅は顔を伏せて小さく頷く。

「また、逃げ遅れちゃった。あたしが悪いの。抜折羅の所為じゃない」

「だが」

「ごめん」

「…………」

 しゅんとしている彼女を責めるつもりはない。反省はしてくれている。ただ、反省が活かせないだけ。相手が悪い。

 抜折羅は立ち上がると、遊輝に向き直った。

「紅に何をした?」

 いつもならうまく隠せている感情が、声にしっかりと反映されている。激しさを伴う怒りの感情は簡単に抑えられないようだ。

 抜折羅の問いに対し、遊輝は困ったように笑った。

「キスと少々。抜折羅くんが紅ちゃんを満足させてあげられているのかな、って思って」

「余計なことを……」

 人の勝手ではないか。それぞれのペースで、それぞれの関係を築いていけばそれで構わないはずだ。他人にとやかく言われたくないし、探られたくもない。

 ムスッとしていると、遊輝が続ける。

「あと、抜折羅くんの、紅ちゃんを独占したいって気持ちがわかったから、お兄さん的には安心したかも」

「俺は独占したいとは思っちゃいないっ!」

 反論すると、遊輝は不思議そうな顔をする。

「そう? 彼女が他の男に触れられるのが嫌だと思う気持ちは、自分だけのものにしておきたいって気持ちから来るものだと思うんだけど……違うのかい?」

「俺は紅の気持ちに応えたいだけだ。彼女が望むことをさせてやりたいし、彼女が望まないことは極力取り除いてやりたい。――紅はあんたを受け入れたわけじゃないんだろ? 拒んだんじゃないのか?」

 紅が自分から誘うような女ではないことはよくわかっているつもりだ。

 抜折羅自身も詳しい方ではないが、彼女は恋愛のノウハウというものを理解しているようには見えない。抱きついてきたり、自分からキスをしてみたりと、多少大胆に振る舞うこともあるのだが、どことなくぎこちなくて初々しい。男を誘える女なら、もっとうまくやりそうな気がする。

 ――あの照れや恥じらいが俺を釣るための演技だったら、衝撃的だがな……。

「そう主張するなら、そういうことにしておいてあげる。――強引な手を使うのを避けているから時間が掛かっているけど、僕はかなりの確率で彼女を落とせると思っているよ? 紅ちゃん、なんだかんだ口では言っても、身体は素直なんだもの。準備して挑めば、より確実だよね」

「その機会が来ないように、全力で阻止してやるっ!」

「うん、頑張って」

 馬鹿にされているとしか思えない、遊輝の満面の笑み。だが、彼が対抗してくる気配がなく、のらりくらりとかわしているような感じで手応えがないので、怒りの気持ちは萎えてしまった。

 ――白浪先輩の手のひらの上で踊らされている気がする……。

 怒りは引いたが、不満な気持ちはくすぶったままだ。どうしたら充たされるのか、あるいは解消されるのか、抜折羅には方法がわからない。

「良かったね、紅ちゃん。抜折羅くんに愛されていて」

「そんなの、言われなくてもわかってますよっ!」

「ふふっ、照れちゃってー。二人とも可愛いなぁ」

 やっぱり、からかわれている。

 遊輝が紅を本当に好いているのかは、実のところよくわからない。彼は「彼女を好きだ」と、ところかまわず言いふらしているわけだが、抜折羅が紅に寄せている感情とは違う気がするのだ。原因は不明だが、なんとなく。

「……っと。電話みたい」

 尻ポケットからスマートフォンを取り出すと、画面を見た遊輝は表情を曇らせた。

「誰から? 女、とか?」

 わざとらしく抜折羅が問うと、彼は苦笑して答える。

「母親からだよ。さっきメールしたから、電話してきたみたい。ちょっと待ってて」

 数歩離れると、遊輝はスマートフォンを耳に当てる。

「もしもし? ……うん。写真を送った通りだよ。まだ友だちと一緒。……は? え? ちゃんと男友だちだっているって。ハーレムパーティーなんてしないよ。今、本気で好きな女の子がいるんだから、適当な女の子を連れ込んで遊ぶのはやめたの。……非道い。父さんと一緒にしないで」

 ――どういう価値観に基づいた教育だよ……。

 抜折羅は突っ込みたい気持ちを抑えて黙る。家庭に憧れがあるものの、白浪家のような環境にはしたくない。夕食をしながら語ってくれたことの信憑性が、この通話からひしひしと伝わってくる。

「うん……うん……で、パリはどうなの? ……あぁ、そういうことなら、冬休みにはそっちに行くよ。土日で行くには遠いし。……うん。お金は自分で稼げているから心配しないで。学費は預かってるから大丈夫だし。……ん? 誕生日プレゼント? 要らないよ。僕が欲しいもの、お金で買えるようなものじゃないから。……え? なら丁度良かったって、どういうこと?」

 そして、沈黙。遊輝が目をまるくしている。

 何を言われたんだろう――抜折羅は紅と顔を見合わせて首を傾げた。

 遊輝は小さく唸ると、困った顔をして自身の銀髪の毛先をくるくると指先に絡める。

「……あ。おめでとう、で良いの、こういうときの反応って。ってか、その子、本当に父さんの子どもだよね? 嫌だよ、普通の容姿の子どもだったら。遺伝的に考えて、二人からは色素が薄い子しか産まれないんだから。見たらすぐにわかるじゃない」

 ――何の話だ?

 ひどい言われようだと思うのだが。遊輝の台詞には突っ込みどころが満載で、抜折羅の感覚からは有り得ない台詞が続いている。

「……ちょっと待って。まだ妹かどうか判らないよね? 妊娠初期がどんな状態なのかくらい、知識あるって。……えっと……フライングして、僕と同じ道は辿らせないで。母さん、お願いだから。……あぁ、うん。驚きはしたけど、嬉しく思うよ。……うん。ありがと。慣れない土地で大変だとは思うけど、身体は大事にしてね。……うん。わかった。じゃあ、冬に」

 スマートフォンを耳元から離すと、彼にしては珍しく長いため息をついた。

「……何かあったんですか?」

 恐る恐るといった様子で紅が問う。遊輝が電話をしている間に気を取り直せたらしかった。

「なんかね……僕、次の春にはお兄ちゃんになるらしい」

 どんな反応をしたら良いのか迷っているような感じで、遊輝が答える。

「おめでとうございます」

 紅は爽やかに微笑む。祝福の気持ちがこもっているようにも見えた。

「ありがとう。――ただ、誕生日プレゼントよろしく、産まれたらあげるから日本に連れ帰ってねって言われた……」

 うーんと、遊輝は自身の頭を両手で抱えて唸る。どうかわそうか真剣に思案している様が窺える。

「それはお気の毒に」

 紅、苦笑。抜折羅も思わず苦笑いを浮かべる。

「あぁっ、もうっ!! なんで自分の子どもじゃないのに世話しなきゃいけないわけ!? 向こうならベビーシッターくらいいるでしょ? 雇えるだけのお金もあるくせに、何言っちゃってるのっ!? 僕をなんだと思っているわけっ!?」

 叫ぶだけ叫んで肩で息をすると、遊輝は紅の前に移動して両肩に手を置いた。

「……はい?」

 きょとんとする紅。

「――そういうわけだから、紅ちゃん、今すぐ子づくりしようっ!」

「はぁっ!?」

「その口は何をぬかしてるっ!?」

 すぱこんっと、履いていたスリッパを手に取ると遊輝の後頭部を叩く。景気の良い音がリビングダイニングに響いた。

「非道いよ、抜折羅くん。スリッパで叩くなんて。しかも、加減しなかったよね?」

 打たれた場所をさすりながら、遊輝が涙目で訴えてくる。

「叩かれるような言動をするヤツの方が悪い」

 きっぱりと言ってやる。目の前で紅に迫るとはいい度胸だ。

「まだ手を出してないよ?」

「出してからじゃ手遅れだろうが」

「まぁ、そうだね」

 あっさりと認めると、遊輝は肩を竦める。

「あーあ。弟妹を育てるくらいなら、好きな女の子との間に子どもを作って育てたいなって思っただけなのに。僕としたことが未遂にすらたどり着けないなんて。残念」

「勝手に残念がってろよ」

 二発目が必要だろうかと、スリッパを履き直しながら思う。

「抜折羅くん、冷たいー。今日が僕の誕生日だってこと、覚えていてくれてるかい?」

「誕生日だからって、何でも許されるわけじゃないだろ」

「うん。正論をありがとう」

 残念そうな表情で告げると、抜折羅の後ろに隠した紅に視線が向けられる。

「紅ちゃんをその気にさせられたら僕の勝ちだと思うんだけどね。今日はそれなりに楽しめたからおとなしくひいてあげる」

 紅は何も言わなかった。抜折羅のシャツをぐっと握るのが、背中に伝わってくる。

 ――撤退の頃合いだな。

「紅、そろそろ帰るぞ。車も来る頃だし」

 背後にいる紅に声を掛ける。シャツから手が離れたのがわかった。

「あ、じゃあ、着替えないと」

「良いじゃないか、そのままでも」

「でも、この格好で帰ったら、おかしくない?」

 不安そうな、少し恥じらいを感じる声。

「そうか? あ。そのままだと、外は寒いか」

 部屋の中は暖かいから良いが、ブラウスだけでは寒そうだ。

「そういうことなら、その洋服に合うボレロを出してあげるよ。この家に使う人いないし、プレゼントしてあげる」

 遊輝が割り込んで提案してきた。紅は渋る。

「でも……」

「タンスの肥やしにしておくか、あるいは捨てちゃうものなんだから、遠慮しないで受け取って。ね?」

 申し入れに迷う素振りを見せていた紅だったが、やがて頷いた。

「では、お言葉に甘えて」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る