第109話 ★5★ 10月12日土曜日、深夜

「――どうやら終わったようだな」

 将人まさと気怠けだるそうな台詞が聞こえると同時に、彼の周囲に粉雪が舞った。

 ――なるほど、スノーフレークか。

 抜折羅ばさらはその様子を見て、彼が何のタリスマントーカーなのか察した。将人はオブシディアンの中でも白い斑点模様を持つ石、スノーフレークのタリスマントーカーなのだ。

「あーあ、どうせこうなるとは思っていたが、現実になっちまうと不愉快だな」

 舌打ちをして、将人は抜折羅に目を向けた。眼光が鋭い。

「なんだよ?」

 黙って見つめられると、睨まれているようにしか感じられない。フレイムブラッドの気配が戻ってきたので、すぐにこうのそばに行ってやりたい気持ちがあったが、将人のそんな態度が気になって動けなかった。

「いや、あんたのどこに紅はかれたんだろうって考えてだな。てっきり彼女は蒼衣あおいにいを選ぶと思っていたから」

「そうだねぇ、何事もなかったら、紅ちゃんは星章せいしょう先輩を選んだだろうって僕も思うよ?」

 将人の台詞に遊輝ゆうき相槌あいづちを打って告げる。

「二人して酷い言い方だな、おい。俺がこっちに来たせいでそうなったみたいに思われるのはしゃくなんだが……」

「君が閣下の恋路を邪魔しているのは確実だと思うけど?」

「その言葉、そのままお返しします」

 ――どうしてこの人は楽しげにそういうことを言えるんかな……。

 呆れた気持ちを込めて遊輝に言ってやるが、彼はどこ吹く風といった様子でけろっとしていた。

 ――敵にすらならないとでも思われているのだろうか? 白浪しらなみ先輩の思考はどうにも想像できん……。

 鈍い頭痛がして、ため息と同時に額に触れる。

「――あ、金剛こんごう、あんたに伝えておくことがあるんだった」

「ん?」

 ぶっきらぼうではあるが真面目な声色に、抜折羅は将人に向き直る。

「あんたの敵になるのは出水いずみ派の人間だけじゃない。身の回りに注意を向けておけっつー、千晶ちあきばあちゃんからの言伝だ」

「出水千晶女史から?」

 紅への言伝ことづてを出水千晶から頼まれる状況は想像がつく。火群ほむら家と黒曜こくよう家は星章家と同様に家族ぐるみの付き合いがあり、千晶と将人はそれなりに親しくしていたはず。ならば、フレイムブラッドを手にする紅への言伝を、予め将人に頼む状況は考え得る範囲だ。

 ――だが、どうして俺に言伝を? 出水千晶女史は俺を知らないはずなんだが……。

 戸惑う抜折羅に、将人は続ける。

「ってか、あんたが紅に接触することを千晶ばあちゃんは知っていたようなんだが、それはおれみたいに彼女から指示されていたからか?」

「違う」

 すぐに首を横に振り、抜折羅は台詞を続けて言う。

「何故なら、俺は出水千晶女史と会ったことがないからだ。そもそも、俺がここに来たのは〝ホープ〟の回収のためで、紅に会うためではなかったし」

「ふぅん。じゃあ、《予知》ってことかな。ここまで正確だと薄気味悪ぃぜ、まったく」

 将人はつまらなそうに言い捨てて、舞台から身軽に飛び降りる。そして、すたすたと階段を上り始めた。

「んじゃ、おれは帰るわ。警備員が駆け付ける前にずらかった方が良いんじゃね?」

 口元にうっすらと笑みを浮かべ、将人は紅たちがいない扉から外に出てしまう。

 入れ替わるようにして、紅がホール内に姿を現した。何かを探しているらしく、きょろきょろしている。暗闇に慣れた頃だろうから、それなりに周囲を視認できるようになったらしかった。

「――将人は?」

「先にあっちから出て行ったぞ」

「そう……」

 面白くないと言いたげな表情を浮かべている紅のところに、抜折羅は遊輝とともに歩いて戻る。

「――そういえば、これ、白浪先輩の仕業ですよね?」

 告げて、紅は遊輝を見る。差し出された手のひらの上にはオブシディアンのペンジュラムがあった。

 ――あれ? 黒曜が持っていたペンジュラムは、白浪先輩が持ち去ったはずだが……。

 訝しげな目で見つめると、遊輝はごまかすようににっこりと笑んだ。

「君が道に迷わないように、ね。オブシディアンは現実と向き合うための石でもあるから、念のために。役に立ったでしょ?」

「さぁ、どうでしょうね。――それに、まさか白浪先輩の裏切りにあうとは思っていませんでしたし」

 紅がむすっとしながら告げると、遊輝はわざとらしく肩を竦めた。

「えー、心外だなぁ。紅ちゃんにそれを預けているから、大丈夫って思ってそうしただけなのに」

「白浪先輩は今回の件、一枚噛んでいたんじゃないですか? あたしをここに連れてきたのも先輩ですし」

 責めるような言い方を紅にされて、遊輝がたじろいだように見えた。

「それは誤解だよー。うまく説明できないけど」

「――連れてきた、とは?」

 紅の台詞に蒼衣が反応した。殺気が彼から放たれているのがありありとわかる。

 遊輝がびくりと身体を震わせると、そそくさと歩き出す。

「あ、ここを長居するのは得策じゃないよね? 帰ろうっと」

 蒼衣が捕まえるより先に、ふわりと遊輝は跳躍して逃れた。そのままホールを出て全力で走り去る。

「逃げ足は速いですね、まったく……」

 追うのを早々に切り上げ、蒼衣が小さく息を吐き出す。彼の感想には抜折羅も概ね同意だ。

「私たちも戻りましょうか。夕方の一件で警報装置が機能していないのは知っていたので、警備員がくることはないでしょうが」

 しれっと告げて、蒼衣は歩き出す。

「って、警備が手薄過ぎじゃないですか、それ」

 蒼衣に続きながら、抜折羅は問う。重要な物を置いていないのかも知れないが、だからといってそんな状態にしておいて良いものだろうか。

「もちろん、今回だけですよ。黒曜が夕方の件だけで退くとは思えなかったので泳がせたのです。彼以外の何者かに侵入を許してもいけませんから、そのあたりは私が対処できるように仕掛けぐらいはしていますよ」

 その説明を受けて、蒼衣がここに駆け付けたのは〝紺青こんじょうの王〟が反応したからだけではないのだろうと想像できた。宝杖ほうじょう学院は星章家の持ち物でもある。うまいこと細工をしたのだろう。

「あぁ、そういうことですか」

 抜折羅はひとまず納得といった顔を作って頷いておく。蒼衣のこういう抜かりない動きは正直怖い面だと思う。タリスマントーカーとして未熟で宝石知識が少なくても、それを補える手段や知恵を持っていて武器にできるのだから、やはり敵にはしたくない。

「――紅、家まで送りましょうか?」

 欠伸あくびをしていた紅に蒼衣が問う。

 ――まずい。星章先輩にバレたら……!!

「紅なら俺が送ります。車も手配できるので、星章先輩の手を煩わせることもないかと」

 こういうとき、表面上は狼狽うろたえずに対処できるのは本当に便利だと思う。焦りは台詞に現れずに済んでいるはずだ。

「うん、抜折羅に送ってもらうから、蒼衣兄様は心配しないで」

 察してくれたらしく、紅が抜折羅の台詞に合わせて繋ぐ。

「……わかりました。金剛に託しましょう。紅をよろしく頼みますよ? 私の大切なフィアンセなのですから」

「承知してますよ」

 蒼衣の目には疑いの色はなかったが、わずかに苛立ちが滲んでいて肝が冷えた。

 ――〝紺青の王〟、仕事しなさすぎだろ……。

 苦笑しそうになるのをなんとか堪えて、抜折羅は帰路を急いだのだった。

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