第97話 ★4★ 10月11日金曜日、放課後
午後五時過ぎ。
何十人も一度に入れそうな広い食堂。大きな窓の向こうには手入れがされたイングリッシュガーデンが広がっている。まるでリゾート地のペンションにいるかのような光景だ。
真っ白なクロスが掛けられた長机にそれぞれがついたところで、蒼衣が切り出した。
「星章家が潰されると困るというのは?」
早速の
「日本支部の資金を星章家に
交渉の態度というよりは雑談の延長のような口振りで陽太が説明する。現状としては互いに決定権を持っているわけではないのだから、この話題は将来的な根回しという位置付けにすぎないのだ。
「なるほど。――向日家は世界展開している輸入雑貨店の経営者でしたね。タリスマンオーダー社の支援をしているとの話は伺っておりますよ」
外交用の笑顔で蒼衣が告げ、さらに続ける。
「ですが、それはそちらの都合でしょう? わざわざタリスマンオーダー社の日本支部としなくても、星章家には宝杖学院があります。出水家だって、現役なのです。あちらの顔は立てなくて良いんですか?」
――まぁ、そう返すのは想定の範囲内だよな。
抜折羅は右隣に座る陽太の反応を窺う。
「後継者問題を抱えているところはどーでもいいんだよ。山梨から出て来るつもりがあれば、検討の余地があるけど。そう考えると、まだ都内である八王子の方が、立地として便利じゃん?」
山梨県は抜折羅の出身県でもある。交通の便が悪いという意見はわからないでもない。
「――それは、タリスマンオーダー社の意向ですか?」
蒼衣の視線が陽太から抜折羅に移った。渋々応じる。
「俺個人の考えです。説得に一週間掛かりました」
「貴方は面白いことをしますね」
ふっと小さく蒼衣が笑う。意外に感じられたようだ。
抜折羅は続ける。
「ホープの呪いが解けたら、タリスマンオーダー社から出るつもりでいるので。その準備といったところですよ」
これは建前ではなく、本音だ。蒼衣の隣に座っている
抜折羅が素直に答えると、陽太が間に入る。
「女のために仕事辞めるとか言うんだよ、コイツ。改心するよう、説得してくれません? 次期社長の可能性もあるのに、それすら捨てるって、おかしいでしょ」
親指で指しながら言ってくるので、抜折羅は右手でそれを下げさせて返す。
「俺は静かに慎ましく生きていきたいだけだ。――一応、先輩方には言っておきますが、タリスマンオーダー社は紅を引き入れたがっています。浄化系能力は需要がある、手元に置きたいと思うのは当然でしょう。また、紅が出水千晶の孫であることも影響しています。放置しておく訳がない」
抜折羅の補足に、しばらく黙って傍観しているふうだった
「それってさ、日本に支部を立てなかったら、アメリカに連れて行くってことかい?」
「そうなります。俺の意志とは無関係に。――紅を巻き込みたくないんだ」
遊輝ならわかってくれるだろうと、なんとなく思えた。恋愛感情を抜きにしても、紅のそばにいることにメリットを感じている遊輝であれば、きっとその未来は望まないはずだ。
「なんというか、あたしの知らないところであれこれ動いているみたいね」
ため息混じりに紅が告げる。そして苦笑して続けた。
「――あたしの使命は〝フレイムブラッド〟の力を欲する者の手助けをすることだから、呼ばれたら断れないでしょうね」
「アメリカに渡るのもやむなしだと言うのか?」
あまりにもあっさりと言うので、思わず抜折羅は確認する。
「だって仕方がないじゃない。それに抜折羅の仕事が片付くまでは、その方が好都合でしょ?」
紅の意見を否定できない。妙な葛藤があって、受け入れたい気持ちと退けたい気持ちがせめぎ合っている。紅を本社に取られないために今できる手っ取り早い確実な方法は、抜折羅の使命である〝ホープ〟の回収を終えることに他ならない。
「うっ……さり気なくプレッシャーをかけてきたな……」
「だけど、紅ちゃんの夢はどうするんだい?」
左側に座る紅を見ながら、遊輝が問う。紅の夢はジュエリーデザイナーになることだ。そのために様々な努力をしていることを抜折羅は知っているし、遊輝も部活動を通して見てきたのだろう。
紅は余所行きの笑顔を浮かべていた。諦めが少し混じった、良い子を演じているときに見せる建前の表情。
「夢は叶えたいけど、急ぎじゃないもの。人生経験が活きることもあるんじゃないかしら?」
そんな紅を見ていると、抜折羅は忠告せずにはいられない。自分の説明不足が原因で想像できないのだろうとしても、楽観視しすぎている。
「紅、気安く言ってくれるな。甘く見てるとえらい目に遭うぞ。俺はタリスマンオーダー社の人間ではあるが、あの組織のやり方には反対しているんだ」
きっぱり告げると、右隣から鋭い視線を感じる。陽太が睨んでいた。
「オレの前でよくそんな批判を言えるね、君」
「
本当の姉のように慕っていた
「――それに、お前もなんだぞ、ヨータ。俺はまだ納得していない」
ふっと湧き上がってきた怒りで、語気が荒くなってしまう。過剰反応だと自身の冷静な部分では思うが、制御できない。
対して陽太は冷ややかな、落ち着いた表情のままだった。
「〝
「誘導していたのは事実だろ? こんなことのために力を欲するなんて、俺はやっぱり納得できないし、理解できない」
口論になりそうな空気になってきたところで、にわかに外が騒がしくなる。乱暴に開け放たれた扉から部屋に入ってきたのは将人だった。
「決着はまだついてないぞ! 逃げる気か、蒼衣にい」
人差し指を向けて挑発する将人に、蒼衣はやれやれといった様子で立ち上がる。
「ひとまず延期にしませんか? 益のない話だと思いますが」
「っんだと!?」
将人は殴りかかってきてもおかしくはない剣幕だ。だがなおも蒼衣は落ち着いて笑顔を作る。
「それに、婚約しているのは事実で、覆すだけの方策は貴方にはないでしょうよ?」
「うるせーっ! あんたを亡き者にすれば、強制的に婚約破棄になるだろ。おれには勝負を挑む権利がある」
ペンジュラムを構える将人。
一触即発となりそうな空気を、遊輝が立ち上がることで変えた。
「ねぇ、
何かを悟ったらしい。探るような眼差しが将人に向けられる。
「外野はすっこんでろ」
「そう冷たいことを言わないでよ」
答え、そして瞬きをしている間に、遊輝は将人との距離を一気に詰めた。魔性石の能力を使って身体機能を極限まで高め、移動したのだ。
将人の握る黒い石に細い指先でそっと触れて、遊輝は不敵に笑む。
「その〝ダークスピア〟を君に贈ったのって、出水家の人間じゃないかい?」
表情に変化があった。予期せぬ事態らしく、攻撃も仕掛けてこない。
警戒したまま黙り込む将人に、遊輝は口の端をきゅっと上げた。
「ふーん。やっと話が見えてきたよ」
預からせてもらうよ――と告げて、遊輝は将人から黒い魔性石のペンジュラムをさっと奪う。手際が良く鮮やかだ。盗んだり奪ったりすることに慣れているように見えるあたり、やはり腕の良い怪盗なのだろう。
「どういうことですか?
席に戻ってくる遊輝に、紅が問う。
「そうだねぇ。どうも紅ちゃんを巡って、出水本家も動き出したってことなんじゃないのかな。なんかタイミングを計ったみたいな感じがして、気持ち悪かったんだよねー。僕と抜折羅くんがいない間に仕掛けてくるなんてさ、いかにもって感じじゃない。〝氷雪の精霊〟の存在も、出水本家からの情報であれば、それなりに説明がつくでしょ?」
「ぐっ……」
遊輝がちらりと見やって指摘すると、将人は顔色を曇らせて唇を堅く結ぶ。
「出水家も後継者には悩まされているんだっけ?」
将人が口を割りそうにないので、遊輝が陽太を見て問う。
「あぁ、そのはず。婚約者が駆け落ちして逃げられた、とかでさ。あそこの双子、それがきっかけで不穏なムードだそうだ」
くだらないという気持ちが如実に現れた口調で陽太が答える。
「――となると、閣下を潰して、タリスマントーカーとしての才能ある紅ちゃんを
遊輝の推理に、蒼衣が反応した。
「馬鹿な。紅の子を出水の養子なり婚約者にする話はありましたが――」
「って、なんであたしの知らないところでそういう話が進んでいるのよ。あたしに人権はないわけ?」
当事者のはずなのに何も知らされていなかったらしい。紅の笑顔が引きつっている。
「ふふっ、こうなったら紅ちゃん、僕と一緒に駆け落ちするかい?」
すっと紅の右手を取って誘惑する遊輝に、紅はその手を軽く払って抜折羅を見る。
「行くなら、抜折羅とアメリカに行きますよ」
「来なくていい、むしろ来るな」
その一連のやり取りに、陽太が声を立てて笑った。
「君たち、想像以上に愉快な連中だね。本当に
「外野は黙っていて下さい」
馴れ馴れしく触ろうとしてくる遊輝を軽くあしらいながら、紅がムスッとした顔で陽太を睨む。
「オレはバサラが仕事を続けてくれればそれで良いんだけどね。そのために火群ちゃんが必要なら、協力する用意はあるぜ?」
陽太から話が振られてきた。抜折羅は頭痛を覚える。
「あーくそっ。紅、まずはお前のトラブル体質をどうにかしろっ! 面倒みきれんっ!」
「どうにかできるものならそうしたいわよっ!」
――そりゃそうだ。
対策ができるなら取っている。本来ならトラブルを寄せ付けないはずのスタールビーの魔性石と契約していてこの調子なのだ。おそらく回避不能なのだろう。
そこまで考えて、抜折羅は一つ思いついた。顔を将人に向ける。
「将人とか言ったな。星章先輩と勝負がしたいなら、俺に案がある」
「なんだ?」
訝しげな顔をされた。だが、敵対心は薄い。
抜折羅は続ける。
「宝石知識テストに参加すればいい。ハンデも兼ねて、試験問題は英文だ。解答も英文とする。――星章先輩と白浪先輩での勝負ではあったんだが、やってみないか?」
――果たしてこの提案に乗ってくるだろうか。
結論は将人の表情を見ればすぐにわかった。
――決まりだな。
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