第96話 *3* 10月11日金曜日、放課後
交流棟の二階と三階はホールである。演劇部が公演で使用したり、外部講師を招いて講演会を開いたりするときくらいにしか使用されていない場所で、普段は鍵が掛けられている。
階段を上り、立ち入り禁止のロープを跨ぐと、ホールの入口までやってきた。
「鍵掛かっているんじゃないの?」
紅が問うと、
「壊しましょう。私が許可します」
「んじゃ、僕がやる!」
どこからともなく道具を取り出すと、
――さすがは怪盗……。ってか、なんでこの人、ピッキングツールを持ち歩いているわけ?
行動がやたら手慣れている。怪盗オパールとして、様々な宝石を盗み出してきた実績はこんなところにも現れるのだろう。
「あれ?」
遊輝は鍵穴をちらっと見た後、扉を押す。あっさりと開いた。
「鍵、開いていたんだけど」
「え? 今日は誰も利用申請を出していないはず――」
蒼衣がスマートフォンで校内の施設利用状況一覧を見ている。紅が覗き込むと確かに何の印もない。
「まずい、先を越されたっ!!」
観音開きの扉の、遊輝が立っていない側の扉を押して抜折羅がホール内に突入する。あとに遊輝、蒼衣、紅が続く。
「遅かったじゃねぇか」
「
明かりのないホール。その左手にある舞台の中央が懐中電灯で照らされている。そこにいたのは将人だった。彼の足元には拳よりも大きい程度の穴が
「〝氷雪の精霊〟はここだぜ」
言って、将人は紅たちに手の中のものを
白い輝きを返すそれは、十数メートル離れた紅のいる場所からは水晶っぽいと思えるだけで、他の特徴はわからない。スマートフォンくらいの高さで、六角柱の形状、その片端が尖っているように見える。
「将人、それをあたしに渡して。その石をあたしは浄化しないといけないの」
「だろうな。魔性の力を吸い過ぎて、曇ってきているし」
懐中電灯のライトを石に当てて様子を確認しながら、将人が言う。
「浄化の期日が迫っているのよ。おとなしく渡してくれないかしら?」
「おれに何のメリットもないのに、応じると思うのか?」
「渡してくれないなら、あたし、あなたごと《浄化の炎》で焼き払ってあげても良いのよ?」
「やってみろよ。――できるものならな」
将人は〝氷雪の精霊〟をズボンのポケットにしまうと、替わりに黒い石のペンジュラムを取り出した。
――防がれる前に、攻撃をしないとっ!!
紅は素早く前に出ると、右手を将人に突き出す。
「炎と戦いの神マルスよ、我が前に立ちふさがる
右手から放たれる《浄化の炎》がホール内を
「眼前にある困難を乗り越える力を我が手に与えよ!」
将人も動く。彼の力強い声に応じて、黒い石に変化が生じた。《浄化の炎》で明るくなったはずのホールが一瞬で真っ暗になる。
「紅っ!!」
叫んだのは抜折羅で。
気付けば押し倒された状態で。
戸惑う間もなく、紅たちの真上を、紅蓮の炎が通過した。
――返された!?
「無事か?」
顔が近くてドキドキする。抜折羅の問いに、紅はこくっと頷いた。
――いや、ドキドキしているのは、本気で放った《浄化の炎》を返されたからだって。
上から退いた抜折羅の手を取って上体を起こす。座席の間から将人のいる舞台を見れば、大きな黒い鏡を消し去るところが見えた。
「先輩方は?」
抜折羅が後方の遊輝と蒼衣に問う。
「間一髪ってところかな」
「同じく」
二人の声には驚きと焦りが滲んでいる。本当にギリギリだったのだろう。
「おいおい。まさかこれでおしまいか? もっと遊ぼうぜ」
将人のペンジュラムは黒い槍に変形していた。紅たちを見ながら、退屈そうにくるくると槍を回転させている。身体の一部であるかのように使いこなせているのが、そんな様子から窺い知れるだろう。
「――あんたがその石を求める理由はなんだ?」
紅を下がらせて問い掛けたのは抜折羅だ。
「
――って、やっぱり完全に私怨じゃない……。
紅が呆れていると、遊輝も苦笑して呟く。
「あらら、またしてもライバル出現?」
紅は立ち上がって、将人に向かって叫ぶ。
「あのね、あんまり本気にしないでくれる? あたしはまだ、承知していないの。親同士の勝手な取り決めなんだからね? それに、あの傷も残ってないんだから、無理に責任を取ってくれなくて良いのよ?」
「無理とか責任とかそういう問題じゃねぇっ! おれはあの事件と関係なく昔っから――と、とにかく、おれは〝氷雪の精霊〟でこの学院に不幸を呼び込んでやるっ! すべては星章家を潰してからだっ!」
何か言いよどんだように聞き取れたが、将人に宣言される。
「おれの邪魔をしようって言うなら、そんなことを考えられねえように再起不能にしてやるだけだがなっ!」
将人が槍を構えた――そのときだった。
「うーん、星章家を潰されると、オレが困るんだよね」
「誰だ!?」
ここにいるはずのない声が割って入った。警戒する将人。声の主は続ける。
「オレはタリスマンオーダー社の監査担当、
告げて、突如舞台に姿を現したのは、昼休みに紅の前にやってきた金髪の少年――向日陽太に間違いなかった。
――え? 今、どっから出てきたの!?
湧いてきたかのような登場の仕方に驚いている間も、陽太は続ける。
「
「知ったことか」
急に現れた
攻撃を受けたはずの陽太が薄く笑う。
「オブシディアンは守りの石。本来なら攻撃には不向きな力だ。それを補うために、貝殻状に割れる性質を使って槍を生み出し、それによる近接戦闘をメインにしたってところはなかなか良い着眼点だと思う。非常に君のスタイルに合っている。だけどさ――オレとの相性は最悪よ?」
次の瞬間、ホール内が冷えた。冷房が強くなったかのように感じられたが、それは錯覚。冷や汗が吹き出したからだ。
――何、この感覚……。
嫌な感じは陽太から発せられている。つまり、物理的な変化ではなく、精神的な変化。
――あの人、一体何を?
硬いものが舞台に落ちて音を立てる。それは将人が持っていたはずの黒い石のペンジュラム。将人の頬には流れ落ちる汗。困惑気味に将人は視線を陽太に向けた。
「何をした……?」
「手の内を明かすのは愚行だと思うね。とにかく、オレには逆らわないことだな」
動けない将人のポケットから〝氷雪の精霊〟を抜き取る。それを待っていたかのように将人がその場に崩れた。
陽太は奪い取った〝氷雪の精霊〟を放ったりキャッチしたりしながら、舞台を下りて紅たちに向かってくる。
「バサラ、何悠長なことやってんのさ?」
座席三つ分くらいまで近付いたところで、陽太は抜折羅に〝氷雪の精霊〟をほいっと投げ渡す。抜折羅は片手で軽く受け止めた。
「ヨータ、お前……」
「潜入と奇襲攻撃はオレの
「俺が言いたいのはそういうことじゃなくてな――」
文句を言っている抜折羅を除けて、二人の間に紅が割り込む。
「向日先輩、ありがとう。助かったわ」
なんだかよくわからないのだが、助けてもらったのは事実だ。忘れないうちに礼を言う。
紅が笑顔を向けると、陽太もにっこりと笑んだ。
「お礼なら
「なっ……」
思わず笑顔を強ばらせて、一歩退く。
「あの術を使うと、オレの力、半減するんだわ。君の口付けに回復能力があるのは知っているよ」
陽太は自身の唇を人差し指でツンツンとつついて、キスを要求してくる。
紅は焦った。
「だ、だけど、それを要求しますかっ!?」
「じゃあ、〝フレイムブラッド〟の力を求めるからやれって言えば、素直に応じる?」
迫る陽太に困る紅。
そんな紅の肩をわしっと掴んで後退させ、抜折羅が割り込んだ。その手には水晶のクラスターが握られ、鋭い先端が陽太の喉元を狙っている。
「――ヨータ、紅をからかわないでくれるか?」
抜折羅から発せられているのは殺気。かなり怒っている。
――あ、ちょっと嬉しいかも。
自分のためにこうして怒ってくれることに、少しだけ幸せを感じる。これまでそんなふうに感じたことはなかったのに。
陽太は抜折羅の
「やだなぁ。冗談に決まっているじゃん。本気で怒るなって。君にとっては〝ホープ〟の回収と同じくらい大事にしている女でも、オレの好みから外れるし」
「ここでその発言は命取りだぞ?」
抜折羅の指摘に、陽太は不敵に笑む。
「――勝てる見込みがあるから、わざと挑発しているってわかれよ、バサラ。
遊輝と蒼衣の二人が殺気立ったのを肌で感じたが動かない。相手の手の内がわからないので、様子を窺っているのだろう。
陽太は視線を将人が転がる舞台に向ける。
「まぁ、そこのオブシディアンの少年は事前情報がなかったんで、ちょいと驚いたけどね。あとで報告書をやるよ」
「仕事が出来過ぎるヤツは敵に回したくないもんだな」
面倒くさそうな顔をして、抜折羅は手を引いた。ここでの戦闘は得策ではないと判断したのだろう。
その様子に陽太は肩を竦める。
「オレの親父にその評価を送ってくれよ」
「――えっと……お知り合い?」
昼休みに陽太に会ったときに聞いてはいるのだが、抜折羅から聞いて確認したかった。
「あぁ。腐れ縁だな。アメリカからついて来たみたいだ。ちゃっかり二年生に編入してるし……」
憂鬱そうな表情で答えられる。仲がよい友人というわけではなさそうだ。
「あ、火群ちゃん、その〝氷雪の精霊〟さっさと浄化しちゃってよ。それで任務終了っしょ?」
抜折羅が持つ〝氷雪の精霊〟を指して、陽太が言う。このホールにきて話していた内容ではあるが、紅たちの事情をある程度把握しているらしいことが態度から感じられる。
「は、はい」
抜折羅から〝氷雪の精霊〟を受け取ると、呪文詠唱付きの《浄化の炎》で溜まっていた魔性の力を
「これでよしっと」
「ではホールから、移動しましょうか。星章邸を使っていいですよ。向日陽太さんでしたね。貴方に聞きたいこともありますので」
蒼衣に促されて、一同は星章邸に移動することになったのだった。
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