第3章 黒曜石は鋭さを増して
第79話 *1* 10月1日火曜日、放課後
十月一日火曜日。放課後、学生西棟三階付近の階段。
「お前、
低めの声で問い掛けてくると、彼――
「将人……」
逃げたいと思うのに身体が動かない。彼の名を言えただけでもマシな方だ。
「ちゃんと覚えていてくれたみたいだな。小学四年生のときに別れたっきりだったか。元気そうで何よりだ」
声を出せなくて、紅はコクリと頷いてみせる。
二段ほど下にいるとは思えない位置に将人の顔がある。小学四年生の時点でも体格に恵まれていた彼であるが、会わない間にかなり背が伸びたようだ。ただでさえ威圧感があったのに、これだけ大きいとさらに迫力が増す。怯えるという感覚には馴染みがないはずだが、今がそれであるのだとはっきり感じられた。
――どうしよう。あたし、動けない。
助けを呼びたいくらいだが、今日は一年生しかこの階段を使わないと言っても過言ではない状況だ。既に大半の生徒が下校してしまったらしく人も通らない。悲鳴を上げたくても大きな声が出せない。スマートフォンで友だちや
「まずは、確認だな。ちょっとこっちに来い」
将人は紅の手首をしっかりと掴むと歩き出す。いきなり引っ張られたために、スクールバッグを落としてしまったが、気持ちに余裕がないだけでなく、拾うだけの時間も与えてくれなかった。
動きをやめていた身体は進行方向へは何とか動いてくれる。止まることも、ましてや引き返すことも適わないのだけども、将人に引っ張られてただ歩く。
――でも、どこへ?
まもなく、紅は二年生たちが利用している男子トイレに連れられ、個室に押し込められた。そんなに広くない洋式トイレに二人も入ると身動きなどろくに取れない。
紅は壁にぴったりと背をつけると、将人を見上げた。
「確認って……何の……?」
紅の声は
「お前の背中の傷だよ」
言って、将人は紅を強引に背を向けさせた。どんっと胸側を壁に押し付けられる。
「痛いっ……乱暴しないで」
恐怖が
彼は背後から紅の腹部に両手を回してくる。ベストのボタンを外されたかと思うと、ワイシャツを無理やり捲られた。背中が外気に触れる。
「この辺じゃなかったっけか?」
じっと見られている。それだけでも恐ろしく思うのに、こともあろうか将人はスカートのファスナーを下ろして床に落とした。スマートフォンがポケットに入っていたからか、床にかつんと堅い物がぶつかる音が響く。
「っ!?」
そんなことをしてくるとは想像していなかった。紅が震えながら背後に顔だけを向けると、将人はショーツを少し引っ張って肌の状態をまじまじと確認していた。
「なんだ、つまらん。消えてやがる」
将人の手が汗ばんだ背筋を撫でる。手のひらにできた
「確認できたなら、離れて」
触られるのは気持ちが悪い。このまま同じ空間にいるのも耐えられない。
「そんなに嫌がるなよ。小さい頃はずっと一緒にいたじゃないか」
「その頃から、あたしはあなたが苦手だったわよ」
「そうだな。お前はいつだって蒼衣にいの後ろに隠れていた」
急に胸元が緩む。ブラジャーのホックを外されたのだ。紅は
「やっ!? 将人、何してっ!?」
「顔を合わせないうちに、ずい分と女らしくなったんだな」
力任せに身体の向きを変えられる。
「あなた、何考えて――っ!?」
彼の右手が顎を掴んだ。それとほとんど同時に、唇を唇で塞がれる。口元を覆うようにあてがわれたせいで声を出せない。
――ヤバい。ヤバいヤバいヤバいっ!!
身の危険を自覚する。逃れねば――そう思うのに恐怖で身体が完全に竦んでしまっている。
――ヤダヤダヤダ……こんなの嫌だよっ。
泣いて
唇が離れ、将人に見下ろされる。ギラギラと感じられる漆黒の瞳で見られると、恐れの感情に支配される。
もう逃れられない。
「――文句を言わないところを見るとファーストキスは済んでいるようだな。おれが奪うと思っていたのに」
唇を指先でなぞられる。紅は震えるだけで何もできない。
「相手は蒼衣にいか? 婚約者になったんだってな」
将人の大きな手のひらが、ワイシャツの下に潜り込んできた。肌を滑り、脇腹から
「嫌っ」
反射で身を
彼の手は紅の反応に
「やっ……やめてっ……」
「ふぅん。おれの手でも余るって、どんだけデカいんだか」
掴んだかと思うと力が緩み、形を確認するかのように撫でられる。さらに胸の先端をいじられて、紅は声にならない悲鳴を上げた。
「くっ、面白いな。気持ち良いんだろ?」
将人に触れられるのには嫌悪感ばかりが募る。しかし一方で、今まで感じたことのないふわふわとした感覚に少しずつ支配されていった。そのまま意識を手放してしまいそうだ。
「――おれに奪われるのは本意じゃないだろうが、できるだけ痛くないようにしてやる。許せ」
そんなことを告げて深い口付けをしてくる彼が、どういうつもりでこんな行為に及んだのか想像がつかない。それだけに、どんな言葉を掛ければ制することができるのかもわからない。
――将人、お願い、やめてよ……。
願い、祈る他にできることが浮かばない。
紅はされるがままになった。
校章入りのスカーフが緩められ、首筋に口付けを受ければ身体がぴくりと反応する。胸を
――もう……限界……。
防衛本能だろうか。紅の視界にフレイムブラッドの炎が入り込む。
意識が飛びそうになったそのとき、紅の耳に入ってきた親友の声に現実へと引き戻された。
「紅ちゃんっ!! どこにいますのっ!?」
――
先に帰宅したとばかり思っていた
どうやらそれは幻聴ではなかったらしい。将人が怯み、紅への拘束を緩めた。
紅は
――光、気付いてっ!!
「紅ちゃん!?」
男子トイレに光の声が響いた。もう一度壁を叩こうとした手を押さえつけられたが、結果としてその音が外に出ていく。
将人は諦めたらしい。ちっ、と舌打ちをして、紅を解放した。巨躯を素早く動かして扉を開ける。
「将人くん……?」
「よう、長月。あんたに邪魔されることは計算していなかったぜ」
将人と光が顔を合わせる。対峙して、光はすぐに個室に入れられた半裸の紅に気付いたらしかった。彼女が普段は見せない険しい表情で将人を睨む。
「あなた、紅ちゃんになんてことをっ!!」
「あんたには関係ないことだろ? ちなみにこれは未遂だ」
「未遂ですって!? 充分でしょう? ふざけたことをっ!!」
「ふぅん。チクるのか? ならばおれだって手段は選ばないぜ?」
将人は光に詰め寄る。しかし光が怯む様子はなく、不敵に笑みを浮かべた。
「黙らせるために、ここでわたくしも襲いますか? でも、考えを改めることをお勧めしますわ。あと数分もしないうちに、
光が将人を見上げながら告げると、彼は舌打ちをしておとなしく立ち去った。階段を駆け下りる足音が遠ざかっていく。
「――紅ちゃん、遅くなりました。わたくしがついていれば、こんなことには――」
駆け寄る光を見て気が抜けたのか、紅はその場に崩れた。着衣が乱れた状態で、すぐに外へは出られそうにない。
「ありがとう、光。充分だよ……」
支えるように差し伸ばされた腕の中に倒れ込んだ紅は、そのまま意識を手放してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます