第78話 *6* 10月1日火曜日、放課後

 十月一日火曜日。放課後。

 ――ったく、華代子かよこっちは人使いが荒いわよね……。

 担任の財辺たからべにちょっとした作業を頼まれたせいで、他の生徒の下校のタイミングとずれてしまった。おかげで周囲は人の姿がまばらで、教室に残る生徒の数も少ないらしく、話し声や笑い声も時折聞こえる程度だ。今日はひかり真珠まじゅと帰るつもりでいたのに、何時に終わるのかわからなかったために先に帰ってもらっていた。

 こうはため息をこらえながら、一年A組の教室を出て階段をとぼとぼと下る。

 二年生がいないというのはなかなかに静かなものだ。二年生の教室が並ぶ学生西棟三階を通りながら、紅は思う。いつも賑やかなそのフロアはガランとしていて、普段の喧騒けんそうが全くない。一年生の教室が並ぶ四階の笑い声が判別できるくらいに音がしない。

 いい子にしているんだよ――ふと、昨日の遊輝ゆうきの台詞が過ぎる。彼は何を心配しているのだろう。ホープの欠片にまつわる騒動は片付いているし、〝氷雪の精霊〟の捜索は暗礁に乗り上げたままで進展はないのだが、危険を伴うような作業ではない。

 ――とにかく、今日は教員が少ない都合で部活もお休みだし、家でおとなしくしてようっと。

 三階を通り過ぎようとしたとき、一人の少年が階段を上ってきた。階下にいるのに、その人物の背丈が紅よりも頭一つ分は高いことがすぐにわかる。短い黒髪、日焼けした肌。スポーツ選手かと思わせるがっちりとした体格。

 彼の顔が上を向いて立ち止まった。にらんでいるかのような鋭い目つきには見覚えがある。

 ――忘れてた……今日は確か――。

 少年の顔を見るなり、紅は全身から汗が噴き出した。一方で喉がカラカラになり、言葉を失う。メデューサの首を見て石化してしまったかのごとく、もう動けない。

 ――うっ……痛みが……?

 幼い頃受けた背中の傷の辺りがうずく。とっくに治っているはずであるのに、彼を見てあのときの恐怖が蘇り、痛みがぶり返したのだ。

 階下にいる大柄の少年――黒曜こくよう将人まさとは紅の存在を認めると、片方の口の端を上げていやらしい笑みを浮かべたのだった。



(第二章 紅き炎は静かに揺らめく 完)





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