第76話 ★4★ 9月23日月曜日、早朝

 九月二十三日月曜日。早朝。

 空気が程よく乾き、青空が広がっている。行楽日和と言えそうだ。

 抜折羅ばさらは山梨県甲府市にある自身の両親が眠る墓の前にいた。まだ誰も訪れていないようだが、管理している人がいるらしく墓石もその周辺も綺麗に掃除されている。それを見て、少し安堵した。

 ――久し振り、父さん、母さん。

 墓石に水を掛けてやりながら、心の中で話し掛ける。

 母親は抜折羅が生まれて間もない頃に、父親は物心がつく前に亡くなった。だから二人の顔は写真やビデオでしか知らない。でも、それらから自分が愛されていたことは理解していた。何物にも侵されぬ強い人間になるようにとダイヤモンドを表す〝抜折羅〟という名を与えてくれたこと、健やかな成長を誰よりも楽しみにしてくれていたこと――自分が望まれて生まれてきたことを知っているからこそ、ここまで曲がることなく生きて来られたのだと思う。

 花を飾り、線香を置くと、抜折羅は手を合わせて目を閉じた。

 ――俺は何とか元気にやっています。心配しないで見守っていて下さい。

 目を開けて、墓誌を見る。新たな名前が刻まれていないところを見ると、祖父母は健在のようだ。

「――ホープの呪いの影響はない、か……」

 英語で呟いたのは、左肩に埋まるダイヤモンドの魔性石ホープと、後ろで控えている人物にもわかるようにだ。

「そのようですね。この六年間で財産が不当に奪われた事実もないと聞いております」

 流暢りゅうちょうなイギリス英語で返してきたのは、抜折羅の後ろで待機していた金髪碧眼の青年トパーズだ。英国の貴族の血を引いているとの情報以外は名前すら本名か疑わしいほどに素性が謎めいた年齢不詳の美男である。

 彼はタリスマンオーダー社に所属している訳ではなく、ウィストン家に直接雇われている人間だ。最近は抜折羅の専属執事のようなことをしており、専ら運転手として働いている。だが、トパーズは抜折羅の家庭教師をしていた時期もあり、宝石学資格を取得するのに必要な基礎知識は彼から学び、護身術のレクチャーも彼から受けた。言わば、師匠のような存在だ。

 トパーズの意外な台詞に、抜折羅は振り向く。

「調べていたんですか?」

 彼はやんわりと微笑んだ。

「はい。命じられたわけではありませんが、きっと興味がおありだと思いまして」

「ふぅん……」

 ――興味があったのはトパーズ本人だろうな……。

 どことなく、彼から観察されているように感じている所為せいか、抜折羅はそう思った。

「お気に召しませんでしたか?」

 表情を曇らせたからだろう、トパーズが尋ねてくる。

「いや、少し驚いただけですよ。気にしないでください」

 告げて、再び墓石に向き直る。

 ――また、都合がつくようなら顔を出しますね。

 心の中で話し掛け、抜折羅は歩き出す。あまり長居をしていると親族と鉢合わせをすることになりかねない。無事であると知れれば、ここで妙な因縁を残すこともないだろう。所有者やその周囲に不幸をもたらすホープの呪いから遠ざけるために、顔を合わせるべきではないと判断する。

 タリスマンオーダー社の所有するステーションワゴンまで戻ると、そのそばに一人の少女が立っているのに気が付いた。フェミニンな半袖のシャツ、大きなリボンがあしらわれた短めのキュロットにレギンス、ヒールの低めなミュールを合わせた格好で、秋らしい色で統一している。くるくると回されている黒い日傘の下に見えたのはマッシュルームカットの黒髪に朱色のカチューシャ、朱色のフレームの眼鏡。車を覗く横顔にどことなく見覚えがあると思っていると、彼女も抜折羅に気付いたらしくにっこりと微笑み掛けてきた。

「――久し振り、金剛こんごう君。ここに来れば会えるって言われたから来ちゃった」

 声を掛けられたが、どう反応したら良いのか抜折羅はわからない。これから会いに行こうと思っていた相手の突然の登場に呆気に取られていたのだ。

 彼女は目をぱちぱちっと瞬いた。

「……あ、あれ? 私のこと、忘れちゃったかな。小学校で一緒のクラスにいた馬頭ばとう美紅みくだよ。覚えてない?」

「いや、ちゃんと覚えてはいたんだが、まさかこんな場所に現れるとは思っていなくて。――久し振り、馬頭さん」

 困った顔をしていた美紅だったが、名字を呼んでやると安心したように明るく笑んだ。

「うふふ、驚いてくれたみたいね。想定済みかなって思っていたんだよ?」

 互いに向き合う。距離は話すには丁度良いくらい。ただ、抜折羅が記憶していた彼女は自身よりも背が高かったように思えたが、今はずいぶんと小さく感じられた。

「カーネリアンのタリスマントーカーだってことは聞いていたさ。君が持つ魔性石を回収するつもりもあってこっちに来たんだし」

「そっかぁ、情報はしっかり届いていたみたいだね」

 美紅が背後のトパーズに視線をちらちらと向けているのに気付く。抜折羅は片手を挙げて指示を出し、身体の向きを変えた。

「場所を移そうか」

 提案すると彼女は頷く。抜折羅はトパーズをステーションワゴンに残して歩き出す。

「――来れば会えるって言われたと言ったが、どういうことだ?」

 ステーションワゴンから充分に離れたバス停。自販機のそばで立ち止まると抜折羅は美紅を見ながら問う。

「この子に導いてもらったの」

 告げて、美紅はキュロットのポケットから赤い石がついたブレスレットを取り出した。そのこんもりとしたカボションカットの赤い石がカーネリアンであり、魔性石であると瞬時に理解する。

「名前は〝炎の恵み〟。金剛君にもう一度会いたくて、手に入れたの。こういう特別な力を持った石を、君の所属する組織では魔性石って呼んでいるんだってね」

 差し出されたブレスレットが揺れて、カーネリアンが秋の陽射しを照り返す。〝炎の恵み〟と名乗るだけあって、炎のような真っ赤な色を持つ美しい魔性石だ。

「君に石と対話する力が備わっているとは思わなかった。その〝炎の恵み〟がここに行くよう促したってことなんだな?」

「そう」

 抜折羅が確認すると、美紅はゆっくりと顎を引いて頷く。

「君が〝石憑いしつき〟になっていなくてほっとしたよ」

 浄化をするようにと命じられていたはずなので、てっきり石憑きになって魔性石を身体から引き離せないのだろうと覚悟していた。この状態なら彼女にも大きな負担はなかったに違いないと、抜折羅は今までの症例を思い返して安堵する。

「誘惑はされたんだけどね。まぁ、私、君に会えれば石の力なんて興味なかったから」

 言って、彼女は小さく肩を竦める。

「俺に会ってどうするつもりだったんだ?」

 素朴な疑問。覚えていてくれたことを嬉しく思ったが、しかし彼女が石の力を頼ってまで会いたいと願った理由が想像できない。

 率直に問うと、美紅は困ったように笑った。

「だって、金剛君、急にアメリカに行っちゃうんだもん。お別れくらいきちんと言いたかったし、告白をしたかったの。好きだったって」

「…………」

 こういうとき、どんな反応をすると良いのか、抜折羅にはわからない。何か言った方がいいんじゃないかと思って、わずかに唇を動かすも、言葉は出てこなかった。

 黙っていたからだろう。美紅は続ける。

「六年も経ったからか、今はもうただの思い出なんだけどね。でも伝えたかったから、ずっと〝炎の恵み〟を手放せなかったの。これを君に渡せれば、私は全部を思い出にできる」

 ――思い出に、か……。

 告白をする彼女はとてもすっきりとした表情を浮かべていた。気持ちの整理はできているようだ。

「何で今なんだ?」

 このタイミングになった理由が気になって問うと、美紅は小首を傾げた。

「さぁね。運命の巡り合わせってヤツ?」

 言って笑い、そして思い出したように真面目な顔を作った。

「あ、言伝ことづてを頼まれていたのを忘れるところだったわ」

「言伝?」

「うん。――このブレスレットを売ってくれたお婆さんがね、この石を託す相手に『出水いずみ派とウィストン派の動きには気をつけて』って伝えるようにって。意味不明なんだけど、それがかえって頭に残っちゃって」

 ――出水派とウィストン派って……まさか。

 抜折羅は彼女の言うお婆さんが誰であるのか、すぐにイメージできた。出水いずみ千晶ちあきだ。

「とりあえず伝えたし、受け取ってちょうだい」

 美紅は抜折羅の右手を取ると、カーネリアンのブレスレットを握らせた。

「それで私のことは忘れて。私は次の恋を探すことにするから」

「――君はそれで良いのか?」

 右手を開いて受け取った〝炎の恵み〟を確認し、続けて美紅を見る。

「いいの。そうすることが一番いいのよ。君を困らせたくないし、これ以上のお願いをしたら引き返せなくなるって、私、知ってるから」

 つらい選択だったのだろうと察することができた。美紅は唇を一文字に結んで、何かを堪えている。

 抜折羅は視線を外し、足下に向けた。

「悪い。変なことを訊いた。忘れてくれ。俺も仕事だと割り切って、これを受け取るさ」

「うん、そうして」

 彼女の足下に落ちる日傘の影がくるくると回る。

「……家の近くまで送ろうか?」

「大丈夫だよ。一人で帰れるから」

 無理しているとわかる。でも、掛けるべき言葉は浮かばないし、ここで変に優しくして関係が続いてしまうのは一番避けねばならない。

「……わかった。じゃあ、俺、行くから。気を付けて帰るんだぞ?」

「うん。――バイバイ、金剛君」

 美紅を置いて歩き出す。いくらか進んだところで振り返ろうかと考えたが、抜折羅はそのままステーションワゴンに向かって進んだ。

 ――出会ってしまえば、必ず別れはやってくるもの……。生まれてしまった関係をなかったことにするのは、そう簡単にはできない。そして俺は、どんなに経験しても別れが苦手だ。

 自覚して抜折羅の脳裏に過ぎったのは、火群ほむらこうの姿だった。月末にはアメリカに戻る。次に日本を訪れるのがいつになるのかわからない。紅には会えなくなるのだ。

 ――出会う前に戻るだけだ。こういうことをやめたいなら、早くホープを集め終えなくては。

 決意を新たに、抜折羅は墓場を後にしたのだった。

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