カウント1◇過去と未来と今と僕
その時咄嗟に手を伸ばしたのは、たぶんクラスメートである
階下に吸い込まれるように落ちていく入沢砂月の姿が、あの日の光景と重なって見えた気がして…だから思わずその後ろ姿を目が追って、無意識の内に手を伸ばして。
そして僕は時を止めた。
すべての音がなくなり、無意識に刻まれるカウントダウン。時計の秒針の音のようであり、誰かの声のようにも聞こえる。それは僕だけに、確かにはっきりと刻まれている。
――6
伸ばした手は入沢砂月には届かず空振った。無理な体勢で勢いだけつけていたものだから、そのまま僕の身体だけが重力のままに階下へと投げ出される。
――5
無我夢中で伸ばした手に運良く階段の手すりがひっかかりなんとか頭からの落下は免れたものの、バランスは維持できず結局踊り場までもつれるように転がった。静寂の中、僕の体が叩き付けられる音だけが響いた。
――4
がばりと顔を上げるとすぐ傍には見知らぬ生徒。昼休みのこの時間はどこもかしこも生徒達で溢れている。
僅かに痛む体を抑えて起き上がると、階段の上には入沢砂月の姿が宙に浮いていた。その両足は地面を離れ、傾いた体はそのまま階下へ落ちるだけだ。そうならないのは〝ここ″が、誰も微動だにしない時間の止まった世界だから。
僕以外は。
――3
時は止めたのに進んでいる。僕の時間だけ。6秒間だけ。
――2
階段を駆け上がり、手を伸ばす。
せめて、そう、せめて。受け止めることができればきっと。
――1
世界は変わるはずだ。少なくともさっきまでの、6秒前の世界とは。
「――…!」
「…痛ってぇ…っ」
「……!」
視界が激しく揺れ、鈍い衝撃と共に鼻先で火花が弾け散る。入沢砂月の背中が落ちてくる残像。赤い花がパッと散り、その向こうで人影が揺らいでいた。なんだか現実離れした錯覚だ。
耳に戻ってくる世界の音。喧噪、雑音、それから小さな悲鳴。雑多な衝撃に鼓膜が震えて、そして僕はこのみんなと共に時間が進む世界へと帰ってきた。小さな温もりと一緒に。
おそるおそる目を開けると、腕の中には入沢砂月が居た。事態を呑み込めていない彼女は呆けた顔して僕を見上げている。
良かった。とりあえず、無事だった。
「…ふ…っざけんなよお前ら…!」
おそろしいくらいに怒気を孕んだ声が聞こえてきたのは、不思議なことに自分の背中からだった。そういえば覚悟していた痛みはほとんど無い。
「あれ…?」
そろりと振り返るとそこには男子生徒。この顔は知っている。確か隣りのクラスの
「いいからどけ!」
「うわ、ごめん」
慌てて起き上がり藤島の上から退く。
どうやら僕は助けようとした入沢砂月ごと、藤島の胸に盛大に飛び込んでしまったらしい。落下地点に人が居たなんて、そこまで周りに気を配っている余裕はなかった。
結果、入沢砂月と僕は藤島に助けられたことになる。本人は甚だ不本意だろうけれど。
「…えっと、入沢、大丈夫…? その、階段から落ちそうになってて…」
結局落ちてしまったのだけれど。しかも勝手に巻き添えにした藤島の上に。
なので助けようとしましたなんてセリフはとてもじゃないけど言えないので口には出さないでおいた。
「…あ…んた…」
入沢砂月は大きな目を更に大きくしたまま、僕の顔を凝視している。同じクラスの彼女の顔をきちんと見たのはこれが初めてだった。教室内でもほとんど話したことはないし、彼女の声を聞いた記憶もおぼろげなほど、僕らはただの〝クラスメート″だった。
特に外傷は無さそうなことを確認して、そっと離れる。それから同じように体を押えながら唸る声の方へと振り返った。
「えーと、藤島だよな、ごめん巻き込んで」
背中を抑えながら立ち上がる藤島に声をかけるも、藤島は心から不愉快そうに眉根を寄せたまま。それから辺りに視線を彷徨わせる。何かを探している素振りだった。
脇を行く何人かの生徒や知り合い達が心配そうに向ける視線に、僕は笑って応えて立ち上がる。ひやりとする一幕ではあったとはいえ、大騒動には至らず辺りはいつもの昼休みに戻っていた。
「…おい」
藤島がぶっきらぼうに声をかける。僕ではなく入沢砂月の方に。
「おまえの足元の、ソレ。俺の」
視線を向けると、まだ座り込む入沢砂月の足元にメガネが転がっていた。そういえば藤島はメガネをかけていたっけ。体育の授業中も。
ぱっと見た様子だと割れてはいないようでほっとした。
「…あ」
入沢砂月も藤島の意図に気付いたようで、そのメガネを手にしたその瞬間。
「……!」
一度手にとったメガネが、入沢砂月の手から弾けるように零れて踊り場に再び転がった。落ちた、というよりは、咄嗟に落としたとように見えた。カシャンと冷たい音が鳴る。
「…っ、なにしてんだよお前…!」
「…入沢?」
静電気だろうか。それとも上手く力が入らず落としてしまったのだろうか。
入沢砂月の視線はメガネでも僕でも無く、藤島へと向けられていた。その顔は戸惑いと驚愕と恐怖とを混ぜたような複雑な色。少なくとも僕にはそう見えた。
そっと入沢砂月の前に屈み代わりにメガネを拾い、顔を覗き込む。もしかしてどこか怪我でもしていたのだろうか。しっかり抱き留めていたつもりだったけれど。
しかし次に入沢砂月の口から零れた言葉に、僕も、そして藤島も。自分の耳を疑うことになる。
「あんた、は…未来が、視えるの…?」
〝あんたは〟?
〝未来が〟?
〝視える〟?
あまりにも突飛なその言葉はなかなか解読に至らない。
それから入沢砂月の目が今度は目の前の僕に向けられた。
僕は思わずぎくりとする。入沢砂月の目は透き通るように透明で、そしておそろしいくらいに綺麗だった。
「あんたは、さっき…時間を、止めた」
いつもの昼休み、一番騒がしい時間帯。喧噪が遠ざかる、時間を止めたわけでもないのに。
止まったのは僕の心臓だ。そしてそれは瞬時に加速してゆく。
時間を、止めた。その通りだ。でも問題なのはそこじゃない。あまりの急展開になかなか脳が追い付かない。
だってソレを知っているのは、世界中で僕だけだったはずだ。
「…は、ってことはお前は…」
口を開いたのは、すぐ後ろに居た藤島だった。
皮肉交じりの冷笑。このふたりに接点など無いはずなのに、藤島が入沢砂月に向けたのは僕にも分かるほどの敵意だった。
「過去を、視たな?」
チャイムが響いた。昼休みが終わる。
世界は変わったのだろうか。
「まぁいいや想定内だ、驚きはしない。自分もこーゆー能力を持ってんだ、別の人間が似たような能力を持ってたって不思議じゃない。こんな近くにふたりも居たのは想定外だったけど」
ひとり納得したように藤島は僕の手からメガネを奪うと、それを慣れた手つきでかけ直す。始業前の喧噪が少しずつひいて、人気も無くなっていく冷たい踊り場。教室内での机や椅子を鳴らす音が遠くに聞こえた。
「え、ちょっと待って、ついていけてないんだけど話に」
「ソイツが言った通りだろ?」
「え…」
階段を数歩上った先、まさに上からの目線で藤島が顎で入沢砂月を指す。話したことが無いから知らなかったけど、失礼な奴だなと思った。だけど見下ろすその顔はこわいくらいに綺麗だ。
「ソイツは過去が視える。俺は未来が視える。そしてお前は…」
その目を今度は僕に向ける。レンズ越し、長めの前髪の隙間から覗く目。ひどく冷たい目だった。
「時を止めた」
それは僕が2年前に手に入れた秘密。誰にも言わず、言えず、隠してきた。
そろりと視線を入沢砂月に向ける。入沢砂月は未だ座り込んだまま、その目はじっと床を見つめていた。
過去が、視える? 本当に?
だけど事実なのだろう。僕以外は知らないその秘密を、〝視た〟のだとすれば。
「お前の能力には少し興味あるけど、関わる気は無い。お前らもそうだろ? 不可侵だ。それぞれのヒミツはそれぞれのヒミツを以て守る。バレて厄介なのはお互い様だろ。ハイ以上。解散!」
まくしたてるように言った藤島が、パン! と軽快に両手を鳴らしこれで終わりとでも言うように僕たちに背を向けた。本当にこの瞬間が想定内だったように、まるで用意してあった段取りで。
「…正論だわ」
静かに同意したのは入沢砂月で、漸く立ち上がりスカートの埃を軽く払う。それから長い黒髪を翻し、彼女も階段へと向かい僕に背を向けた。こちらも慣れたように無関心を視に纏って。
「ま…っ!」
僕は咄嗟に、手を伸ばしていた。
指先に入沢砂月の手首が触れた瞬間、ピリリと静電気のようなものが走った錯覚。振り返る入沢砂月の驚きに見開かれた目に自分が映る。
このまま戻れるわけない。何もなかった日常に…何も知らなかった、出来なかった日々に。
「…っ触らないで…!」
入沢砂月の叫んだ声がまるで悲鳴のように階段に響いた。
もう僕達以外に教室の外に居る者はいない。ひとり先に階段を上った踊り場に居た藤島の背中も、その声に思わずといった様子で振り返る。
容赦なく払われた手の指先が、僅かに熱を孕んでいる気がした。空気越しに伝わる敵意。女の子に敵意を向けられたのは初めてだ。
でも、怯まない。
「放課後、史学準備室。来なければヒミツをバラす。藤島、きみも」
階段に片足をかけたままこちらを見下ろす藤島の、綺麗な顔が僅かに歪む。
そのメガネのレンズの向こうではおそらくあの敵意が今度は僕を見据えているのだろう。
「その様子だと、一番バレたくないのは藤島みたいだね」
「……」
「困らないならそれでいいよ。本当に困らないかは試してみれば分かることだし」
「……いー度胸だ」
藤島が、笑う。随分不愉快そうだ。目の前の入沢砂月もまた然り。
ふたりの関心を得たことだけを確かめて、努めて僕は軽やかに笑った。
「行こう、授業が始まる。また放課後に」
視線を合わせずふたりの間を抜けて階段を上がり教室へ向かう。強がりを気取られないよう、口元には笑みを浮かべたまま。
僕が教室の席について数秒後に、入沢砂月も教室に戻って来て席についた。それを視界の隅で確認する。藤島もちゃんと教室に戻っただろうか。
その僅か数秒後に教師が来て午後の授業が始まった。
ああ、痛い、心臓の鼓動。
とてもじゃないけど授業になんて集中できない。
僕はかたく目を瞑って、胸の内で静かに6秒数えてみた。
◇ ◆ ◇
『前から思ってたんだけど、なんで、6秒?』
ふたりきりの体育館に、重たいゴムボールを弾く音が反響する。その音が何度も何度も体育館を揺らしている。いつの間に馴染んだのは、むしろ心地良いと感じるようになったのはいつからだろう。
追ってバッシュの床に擦れる音。それ以外の音はここには無い。
僕はバスケ部で、佳音はマネージャーだった。僕らの中学に女子バスケ部はなく、男子バスケ部のマネージャーを引き受ける代わりに、部活動終了後のコートの僅かな所有権を、佳音は手に入れたのだ。
そしていつからかその数十分間の練習に、毎回僕は付き合わされていた。強制ではないし、頼まれたわけでもない。だけど僕らは登下校もずっと一緒だったから、それが当然のように感じていた。理由なんか要らない。僕らの関係は、世に言う幼なじみというやつだった。
『理由は特に無いの。ただ、それが私にとってカチリとハマる秒数だったっていうだけ。6秒間後と今とでは、確かに何かが変わっているの』
言って佳音は目を瞑る。僕には背中しか見えていないけれど、間違うはずが無かった。見慣れた光景とその瞬間を。
――6、5、4…
声には出さないそのカウントダウン。佳音の胸の内とそれから僕の。いつからだかは覚えていないけれど、いつの間にか佳音のそのクセは僕にもうつっていた。長い時間を共有してきた僕らの特別な瞬間だった。
――3、2…
声も無く重なる6秒間。その6秒間で佳音は世界を変える。
――1
佳音の手から放たれたボールは頭上に綺麗な弧を描き、バスケットゴールに音もなく吸い込まれていく。
振り返る佳音が疑わない目で僕に笑いかけた。
僕は6秒間じゃ世界を変えられない。でも変える必要なんてなかった。そこに僕らが居るのなら、それで良かったのだから。
僕たちは物心つく前からの幼なじみで、両親も互いに親友同士で家も近所。家族ぐるみで仲が良く、幼稚園や小学校や中学、それ以外でも一緒に居る時間は多かった。
多くの時間を共にしたせいか、好みや感性も似ていた。互いに影響を受けあっていたのだと今更ながら思う。
バスケ、マンガ、誰もいない体育館。板チョコを挟んだクロワッサンに紙パックのレモンティー。誕生日に交わしたのはお揃いのリストバンド。
なぜだか根拠も理由もなく、お互いのことは誰よりもよくわかっているつもりだった。そう、自分自身よりも。
カチリとハマるそれらを僕はくすぐったく思いながらも、どこか誇らしくも思っていた。
だけどいつからか、佳音だけの特別な瞬間が存在していた。
6秒間で佳音は世界を変える。だけどその6秒間で僕の世界は変わらない。
どんなに望んでも、同じにはならない。いつから佳音は僕を置いていくようになった。僕はいつもその背中を見送るだけ。
あの日、佳音の世界だけが終わりを迎えても。
◇ ◆ ◇
史学準備室はその名の通り歴史に関する資料が保管されている部屋だ。
壁のほとんどが本棚で埋められていて、窓の前にまで棚があるので部屋の中は常に薄暗い。
社会科だけでなく美術史や音楽史等の資料や教材等も乱雑に置かれ、その境界はひどく曖昧で、隅に寄せられた椅子や床にまで本や資料が積まれている歴史のちらかった部屋だった。
この場所を指定したのは、校舎の隅で人気が無いということと、僕にとって融通の効く場所だったからだ。
放課後、僕の待つ史学準備室に先に現れたのは入沢砂月だった。
それから互いに一言も発せず時間を消費し、藤島が現れたのは入沢砂月が来てから三十分後。
本や資料をどけ確保したパイプ椅子にそれぞれ距離を空けて座る。
「…で、お前の目的は?」
一番最初にそう切り出したのは藤島だった。その目はまっすぐ僕を見ている。
前置き無く本題に入る展開に、途端に弱腰になりたじろぐ。ふたりを脅迫して呼び出しといて情けない限りだ。
一応会話の切り口としてこの史学準備室にまつわる怪談なんて用意していたのだけれど、まったくの無駄になった。流石にそんな空気ではない。
観念して誤魔化すのをやめた。
「…知りたいことが、あるんだ」
「俺? それとも、そっち?」
言った藤島が入沢砂月に目だけで視線を向ける。
入沢はこの部屋に入った時から俯いたまま、その表情はみえない。こちらを見ようともしない。
「…知りたい過去がある」
僕の言葉に入沢砂月はゆっくりと顔を上げた。なにかを探るような、見極めるような。そして何より僕という存在を図るような目だった。
僕は意を決してゆっくりと、言葉を選びながら自らの目的を口にする。
「…2年前…僕の、知り合いが死んだ。当時の日記から自殺と結論づけられたけど…遺書は残ってない。僕は自殺だなんて思っていない。僕は彼女が死んだ理由が…知りたい」
過去を視る――真実を。それはずっと僕が望んでいたことだ。願っていたことだ。こんな何の役にも立たない時を止める力なんかではなく。
「…知って、どうするの」
入沢砂月がようやく口を開いた。
僕を見ているのかと思ったその目に、僕は映ってはいない。
「あんたの自己満足の為にあたしを利用したいだけなら、お断りよ。あんたの知り合いがどんな理由で死のうがあたしには関係ない。くだらない」
ぴしゃりと言い放った入沢砂月は、パイプ椅子から立ち上がり扉の方へと向かう。僕はその背中を何も言わずに見送った。
くだらない――言われて言葉を胸の内で繰り返すと、自嘲にも似た笑みが漏れる。
全くその通りだ。
扉の開く音が狭い部屋にも廊下にも響いた。
入沢砂月が頭だけ振り返り、視線を僕ではなく藤島に向けた。
「…あんたも…そういうこと続けてると、ろくな死に方しないわよ」
その目と口調に混じる、軽蔑の意。僕は空っぽになった頭でその意味を考えてみる。
少し離れた場所に座る藤島が口を開いた。
「ご忠告ドーモ。生憎俺の未来は誰より俺自身が一番良く知っている。お礼にひとつ俺も教えてやるよ」
藤島はいつの間にか用意したパイプ椅子から、端に寄せられた古いソファに移っていた。黒い革張りでふたりがけサイズのソファで、僕の指定席だったのに。
わざわざ荷物や教材でカバーして目につかないようにしていたのに、目ざとく見つけたようだ。意外と油断ならないな、こいつ。
「お前もソレ、ほどほどにしといた方がいいんじゃねぇ? 俺が視た未来だと、近い内お前死ぬぞ」
まるで一介の高校生の口から出たとは思えない会話だ。だけどここに居るのは誰ひとり普通の高校生ではなかった。
「……それこそ余計なお世話だわ」
それだけ言って入沢砂月はドアをぴしゃりと閉めた。藤島の舌打ちする音が部屋に落ちる。
「かわいくねー女。お前もそう思うだろ?」
ソファに深く身体を沈めた藤島が、不本意そうに僕に問う。
不本意なのは僕の方なのだが。僕のお気に入りのソファの上で藤島はすっかり我が物顔だ。
「…入沢は、かわいいと思うけど」
「外見じゃねーよ。性格ブスは願い下げだね」
「大丈夫、藤島も負けてないから」
「お前ホントいー度胸だよな」
メガネの向こうで藤島が笑った。今まで見た中では一番トゲの無い笑い方だった。僕も少しだけ肩の力を抜く。
「…ソレってさ、自分の未来も視えるんだ?」
「…イヤ。俺は俺自身の未来だけは、視えない」
「あれ、でもさっき…」
「俺自身の未来は視えなくても、自分の未来を知る方法はいくらでもある。俺と近しい人物や物や場所。情報を集めて検証を重ねれば、そればそれが俺の未来になる」
「ああ、親とか恋人とか友達とか?」
何気なく言った僕に、藤島はまた笑う。今まで見た中では一番トゲのある笑い方だった。
「残念ながらそういったモノは俺にはいない。そんな一番信用できないモノ、要らないね」
その言葉で入沢砂月じゃなくとも少しだけ藤島の顔を垣間見れた気がした。
同情と同感が一緒に沸く。そんなもの本人は望んでいないのを分かっているので、悟られないよう少しだけ視線を逸らした。
「俺とあいつ、どっちが先に死ぬか楽しみだな」
困ったな。このままだとどうやら僕達はみんな、未来が無いらしい。
「僕の未来も、視た?」
「いーや。お前やあいつがどうだかは知らねーけど俺はある程度この力を制御できる。なんでもかんでも視るわけじゃないし、視たくもねぇ。あいつのは…不意打ちみたいなもんだ」
言ってカチャリと人差し指でメガネのフレームを押し上げる。
なるほどと思った。僕のカウントダウンと同じように、スイッチがあるのだろう。
「お前らが俺の上に降ってきやがって、たまたま触れたあいつの未来が、はいってきたんだ」
確かに触れるものすべての未来が視えてしまったら、なんて鬱陶しい世界だろうと思う。世界はこんなにも雑多な他人で溢れているのに。
でも視たいものだけ視られるのであれば、それこそ世界を変えてしまえるのではないだろうか。
なんて発想自体くだらないのかな。
「視てほしいなら、視てやってもいいけど?」
意味ありげに藤島が笑って言う。無関心を貫こうとしていた昼間の彼はどこへいったのやら。ここまで来たら隠すのも面倒くさくなったのだろう。
藤島も薄々気づいている通り、僕に秘密をバラす気は無い。咄嗟の幼稚な脅迫は見事に不発に終わった。
「間に合ってる」
「あっそ」
「入沢は本当に死ぬの?」
「このままだとな」
だけど未来は変えられる。不変で絶対的な過去とは違い、未来は可変だからだ。
「このままだと僕らは、人殺しになるのかな」
「は、ジョーダンだろ! 本人に忠告はしたし、あの様子だと自覚もある。それでも改めないならただの自殺とおんなじだ」
「…入沢が回避しようと思えば、回避できる未来ってこと?」
「おそらくな」
じゃあ入沢砂月は自ら危険の中に身を置いていることになる。
それはどんな場合だろう。考えてみたけど非凡な僕の想像力ではおよそ正解に至らなかった。
だけど幸いにも答えを知っている人物が目の前に居る。素直に訊いてみよう。答えてくれるかはナゾだけれど。
「それって、どんな状況?」
「想像力ねーなお前、さっき自分でも言ってただろ」
「さっき…?」
さっき僕が口にしたこと。
――“このままだと僕らは、人殺しになるのかな”
「…人殺し…が、居る状況ってこと…?」
藤島は答えの代わりに笑った。
「俺たちみたいな力を持ったやつらに選べる選択肢はふたつだけだ。ある程度の社会的地位・立場・権力を持った人間を利用するか、利用されるか。俺は前者であいつは後者みたいだな」
殺人と隣り合う確率とはどのくらいだろう。
日本国内での殺人事件の発生件数は、年間約1,200件から1,300件ほどらしい。これはあくまで僕ら一般人が認知している数に過ぎないけれど。
近い内に入沢砂月も、そこにカウント・統計されてしまうのだろうか。
でもそれはきっと、僕らの耳には届かないような気がした。
ちなみに去年の国内自殺者の数は2万7766人らしい。
「まぁある意味一番安全な後ろ盾だな。警察なんて」
「…捜査協力…ってこと?」
「多分な。俺の力と違って、あいつの力は隠しておけるものじゃなかったんだろ。しかも制御できてないなら尚更だ。バレればそれこそいろんなやつらにつけ狙われる」
それは能力云々ではなく人格の差ではないかと思ったけれど、口に出すのはやめた。藤島の過去を僕は知らないのだ。
「…藤島が一番信用できるものって、何?」
さっき藤島はおよそ信用できるであろう者達を、総じて切り捨てていた。
彼が何かを利用してここまで歩み、そしてそれは入沢砂月が忠告したような軽蔑の対象となりえるようなモノだとしたら。
なんとなくだけれど想像はできる。この世で信用に値するモノなんてそう多くはない。
「金」
きっぱりと答える藤島の、パイプ椅子がギシリと鳴った。数歩先に藤島は居る。
「じゃあ交渉しようか、藤島」
僕を見上げるその目はレンズの向こうでただ黙っている。
「金で君の力を買う」
「本気で言ってんのかそれ?」
「友達になろうって言ってるんだ。代わりに僕は君が望むものを差し出す。お金でしか動かないなら、用意する算段もある」
「口説く相手が間違ってんぞ、お前は過去が知りたいんだろう?」
「うんその為に」
過去は決して変えられない。
唯一変えられるのは、未来だけだ。
「入沢を死なせない、絶対に」
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